第三十二話  レオ・メディチエールの裏の顔 ⑩

 聴力で視ているだと? 


 レオは意味深なストラニアスの言葉を脳内で反芻はんすうさせた。


 ほどしばらくしてレオは大きく瞳孔を拡大させた。


(そう言えば以前に何かの医学書で読んだことがある。視力を無くした盲人の中には他の感覚器官が飛躍的に高まった異能者が現れると)


 だとすると、ストラニアスの聴力で物事を視るという意味も納得がいく。


 おそらくストラニアスは異常に発達した聴力を持って、周囲の音を常人の何倍もの感度で聞き分けているのだ。


 そう考えなければ辻褄が合わない。


「まあ、無駄話はここら辺にして決着をつけましょうか。とは言っても素手の貴方と剣を持った私とでは勝負にはならない。貴方が健常者で私が盲人であろうともね」


 ストラニアスはずいっと一歩分だけ踏み込んだ。


「どうです? 余計な手間を取らせないならば一刀の元にあの世へ送ってあげましょう」


 ふふふ、と低い声で笑うストラニアス。


 そんなストラニアスと対峙していたレオはストラニスの心理を的確に読み取っていた。


 確実に誘っている。


 ストラニアスは自分が圧倒的有利な立場であることを相手に示し、向こうから檻の中に入り込んでくる隙を全身全霊で作っているのだ。


 もちろん、そのことに気がつかないほどレオは素人ではない。


 レオは視覚を通してストラニアスの剣の間合いに強力な気膜が張られていることに戦慄した。


 だが、レオには逃げるという選択肢はなかった。


 どのみちクラウディアを救出するためには眼前のストラニアスを無力化しなければならない。


「どうしました? ここまで来て怖気づいたのですか?」


 不敵に笑うストラニアスからは震えを誘う冷気がひしひしと伝わってくる。


 さあ、どうするか。


 レオは三間(約五・五メートル)先に構えているストラニアスを改めて観察した。


 盲人とはいえ相手は剣術を極めた暗殺者である。


 常人よりも極度に発達した聴力を駆使して物事を視るストラニアスは、仕込み杖が届く間合いならば完全に切って捨てることができるだろう。


 実際にストラニアスは盲人とは思えないほどの剣の冴えを見せつけた。


 それこそ間合いに無断侵入した羽虫だろうと一刀両断にする技量を持ち合わせているに違いない。


 ならば迂闊に近寄るのは愚行。


 下手に近づいて攻撃しても返り討ちに遭うのは火を見るよりも明らかだった。


 素手と剣。


 常識に考えれば武器を持った方が有利なのは当たり前であり、腕力がない子供だろうと武器を持てば大人を殺すことも十分に可能である。


 さりとてレオも幾多の修羅場を潜り抜けた人間であった。


 過去には武器を持った傭兵を撃退した経験も持ち合わせている。


 そんなレオでも今のストラニアスには簡単には近づけなかった。


 逆もまた然りである。


 こちらに剣の間合いから攻撃できる投擲武器がない以上、腕力ではなく重心移動と体捌きで敵を斬るストラニアスには歯が立たない。


 では、このまま体力と精神力を削られて呆気なく切り捨てられるしかないのか?


「そうだな……このままでは埒が合わない」


 答えは否である。


 行くも地獄、引くも地獄ならば自分は迷わず行くことを選択する。


 自分に強く言い聞かせると、レオは重心を低く落として床を蹴った。


 大気を鳴動させるほどの雄叫びを発し、レオは正眼に仕込み杖を構えているストラニアスに真っ向から突進していく。


「手立てを失っての猪突猛進……勝負を捨てに来ましたか?」


 正眼に構えていたストラニアスは、レオが距離を縮めてくるうちに構えを脇構えに移行させた。


 そして抜群の聴力によって間合いに侵入したレオに仕込み杖を跳ね上げる。


 同時にレオは身体を急激に停止させて紙一重で斬撃を回避した。


 目の前の空間を光の糸が軌跡を残して通過していく。


 真下から真上に向かって一直線に跳ね上がる斬撃。


 それは他の刀剣とは違って重量が軽い仕込み杖ならではの斬撃であった。


 骨まで断ち切らなくとも人間は幾分か肉を切られるだけで簡単に死に至るのだ。


 しかし、レオは間一髪ストラニアスの初太刀をかわした。


 脇構えという独特な構えと身体の開きから斬撃の種類を特定したことが功を成したのだ。


 だがストラニアスの本命は別の斬撃にあった。


 振り上げられた刃が返され、間髪を入れずに第二撃が繰り出されたのだ。


 本命は全体重を乗せて骨肉を両断できる斬り下し。


 ストラニアスの第二撃は吸い込まれるようにレオの頭頂部へと振り下ろされる。


 このとき、レオは神経を麻痺させるほどの戦慄を味方に心身を異常に高ぶらせた。


 それだけではない。


 圧倒的に不利な現状を打破するため、レオは盲人のストラニアスが思いもよらぬ行動を取った。


 レオは身体を半身に移行させて斬り下しをかわすと同時に、右手でストラニアスの手首の上から柄を握り、そのまま左手で峰の部分を押さえたまま刃を跳ね上げたのである。


「ぐうう……」


 これにはストラニアスも度肝を抜かれただろう。


 相手の頭頂部に振り下ろされたはずの刃がいつの間にか自分自身に跳ね返ってきたのだ。


 盲目だった故もあるだろう。


 咄嗟に回避運動を取れなかったストラニアスは、自分自身の仕込み杖の刃により上半身を深く斬りつけられた。


 傷口からは酸鼻たる血が噴出し、黒地の上着が徐々に赤色に染まっていく。


「そ、そんな……一体どうやって私の剣を返した?」


 驚愕の声を漏らしたあと、ストラニアスの身体が余震に見舞われたように痙攣した。


 レオはごくりと生唾を飲んで後方に下がると、ストラニアスは奪われた仕込み杖を取り戻さんと両手を伸ばした。


 一歩また一歩と前方に拙く歩んだとき、やがてストラニアスは夥しい出血を見せる傷口を両手で押さえて崩れ落ちた。


 そのまま前のめりに倒れて動かなくなる。


「本当に紙一重だったな」


 レオは握っていた仕込み杖を放り投げ、額に浮かんでいた玉のような冷汗を手の甲で無造作に拭う。


 正直、無刀取りが成功したのは運の度合いが大きかった。


 マルクスとの訓練の最中に開眼した無刀取りは、素手で剣を持った相手を制する技術としてレオは心身に深く刻んでいた。


 だが、向かってきた刃を相手に返すことなど何度も偶然にできる技ではない。


 だからこそ、レオは咄嗟に無刀取りを行った自分自身に驚きを感じた。


 まさか、真剣を携えた相手に無刀取りが決まるなど思いもしなかったからだ。


(運も実力のうちということか)


 レオは指一本動かさないストラニアスから離れると、筆写机の傍に寝かされているクラウディアに駆け寄った。


 素早く口に手を近づけて呼吸を確認。


 続いて全身に視線を彷徨わせて外傷がないことを素早く視認する。


 そして衣類が必要以上に乱れていないことから、未だに純潔が守られていることを確信した。


「よかった……本当によかった」


 ジョルジュの命を狙った暗殺集団の首領を倒し、こうして連れ攫われたクラウディアも五体満足で取り戻すことが出来たのだ。


 それだけでレオは満足だった。


 〈戦乱の薔薇団〉の団員はまだ残っているだろうが、そんなものはクラウディアを救出した今となっては取るに足らない事柄である。


 クラウディアをサン・ソルボンス修道院まで連れ帰ったあと、再び舞い戻って団員たちを片っ端から始末すればいいだけの話だ。


 それかこの廃修道院にジョルジュ大司教の命を狙った連中が潜伏しているという事実を修道騎士団に密告してもいい。


 そうすれば自分の手を汚さなくても修道騎士団が片を付けてくれるだろう。


 どちらにせよ、まずはクラウディアをジョルジュの元へ送り届けることが先決だ。


 レオはクラウディアの両膝裏に右手を差し入れると、左手で腰の部位を支えて一気に持ち上げる。


 両手と両足首が拘束されていたからだろうか。


 思いの他、楽にクラウディアの身体を抱き起こすことができた。


「さあ、帰ろうか」


 と、レオが出入り口の扉に向かって歩き始めようとしたときである。


 突然、丈夫な樫製の扉が通路側から蹴り破られた。


「いたぞ! 主犯の〈黒獅子〉だ!」


 轟音とともに図書室の中に十数人の修道騎士団が雪崩れ込んできた。


 全員が長剣を鞘から抜いて完全に戦闘態勢を整えている。


「驚いたな。まさか〈黒獅子〉の正体がレオ・メディチエール先生だったとはよ」


 困惑していたレオに一人の修道騎士団員が長剣の切っ先を勢いよく突きつけた。


「レオ・メディチエール。ジョルジュ・ロゼ暗殺未遂及びクラウディア・ロゼ誘拐の罪で貴様を捕縛する」


 罪状を述べた修道騎士団員――マルクス・ドットリーニは悦に浸った恍惚な表情を浮かべながら口の端を吊り上げた。

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