第四話 レオ・メディチエールの表の顔 ③
施療院の入り口で待っていたマルクスと合流するなり、レオは足早に移動するマルクスの背中を見つめながら施療院の裏へ回った。
絶えず病人や怪我人の治療を行う施療院の裏には、立派な樹木の他にも治療に用いる薬草が人為的に植えられている。
また修道士たちが丹精込めて作っている蜂蜜の巣が幾つも見受けられ、本格的な夏の到来を予感させる乾いた風が樹木の枝葉を揺らしていた。
「マルクスさん、こんなところに私を連れてきてどうするのです?」
などと質問したレオだったが、こんな場所に連れてこられた理由はすぐに分かった。
「こんなところにお前を連れてきた理由か……」
背中を向けていたマルクスがゆっくりと振り返った。
そして視線が交錯するなりマルクスはレオの腹部に向かって強烈な突きを繰り出してきた。
手の甲を下に向けて放つ下突きである。
直後、鋭い踏み込みから繰り出された下突きをレオはまともに食らった。
余すことなく体重が乗った重い突きがレオの体内に深々とめり込む。
「ぐっ……」
腹腔を殴打されたレオは片膝をついた。
表情には苦悶の色が浮かび、口内からは微量の唾液が顎の先端に向かって垂れ流れる。
「そんなもん決まってんだろ! てめえが気に食わねえからだよ!」
続いてマルクスはレオの顔面に蹴りを入れた。
甲や脛ではなく足裏で顔面を突き込むような直線的な蹴りだ。
それは相手を負傷させるのではなく、自分の立場が上だと知らしめるような屈辱を感じさせる蹴りだった。
レオはそんな蹴りをまたしても無防備に食らった。
片膝を地面につけていた不安定な態勢だったため、レオの身体は風に飛ばされる埃のように地面を何度も転がっていく。
「どうした? ここまでされたのに怒りもしねえのか?」
何度か転がった末に身体を止めたレオ。
そんなレオに対してマルクスは、人差し指だけを何度も曲げて挑発する。
どうやら掛かってこい、ということらしい。
「生憎と暴力は嫌いでしてね」
レオは上半身を起こすと、唾液に混じった血を手の甲で拭って立ち上がる。
「暴力は嫌いだぁ?」
マルクスは大股でレオに近寄るや否や、右腕でレオの胸倉を摑んで引き寄せた。
日頃から鍛練を欠かしていないのだろう。
身体を片腕だけで引き寄せられたとき、衣服の上からマルクスの二の腕が盛り上がる光景が垣間見えた。
「さすがはジョルジュ司教のお気に入りだな。医者も兼ねる下っ端騎士様は無闇に相手を殴るような行為はできないってか」
小さく舌打ちしたマルクスは、まったく怯えの色を浮かべないレオに次々と拳を繰り出していく。
主に顔面と腹部の二箇所だ。
先ほどの突きや蹴りよりも威力は込められていなかったものの、何度も顔面と腹部を殴りつけられれば負傷は蓄積される。
それでもレオは抵抗を示さない。
自由だった両手で攻撃を避けるような真似もせず、顔面が熱によって腫れ上がり始めても無抵抗を貫き通した。
傍から見たら陰惨な光景以外の何物でもなかっただろう。
街の治安を守る修道騎士が、後輩の騎士に一方的な暴行を加えているのだ。
「ムカつくぜ。何でてめえみたいな出自もはっきりしない野郎をジョルジュ司教は重宝してやがるんだ。おい、一体どんな魔法を使ってジョルジュ司教に取り入ったんだ? 俺にも教えろよ。なあ!」
やがてマルクスが渾身の一撃をレオの腹部に放とうとしたときだった。
「止めなさい、マルクス・ドットリーニ!」
その怒声が発せられた瞬間、最初にマルクスが声の持ち主に顔を向けた。
続いてレオが緩慢な所作で顔だけを振り向かせる。
マルクスとレオの視線の先にはクラウディアが佇んでいた。
「修道騎士団の団員ともあろう人間が、無抵抗の人間に拳を上げるなど決して許される行為ではありませんよ!」
おそらくクラウディアは二人が向かった場所を発見するために走り回ったのだろう。
額には薄っすらと汗が浮かび、肩を上下に動かして荒く呼吸をしていた。
「これはこれはクラウディア様。わざわざ私の顔を見るために駆けつけてくれたのですか?」
クラウディアの姿を視界に捉えると、すぐにマルクスは殴るのを止めてレオを突き飛ばすように離した。
レオは尻餅を付いた状態で地面に倒れ込む。
「話を逸らさないでください!」
声と表情を引き締めてクラウディアはマルクスに言う。
「マルクス、なぜ貴方は事あるごとにレオに辛く当たるのですか? レオは日頃から騎士と兼任して医者を務めている立派な人間ですよ。貴方も見ているでしょう? 毎日毎日レオに診察してもらうために足繁く施療院に通ってくる市民たちの顔を」
「だからこそですよ」
マルクスは矢継ぎ早に並べたクラウディアの言葉を一刀両断に遮った。
「考えてみてくださいよ。この時分、優れた医術を修得するにはフランベル皇国内に点在する医学校を卒業するしかない。なのにこいつは医学校を卒業したわけでもないのに優れた医術を修得している。おかしいでしょう?」
マルクスは無言を貫いていたレオに人差し指を突きつけた。
「以前、有名なサンレノン医学校から何人かの医者が訪れたことがありました。私は医者たちの護衛を任された一人でしたからよく覚えています。そのとき、施療院を見学した医者たちはレオ・メディチエールの医術はサンレノン医学校に在籍している学生の誰よりも優秀だと褒めちぎったのです。どこの医学校にも在籍したとことのない一介の騎士をですよ。絶対にこいつには何か裏があるに違いありません」
「だからといって彼に暴力を振るってよいことにはならないでしょう? もういいから立ち去りなさい。それともお父様に現状をありのまま報告されたいのですか?」
口にまで垂れ流れた鼻血を手の甲で拭いつつ、件の中心人物であったレオは二人の動向を静かに見据えていた。
「分かりました。この場はお嬢さんの顔に免じて退散することにしましょう」
激しく興を削がれたのだろう。
マルクスは盛大に指の骨を鳴らしながら歩き始めた。
毅然と佇むクラウディアの横を通り過ぎ、修道騎士団の宿舎が建てられていた方角へと姿を消していく。
マルクスの姿が見えなくなった途端、クラウディアはレオへと走り寄った。
「レオ、大丈夫?」
本気でクラウディアはレオの身を心配したのだろう。
赤く腫れ上がった顔を間近で見るなり悲鳴にも似た叫声を上げた。
「大丈夫だ。もう血も止まったから後は冷せば腫れも直に引くさ」
レオは修道士ながらも人体に深く精通する医術に長けた人間である。
マルクスに殴られながらも僅かに顔を捻って少しずつ急所を避ける芸当など朝飯前だ。
腹部に受けた打撃もそうであった。
攻撃される機兆を的確に読み、拳が腹部に当たる直前に力を入れて負傷を減少させていたのだ。
「だから心配することはないよ。それよりも家系のことを話さずにいてくれて助かった」
「お父様から秘密にしておいてくれと言われていたからね。でも、どうしてなの? レオの家系は代々医者を務めてきたと公言すればいいのに」
「悪いな。色々と理由があるんだ」
そう事務的に告げると、レオはクラウディアの隣を横切って施療院へと向かった。
背中に突き刺さるクラウディアの熱い視線を無視しながら。
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