三十二話 こいつとなら
そう言うこいつの目は俺を見ているようで、見てなくて少し怖いと感じてしまった。それでも、俺を抱きしめる腕はまだ震えていた。
こいつも俺と同じで、不安で怖いのかと思うと少し緊張が和らいだような気がする。俺は優しく背中に腕を回して抱きしめる。
「でもな……初めて会った時に、この坊主だけは守りたいって思えた」
「それって……ガキの時じゃん」
「今の方が強がっていて……でも、俺には甘えてくれるだろ。それに空雅が可愛くないわけないだろ。今だって、必死に俺にしがみついて」
秋也に指摘されて俺がしっかりと、しがみついているのに気がついた。だってこいつに抱きしめられていると、心が安心してしまうから。
「じゃあ、なんで何もして来ないんだよ! それって、俺に魅力がないからだろ」
自分でもとてつもなく、恥ずかしいことを言っている自覚はあった。それでも怖いから、聞きたなくいが知りたいから。
そう言うと秋也は、俺の顔を見てため息をついた。そして一旦天井を見上げて、何かと戦っている様子だった。
前から思っていたが、こいつは一体何と戦う必要があるのだろうか。俺がそう不思議に思っていると、意を決したように自分の気持ちを吐露し始める。
「本当は俺だって、男だし……手出したいよ。でもな、田口や大久保と違って俺たちは簡単にはできねーんだよ」
「同級生ならいいのかよ。陸のお兄さんみたいな」
「はあ……なぜ、そうなる」
「俺だって分かんねーんだよ……。確かにあんたといると、ここら辺が痛くなって」
すると秋也は髪の毛を上げて、微笑んでいた。こいつ、俺が真剣に悩んでいるっていうのに。
それにその時の笑顔が、いつにも増して光り輝いていた。やっぱ俺、こいつのこと好きなんだよな。
俺がそう思って見つめていると、顔を真っ赤にしていた。そして右手で顔を覆っていて、ため息をついていた。
「あのな……あんま刺激すんな。我慢できなくなってくるだろ」
「いいよ、我慢は体に悪いだろ」
「……どこでそんな単語、覚えてくるんだよ」
「ベッドの下にあったエロ本」
そう言うと、悶えまくっている秋也が無性に可愛く思えた。頬にキスをして見ると、みるみるうちに真っ赤になっていて更に可愛かった。
「巨乳者ものが多いから、好きなのかよ?」
そのため、いじめたくなって冗談っぽく言った。調子に乗って揶揄うと、目が笑っていない状態で言われた。
「高校卒業したら、覚えてろよ」
その目がいつにも増して、ガチ目だったから危機感を覚えた。もうこの手の嫌がらせは、二度としないと心に誓った。
それでも今は、秋也の正直な思いが聞けてそれだけで満足だった。俺と同じように、我慢していたことが知れて良かった。
その後、風がぶり返して寝込んだのは言うまでもない。
あれから一ヶ月が経ったある日のこと。俺はいつものように、弁当を持って学校へと向かう。
しかし今日はいつもと違ったのだ。とあることが学校中の噂になっていた。俺は何だろうと思いながら、廊下を歩いていると聞きたくもない噂が耳に入ってきた。
「嘘―」
「ほんとみたいだよ。昨日見たって」
「マジで? 五十嵐先生と、舞浜先生が子供と歩いていたって」
は? 何言ってんだよ。そんなことあるはずないだろ。あの時の秋也の言葉に嘘がないことぐらい、流石の俺でも分かる。
それでも俺は辛くなって、教室に着くなり机に突っ伏した。すると後から来た陸が、心配そうな声で話しかけてきた。
「空雅くん、大丈夫?」
「……陸、今はそっとしておいてやれ」
「それが一番いいわね」
俊幸と九条が陸の言葉に答えてくれたおかげで、俺は何も言わずに済んだ。今声を出すと、情けない声しか出せないような気がする。
そのため俺は何も言いたくなかった。何かを察してくれたようで、揶揄うことなく黙っていてくれた。
そんな時だった。教室の前の扉が開いて、秋也が入ってきたようだった。俺は辛くて見たくなくて、そんな時にクラスの女子が質問をする。
「先生! 舞浜先生とは、どんな関係なんですか?」
「はあ? 静香? なんで、急に」
「先生と舞浜先生が、子供と歩いているのを目撃した人がいるんですよ」
「……はあ、見られてたか」
はあ? それって、やっぱ二人の子供だったりするのだろうか。もしそうだったとしたら、何故言ってくれない。
そりゃあ、言えるわけないか……。他の奴らからじゃなくて、ちゃんと秋也の口から聞きたかった。
俺がそう思って項垂れていると、一際大きな声で自分の言葉で話していた。俺が思わず見ると、こっちを見て頬笑んでいた。
「俺と静香は従姉弟だよ!」
「従姉弟? はあ!」
その発言を聞いて俺は思わず、立ち上がってしまった。俺が叫ぶと一斉に、クラスメイトたちに見られた。
俺は急に恥ずかしくなって、大人しく座った。そして真っ赤になった顔を隠すために、もう一度机に突っ伏した。
それなら先に言っておいてくれよ。凄く恥ずかしいじゃないか。勝手に嫉妬して、勝手に誤解して傷ついていた。
なんか若干、腹が立ってきた。すると何があったか分からないが、突然大きな声で秋也が叫び始める。
「あんなんのと結婚しなくちゃいけないなら、俺は絶対に結婚しない!」
そこまでなのだろうか。まあ確かに、従姉弟と結婚はないにしてもそこまで言わなくても。もしかしたら、俺のために言っているのかも。
そう思って顔を上げて見てみると、真面目に言っているのは明らかだった。すると教室の扉から、舞浜先生が鬼の形相を浮かべていた。
こわっ……凄い表情で秋也を睨んでいる。教室の中の空気が凍っていくのが、分かって寒くなってきた。
「五十嵐秋也くーん。そこまで言うのかな?」
「はあ? うっせーよ! てめえーのせいで、あらぬ疑いをかけられてこっちは迷惑してんだよ!」
「はあ? 何よそれ! 勝手に被害者面しないでくれませんかね!」
「んだよ! それ! こっちはてめえのせいで、蕁麻疹出るようになったんだぞ!」
よく分からないが、お互いに罵り始めた。氷のようになっていたクラスの雰囲気が、ため息混じりになっていく。
つーか、蕁麻疹ってどういう関係性があるんだよ。そう思っていると、今度は舞浜先生の後ろに怖い顔をした教頭がいた。
またもや、クラスの雰囲気が氷のように冷たくなっていく。教頭に気がついたのか、喧嘩していた二人が急に黙った。
「お二人とも、前にも言いましたよね。教育者として、生徒のお手本になってくださいね。ちょっとお話がありますので来てください」
「はい、すみませんでした……」
「はい、以後気をつけます」
「皆さんは、自習していて下さいね」
そう言った教頭の顔は、全くと言っていいほど笑っていなかった。怖すぎる……怒鳴るわけでもなく、淡々と怒るとかマジで怖い。
そういえば、いつだったが秋也が言っていたっけ。教頭先生には、何があっても逆らうなって……。
逆らったことないから分からなかったが、今ならあの秋也の言葉の意味が分かる。あれは怖すぎて、ちびりそうな勢いだった。
その後。自習の時間になったが誰も勉強が、手につかなかったのは言うまでもないだろう。
教頭からのお説教から帰ってきた秋也は、死んだ魚のような目になっていた。余程怖かったなのだろうと思って、誰も触れることはなかった。
お昼になったから、俺はいつものように指導室へと向かう。落ち込んでいるだろうし、慰めるのも必要だろうし。
そう思って指導室のドアを開けるなり、中にいた秋也に抱きしめられた。落ち込んでいる秋也の頭を撫でてやった。
「秋也、だいじょ」
「空雅、待ってた」
「分かったから、入れ」
俺はそう言うと柔らかく微笑んで、一緒に指導室へと入っていく。俺がソファに無言で座ると、その隣に座って肩に頭を預けてきた。
「秋也、落ち着いたか」
「ああ、空雅……その」
「舞浜のことなら、大丈夫だ。その……信じてるからな」
俺が笑ってそう言うと、優しく微笑んで抱きしめてきた。そのままいつものように、軽く触れるだけのキスをした。
そしてお互いの顔を見つめて微笑んで、お互いの頬を触る。しっかりと熱が籠っていて、胸の高鳴りが聞こえてしまいそうだった。
この触れ合いだけで、俺たちはとても満ち足りた気持ちになれる。恋ってつくづく、幸せになれるものだと改めて実感した。
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