~最終章~
第二十九話 異国の拳法少女・シェンファ ⑦
「なあ、俺たちは本当に加勢しに行かなくていいのか?」
「さあな。首領の命令だから仕方ないさ」
食堂とは正反対の位置に建てられた身廊で、二人の人間が静かに議論を交わしていた。
互いに黒髪で長身の男たちである。
年齢は二十歳過ぎというところか。
鷲のように鋭角に吊り上がった双眸と、鉤のようにしゃくれている顎が特徴的だった。
おそらく双子なのだろう。
二人とも厚手の生地で作られた白の上着と脚衣を穿き、その上着の上から外套を羽織っている姿は鏡で映したように瓜二つであった。
事情を知らない人間からすれば腰を抜かすほど驚くかもしれない。
「やっぱり俺たちも正門へ向かおうぜ、フォレスト兄貴。こんなところで暢気に突っ立っていても敵なんてこねえよ」
「そう気を昂らせるな、アルゴリー。俺たちは首領の命令でこの場所に配置されたってことを忘れるな。〈戦乱の薔薇団〉の団員は首領の命令に絶対服従だ」
それに、とフォレストは周囲を見渡した。
大聖堂へと続く身廊の中には点々とした明かりが満たされていた。
〈戦乱の薔薇団〉がこの廃修道院を強引に占拠した際、団員総出で点した蝋燭の炎である。
石壁には今でも燭台が残されていたため、団員たちは一本ずつ蝋燭を立てて火を点していったのだ。
身廊もそうである。
さすがに各階の部屋の中には蝋燭の炎を点さなかったが、主要な通路には気軽に動き回れるようにと安価な蝋燭を立てて回った。
お陰でフォレストとアルゴリーが警固を任された西館の身廊にも明るい光が満たされている。
フォレストが正門へと通じる身廊の奥へと視線を馳せると、弟のアルゴリーは納得がいかないのか激しく地団駄を踏んだ。
「でもよ、やっぱり俺は行くべきだと思うんだよな。だって正門に終結している他の仲間が全滅したら修道院の内部警固を任された俺たちの身も危なくなるんだぞ。だったら俺たちも正門へ向かって仲間たちと協戦しようぜ。大丈夫だよ、浮浪者の五十人や百人ぐらい俺たちが団結して戦えば簡単に返り討ちにできるって」
「簡単に言うな」
と
アルゴリーの主張もフォレストは十二分に理解していた。
今でもこの身廊には正門から苛烈な戦闘に興じている鬨の声が届いてくるのだ。
こちらが最初の襲撃者とはいえ仲間が闘っているのに加勢しないのは裏切り行為に値しないだろうか。
フォレストは両腕を組んで思考する。
確かに首領のストラニアスの命令は絶対だったが、それも大局からすれば〈戦乱の薔薇団〉という戦闘集団が生存しているからに他ならない。
アルゴリーの言うように大事の前の小事で全滅するわけにはいかなかった。
しばらくしてフォレストは組んでいた両腕を解した。
そして指の骨を何度も鳴らしていたアルゴリーに顔を向ける。
「お前の言うことも一理ある。仲間が必死で戦っているのに俺たちだけ待ち惚けを食らっているのはおかしい」
「おお、それでこそフォレスト兄貴だ! さあ、さっさと加勢しに行こうぜ!」
先ほどから戦いに飢えていたのだろう。
アルゴリーは全身から闘志を剥き出しにするとフォレスト横を通り過ぎて正門へと歩を進めようとした。
だが――。
「待て、アルゴリー」
フォレストは意気揚々と正門へと向かおうとしたアルゴリーの肩を摑んだ。
「何だよ、フォレスト兄貴。行くのならさっさと行こうぜ」
強制的に静止させられたアルゴリーは不満と疑問で顔をしかめる。
「誰も行かないとは言っていない。行くには行くがその前にやることがある――」
そう言うとフォレストは身廊の奥――頭部が根元から折れている彫像に視線と人差し指を突きつけた。
「おい、そこに誰か隠れているだろう!」
フォレストが発した怒声は身廊の隅々にまで浸透したことだろう。
だとすると首なし彫像の場所まで届いたのは間違いない。
「へえ……敵さんの中にも僅かな気配を察知できる人間がいたのね」
フォレストとアルゴリーが身体を強張らせて警戒の色を濃くさせた中、件の人物は首なし彫像の裏から「残念残念」とぼやきながら姿を現した。
「だったら仕方ない。他の仲間を呼ばれる前に気絶してもらいましょうか」
首なし彫像の裏から現れた人物――リ・シェンファはうなじで一本に纏めていた黒髪を優雅になびかせながら二人の前に立ちはだかった。
「フォレスト兄貴、浮浪者の中に異国の女なんていたっけ?」
「さあな。よく覚えていない……が、身なりからして浮浪者とは思えないな」
姿を現したシェンファはシン国の衣装であるアオ・ザイを着用しており、沐浴も浴びていない浮浪者たちとは違って黒髪や肌は清潔感で満ち溢れている。
しかし、今のシェンファは衣服のあちこちに若干の汚れが目立っていた。
一緒に潜入したレオと別行動を取ったあと、見張りの団員に発見されないように行動したからだ。
シェンファは衣服に付着していた汚れを簡単に払うと、臨戦態勢を整えているフォレストとアルゴリーと呼ばれた双子を睨め回した。
二人ともシェンファよりも上背も体格も勝っている団員だ。
また同じ顔と格好の人間が並んでいると若干の不気味さを覚える。
それでもシェンファは発見された以上、この身廊から逃走する気はさらさらなかった。
逃走したところで問題は解決しないからだ。
それよりも自分を発見した人間が、たった二人だけという事実を喜ぶべきだろう。
場所的にも然したる問題はない。
広々とした面積を有する身廊の中ならば、堆く積み上げた拳法の技量を思う存分に発揮できる。
ならば、とシェンファは気息を整えつつ自流の構えを取った。
両足を前後に肩幅ぐらいに開くと、後ろ足に八分ほどの力を乗せて前足は踵を上げて爪先を軽く地面につける。
上半身は腰を折って懐を大きくへこませ、右手は掌を上に向けて突き出し、左手は掌を下にして心臓の位置で静止させる。
一見すると簡単そうな立ち方に見えるが、実は見た目からは想像もできないほどの強靭な脚力を要求される立ち方であった。
そして上半身には瞬時に攻防を行える極限の脱力が要求され、突き出している右手などはしなやかな鞭を連想してしまう。
この独特の構えを取りながら、シェンファはフォレストとアルゴリーを睥睨した。
「フォレスト兄貴……どうやらこの小娘は別口みたいだぜ」
「そうだな。住処を取り戻すために襲撃を仕掛けてきた浮浪者たちとは違う。ならばお前の言うように浮浪者たちとは別口の敵のようだ」
シェンファの隙のない構えを見るなり、フォレストとアルゴリーも構えを取った。
肩幅ほどに左右の足を広げ、緩く固めた両手の拳で頭部を防御する。
歴とした拳闘術の構えだ。
軽く肩を揺らして拍子を取る独特の構えは、両手の拳のみで相手を倒す拳闘士に多く見られる戦闘態勢だった。
(さて、どちらから来るのかしら。まあ、私の推測が正しければ真っ先に来るのは……)
同じ拳闘の構えを取った双子と対峙したシェンファは、首なし彫像の裏から聞き耳を立てていたときのことを思い出した。
顔や体格が瓜二つな双子とはいえ、思考や性格まで似るとは限らない。
実際に聞き耳を立てていたときにシェンファは二人の性格を看破していた。
兄のフォレストは思慮深く冷静沈着だが弟のアルゴリーは血気盛んで短気。
特にアルゴリーは生来の戦闘狂だということも分かった。
それは口論で苛立った末に無抵抗な石壁に足刀蹴りを繰り出したことでも予測がつく。
だとしたら今後の展開も何となく読める。
シェンファは目線と意識をアルゴリーへと移行させた。
「ひゃはははっ、別口の敵なんて面白えじゃねえか! フォレスト兄貴、この小娘は俺一人で捕らえてやるよ!」
草陰から獲物を発見したような肉食獣の如き瞬発力を発揮し、全身から濃密な獣臭を漂わせながら先手を取ってきたのはやはりアルゴリーだった。
血気盛んな戦闘狂。
そんな性格の持ち主ならば、目の前に現れた敵をいつまでも放置するはずがなかった。
そうシェンファは読んでいたのだが、ここまで自分の読みが的中すると空恐ろしい感覚を抱いてしまう。
どちらにせよ二人同時に相手をするよりは一人の方が楽である。
シェンファは虚実を一切織り交ぜずに突貫してくるアルゴリーを全身全霊で迎え撃った。
アルゴリーは短い呼気から左手一本で刻み突きを連打してくる。
腰が入っていない打撃ながらも拳闘士の刻み突きは脅威であった。
それでもシェンファは捌きの技術を駆使してアルゴリーの連打を受け流していく。
するとアルゴリーは敵対している少女が見た目とは裏腹に尋常ではない力量を有していると実感したのだろう。
顔面に向かって刻み突きを放つや否や、間髪を入れずに右手で追撃を放ってきた。
場所は同じ顔面。時間差を巧みに利用した神速の連続攻撃である。
まともに食らえば顔面が陥没する危険性も十分にあった。
だがシェンファは瞬き一つせずにアルゴリーの連続攻撃を目で追っていく。
「退屈だわ」
アルゴリーの右拳が顔面に当たる寸前、シェンファは溜息混じりに呟いた。
そしてシェンファは反撃に打って出た。
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