三話 嫌だと思わない
「変なこと聞くようだけど。俺とどっかで会ったことあったか?」
「えー、古い手法のナンパだな。おい」
「はあ? 何言ってんだよ」
五十嵐は大袈裟におちゃらけた様子で、そう返してきたからイラっとしてしまった。もしかして……と思った俺が間違いだったよ!
そう思って自分の鞄を持って、教室を後にしようとした。その時だった、五十嵐に手首を掴まれて言われた。
「何かあったら、言えよ」
「つっ……わーたよ」
俺は五十嵐の顔をまともに見ることができずに、そのまま教室を飛び出した。俺は誰もいない下駄箱の前でしゃがみ込んで、自分でも驚くくらいに身体中が熱くなっていた。
そんなに強く掴まれたわけじゃないのに、五十嵐に触れられた頭や手首に熱が集中している。
なんだよこれ……自分でも、知らない感情が渦巻くのを感じた。この時の俺は、この感情の意味が分からなくてただただ困惑するしかなかった。
それからというもの五十嵐は、何かと用事を頼んでくるようになった。休み時間や放課後、いつかなんてお構いなしに俺をこき使い始める。
その代わり、放課後。お互いに用事がない時に、勉強を教えてもらっているから文句も言えずにいる。
そんな生活を気がつくと、二ヶ月ぐらい続けていた。季節は春から夏に、変わり始めていた。
今年は例年よりも暑いが、生徒指導室にクーラーがついているから得をしている。しかしそのせいで、朝陽からは意味の分からない腹の立つことを言われるハメになった。
「最近、空雅が五十嵐に懐柔され始めたよな」
「はあ? 怪獣?」
「怪獣じゃなくて、懐柔! 俺も意味は知らんが、遼馬が言ってた!」
俺が言えることじゃないけど、胸を張って堂々とそんなことを言う。そんな朝陽に俺は、ただただため息を吐くしかなかった。
懐柔ってなんだろと、思っているとトイレから戻ってきた俊幸と遼馬に聞いてみることにした。
「なあ、怪獣じゃなくて懐柔ってなんだ?」
「お前、そんなのも知らないのかよ。調べろ」
「んだよ、それ! 教えてくれてもいいだろっ!」
そんな感じでいつものように、俊幸にバカにされていると欠伸をしながら遼馬が教えてくれた。
「上手く手懐けて従わせることだ」
「なるほど……」
「そうなのか! って、なんで言い出した朝陽も関心すんだよ!」
「だって、遼馬が教えてくれたから!」
というか手懐けるって、俺は犬か何かかよ……。若干、否定できないとこもあるから困るんだが……。
俺がそう思っていると、俊幸がニヤニヤしてきてこんなことを言ってきた。だから、俺も皮肉たっぷりの言葉で返してやった。
「売られた喧嘩は買っていて、負け無しと言われているのにな」
「まあ、お前よりかは強いだろうな。弱過ぎて、喧嘩も売られなくなったからな」
「煩い……余計なお世話だ」
そんな話をしていると、遼馬が俺の目を真っ直ぐに見て珍しく真剣に言ってきた。
「つーかさ、空雅も嫌なら断ればいいんじゃね」
「……だよな」
その瞬間、ちょうどよく授業の先生が来たため皆んな各々自分の席に座った。そして俺は、一人で考えていた。
確かに嫌なら、断ればいいだけのことだ。元々、勉強は苦手だし嫌いだ。成績のためとはいえ、付き合う義理もない。でもな……。
――――嫌って思ったことないんだよな。
そうなのだ……。自分でもよく分からないが、五十嵐と二人っきりになるのは嫌じゃない。というか……寧ろ体がポカポカしてくる。
この感情が一体どういう意味があるのか、俺には本当に分かっていなかった。いつもの通りに生徒指導室に向かう。
「今日は勉強じゃなくて、身の上相談に乗ろうか」
「はあ?」
いきなりそんなことを言ってきたものだから、俺はマジで意味が分からずに睨み付けてしまった。
それでも相変わらずの笑顔で、俺の目を見てきた。その目を何故か、直視することが出来ずに目を逸らしてしまう。
そしてそのままの笑顔で、俺の頭を撫でていた。俺は恥ずかしさもあったが、つい色んなことを話してしまった。
あのお兄さんのことは何故だか、言えずに両親に怒られたいこと。弟と妹は可愛くて、面倒を見ることは好きだ。
それでも、お兄ちゃんじゃなくて新田空雅として見てほしい。俺だって、たまには甘えたいしわがままだって言いたい。
五十嵐は何も言わず、ただ優しい笑顔で俺の話を聞いてくれた。その手やその笑顔が、記憶の中にあるお兄さんに似ていた。
「いいか、泣きたい時は泣いていいからな」
「……うん」
その日は何故か、五十嵐の顔をまともに見れずにカバンを持ってそのまま家に帰った。家に帰って、家事や兄弟の面倒を見た。
それでも体にこもった熱は、発散されずに確かにそこに残っていた。二人でいると動悸がおさまらなくなって、自分が可笑しいんじゃないかと思えてきた。
しかし、今の俺にそんなことを考えている時間はなかった。何故なら、期末があるからだ。人一倍バカな俺は、人一倍頑張る必要がある。
来る日も来る日も、五十嵐や遼馬に勉強を教えてもらっていた。期末を控えたとある日曜日のこと。
俺は遼馬の家で勉強を教えてもらっていた。朝陽のバカは、用事があると言って来なかった。
「あのさ、この前言ったことだけど……五十嵐とは、仲がいいのか」
「あっ?」
「なんでもない。忘れてくれ」
そんななんでもなくないような、悲しそうな顔で言われてもな。というか、こいつっておかしい時あるよな。
変に俺に気を遣っているというか、そりゃあ浅い付き合いかもしれないけど。それでも、俊幸や朝陽の時は素な感じがするのに。
俺に対してはどこかよそよそしい時があると思えば、今みたいにガン見して目を逸らす時もある。
まあいいや……そんなことよりも、今は勉強を頑張ることが大事だ。赤点を取ることは、別にいいが五十嵐に褒めてもらいたい。
俺の心は完全に五十嵐のことしか、考えていなかった。二人のお陰でなんとか、ギリギリの点数だったが赤点は数学だけになった。
「はあ……」
「どうした? 空雅、赤点まみれか? お揃いだな……って、お前。物理、八十七点じゃん!」
「ああ、俺史上の最高点だ」
朝陽にそんな感じでウザ絡みをされていたが、俺は怒る気力もなく適当に流していた。それを知らずに、能天気なこいつはずっと何か一人で話している。
あいつは一つでも赤点があったら、褒めてくれないかもしれない。俺がそう思って、帰り支度をしてとぼとぼ廊下を歩いている時だった。
「先生! 私、赤点なかったよ! 褒めてー!」
「あー、はいはい。優秀だなー」
「何その、棒読み!」
そんな感じで多分、上履きの色的に三年の女子数人に囲まれていた。その横を無言で通り過ぎようとしたら、五十嵐に声をかけられて腕を掴まれた。
「おい、新田。テスト結果出たら、教えに来いって言っただろ」
「……ああ」
「まあいいや。物理、高得点だったじゃん。すげーよ、おめでとう。よく頑張ったな」
そう言って俺の頭を勢いよく撫でてきて、俺が欲しかった言葉を言ってくれた。俺は気恥ずかしさがあって、何も言わずに走って学校を後にした。
俺は急いで家に帰って、自分の部屋に入ってうずくまった。やっぱ、俺おかしいのかもしれない。
悪友三人に触られたりしても、こんな風に全身が熱を帯びることはない。こんな感情、生まれて初めてでどうすればいいのか分からない。
夏休みは一度だけ行って、補習を受けた。相変わらず、朝陽はバカなため俺の気持ちを知らずに変なことを言ってきたが無視していた。
それはそれとして、補習には俊幸のお気に入りの大久保もいた。あいつもバカなのかな?
考えてみたら、学校で俊幸と大久保が話しているところ見たことないんだよな。
そして夏休みも順調に過ぎていき、二学期が始まった。学校が始まって、五十嵐の顔を見たらまた熱が溜まっていく。
それでも変わらずに、五十嵐と一緒にいることが全然苦痛じゃなかった。今日もいつものように、勉強を教えてもらいに生徒指導室に行こうとした時だった。
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