第十四話   レオ・メディチエールの表の顔 ⑧

 修道騎士団の寄宿舎内には、騎士たちが訓練を行う練兵場が設けられていた。


 僅かな造形の違いはあるものの、修道騎士団の練兵場は周囲を石壁に囲まれた正方形の庭である。


 ただし練兵場である庭は雑草や小石は徹底的に排除され、騎士たちが訓練で余計な怪我を負わないように滑らかに均されていた。


 また練兵場である庭の中には屋根付きの小屋が建てられており、休憩所兼脱衣所として利用されていた。


 その小屋からレオは甲冑を着込んだ姿で現れると、すでに甲冑を着込んで庭の中央で待ち惚けを食らっていたマルクスに近づいていく。


 先に到着していたマルクスと同様、小屋から出てきたレオの右手には訓練の際に使用する木剣が握られていた。


 修道騎士団員が携帯する長剣よりも身幅が細く、どちらかと言えば刺突用の細剣を想起させる木剣である。


「二人とも頑張れよ!」


「卑怯な手なんて使うんじゃねえぞ! 正々堂々とやれ!」


 そんな練兵場にはマルクスとレオの他に約二十を超す団員たちが集まっていた。


 事情を知った野次馬たちである。


 中にはアレクサンドルの姿も見受けられ、両指を絡めて祈るようにレオを見つめていた。


 一方、アレクサンドルの代役を買って出たレオは平静を保っていた。


 野次馬たちの口から発せられた歓声を受けつつ、木剣で軽く自分の肩を叩いていたマルクスと対峙する。


「よく逃げ出さなかったな。これから試合で大怪我を負うってのによ」


「只の訓練ではなかったのですか?」


 などとレオは落ち着き払った声で言ったものの、実際には訓練とは名ばかりの陰険な苛めに過ぎないことをレオは知っていた。


 剣術に秀でていたマルクスは目星をつけた団員に訓練と称して試合を申し込む。


 そして自分の体内から沸き起こる攻撃的な欲望を十分に満たすのだ。


 もちろんマルクスの悪癖はレオも重々承知している。


 もしも今までのように見知らぬ団員が標的だったならば今回も知らぬ存ぜぬを貫くつもりでいた。


 だが標的がアレクサンドルならば話は別だ。


 数少ない自分を慕ってくれる無邪気な後輩を、見す見すマルクスの欲望を満たす生贄に捧げるわけにはいかない。


 だからこそ、レオはアレクサンドルの代役を躊躇せずに買って出たのだ。


「訓練なんてものは建前に決まってるだろ」


 マルクスは木剣の切っ先をレオに突きつけた。


「表向き訓練と銘打っておけば相手を怪我させても罰せられねえ。俺にとっては日頃からの鬱憤を解消する適度な憂さ晴らしになるのさ」


 相変わらず性格が破綻している男だ。


 こうも堂々と自分の悪癖を口にする馬鹿は中々お目に掛かれない。


 やはり幼少期からの教育に問題があったのだろう。


「さて、無駄口はここまでにして始めるか。見物人も待っているみたいだしよ」


 何を? とレオは敢えて訊かなかった。


 マルクスにしてみれば自分が剣術で他人に負けることは天と地が逆転するほど有り得ないことであり、口伝で集まった野次馬たちも自分の勝利を疑っていないと確信しているのだろう。


「さっさと構えな。てめえが相手ならゆっくりと時間を掛けて料理してやる」


 両手で木剣を強く握り締めると、マルクスは正眼にぴたりと構えた。


(なるほど。自惚れるだけはあるということか)


 マルクスの構えと佇まいから紡ぎ出される戦闘力を瞬時に把握すると、レオはマルクスと同様に両手で握った木剣を正眼に構える。


「おいおい、修道騎士団のくせにその隙だらけの構えは何だ?」


 レオの構えを見た瞬間、マルクスは真っ白い歯を剥き出しにして嘲笑した。


 無理もない。


 お世辞にもレオの構えは素人に毛が生えた程度だった。


 マルクスとは対照的に木剣の切っ先が落ち着かなく揺れている。


 重心の取り方も微妙におかしい。


 素早く重心移動が可能なマルクスの立ち方とは違い、肩幅程度に開いている後ろ足に体重を乗せすぎている。


 それも仕方なかった。


 武器の携帯を許可されている修道騎士団の一員とはいえ、レオは集団訓練時以外でまともに剣術の鍛練を行った試しがない。


 本業と思っている医者の仕事に日々を追われていることも理由の一つだったが、剣術を鍛練しない最大の理由はレオにとって剣を使用して敵と闘うという気概と意志が微塵もなかったからだ。


「まあ、いいさ。こうして互いに相対したからには遠慮しねえ。それこそ騎士の本懐ってものだから……な!」


 語尾を強調して言い放った後、マルクスは真正面から木剣を打ち込んできた。


 二間(約三・六メートル)の間合いが一気に縮まり、レオの頭頂部目掛けて木剣が紫電の如き速さで振り下ろされる。


 レオは軽く地面を蹴って後方に跳躍。まともに食らえば頭蓋が陥没しただろう斬撃をやり過ごす。


 会心の一撃を回避されたマルクスは舌打ち一閃。


 間髪を入れずに今度は胴体に向かって鋭い突きを繰り出してきた。


 咄嗟にレオは両手で握っていた木剣を操作して回避行動を取った。


 胴体目掛けて飛んでくる突きを木剣の腹で受け流そうとしたのだ。


 しかし――。


「甘えんだよ馬鹿が!」


 次の瞬間、突きを受け流されたマルクスはさらに踏み込んできた。


 体重を乗せた体当たりだ。


 マルクスは突きを受け流された反動を巧みに利用し、無防備だったレオに体当たりを食らわせたのである。


 強烈な体当たりを食らったレオは、面白いように後方へ吹き飛んだ。


 そして背中から地面に落ちると、濛々たる砂塵を巻き上げて何度も転がっていく。


 三、四回ほど転がっただろうか。


 レオは咄嗟に態勢を整えて片膝立ちになった。


 全身に砂を付着させながらマルクスを睥睨する。


「威勢よく代役を買って出て損したな。どうだ? 今からでも誰かと代わるか?」 


 たった一合の手合わせでマルクスはレオの剣士としての力量を看破したのだろう。


 先ほどと同様に木剣で自身の肩を軽く叩き始める。


「冗談を言わないでください」


 余裕を態度で見せつけるマルクスと視線を交錯させつつ、レオは何事もなかったように片膝立ちから平行立ちへと移行した。


 それだけではない。


 全身に付着した砂を払い落とす素振りも見せず、再び木剣を正眼に構えて堂々と言い放った。


「このまま誰とも代わらずに続行しますよ」


 レオは正眼に構えた木剣を大上段に構え直すと、天に向かって木剣が屹立する大上段の構えから攻撃を放つ。


 マルクスの頭部を狙った振り下ろしだ。 


「そんなもん誰が食らうか!」


 マルクスは素早く横方に移動して振り下ろしを回避するや否や、地表近くで停止したレオの木剣を自分の木剣で叩き落した。


 レオの木剣の一部が割れて地面を転がる。


 見物していた団員たちの口から感嘆と悲痛が入り混じった歓声が沸いた。


 当然である。


 唯一の武器である木剣を叩き落されたからには、レオの敗北は決定したようなものだったからだ。


 勝負あり。


 もしも訓練試合ならば立会人の勝敗決定が下されたに違いない。


 だが、これは立会人を定めた訓練試合ではなかった。


「くたばりやがれ!」


 最早、マルクスはレオを無傷で済ます気は毛頭なかったのだろう。


 それは木剣を叩き落した直後、素手となったレオに追撃を繰り出したことで明白となった。


 横薙ぎである。マルクスはレオの顔面を潰す気で腰を入れた横薙ぎを放ってきたのだ。


 レオは顔面に飛んできた横薙ぎを何とか回避した。


 正確に横薙ぎの軌道を読み、当たる寸前に上体を後方に逸らすことで回避したのだ。


 ただしマルクスの本命は断じて横薙ぎではなかった。


「チェイ!」


 横薙ぎをかわされたマルクスは、まったく臆することなく瞬時に手首を返して踏み込んできた。


 裂帛の気合とともに大上段の構えから木剣を振り下ろしてくる。


 このとき、レオは自分の頭頂部に落ちてくる木剣を明確に見つめていた。


 まともに食らえば死ぬ。


 レオは一刹那の間にマルクスの木剣が、自分の頭頂部にめり込む悲惨な姿を想像した。


 頭蓋にまで木剣が深く食い込み、噴水のように血飛沫を噴出させる自分の姿を。


 なればこそだっただろう。


 レオはかっと両目を見開くなり、表の顔である騎士団員からに変貌させた。


 暗殺者――〈黒師子〉の顔にである。


 数多の修羅場を潜り抜けていたレオの身体は、絶体絶命だった現状を打破するために全細胞を総動員させて動いた。


 レオは身体を半身に移行させてマルクスの振り下ろしをかわすと、右手でマルクスの手首を握り、そのまま左手で木剣を押さえたまま跳ね上げたのである。


 一拍後、マルクスは声にならない声を上げて地面に崩れ落ちた。


 レオが跳ね上げた木剣はマルクスの金的に直撃したのである。


 レオは左右の手に木剣を握りつつ、両手で金的を押さえているマルクスを見下ろした。


 マルクスの身体は激しく痙攣し、白目を剥いて何度も歯をかち鳴らしている。


 よく見ると顔中から脂汗も滲ませていた。


「先輩! レオ先輩!」


 レオは戦闘不能に陥ったマルクスを呆然と見下ろしていると、傍観していた団員の一人が慌しく駆け寄ってきた。


 アレクサンドルである。


「大丈夫ですか! どこか怪我でもしませんでしたか!」


「ええ、私はこの通り大丈夫だけど……こちらは無理だね」


 こちらとは言わずもがなマルクスのことだ。


「レオ先輩、今の決め技は何だったのですか? あまりの速さ故にまったく見えなかったのですが」


「今の決め技か」


 正直、レオ自身も答え難い質問だった。


 今の決め技が何だと訊かれても本人も答えようがない。


 身体が勝手に動いて発動させた技としか言いようがなかった。


「そうだな……素手の状態で相手の剣を返すような技だったから」


 レオは十分に溜めを作ったあと、アレクサンドルに言った。


「無刀返し、とでも名づけようか」

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