HIZIKATA SIDE

第36話 3月20日

 こちらにも飲み込みの早い男がいる。

 目が覚めて、すぐに違和感に気づいた。見るもの触るものみんな見たこともない代物だった。また肌に触れる空気が違った。はじめは異国かと思ったが、そうではないようだ。空気の匂いが違う。なにか薬の混じったような匂い。たが、鼻腔で感じ取る空気は、なぜか懐かしいものにも感じた。

 勢い余ってぶつかったのは、棚のようなもの。階段から転げ落ちたようで、右肘と左膝を擦りむいた。ガシャンとガラスがぶつかるような音がした。擦りむいた肘を抑えて立ち上がると、そこにはガラスに覆われた展示ケースがあった。中には、和泉守藤原兼定いずみのかみふじわらかねさだが展示されていた。男は自分の腰に触れた。そこにも同じものがある。

 その男とは、土方歳三ひじかたとしぞうその人である。


 土方の愛刀 十一代和泉守兼定は京都守護職会津藩主松平公より授かった代物、同じものが2つとないはずである。どう考えてもおかしい。贋作であれば、かなり精巧に作られている。飾ってある兼定は、なぜか古びている。

 また、このガラス張りの中には土方の私物や、見覚えのあるものが並べられているのが不思議でならない。

 土方は展示してある資料をくまなく読んだ。だいたい状況は読み込むことができた。そこを常識の範疇で考えると、あり得ないことだ。だがこの状況を説明するには、それしかない。

 自分たちは時代を飛び越えてきたのであろう。状況証拠がそれを物語っている。


 ステンッ、ともう1人の男が転ぶ。


「なにやら、地面がつるりとしています」


 磨き上げられたフローリングを草鞋で歩くのは滑る。転んだ男は、藤堂平助とうどうへいすけ。彼も土方と同じ場所に飛ばされてきたのだ。土方は、藤堂をチラリと横目で見ただけで、ガラス板に顔を近づけ資料を読み続けた。


「ここ、なんですか?」


 状況が把握できていない藤堂。質問に答えない土方。

 聞こえてないのかと、名前を呼ぼうとしたところ、団体旅行客の中から1人の老婆が近づいてきた。


「あんた、土方歳三によぉく似てるねえ」


 老婆はそう言って、まじまじと土方の顔を眺めた。似てるも何も、本人なのだから仕方がない。


「へぇー、そんなに似てるかい」


 土方が揶揄うように答えると、老婆は手に持っていたパンフレットを指差した。パンフレットには『土方歳三資料館』と印字されていた。そこには、かの有名な土方が洋装にマフラーをして椅子に座っている写真が載っていた。


「髪型や服装は違うけど、そっくりじゃねーの」


 老婆が感心した声を漏らして食い入るように見つめるので、土方は苦笑いをするしかなかった。


「ちょっと、お母さん。そういう人を見つけてきてるのよ」


 娘と思しき40代くらいの女性が、老婆の手を引っ張りその場を去った。娘は、土方のことをコスプレしている資料館の従業員だと思ったのだろう。


「俺は、既に資料になってるらしい」


 土方は、さも楽しそうに笑いながら言った。藤堂には、さっぱり意味がわからない。ここがどこかも、なぜ土方が笑うのかも理解できなかった。


 土方は後ろで手を組んで、資料館の資料をくまなく読んだ。藤堂も首を傾げながら、土方の後に続く。

 途中途中で、「なんで土方さんの刀が飾ってあるんですか」「幕府が終わったって、どういうことですか」「戊辰戦争って、なんですか」と質問を投げかけるが、土方はそれらをことごとく無視して、資料館を歩いた。

 従業員がその様子をチラッと見るが、さして気にしていない様子。新選組ファンが、ダンダラ羽織を来て資料館を訪れることは珍しいことではない。


 彼らは資料館を2周ほど周り、土方歳三の写真の前で止まった。


「なんですか、は。日本人ですか?西洋の服を着てますよ」


 藤堂は土方の肖像を見て、不快な顔をした。攘夷じょうい、攘夷と外国人を打ち払おうと声をあげてきた日本人が、洋装をしているのが納得いかないのだ。

 土方は声を殺して、笑うのを我慢していた。写真を見て『』と言ってしまった藤堂が、真実を知ったらと思うと面白くて仕方がない。

 土方は隊の統率を図るため、鬼の副長として厳しい姿勢を演じてきた。だが、根本は田舎のバラガキなのである。下級隊士の前では威厳を保つが、試衛館からの馴染みの前だと少々気が緩む。

 とはいえ、藤堂からしてみれば9つも歳上で上官である。幼い頃に拾ってもらった恩もある。まだガキのくせに一端の大人の顔をするために、昔からのよしみでも規律を重んじわきまえる生真面目な奴だ。

 土方は、ことのほか藤堂のことを可愛がっていた。

 伊勢津藩藤堂家の落胤らくいんとして生まれ、血筋がおぼっちゃまの藤堂を、『魁先生』と呼ばれる切込隊長にまで育て上げたのは土方である。

 落胤とは身分の高い男が、正妻以外の身分の低い女に産ませた落としだねのことである。藤堂家の側室であった藤堂の母は身重のまま暇に出され、生活に困窮し身売りして藤堂を武士として厳しく育てた。その母を幼い頃に亡くした。幼い頃に両親を亡くした土方と、身寄りのない藤堂。子供の頃素行の悪かった藤堂と、バラガキと呼ばれた土方は自分の身と重ねて見てしまう。

 それに藤堂は背が低く、20歳を越えているが子供みたいに初心うぶな見た目だ。その子供みたいな藤堂が訝しげな目で見つめてくるのが、おかしくてたまらない。


「それは、俺だ」


「何をいってるんですか、土方さん」


「平助はまだわからんのか?」


「なにがですか?それよりも、ここはどこです?」


 土方は笑って、その質問にすぐには答えなかった。まじまじと自分の肖像を眺めて、半笑いの顔のまま平助に振り返った。


「周りを見てみよ」


 資料館の中は混雑というほどでもないが、先程の老婆のような観覧者がパラパラといた。


「俺たちの格好じゃあ、目立ってしまう」


「わたしも先程から思っておりました。皆が着ている服装、あれはなんですか?」


「時代が変わったのだよ」


「おっしゃっている意味がわかりません」


「とりあえず、外に出てみよう」


 土方は従業員に出口を聞いて、1人でスタスタと歩いていってしまった。

 身も心も置いてけぼりになってしまった藤堂であった。



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