第6話 うっかり……流されました

 えー! とヤスオは叫ばずにいられない。


「なに、驚いてるんだよ、ヤス。明日仕事だから、オレはこれで切り上げるよ」


 壁へかけてあったコートを手にする凪海なみである。


「レオンじゃなくて未亜みあさんと一緒にここへ住まないのでしょうか」


 憐れみを誘うような丁寧さでヤスオが問う。


 はあ? といった表情で切り返された。


「んなわけねーだろ。オレには家があるんだし、そこまでヤスに迷惑をかけるつもりはねー」


 いやいや貴女が我々を残して帰るほうこそ迷惑なんですよ、とヤスオは言いたい。けれども思ったことを口にできる人生は送ってきていない。してこなかったせいで、別に大したことでもなくても、言おうとしただけで引き止める自意識が働く。いつも主張しようとすると半テンポどころではない、何テンポも遅れる。

 結局は何も伝えられず終わる場合が多かった、これまでの人生だった。


 今回も、そうだった。

 また連絡すっからよー、と古い玄関ドアの向こうへ消えていく凪海を見送るばかりだ。

 そんなヤスオの隣りで未亜が手を振っている。待たねー、と仲良しが知れる別れの挨拶を投げていた。


 問題は、バタンとドアが閉まってからだ。


 ヤスオは当然ながら意識してしまう。

 二人きり……華やかな美人といった彼女が自分だけといる。交際経験すらない人生に降って湧いた共同生活は究極のミッションみたいなものだ。もしくはレベル七でレベル九十のモンスターにうっかりぶち当たった場面か。あまりのレベル差は逃亡さえ許されず瞬殺されるのがオチだ。

 そう言えばそんな目に初めて遭ったのは何のゲームだったかなぁ、と現実逃避していたところで声がした。


「ごめんね、やっちゃん。やっぱり迷惑だよね」


 聞こえてきた方向へ顔を向ければ、未亜がうつむいている。

 これだけで思いきり慌ててしまうヤスオだ。


「そそそ、そんなこと、ないですよ。それに誘ったのはこっちだし」


 うちの二階で良ければ、しばらく住んでもいいよ。ヤスオから言い出したことだ。相変わらず約束の時間に来ないアランを待っていた間だった。なにやら私事で問題が起きたらしくチームの参加が当分難しい、と男らしいレオンが見せる弱気な様子だ。

 ヤスオはこのチームが気に入っている。レオンの提案よって名付けられた『YMN=やみん』でする冒険こそが、生活において最大の楽しみとなっている。大袈裟に言えば、生き甲斐ですらあった。


 これほど息が合ったメンバーであれば失いたくない。活動が以前のようにままならないのも黙って放っておけない。普段のヤスオなら部屋を貸すなど、男性相手でもするわけがなかった。

 気が合ういいヤツのレオンが、どうやら住む所にも困っている。ならば近くに置けば、なにかしらの手助けが出来るかもしれない。間近にあればゲームの参加へ誘いやすそうだ。

 純粋な親切心からではなかった。ただゲームがやりたい、とする自己の欲求が招いた事態だった。まったく安っぽい心根のせいである。自業自得だ。なんだか今までとは別の意味で情けなくなってきたヤスオである。


「ええっと……蒼森あおもりさん……」


 やっと未亜を呼べた。レオンという名前なら数え切れないほど呼びかけてきたが、あくまでネット上だ。しかも打ち込んだ文字でしかない。声にすれば、改めて緊張が走る。

 そこへ彼女が言ってくる。


「未亜でいいよ」


 名前で、しかも呼び捨てでいいなんて、いくら本人が許可しても出来ない。


「むむむ、無理ムリですよ。そんなの、そんなのは……」


 今度は口ごもるヤスオが下を向く番だった。

 くすり、とした未亜だが開いた口から出た声は真剣そのものできた。


「わたしが家に出入りすることで、やっちゃんが悪く言われない?」

「えっ、誰が言うんですか?」


 驚くあまりヤスオは顔を上げた。


「ほら、ご近所さんなんかがさ。あそこは女を連れ込んでいるなんて、悪い噂をするんじゃないかな。あとご家族とか、まずくない?」


 卑屈が時には役に立つこともある。まさに今のヤスオが、それだった。込み上げてくる自虐の笑みが止まらない。


「ないですね、それは絶対にない。むしろうら若き女性とこうしてしゃべっているだけでも、父や母や妹だけではない。自分を気味悪がっている近所の人々だって、驚き慄くでしょう」


 彼女と二人きりでビビるより、暗い己の人生に対する述懐のほうが勝った。

 ははは、と未亜が闇の深さに乾いた笑いを挙げたくらいである。

 まったくさ……と、まだ独りぶつくさ続けるヤスオの肩を、ポンッと未亜が叩く。


「そうそう言っておくけど、やっちゃんが思うほどわたし、若くないからね」

「そうなんですか。お世辞抜きで大学生くらいに見えます」


 あははは、と今度は純粋に可笑しくてとする笑いが起きた。やっちゃんは大人だね、とも言ってくる。

 ヤスオからすれば意外だ。本当にそう読んでいる。


「わたし、もう三十手前なんだ。ずいぶん若く見てくれているけど、オバさんだよ」

 

 ええっ! とヤスオが驚く番だった。腹の底から発すれば、本気だったことが相手に伝わったようだ。

 でもやっぱり嬉しいな、と未亜が笑みを溢してくる。


「そうか、自分と十も違わないのか」


 口にしてからヤスオは、今のキモくないか? と不安になる。異性として意識しているような発言に聞こえなくもない。無性に取り消したくなってくれば、あわわと悶えてしまう。

 何事もなかったかのように未亜が会話を紡いでくれなければ、しばらく焦るままだっただろう。


「若いと言えば、凪海のほうだけどね」  

「アランって若いんですか?」


 思わずヤスオはゲームのキャラ名で呼んでしまう。 


「少なくともわたしよりは。ええっと、五つくらい下だから、今二十四? 二十五だったっけな」

「うーん、アランが三十で、蒼森さんが二十四とされたほうが自分にはしっくりきますよ」


 けらけら未亜は笑うが、ヤスオは真面目な考察をしたうえでの評価だ。


「でもそれ聞いたら、凪海、ぶっ飛ばすとか言いそう」

「言わないでくださいよ」


 ヤスオの真剣以外のなにものでもない頼みだ。


「御恩のある方に仇で返すような不届き者ではありません」


 親しみ込めた未亜の返事に、ヤスオもついだ。


「有難いです。どうか今後もそんな感じでお願いします」

 と、砕けた態度で返してしまう。


 うっかり流されて、正式に同居が決定した瞬間となった。

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