~第三章~

第二十一話  レオ・メディチエールの表の顔 ⑫

「クラウディアが攫われたというのはどういうことです!」


 部屋の中にレオの切迫した声が響き渡る。


 ジョルジュ・ロゼの私室――修道院長室であった。


 そして修道院長室にはジョルジュとレオしかいない。


 レオは甲冑を脱いでソルボンス修道騎士団員を表す紺色の上着と脚衣を着用しており、ジョルジュもミサの際にしか携えない司教杖を無造作に壁に立て掛けていた。


「どういうことも何も私もまだ状況がよく分かっておらんのだ。ただ大舞台を警備していた騎士団員の話を総合すると、賛美歌に加わっていたクラウディアを連れ去ったのは頭巾を目深に被った黒地の外套を羽織った連中だという」


 頭巾を目深に被った黒地の外套を羽織った連中。


 それは四半刻(約三十分)前にサン・ソルボンス大聖堂でジョルジュの命を狙った暗殺者たちの衣服にそっくりではないか。


 表情を曇らせたレオを見て、ジョルジュも同じ考えに至ったのだろう。


「そうだ。クラウディアを連れ去った連中は私の命を狙った連中の仲間と思っていい。だとすると、連中は私の暗殺を失敗したときの保険を掛けていたに違いない」


「それがクラウディアだと?」


 おそらくな、とジョルジュは背もたれに深々と身を預けた。


「連中は私とクラウディアが血縁関係であることを調べ上げ、もしも私の暗殺に失敗した暁にはクラウディアを誘拐して有利に事を運ぼうと考えたのかもしれん」


「有利に事を運ぶとは……まさか!」


 ジョルジュは溜息混じりに顎を引いて頷いた。


「十中八九、連中は私の命と娘のクラウディアを交換条件に取引を持ち掛けてくる。これほど計画性と実行性に富んだ集団だ。常に二、三手先を読んで動いていることは十二分に考えられる」


「ならば今すぐ修道騎士団を集結させてクラウディアを取り戻しましょう」


 レオは筆写机に両手の掌を叩きつけた。


「夏市の最初日とはいえ、修道騎士団員に顔と名前が知られているクラウディアを連れてローレザンヌの外に逃げたとは考え難い。多分、連中は予め用意していた占拠か私たちの目が届かない場所に身を潜めているに違いありません」


「ふむ、私たちの目が届かない場所と言えば」


「ええ、奴らは間違いなく〝あの街〟へ逃げ込んだのでしょう。〝あの街〟ならば犯罪者が身を隠すには絶好な場所です」


 はっきりと断言するなり、レオは踵を返して筆写机から離れようとした。


 そのままクラウディアを取り戻すために退室しようとしたのだ。


「待つのだ、レオ。今動くのは得策ではない」


 予想外なジョルジュの物言いにレオは立ち止まった。


 身体ごと振り返って双眸を尖らせたままジョルジュを睨めつける。


「どういうことです? 今動かないでいつ動くというのですか?」


 近年においては都市の治安状況は改善の一途を辿っているものの、日常生活の裏に潜む犯罪がなくなった日は一日もない。


 怨恨により殺人を犯す者。


 金銭目的で強盗を働く物。


 主に若い女を誘拐する者。


 これらは都市事情に欠かせない犯罪の主な例である。


 特に経済の向上が顕著になった現在では、裕福な商人の資産を狙う強盗が特に多いだろうか。


 だが、そんな資産を狙った強盗犯罪と両天秤に乗せられる犯罪がある。


 若い女性の誘拐及び強姦事件であった。


「説明してください。どうして今動いてはならないのですか?」


 両拳を固く握り込んだレオが怒りを噛み殺した声で言う。


「レオ、お前がクラウディアを早く助け出したいことは重々承知している。普段から治療の手伝いを務めていたクラウディアだ。身分が違うとはいえ密かに思いを馳せていることは知っているぞ」


「そ、そんなことは……」


 咄嗟にレオは両目を泳がせて言葉を濁した。


 今まで本人はおろか、ジョルジュにも漏らしていない自分の心情を的確に指摘されるとは思いも寄らなかったからだ。


「今さら隠さなくてもいい。クラウディアも満更ではなさそうだったからな。情熱を持て余している男女に分け入るほど私は無粋な男ではない。が、今は個人の感情に振り回されているときではないのだ。お前も知っているだろう? ローレザンヌ中の教会、修道院、大聖堂が何者かの手により付け火に遭ったことを」


 もちろん知っている。


 修道士がローレザンヌ中のクレスト教関連建造物が付け火に遭ったという情報を声高に報告したとき、ジョルジュの身辺警護のために主祭壇に上がっていたレオもはっきりと耳にしていた。


「その忌まわしい付け火のせいでローレザンヌ中に配置してある修道騎士団たちが対応に追われている。鎮火作業は無論のこと、混乱した市民たちを安全な場所へと誘導。必要ならば負傷した市民たちの治療にも借り出されることだろう」


 それに、とジョルジュは語気を強めて二の句を繋げた。


「負傷した市民が出たのはここも同じだ。お前は修道騎士であるとともに医者でもある。ならば施療院に運ばれた市民の治療に当たれ」


「待ってください! そんな悠長なことをしている暇はないでしょう! こう議論している間にもクラウディアが連中にどんな目に遭っているのか分かりません!」


 考えれば考えるほど背筋が凍りつく。


 相手はクレスト教の司教の地位にある人間を狙うような暗殺集団だ。


 そんな連中が取引のためとはいえ、容姿端麗なクラウディアを無垢な身体のままにしておく保障はどこにもない。


 取引として使うか人質に使うかは分からないが、要は連中にしてみればクラウディアは生きてさえいればいいのだ。


 それこそ陵辱の限りを尽くされた挙句、ジョルジュの元に片耳や指などの身体の一部を送りつけられるということも考えられる。


「お前の憤りも分からないではないが、まずは信徒の安全を確保してから事に望むことが先決なのだ。市民を蔑ろにしてクラウディアを取り戻しても意味がない。大司教に成ったジョルジュ・ロゼは市民よりも自分の娘を優先させたという噂が立ってからでは遅いのだ」


 神妙に言葉を紡いだジョルジュの言い分も理解できた。


 高権の地位にいる人物は個人の感情に流されず、広い視野と膨大な知識を駆使して不足な事態を乗り切る人徳が求められる。


 ローレザンヌの経済に大いに貢献してきた夏市の最初日、しかもローレザンヌのクレスト教関連建造物が付け火にあったとなれば尚更だ。


 また大司教に就任した旨を発表する寸前に、暗殺集団に狙われたとあっては今までにないほどの不足の事態に違いない。


「ですが……」


 だからといってクラウディアを見殺す理由にはならない。


 確かに負傷した市民の治療は大切なことだ。


 修道騎士よりも医者としての自覚の方が勝っているレオとしては、大人に踏みつけられた子供や老人の安否が気になる。


 さりとてレオは修道騎士や医者以上とは正反対の顔を持つ男であった。


 クレスト教の異端者を暗殺する闇の狩人――〈黒獅子〉としての裏の顔をである。


「そう気落ちするな。誰もクラウディアを助けないと言ってはいない」


 顔を下に向けていたレオにジョルジュは威厳を含ませた声で言う。


「こんなときこそ、レオ・メディチエールの――いや、神敵である異端者を葬る〈黒獅子〉の出番だ。クラウディアを攫った連中は異端者ではないものの、連中は大司教である私の命を奪おうとした。〈黒獅子〉が動く理由は十分だろう」


 レオは頬を叩かれたように目を見開くと、両手の指を絡めた状態で不敵に笑うジョルジュに顔を向けた。


 互いの視線が綺麗に交錯する。


「まずは市民の治療を最優先にしろ。そして日が落ちて宵闇が街を包み始めた折にこそ」


 ジョルジュは一旦言葉を切り、次の言葉を半ば予想していたレオに告げた。


「〈黒獅子〉となって連中を根絶やしにするのだ」


 それは静かで威厳に満ち溢れた命令だった。


 やはりジョルジュも人の子だ。自分の一人娘を取り戻すために必死なのだろう。


「お任せください。クラウディアは必ず自分が取り戻して見せます」


 確固たる意志を込めてレオは頭を下げると、すぐさま行動を起こすために踵を返した。


 そのときである。


 修道院長室の扉がノックされ、一人の男が部屋の中へ入ってきた。


 修道騎士団の団長――ライオット・メディスンであった。


「何だ? なぜ、お前がここにいる?」


 視線が交錯するなり、ライオットは眉間に皺を寄せて言った。


「いえ、少し大司教様に用があったので……」


 咄嗟にレオは言葉をにごした。


 自分が〈黒獅子〉であるということは、ジョルジュしか知り得ない事実である。たとえ上司といえども絶対に知られてはならない。


「では、自分はこれにて失礼致します」


 レオは訝しむライオットに軽く一礼し、足早に修道院長室から退室した。

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