九話 淡い感情

 今話しているのは、舞浜静香。俺の母方の従姉で俺にとっては、いい思い出が一切無い最悪なやつだ。


 例えば俺よりも、静香の方が八つ上なのだが……。毛虫を服に入れられたり、俺が幼稚園に入る前ぐらいの時にわざと寝る前に怖い話をしてきたり。


 他にもまあ、酷いトラウマをたくさん植え付けてきた人物である。今では、顔を見ただけで蕁麻疹が出てしまう体になってしまった。


「うっせーよ! てめえのせいで、蕁麻疹出たじゃないか!」


「うっさいわね! 知らないわよ! そんなの!」


「逆ギレかよっ!」


 俺たちがそんな風に言い合っていると、教頭先生ににこやかに微笑まれながら一喝された。


「君たち、仮にも教育者の立場ですよね。言葉を慎みなさい」


「はい、すみませんでした」


「以後、気をつけます」


 俺たちは怒られて直ぐに、頭を下げて誠心誠意謝罪をした。相変わらず教頭というか、桜庭先生こえーよ。


 桜庭先生は俺が高校の時の担任だった。普段は優しくていい先生なのだが、怒ると【生徒指導の鬼】と呼ばれていた。


 あの時の俺は手の付けれない悪だったから、毎日のように怒られていたっけ。しかも怒鳴るとかでなく、今みたいに淡々と怒ってくる。


 そのため反発をしたいとかは思わず、本能が怖いと訴えかけてくるのだ。そして顔を上げると、更に氷のような瞳でこう告げてきた。


「五十嵐くん……君は確かに、高校の時よりも成長して立派になりましたね。しかし、まだまだ指導が必要なようですね」


 そう言って微笑んでくる瞳が、あの頃よりも更に怖くなったことを悟った。それと同時に、絶対にこの人には逆らわないようにしようと心に決めた。


 俺の平穏な教師生活が……この悪魔のせいで、全て台無しになってしまった出来事であった。


 それから引き継ぎやら色々と仕事をして、早いもので入学式の日になった。担任は二回ぐらい受け持ったことがあったから、今年は一年の担任を任された。


 そういえばあの坊主、元気にしてるかな? いつしか会わなくなってしまって、心配していたんだけど。


 まあ俺は大学入学を機に一人暮らしを始めて、滅多に実家に顔を出さなくなってしまった。


 それでもたまに気になって行ってみたが、当たり前だが会うことはなかった。


 まあ約束してる訳じゃないが、それでも頭の片隅に気がかりになっていた。それにそろそろあの坊主も、高校生になっている頃合いだろう。


 そう思って入学式が終わって、受け持つクラスに向かう時にとある金髪の男子生徒とすれ違った。


「可愛いな」


「誰か可愛い子でもいたのか?」


「見るな。お前には見せない」


「何だよ……お前がそう言うってことは、本気なんだな」


 そんな会話を茶髪の男子生徒と話していた。あの金髪どこかで、見たことがあるような気がする。


 目つきが悪く校則ギリギリの金髪に、ピアスやアクセサリーをつけた完全な不良。まあ、普通の高校だと校則違反なんだが。


 ここの高校……俺がいた時よりも、校則ゆるゆるになっていないか? それでもなぜか、別に不良高校とかじゃないから不思議な高校だよな。


 それにしても今の奴、あの坊主に雰囲気似てないか? 当たり前だが、体も大きくなっているし声も低くなっている。


 それなのに、似ていると漠然と思ってしまった。でもな、例えそうだとしても俺のことなんか忘れているだろう。


 そう思ったら何故か、胸がちくりと痛んでしまった。なんだろう、赴任早々気疲れでもしたのだとその時はそう思った。


 それからしばらくして、金髪の生徒の名前が新田空雅だと知った。見れば見るほど、あの時の坊主と瓜二つだった。


 いつしか勉強を教えるという名目で、俺は新田と二人になることが多くなった。初めは、俺に対して警戒心を抱いているように見えた。


「このままの成績だと、夏休み補習地獄だぞ」


「はあ? まだ、春だろ。夏まで時間あるだろ」


「ああ、普通はな。でも、これは普通じゃねーだろ」


 入学して直ぐのテストで、新田は半分以上赤点を取っていた。高校に入って直ぐのテストでこれって、よく合格できたなと思ってしまった。


 まあそれでも、これから頑張ればどうにかなるだろう。俺はそう思って、小言を言うのをやめて新田の頭を撫でた。


 次の瞬間には、俺の手を振り解いて大きな声を出していた。そして勢いよく椅子から、立ち上がった。


 顔や耳までも真っ赤になっていて、可愛く思えてしまった。男にしかも、十以上も離れている相手にこんなこと思うなんて考えてもみなかった。


「おまっ! 何考えて!」


「あっ、すまん。その、なんだ。座れ」


 そう言って、微笑むと素直に椅子に座り直してくれた。やっぱ、この表情頭を撫でると少し恥ずかしそうに俯くとことか坊主にそっくりだった。


 間違いなく本人だと思ったが、もし覚えていなかったらと思うと切り出せずにいた。しかも新田は、何も言わずに黙ってしまった。


 高校生が頭を教師に撫でられても、気持ち悪いよな……。俺がそう思っていると、新田は何やら考えた後に切り出してきた。


「変なこと聞くようだけど。俺とどっかで会ったことあったか?」


「えー、古い手法のナンパだな。おい」


「はあ? 何言ってんだよ」


 俺は突然のことで驚いて、とっさに大袈裟におちゃらけた様子で知らないふりをしてしまった。


 俺は少し自責の念に囚われてしまったが、新田は鞄を持って教室を後にしようとした。俺は咄嗟に手首を掴んで精一杯の勇気で告げた。


「何かあったら、言えよ」


「つっ……わーたよ」


 少し照れくさそうにしているのを見て、あの時の坊主で間違いないと思った。それと同時に、この確かに芽生えたこの淡い感情には蓋をすべきだと痛感した。


 最近では、俺が勉強を教えたり雑用をお願いすることが常になっていた。今では本当に嬉しそうに、懐いてきている。


 期末テストを返されたら、どんな結果でも教えにくるようにと伝えておいた。今回のテスト、かなりの高得点を叩き出していた。


 会ったら盛大にお祝いしてやんないとな。誰かに認められたり、祝福してもらうと本当に嬉しいからな。


 それにしてもここのところ、新田のことなかり考えることが増えたような気がする。俺が誰かのことを、こんなに考える日がくるなんて思いもしなかった


 そんなことを考えながら期末テストを返却した日にいつもの通りに、生徒指導室に向かおうとしたら三年の女子に話しかけられた。


「先生! 私、赤点なかったよ! 褒めてー!」


「あー、はいはい。優秀だなー」


「何その、棒読み!」


 はーめんどくさい。先生という立場上、無下にできないから適当にあしらっていた。俺は昔からこの無駄にいい外見のせいでモテていた。


 見た目だけで寄って来るやつは、直ぐに離れて行ってしまう。それなら適当にあしらって、流してしまうのが一番である。


 そんな感じに俺が適当に受け答えをしているその横を無言で、空雅が通り過ぎようとしたから腕を掴んでしまった。


「おい、新田。テスト結果出たら、教えに来いって言っただろ」


「……ああ」


「まあいいや。物理、高得点だったじゃん。すげーよ、おめでとう。よく頑張ったな」


 俺がつい癖で、空雅の頭を勢いよく撫でていた。するといつも以上に、顔を真っ赤にして何も言わずに走って学校を後にしてしまった。


 その時の表情がいつにも増して、可愛く思えてしまった。その場にいた女子からは、顔が赤いと揶揄われてしまった。


 自分が思っていたよりも、俺は空雅にお熱なようだった。そもそも男同士で、生徒と教師とか色々とマズいだろう。


 そんなこと分かっているのに、俺にとっては完全に初恋となってしまった。この年で初恋とか、可笑しいだろう。


 それでも空雅のことを考えると、胸がふわっと暖かくなってしまう。五十嵐秋也二十八歳、初恋はまだ始まったばかり。


 でもこの気持ちは伝えないし、このまま自然と消えてくれるだろう。そんな風に思っていたのだが、この初恋というのは思っていたよりも厄介らしい。

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