第三十七話  レオ・メディチエールの処刑? ②

 この瞬間、誰よりも言葉をなくしたのはクラウディアである。


 健康だった桃色の肌が見る見るうちに蒼白に染まっていく。


「そ、そんな……嘘でしょう? レオの処刑が遂行されたなんて」


「事実です」とマルクスは顔だけをクラウディアに向けて即答した。


「確かにレオ・メディチエールの処刑は終了しました。私が処刑人を務めたので間違いありません。何でしたらレオ・メディチエールの遺体を検分してください。遺体はまだ寄宿舎の死体安置場に置かれていますから」


「貴方は最低ね!」


 クラウディアは目元に涙を浮かべると、今度こそ修道院長室から出て行った。


「気にするな、マルクス。あの子は事の重大さが分かっていないんだ……それよりも今の話は本当か?」


「今の話しとは?」


「レオ・メディチエールの処刑が終了したという話に決まっている」


 マルクスは「それでしたら間違いありません」と首肯した。


「相手は十を超える異端者を暗殺してきた男だ。手枷を嵌められていたとはいえ、君も相当に難儀しただろう?」


「いいえ、特に苦労はしませんでした。どんな屈強な相手だろうとレオ・メディチエールは両手を拘束された素手の男。近づいてバッサリと斬り捨てましたよ」


 これにはジョルジュも驚かされた。


 騎士団の中でも最も与し易く腕の立つことを条件にマルクスを選んだのだが、あのレオが何の抵抗も見せずに一刀両断されたとは俄かには信じ難い。


 だが、こうしてマルクスを目の前にすると信じないわけにはいかなかった。


「そうか……世間を震撼させた〈黒獅子〉の最後にしては呆気ない幕切れだったな」


 ジョルジュは踵を返すなり、毅然と佇むマルクスに無防備な背中を見せる。


「一つよろしいでしょうか?」


 ふと背中越しにマルクスが声を低くして尋ねてきた。


「貴方の暗殺を計画した主犯がレオ・メディチエールという情報は真実ですか? 貧民街の修道院に潜んでいた連中は一様に否定していますが」


「今さらそんなことを確認してどうする? 一連の主犯はレオ・メディチエールであり、こうして君が秘密裏に処刑を遂行したことで事は終ったのだ。肝心なことはレオの手先となって働いた〈戦乱の薔薇団〉とかいうふざけた連中を根こそぎ処することにある」


 そうである。


 自分の指示を受けて数々の暗殺を実行したレオが死んだ今、残された問題は自分が密かに雇った〈戦乱の薔薇団〉に属する者たちの口封じを速やかに行うことだ。


 ジョルジュは一際目立つ入道雲を見つめながら言った。


「理解したのなら余計な思考を抱かずに出て行きたまえ。レオ・メディチエールの処刑に関する褒美は後日与える」


「騎士団における隊長への昇格……そしてお嬢さんとの婚姻ですか?」


「不服かね? しかし、これ以上の褒美は望むべくもないだろう。それとも今頃になって欲が出たか?」


「そうかもしれません」


 マルクスの口から二の句が紡がれる。


「隊長への昇格やお嬢さんとの婚姻よりも手に入れたい褒美があります」


 そしてマルクスは一拍の溜めを作った後にジョルジュの予想を逸脱した行動に出た。


 床を蹴って駆け出すや否や筆写机を飛び越してジョルジュの背後に立ち、どこから取り出したのか一本の鍼をジョルジュの延髄部分に突き刺したのだ。


「はぐっ……」


 直後、ジョルジュの口から頓狂な言葉が発せられた。


(一体何が起こった?)


 延髄に一本の鍼を刺されたジョルジュは、窓硝子の表面に薄っすらと姿が映っていたマルクスを凝視した。瞬きをするよりも早く背中に立ったマルクスの姿を。


「ジョルジュ・ロゼ大司教……なぜ貴方は私を切り捨てたのですか? 貴方に拾われてから五年間も忠実に仕えてきた私を」


 そしてジョルジュは目の前の現実に驚愕した。


 窓硝子の表面に映っていたマルクスの顔が徐々に別人へと変化していく。


「そ、そんな……なぜマルクスの顔がレオの顔に?」


 修道院長室内に耳障りな筋骨の軋み音が鳴り響くと、やがてマルクスだった人物の顔が誰の目にも明らかなレオの顔へと変貌した。


「やはり鍼を刺した状態でなければ長続きしませんね。死後硬直が始まる寸前の死体ならば鍼を刺していなくとも変化させた状態が保たれ続くのですが」


 不可思議なことは依然として続く。処刑されたはずのレオと窓硝子の表面を伝って視線が交錯するなり、先ほどまで会話していたマルクスの声がレオの声だと気づいた。


(これは本当に現実の出来事なのか?)


 心中で何度も自分に対して眼前の光景が現実か夢幻かを問い続ける中、一方でレオの顔へと変化させたマルクスは「まあ、そんなことよりも」と本題を戻す。


 それだけではない。


 革ベルトに取り付けられたバックルの蓋を開けると、レオの顔へと変化させたマルクスは二本目の鍼をジョルジュのこめかみに突き刺した。


「正直に答えて貰いましょうか。なぜ、貴方はよりにもよって自分の命を狙った暗殺集団の主犯に私を仕立て上げたのですか?」


 右のこめかみに二本目の鍼を突き刺された瞬間、ジョルジュは自分の思考が朧気に霞んでいく一種の喪失感に陥った。


 あっという間に視界がぐるぐると回転し、本当に自分が今床の上に立っているかどうかの区別も曖昧になっていく。


「さあ、すべて洗いざらい話してください」


 鼓膜を刺激する声もどこか心地よく聞こえる。


 まるで幼少期に愛しい母親から毎夜の如く聞かされた寝物語のようだ。


「お前を〈戦乱の薔薇団〉の首謀者に仕立て上げたのは計画の範疇だった」


 ジョルジュは胡乱だ瞳で頭部を左右に揺すり始めると、男女の睦言のような小声で今回の事件の概要をすべて吐露した。


「多くの異端者がローレザンヌから消え去った今、遅かれ早かれ教皇庁から出世の報告が届くのは分かっていた。そうなれば私は聖都オルセイアに償還され、ゆくゆくは枢機卿に登りつめることも可能と考えた。否、望めば教皇の座さえも手に入るかもしれない。そう思ったからこそ今回の計画を立案、実行に移すことに決めたのだ。〈戦乱の薔薇団〉という盗賊団を雇い、私の命令で数多くの異端者を葬ってきた〈黒獅子〉を抹殺するために」


 しばらくしてレオは沈痛な面持ちで目頭を押さえた。


「要は貴方にとって私は出世の手駒にしか成り得なかった……ただ、だけのことだったのですね?」


 ジョルジュは素直に首を縦に振った。


「すべては私が未来の教皇になるために必要な手段だったのだ。そのことについて私は自分に非があるとは思っていない。昔から独自の法律を持っていた諸侯たちも保身と野望のために傭兵や殺し屋を雇い入れてきた」


 教皇庁もまた然り、とジョルジュは何の隠し立てもなく今回の計画に至った経緯を淡々と語っていく。


「世の中には表もあれば裏もある。私のような輝かしい光の只中を歩む人間には闇よりも暗い道を平然と歩む人間の存在が不可欠であり、それがたまさかレオ・メディチエールという人間だった……ただ、それだけのことだ」


 麻薬を吸引した人間のように心身を酷く落ち着かせていたジョルジュは、怒りを通り越して最早呆れていたレオに対して満面の笑みを向けた。


 もちろん窓硝子越しにである。


「貴方の事情はよく飲み込めましたよ、ジョルジュ大司教」


 落胆の溜息を漏らすなり、レオはジョルジュのこめかみと延髄に突き刺した鍼の尻頭に左右の人差し指を置いた。


 こめかみには右手の人差し指、延髄には左手の人差し指といった具合にである。


「ならば私も相応の態度を取らせて頂きます。レオ・メディチエール……いや、〈鍼殺〉を極めた〈黒獅子〉として」


 次の瞬間、レオは左右の人差し指にぐいっと力を込めた。


 やがて二本の鍼がジョルジュの皮膚内に姿を消すと、ジョルジュは意味不明な悲鳴を上げたまま前のめりに崩れ落ちた。

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