第39話 他人の空似
藤堂は島原の遊女の紀乃には、新選組であることを隠していた。紀乃の腹違いの兄は新選組に殺されたのだ。紀乃の兄は薩長の維新派ではなく、浪人だった。新選組を狙ったのも売名のためだ。名の通った者を斬り、用心棒に就こうと考えていた。金が欲しかったのも、妹の紀乃を身請けするため。紀乃は自分のために死んだことをずっと悔やんでいた。藤堂はその話を紀乃との逢瀬で何度となく聞かされていた。
その兄を斬ったのは、藤堂自身であった。だから、そのことを打ち明けることができずにいた。藤堂からすれば、正当防衛である。悪いのは、紀乃の兄の方だ。だが、それを言ったところで、藤堂が殺したことには変わりない。
事実を言えないまま逢瀬を重ねるたびに、紀乃への想いは強くなっていく。
紀乃の方も、藤堂のことを客のうちの1人とは見ていなかった。お互いに添い遂げたいという気持ちになっていた。どこかで藤堂が身請けしてくれることを心待ちにしていたが、兄のことがあり言い出さないでいた。藤堂が新選組の隊士、それも幹部だということを知らないままだった。
藤堂には、それが苦しかった。
山南粛清の少し前に、紀乃に打ち明けた。これ以上黙っていたら、胸が張り裂けそうだった。打ち明けることで自分の気持ちが楽になるなど、それは藤堂のエゴだった。黙ったままでいた方がよかったのだ。
彼女は凍りつき、しばらくして泣き崩れた。どうしたらよいのかわからず、そっと背中に手を置くと、その手を振り払われた。一瞬だが、鬼の形相で睨まれた。そして、藤堂の膝の上で泣いたかと思うと突然部屋を飛び出していってしまった。
その後、行方がわからず。
一方、現代の紀乃が土方や藤堂に嫌悪の目を向けるのには理由がある。
紀乃は鉄朗のことを心配しているのだ。
児童養護施設の子供たちは、国からの補助も出るためほとんどの子供たちが高校進学する。紀乃も公立に通っている。そしてバイトなどして施設運営を手伝うのだ。中には勉強が苦手で中学を卒業したら仕事に就き、施設を出て独り立ちしているものもいる。
最近の鉄朗ときたら成績は落ちる一方。中学3年生となると高校受験を控え、それに対して焦っている様子もない。
彼らは孤児だ。不慮の事故や病気で両親を亡くし、身寄りがない子供たちだ。中には親戚はいるが引き取り手がない子供や、親からの虐待で児童相談所が保護した子供もいる。まともな教育環境に恵まれず、義務教育の過程までの学力がなく進学できない子供もいるのだ。
だが、岡田少年は進学する学力があるのに、遊び呆けていることを気にしているのだ。
施設出身の子供たちは、社会に出てから差別される。親がいないから非行に走る、育ちが悪いから犯罪を犯しやすいなど、偏見の目に晒される。しっかり者の紀乃でさえ、学校で部費が紛失した時に疑われたくらいだ。未だにそういう社会なのである。
だから他人より努力し、誰よりも誠実であることを心掛けている。学力もそうだ。育ちが悪いから学力が低いと言われたくない。
紀乃は鉄朗のことを、本当の弟のように可愛がっている。だからこそ言い方もキツくなるのだった。鉄朗は元々地頭がよく、紀乃のように寝る間も惜しんで勉強しなくても、いい成績を取れるはずなのに、新選組に傾倒してから成績が落ちている。それも賢いせいなのか「今の政府ではダメだ」「この国の教育制度が間違っている」など、凡才な紀乃にはわからないことを口にする始末。「明治維新が間違いだった。日本はもう1度、サムライ社会に戻るべきだ」と突拍子もないことを言う。
それもこれも、全部新選組のせいなのだ。なにが鉄朗を惹きつけるのかわからない。彼に将来を問い詰めると、新選組隊士になりたい、とバカげた答えが帰ってくる。いい加減、自分の将来を考えてほしい。
ただ紀乃も鉄朗が社会のせいにしたくなる気持ちも痛いほどわかる。紀乃の両親は、典型的なネグレクトだった。母親が高校在学中に紀乃を産んだ。紀乃が生まれたばかりの頃、父親が失踪。紀乃が幼い頃、まだ遊びたい盛りの母親は空腹の紀乃を尻目に、男を取っ替え引っ替え連れてきた。時には男と旅行に出かけて1週間も1人で放置されていた。
近隣住民の通報があり、児童相談所に保護された時、小学2年生の平均体重をかなり下回り痩せ細っていた。母親は児童相談所から紀乃を取り戻そうとした。それは、最愛の娘を取り戻すためではなく、児童扶養手当や住宅手当などのひとり親が受けられる手当をあてにしていただけだ。紀乃は幼いながらにも、自身が親の愛情を受けていないことだけはわかった。困っている都民を守る制度を、ただ利用しようとする大人がいるのだ。それがまかり通る社会を恨んでいたとしてもしかたがない。
紀乃は、鉄朗がどういう経緯で児童養護施設に預けられているかは知らない。訊いたこともないし、訊いても答えないだろう。それに触れたところで、なにも解決しない。
どんな理由にせよ、鉄朗には立派になってここを退所してもらいたい。血の繋がりはないが、姉として彼を立派に育てることが自分の責任だ、と紀乃は思っていた。
「鉄朗!そう言えばカズ兄来てるよ」
「マジで!カズ兄、体育館?」
カズ兄とは、紀乃よりも4つ歳上の施設出身者だ。彼はアルバイトで生計を立てながら美容専門高校を卒業し、今は美容師の卵だ。2ヶ月置きに休みの日を使って、施設の子どもたちの散髪にやってくる。元々小学校だった施設なので、体育館がある。児童30人あまりを1日がかりで散髪する。
自身の練習も兼ねているそうだ。施設の子どもたちの1番上のお兄さん、といった役回り。紀乃と鉄朗は特に可愛がられ、彼らもカズ兄のことを慕っていた。
鉄朗が新選組にハマったきっかけも、土方歳三がカズ兄に似ていたことから始まる。
数々にアニメで土方歳三をモチーフにしたキャラクターが出てくる。そのうちの1つのキャラに似ていたのだろう。紀乃から見れば、全く似ていないと思っていた。紀乃はそのアニメを見たことがないから、土方歳三と言えばあの肖像写真しか思い浮かばない。だから鉄朗がカズ兄のことを土方歳三に似ていると言うのが気に食わなかった。
なにを隠そう紀乃は、カズ兄に恋心を抱いているのだ。
そう言えば、さっきの背の高い方の人......。どことなくカズ兄に似てる気がする。
紀乃が振り返ると3人の姿は、もうそこにはなかった。
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