第十三話   レオ・メディチエールの表の顔 ⑦

 ローレザンヌに住まう市民で修道騎士団を知らない者は一人もいないだろう。


 最大の敷地面積と修道士や修道女の保有数を誇るサン・ソルボンス修道院を始め、百を越える教会や修道院に配置されている騎士団の総称である。


 ただし忘れてはならないことが一つだけあった。


 フランベル皇国や近隣諸国に残っている騎士道を尊んでいる騎士団と、神の戦士である修道騎士団とは明確に活動内容が異なっている。


 都市の警備や治安を一任していることは同じだが、主に騎士団とだけ呼ばれている組織は自分たちが暮らしている都市の周辺に出没する盗賊などを討伐することも任務の中に組み込まれていた。


 だが修道騎士団と呼ばれる組織は都市の中だけを巡回し、神が舞い降りてくる教会や大聖堂、聖職者が暮らしている修道院を警備することを第一と考えている。


 他の都市に存在している修道騎士団の中には完全に武力を捨て去り、医療と慈善活動だけを行う名目だけの〝騎士団〟も多く存在するのだ。


 そんな修道騎士団は別名、病院騎士団と呼ばれて修道士と変わらない生活を行っている団員たちも多い。


 これも長きに渡って繰り広げられた戦乱が終結し、フランベル皇国に住まう人々の生活が豊かになったからだろう。


 市民の中にはローレザンヌの修道騎士団も武装を解除し、全面的に医療活動を行って欲しいという声も多く寄せられている。


 とはいえ、そう簡単に武装を解除できるほどローレザンヌの都市事情は甘くない。


 レオはそこのところをよく分かっていた。


 生活が豊かになり多くの集合邸宅が建てられ、金銭的にも余裕が出てくる富豪が多く現れれば逆に生活水準が低下する市民も出てくる。


 都市事情にありがちな喧嘩、強請、強盗、強姦、殺人などの凶悪事件も年々増え続け、各修道院に配置されている修道騎士団は対策に追われることが日常と化していた。


 それ故に各修道騎士団の宿舎では定期的に団員を集めて会議を行っていた。


 今日もそうである。


 年々増加の一途を辿る凶悪事件の対処法とは別に、数日後に控えた夏市の警備に関する会議がサン・ソルボンス修道院の一角に設けられた宿舎内で開かれていた。


 刻限は六時課(正午)を少し過ぎた辺りだろうか。


 百人は軽く保有できるほどの会議室にはサン・ソルボンス修道院に属する五十人近くの修道騎士団員が集まっていた。


 会議だからか団員たちは甲冑と脚甲を外しており、クレスト教のシンボルマークが刻まれていた長剣も隣部屋の武器保管室に預けられている。


「よし、全員集まったな。ではこれより夏市に向けての対策会議を執り行う」


 規律よく並べられた椅子に座っている団員たちを見渡し、鼓膜に響き渡るほどの快活な声を発したのは教壇に立っていた四十代前半と思しき男だった。


 ライオット・メディスン。


 サン・ソルボンス修道騎士団の隊長である。


 一切の毛を剃った禿頭に衣服の上からでも判別可能な贅肉。


 修道騎士団員を示す紺色の上着と脚衣も、ライオットが着ると今にもはち切れそうなほど盛り上がって見えた。


 正直、心身ともにたるみ切ったライオットが隊長を務めているのには疑問がある。


 だがメディスン家は修道騎士団に多額の寄付をしている名門貴族の一つであり、ライオットはそんな自分の家柄で出世した非凡な男に過ぎない。


 それに法律が強化されたローレザンヌでは滅多に凶悪な事件は起きてないことになっていて、たとえ何かしらの事件が起きたとしてもライオットは隊長の権限を利用して部下に対処を命令するだけだ。


「皆も知っての通り、夏市は一年を通して一番ローレザンヌに観光客が訪れる催しだ。大通りには数え切れないほどの露店が出店し、毎年のことながら市場には普段の三倍以上の人間で溢れ返るだろう」


 椅子しか配備されていない簡素な会議室にライオットの声が響く。


 内容は特に去年と変わらなかった。


 異国からの観光客を重点的に武器の所持を入念に取り締まり、お祭り騒ぎに乗じた喧嘩や強盗の抑制を普段よりも心掛ける。


 そんな基本的な活動内容を団員たちに話していく中、ただ今回の夏市は特別だからなとライオットは意味深な言葉を吐いた。


 大半の団員たちは何のことかと騒ぎ始める。


 今回の夏市は特別だ、と言ったライオットの表情がいつになく強張っていたからだ。


 しかし、レオだけは違った。ざわつき始めた大半の団員とは違い、後方の窓際の椅子に座って落ち着き払っていた。


 当然である。


 レオはライオットが何を言いたいのか事前に知っていたからだ。


「うるさいぞ、お前ら!」


 ライオットは怒声を上げるなり、教壇の机を握り締めた拳で盛大に叩いた。


 途端、水を打ったように会議室の中が静まり返る。


「いいか、今回の夏市が特別だという理由は他ならぬジョルジュ司教のことだ。まだ知らない者も多いと思うから端的に説明するぞ。教皇庁の通達によるとジョルジュ司教がこの度クレスト教の大司教に就任なさることが決定した。その件をジョルジュ司教の一存による夏市の場を借りて盛大に発表する、というのが今回の特別な事情だ」


 分かったか、と最後に大声を発したライオット。


 本来ならば一言一言に十分余裕を持って説明するべき事柄だったものの、あまりにも団員たちのざわつきが止まなかったせいで感情に任せて一気に言い切ってしまったのだろう。


「そういうわけで今年の夏市は例年以上に気合を引き締めて巡回に――」


「あの……ちょっといいっスか?」


 会議もいよいよ佳境に突入したとき、気だるげな口調と態度で挙手をした団員がいた。


 ほぼ中央の椅子に座っていた、マルクス。ドットリーニである。


「どうした、マルクス? 何か質問でもあるのか?」


 ライオットはマルクスに顎をしゃくって見せた。


 それはサン・ソルボンス修道騎士団ならば知っているライオットの発言許可の態度である。


「質問って言うか……少し気になったんスけど、ジョルジュ司教の大司教就任発表はここでやるんスか?」


 ここ、とは修道騎士団の宿舎という意味ではなく、同じ敷地内に存在するサン・ソルボンス大聖堂のことだろう。


 一般解放もされているサン・ソルボンス大聖堂ならば、ジョルジュ司教が大司教に就任したという重大事実を発表するには十分な場所だった。


 事実、ジョルジュはレオに大司教就任の発表はサン・ソルボンス大聖堂で行うことを聞かされていた。


 他にも当日の発表時には傍で護衛を務めて欲しいとも言われていた。


 一方、マルクスの意見を聞いたライオットは深く嘆息する。


「そう言えば肝心なことを言い忘れていたな。実は今回の発表場所についてはジョルジュ司教立っての頼みで当日まで極秘にすることが決まっている。口惜しいが私たち修道騎士団にも当日にしか発表場所を知らされない」


「はあ? それって大司教の就任発表場所がサン・ソルボンス大聖堂以外の場所で発表されることもあり得るっていうことっスか」


「まあな、サン・ソルボンス大聖堂や市場とは別に何箇所かの候補が挙がっている」


 再びマルクスが発言する。


「何っスかそれ。結局、ジョルジュ司教は修道騎士団をこれっぽっちも信用していないってことじゃないっスか?」


「そうではない。大司教への就任発表となれば様々な危険が考えられる。事前に情報を得た異端者たちがよからぬ策略を企てるとも限らん。だからこそ、ジョルジュ司教は当日までに情報を秘匿することを選んだのだ」


「だからって俺たちにまで情報を秘匿する理由なんてないじゃないっスか。それこそ発表場所の周辺に関する入念な下調べが必要でしょう? 何箇所も候補が挙がっているなら尚更っスよ」


 マルクスの言うことは的を射ていた。


 二人のやり取りを聞いていた他の団員も、ジョルジュ司教に対する抗議の声が上がり始めた。


「黙れ! とにかく、そういうことに決まったんだ。私たちは当日に知らされた場所に赴き厳重な警戒態勢を敷く。ただ、それだけを行えばいい」


 もちろん、とライオットは一度だけ咳払いをした。


「修道騎士団の仕事はジョルジュ司教の警備だけにあらず。巡回の強化から賭博行為が行われ易い酒場や娼館の摘発、果ては祭りの陽気に中って喧嘩を起こす市民の逮捕などすべきことは山のようにある。いいな? それぞれ今から強く気を締めておくように」


 事態の収拾が付かない前に会議を終わらせようとしたのだろう。


 報告するべきことを話し終わったライオットは一度だけ拍手を打った。


 会議の終了を知らせる拍手である。


 大半の団員たちは伸びをしながら席を立った。


 そして隊長のライオットが部屋を出て行くなり、出入り口側の近くに座っていた団員たちから退出していく。


「おい、アレクサンドル。仕事に戻る前に少し訓練しようぜ」


 そんな中、マルクスは二つ隣の椅子に座っていたアレクサンドルに声をかけた。


「いや、遠慮しておきますよ。俺なんかじゃマルクス先輩の足元にも及びませんから」


「馬鹿野郎。だったら尚更だ。俺が本物の剣術ってやつを教えてやる」


 やおら立ち上がったマルクスは、獲物を前にした獣の如き陰鬱な笑みを浮かべた。


 それだけではない。


 そそくさと逃げ去ろうとしたアレクサンドルの腕を摑み、自分から逃げ出すという選択肢を消去したのだ。


「さあ、行こうぜ。心配するな……それなりに手加減してやるよ」


 無理やり練兵場に連れて行かれそうになったアレクサンドルは、周囲の団員たちに助けを求めるような眼差しを差し向けた。


 しかし、アレクサンドルを助けようなどと思った団員は一人もいなかった。


 マルクスは豪商と知られたドットリーニ家の次男であり、サン・ソルボンス修道騎士団に属していた団員たちのほとんどは家督を継げない商人の子供である。


 万が一、マルクスに不当な恨みを買えば実家から勘当されることも十分に考えられた。


 それこそローレザンヌに生きる商人の中でドットリーニ家の名前は絶対だった。


 またマルクスがサディステイックな性格の持ち主だったことも、周囲の人間たちが近寄らない理由の一つだっただろう。


 自分よりも強い人間には媚びへつらい、弱い人間には見下した態度を示す。


 マルクス・ドットリーニの悪癖を知らない人間もまた団員の中にはいなかった。


 それ故に大半の団員たちはアレクサンドルに顔を背けながら退室していく。


 下手に関わって自分にマルクスの矛先が向かえば事だったからだ。


「おい、あんまり俺を待たせるんじゃねえよ」


 マルクスは無言の抵抗を貫いていたアレクサンドルを睨みつけた。


「う……わ、分かりました」


 先輩であり実家が豪商だったマルクスには逆らえない。


 アレクサンドルも家督を継げずに修道騎士団に入団した商家の三男である。


 マルクスの要求を明確な理由もなしに拒めば根も葉もない悪評を実家に報告される恐れもあった。


 そう思ったからこそ、アレクサンドルは渋々と模擬試合を了承したのだ。


「よーし、だったら善は急げだ。模擬試合用の木剣を借りて練兵場に」


 行こうぜ、とマルクスが言葉を続けようとしたときだった。


「あまり後輩を苛めたら駄目ですよ」


 いつの間にかマルクスの後方にレオが立っていた。


 まだ部屋に残っていた十数人の団員たちは一様に目を疑った。彼らの目には窓際の椅子に座っていたレオが中央の場所まで瞬間移動したように見えたからだ。


「ねえ、マルクスさん。許してあげましょうよ。彼は可愛い後輩じゃないですか」


「ああ? てめえなんぞに用はねえんだよ。それともアレクサンドルの代わりにお前が訓練の相手を務めてくれるのか?」


 直後、レオはちらりとアレクサンドルの様子を窺った。


 気丈に冷静さを保ってはいたが、マルクスの練習に付き合うのは嫌だったのだろう。


 アレクサンドルの両膝が少なからず震えていた。


「分かりました。アレクサンドルの代わりに私がお相手をします」


「本気かよ」


 マルクスは一度だけ口笛を吹いた。


「ええ、本気ですよ。だからアレクサンドルを許してあげてください」


「いいぜ。アレクサンドルよりもてめえを叩きのめした方が面白そうだ」


 乾いていた上唇を真っ赤な舌で舐めたマルクスは、「練兵場で待ってるぜ」と言い残して会議室を出て行った。


「本気なんですか? レオ先輩」


 アレクサンドルは沈痛な面持ちでレオに近寄ってきた。


 表情から「なぜ、自分の代わりを申し出たんです?」という疑念がひしひしと感じられた。


「心配しなくてもいい。あくまでも剣術の訓練に付き合うだけだ」


 レオは表情を曇らせていたアレクサンドルの肩をぽんと叩くと、好奇と興奮の眼差しを向けていた他の団員たちの視線を受け止めて歩き出した。

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