六話 断じて違う

「よく分からないけど……泣きたい時は泣いていいからな」


 俺は自分でも驚くくらいに、泣きじゃくってしまった。それでも伝わってくる体温が、とても心地よくて安心してしまう。


 気がつくと寝てしまったようで、朝日がカーテンの隙間から差し込んできていた。俺は昨日のことを思い出して、恥ずかしくなってしまった。


 隣のベッドを見るとスヤスヤと、とても気持ちよさそうな微笑みを浮かべて寝ていた。その寝顔が、可愛く思えて見つめていた。


 こいつって、不思議なやつだよな……。大人かと思えば、子供っぽいし。かと思えば、やっぱカッコいい。


 やっぱ、こいつがあの時のお兄さんだったら良かったのにと思った。


 俺はこいつが普段、どんな生活をしているのか気になってしまった。そのため、家に行きたいと言ったのだが断られてしまった。


「来んな」


 そう言われてしまって、俺はまた心に靄がかかってしまった。俺はため息をつきながら、コンビニで飲み物を買おうとしていると不意に声をかけられた。


「あれ? 新田くんじゃん。どうしたの? 買い物かな?」


「まあ、そんな感じっす」


 今話しているのは、数学の教師をしている舞浜だ。髪が長くそこそこというか、かなりの美人だ。


 興味はないが、胸が大きく男子生徒からはかなり人気が高い。そんなことはそうでも良くて、俺はこいつが嫌いだ。


 何故かと言うと、五十嵐ともの凄く親密だからだ。名前で呼び合っているし、生徒の中では付き合っているんじゃないかともっぱらの噂だ。


 俺は若干、癪だがこいつなら住所知ってんじゃないかと思った。頼りたくないが、思い切って聞いてみることにした。


「あの、舞浜先生は五十嵐……先生の、家知ってますか」


「あー、秋也の? 知ってるよ、教えよっか?」


「……やっぱ、いいです」


 俺はそう言って直ぐに、ここに居るのは辛かったからその場を後にした。正直、知らないって言って欲しかった。


 自分から聞いておいて、感じ悪いし変に思われたと思う。それでも知らないって、知るわけないって言って欲しかった。


 俺は飲み物だけを買って帰路についた。考えてみたら、俺あいつの連絡先すら知らないじゃんかよ。


 所詮、仲良くしていたって先生と生徒以外のそれ以上でもそれ以下でもない。俺がそう思って、とぼとぼ歩いていると声をかけられた。


「あれ、空雅だ。なんだ、散歩か」


「――――五十嵐」


「だから、先生と……学校じゃないから、いいか」


 そう言ってニコニコ笑顔で近づいてくるものだから、俺はたまらずに抱きついてしまった。


 だっていつもと違って、メガネかけていた。いつものと、ギャップがあってドキドキしてしまった。


 明らかに動揺していて、挙動不審になっていて面白かった。すると、俺を一旦剥がして大声でこう言った。


「あー、熱中症かな? 具合悪いのかな? さ、行こう行こう」


「……俺は別に」


「やっぱ、熱あんな。来い」


 俺の額に手を当ててそう言って、俺の手と繋いで歩き出す。たったそれだけのことで、俺の心は救われた気がした。


 歩いている最中に、五十嵐にこんなことを言われた。まるで俺の心を見透かされているよな、気持ちになったが不思議と嫌な感じはしなかった。


「連絡先、教えるよ」


「えっ?」


「空雅は直ぐに無理してしまうからな」


 そしてそのまま、家に連れて行かれた。少し、不服そうだったが俺は嬉しかった。行きたいって思ってたのが、叶って俺は飛び跳ねたくなるような気持ちになっていた。


「いいか、男の一人暮らしだからな。汚いからな」


「いいよ、別に。てか、職員室のあんたの机の惨状見てれば予想はつく」


「……何も、言い返させない」


 こいつの職員室の机は、いつもごちゃごちゃしているから俺が定期的に片付けてあげている。


 飲んだものは当たり前だし、書類なんかもごちゃっと散乱している。片付けても、次の日にはもう汚くなっている。


 俺は汚いのは性に合わないから、潔癖ではないが気になってしまう。そのため、完全に慣れているから気にしなくていい。


 寧ろ、汚い方が腕が鳴るから嬉しいまでもある。それに一番の理由は、人差し指をくっつけてしょぼくれているこの大人の役に立ちたいからである。


「とはいえ、これはないだろ」


「いーや、片付けようとは思ったんだけど……時間がなくて」


「それでも限度はあると思うぞ」


 脱いだ服や靴はそのままだし、大事そうな書類はほっぽってあるし。シンクには食べ終わった食器がそのまま放置されていて変な匂いがしている。


 いったい何日放置してるんだよ。それを差し引いても、この部屋くさい。というか五十嵐自体から、変な匂いが発せられている。


 俺が片付けているのにも関わらず、ベッドに横になってテレビを見て尻をぽりぽり掻いているものだから俺は大声で怒鳴ってしまった。


「お前、臭いから! さっさと、風呂入れ!」


「くさっ……そんな、はっきり言わなくても」


「いいから入れ」


 しょぼくれながらぶつくさ言いながら、お風呂場に行ったのを見て俺は本格的に掃除を始めた。


 まずは玄関と窓を全開にして匂いを発散させて、手袋とマスクをしてシンクの中を綺麗にする。


 次は部屋の中の弁当の殻や、お菓子やビールの空き缶なんかを分別してゴミ袋に入れていく。


 掃除機をかけて雑巾を濡らして、カビが生えている箇所を拭いていく。いい感じに終わったかと思ったが、一つ忘れていた。


「ふー、さっぱり」


「じゃねーよ! 洗濯物まで、放置しやがって! 変な匂いしてんぞ!」


「いや、だって」


「だってじゃねー! さっさと、服着やがれ!」


 俺はその辺にあった、大丈夫そうな服を投げつけた。少し不服そうだったが、何も言わずに着替えていた。


 洗濯物も一回じゃ出来そうにないから、つけ置きが必要な物は風呂場で洗面器に入れてと。


 冬服までもあるじゃねーか、一体どんぐらい溜め込んでんだよ。洗濯機もスイッチを入れて、二回に分けないとな。


「なあ、空雅」


「んだよ。俺忙しいんだが」


「連れてきたのは、俺だけど……。俺、お前のこと好きだって分かってるのか」


 そこで押し倒されて、こいつの端正な顔が近づいてくる。俺はこいつの体温が好きだし、匂いが臭いって言ったが生ゴミ意外の匂いは好きだ。


 だから色々と世話してやりたいし、終わった後に撫でられるのも好きだ。頭を撫でられて、頬に触られてそれだけのことなのに心臓がうるさい。


 もう少しでくっつきそうな距離になって、俺は静かに目を瞑って首に腕を回そうとした。その次の瞬間、すんでのとこでデコピンをされた。


「自分は大切にしろ」


「……んで」


 俺の上から退いた五十嵐が何を考えているのか、分からずに俺は自分でも驚くくらいにショックを受けていた。


「ここに来るものいいし、面倒見るもの今まで通りにするが。俺だからいいが、他の奴にあんま隙見せんなよ」


 あんただから……他の奴にここまでするかよ。あんただから……そこで気がついてしまった。


 あ……俺、陸じゃなくてこいつが好きなんだ。恋愛感情ってやつ……完全に、俺にとっては初恋で……。


 そのせいで気がつくまでに、時間が経ってしまった。それと同時に……いつまでも子供扱いしてくるから、怒りよりも悲しみの方が強かった。


 俺は自分でも、分かるぐらいの作り笑いを浮かべた。そして五十嵐を跳ね除けて、無視して次の作業を開始した。


 五十嵐は何も言わずに、そんな俺を見て何も言わずに黙っていた。なんだよ……俺が誰に対しても、同じようなことするとでも思っているのか。


「ちくしょう……」


 俺は自分の目に溜まっている涙を拭いて、とりあえず片付けを再開する。どうすればいいのか、分からずに俺は何も考えずにいた。


 完全に思考を停止して状態で、気がつくと片付け終わっていた。書類を整理するためにしゃがんでいると、突然後ろから抱きつかれた。


「ごめんな、俺が悪かったから……だから、そんな冷たい目をすんな」


「別に……お前にとって、俺は誰にでも尻尾振るって思ってるってことだろ」


「それは断じて違う!」

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