第二十三話 レオ・メディチエールの裏の顔 ④
レオの嫌な予感は的中した。
やはりシェンファほどの力量の持ち主ならば、二度も技を見せれば看破されると思っていた。
施療院内で怪我人たちを治療していた最中は一人の人間に構っている余裕がなかったので無視していたが、治療を終えたシェンファから絶えず視線を向けられていたことはレオも承知していた。
だが、面と向かって断言されると返って清々しい衝動に駆られるのも事実だ。
微妙な沈黙が流れた後、レオは観念したように大きく溜息を漏らす。
「これ以上、誤魔化すことは無理か……で、君は俺をどうしたい? 修道騎士団に報告して俺を逮捕するか?」
などとレオは言ったが、シェンファがそんなことをしないことは明白だった。
仮に彼女が〈黒獅子〉を本当に逮捕したいと思ったのならば、わざわざ盗賊のような真似事などをせずに何人かの修道騎士団を引き連れて堂々と姿を現しただろう。
レオは目線だけを動かして正門付近の気配を探った。
普段ならば子供の泣き声や夫婦喧嘩の猛々しい騒音が聞こえてくるのに、ここら一帯は真冬の湖畔を想起させるほどの静寂に包まれている。
近隣住民たちも享楽に耽られる夜の夏市に参加しているのだろう。
そのため、普段よりも周囲の気配を鋭敏に感じ取れた。
「安心して。ここに来たのは私だけよ、レオ・メディチエール先生」
やはりか、とレオは視線をシェンファへと戻した。
どれだけ神経を研ぎ澄ませても正門周辺からは人間の気配が感じられなかった。
もしも正門周辺に修道騎士団が身を潜めていたとしても、これだけ静かならば甲冑が擦れる音や地面を歩く靴音が嫌でも聞こえてくるはずである。
その音がまったく聞こえてこない。
つまりシェンファは本当に一人で来たのだろう。
では、何のために?
レオが真相を問いかけようとしたとき、シェンファは話を先読みしたのかレオが聞きたかった理由を自分から吐露した。
「私が盗賊の真似事をしてまで近づいたのは、貴方の力を借りたかったからよ。医者であるレオ・メディチエールではなく、〈黒獅子〉としてのレオ・メディチエールの力をね」
「〈黒獅子〉としての俺の力を借りたい?」
レオは眉間に皺を寄せて首を捻った。
異国人であるシェンファも、ローレザンヌの富裕層を震え上がらせている〈黒獅子〉の噂は聞き及んでいるはずだ。
ましてやシェンファ自身はロレンツォ・ドットリーニの屋敷で〈黒獅子〉に扮した自分と対峙していた。
ならば都市の治安を守る修道騎士団に報告するのが妥当ではないのか。
そうレオは思ったものの、シェンファの口振りからすると自分を修道騎士団に報告するつもりは元からないようだ。
不可解極まりなかった。
シン国人であるシェンファの考えがまったく読めない。
「そんなに警戒しないでちょうだい、レオ先生。私は貴方が〈黒獅子〉という暗殺者だろうと修道騎士団に密告するような真似はしないわ。さすがに宿を借りているロレンツォさんの屋敷に忍び込んだときは捕まえようと躍起になったけど……今は〈黒獅子〉という暗殺者について変な先入観はない。ソルボンス大聖堂で巨漢相手に必死に闘った姿や、施療院で多くの患者たちを懸命に治療していく姿を見せつけられたからね」
シェンファはそこで一旦話を区切り、両の拳を強く握り締めた。
そんなシェンファにレオはさらに首を捻って見せた。
「君の話を聞いてきた限りでは、〈黒獅子〉としての私の力を借りる理由が何一つ分からない。一体誰と闘うつもりだ?」
「決まっているでしょう。叔父さんの仇を討つの」
シェンファは即答した。
「昼間の件で叔父のケイリンが重傷を負ったのよ。しかも私が不覚を取ったばかりにね。これじゃあ何のために叔父さんの護衛役として異国まで来たのか分からないわ」
シェンファの叔父であるリ・ケイリンのことはレオも知っている。
施療院で真っ先に治療した人間だったからだ。
それとは別にケイリンはレオにとって生命の恩人とも呼べる人間だった。
あのときケイリンが我が身を顧みずに突き飛ばしてくれなかったら、ランフランコの不意打ちをまともに食らって瀕死の重傷を負っていたことだろう。
レオは汗で湿っていた前髪の体裁を整えつつ言った。
「でも君の叔父さんは死んでいないぞ。さすがに軽傷とはいかないが命に危険が及ぶほどの怪我ではなかった。だとしたら仇を討つとは少々大袈裟じゃないのか?」
身を挺してレオを掬ってくれたケイリンは、ランフランコの前蹴りを左腕に受けて骨が綺麗に折れていた。
その他にも主祭壇に身体を打ちつけたことで、背中や肩に打撲傷などの怪我を負っていた。
しかし、レオが言うように生命に危険が及ぶほどの怪我ではない。
数週間ほど安静にしていれば必ず怪我の具合はよくなる。
シェンファは首を左右に振った。
「そんなこと関係ないわ。護衛対象であった叔父さんが悪漢に怪我を負わされた事実こそが問題なのよ。こんな状態で本国に帰ったら私の評判が落ちるどころか師父に殺される可能性だってある。だからこそ私は本国に帰る前に汚名を返上したいの」
話を黙って聞いていたレオも、シェンファの全身から迸る気の圧力を鋭敏に感じ取っていた。
「まさかとは思うが君は叔父さんを負傷させた相手の仲間全員を捕まえる気か?」
そうとしか考えられなかった。
ケイリンに負傷を負わせた当の本人であるランフランコならば、とうの前に修道騎士団に逮捕されて留置場に放り込まれている。その事実はシェンファも知っているはずであった。
それでもシェンファは叔父の仇を討ちたいと豪語した。
これはランフランコの仲間と思われる、市場の大舞台で修道騎士団と一線交えた黒外套たちのことを指しているに違いない。
なぜならソルボンス大聖堂でシェンファが倒した黒外套たちと、大舞台で暴れた黒外套たちとは同じ衣装だったことが判明していたからだ。
尋ねたレオに対してシェンファは会心の笑みを作った。
「さすが一流の医者であり暗殺者でもある人間は違うわね。話が滞りなく進むから本当に助かるわ。そうよ、私は叔父さんに怪我を負わせた黒外套たちの仲間も全員捕まえて汚名を返上したいの。でも、さすがに私一人では手が余る。ここは土地鑑も皆無だしね」
間を置かずにシェンファは自分の意見を述べていく。
「そこで〈黒獅子〉でもあるレオ先生に助力を請うと思い立ったわけ。土地鑑もある貴方ならば市場から遁走した黒外套たちが行き着くような場所を知っているだろうしね」
「もしも断った場合は?」
シェンファの返答は分かっていた。
にもかかわらず、レオは尋ねずにはいられなかった。
「もちろん、このまま修道騎士団に報告するわ。医者であるレオ・メディチエールが巷で噂の〈黒獅子〉だってね」
(なるほど、すべて計算尽くというわけか)
十六歳の少女とは思えない大胆不敵な行動に内心レオは舌を巻いた。
こんなことは余程の度胸と力量が伴ってなければ実行に移せないことだ。
だが、これはある意味において好都合とも言えた。
彼女のような人材と一緒ならば楽に目的が遂行できる可能性が高い。
「いいだろう、君の提案を受ける。俺としても修道騎士団に逮捕されたくないからな」
レオは小さく首を縦に振って頷いた。
「それに連中が身を潜めていそうな居場所は大体見当がついている」
「本当なの?」
「というよりもローレザンヌで連中のような揉め事を起こした輩が身を隠す場所など一つしかない。異国人である君は知らないだろうが、ここローレザンヌには税金も支払えないほどの貧しい人間たちが寄り添って暮らしている場所が存在する。また、そんな性質上ローレザンヌに流れてきた犯罪者たちも多く屯っている場所――」
地元民であるレオは賑わいが聞こえてくる市場とは正反対の場所に顔を向けた。
「ローレザンヌの南東に位置する旧市街……いや、貧民街だ」
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