第三話 レオ・メディチエールの表の顔 ②
「ちょっと待って……そんなこと急に言われても心の準備が……ほら、仮にも私たちは神に仕える身の上だし……こんな日の高いうちからするっていうのも……」
「馬鹿、何を考えている。少し診察するだけだ。変な勘違いをするな」
もじもじと背中を揺らしていたクラウディアは顔だけを振り向かせた。
「本当に? 実は口実でしたって言わない?」
「悪いが一切の下心はない」
「何だ。詰まんないの」
奥の寝床に拙い足取りで移動したクラウディアは、浮かない表情で自分が着用していた衣服に手をかけた。
衣服の汚れを軽減させるために羽織っていた室内着から始まり、次は上下一体型の筒服を慎重な手つきで脱ぎ始めていく。
その間、レオはレオで準備に取りかかっていた。
自分と患者の間に設けていた診察台の一番奥の引き出しを開け、緋色の布に厳重に包まれていた小さな革袋を取り出す。
「用意は出来たか?」
重症患者用の寝床に視線を移すと、下着一枚となったクラウディアがうつ伏せの状態で待っていた。
臀部を隠すように横長の麻布が掛けられている。
「よし、そのまま動かないように」
革袋を包んでいた緋色の布を剥がすなり、レオは折り畳み式だった革袋を広げた。
革袋の中には大小無数の鍼が横一列に綺麗に収まっていた。
一通り鍼を調べたレオは、その中から数本の鍼を選別して取り出した。
そして身体を強張らせているクラウディアの背中にゆっくりと突き刺していく。
場所は両肩の肩甲骨の中間ほど。
異国の言葉で〈
「ねえ、やっぱり身体に針を刺されるのは恐いわ。まるで自分が人形になったよう」
「前にも説明しただろ。〝針〟じゃなくて〝鍼〟だよ。それに人体に数百あるというツボに鍼を刺して治療するのは異国では当たり前の医療技術だ。高価な薬を飲んで経過を待つよりもずっと早くて効果がある」
次にレオは骨盤のやや上に存在する〈
当然、右側を刺せば左側の同じツボに鍼を刺していく。
「今刺した場所はどんな症状に効くの?」
先ほどよりも緊張が解れてきたのだろう。
クラウディアは落ち着いた声で尋ねてくる。
「今の〈胃兪〉というツボに鍼を刺すと眩暈や耳鳴りが治り、その前に刺した〈肩井〉というツボは肩こりや首の強張りを改善される。一般的な頭痛の原因は肩や首のこりが原因で起こることが多いからな」
「〈胃兪〉に〈肩井〉か……異国の言葉は分かり難いね」
「それはそうさ。向こうだって俺たちの言葉は難解だと思っている。その点に関してはお互い様さ。ただ向こうの方が大陸の大きさも人口の数も桁違いだ。それに歴史という分野を紐解いてみても相当に向こうは進んでいる。まだまだ俺たちは異国から吸収することがたくさんあるだろうな」
遠い目をして〈鍼灸〉を施していくレオに、クラウディアは至極冷静に訊いた。
「ねえ、レオの医術は確かお祖父様が異国で習い覚えたことなんだよね? それからレオの家では代々男子が医術を受け継ぐことになったとか」
「ああ、そうだよ。メディチエール家は先祖代々医者の家系だったが、祖父が異国から学んできた東方医術が加わったことで数段高みに昇ったと思う。特に副作用のない〈鍼灸〉は素晴らしい。本当ならば多くの患者たちに施したいんだがな」
「さすがに鍼を人体に刺すなんていう医療行為を教会側が認めるわけないもんね」
レオは二の句を繋げなかった。
クラウディアの言うとおり、人体に刃物を刺すという医療行為を教会側は断固として認めないだろう。
鍼は刃物とは到底思えないのだが、とにかく教会側が危険な刃物と認定すれば鍼も刃物になるのである。
だからこそ惜しい、とレオは本気で思う。
〈鍼灸〉が公に医療行為と認められたなら今よりも多くの患者たちを治療できる。
そうなれば高価な薬を買うために犯罪行為に手を染める人間もいなくなるはずだ。
いや、絶対にいなくなる。
犯罪行為に手を染めてしまう人間の大半は貧民層の人間たちであり、職にあぶれて今日の暮らしも立ち行かない人間たちが圧倒的に多いからだ。
「本当に〈鍼灸〉がフランベル皇国で普及してくれることを祈るよ。だが〈鍼灸〉には患者の治療を治す反面、人体に著しい変化をもたらす場合もある。そこを十二分に弁えてくれる医者が増えてくれれば……」
そんな意味深な言葉を吐いたときであった。
「よう、真っ昼間から随分と見せ付けてくれるじぇねえか」
レオとクラウィアはほぼ同時に声が聞こえた方向に顔を向けた。
すると階下へと続く階段の前に甲冑を着込んだ一人の兵士が佇んでいた。
「マルクスさん」
マルクス・ドットリーニ。
年の頃は二十代半ば。
両耳が隠れる程度に伸ばされた亜麻色の髪と、目鼻立ちが整った精悍な相貌が印象的な青年である。
紺色の半袖上着の上から鉄製の甲冑を着込み、上着と同じく紺色の脚衣を穿いた下半身には脛の部分だけを守る金属製の防具が装着されていた。
それだけではない。
甲冑の上からは首と肩を覆う半円形の外套を羽織り、腰に吊るされた長剣には六芒星の装飾品が施されている。
「患者がいなくなった途端に逢引か。まったくいい身分だなレオよ」
マルクスはローレザンヌの中で最大の人員と敷地面積を誇る、サン・ソルボンス修道院直轄の騎士団――ソルボンス修道騎士団の地区隊長を任されている武人であった。
ローレザンヌの中で唯一武器の所持を認められている修道騎士団は、殺人や強盗などの凶悪事件を担当する頼もしい存在だ。
昔は名前の通り聖地へ巡礼する修道士たちの護衛を担当するために設立されたのだが、現在では各都市に存在する修道院が都市の治安を司るために養っているのが実情である。
だが、そんな実情も決して善の方向に向かうとは限らない。
今がそうである。
地区隊長を任されているほどの修道騎士が宿舎と同じ敷地内に設けられている施療院に顔を出しているのだ。
「逢引とは人聞きが悪い。私は同僚に対して無償の診察を行おうとしただけで……」
「誰もそんなこと聞いてねえんだよ!」
大股で歩み寄ってきたマルクスは、呆然と立ち尽くしていたレオの前で歩みを止めた。
「ちょっと顔を貸してもらおうか? レオ・メディチエール先生」
マルクスは先生の部位を特に強調して言うと、レオの胸倉を摑んで強引に引き寄せた。
「止めて、マルクス。レオが貴方に一体何をしたと言うの?」
レオの胸倉を摑んだまま階段に向かうマルクスに対して、クラウディアは身体にシーツを巻きつけて言った。
「お嬢さんは口出し無用に願います。これは男同士の厳粛な話合いですから」
クラウディアに満面の笑みを浮かべたマルクスだったが、すぐに双眸を細めて鼻先が触れ合うほどに顔を近づける。
「おい、まさか先輩である俺の誘いを下っ端の騎士が断らねえよな?」
レオにはマルクスが憤怒している理由を痛いほど理解していた。
なぜマルクスがレオに嫌悪感を抱いており、なぜレオと同じく同じく一介の修道女に過ぎないクラウディアに敬語を使用しているのかもである。
「承知しました。どこへなりとも行きましょう。だから手を離してくれませんか?」
マルクスは渋々と胸倉から手を離すと、忌々しく舌打ちしながら「先に出てるぜ」と言い残して階下へと下りていった。
「そういうわけで少し出てくるよ。後はよろしく」
激しい動揺で言葉を発せないでいたクラウディアに微笑を向け、レオは落ち着き払った足取りでマルクスの後を追った。
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