第31話 摂州住池田鬼神丸国重

「近藤先生」


 斎藤は、小さく見える近藤の背中に語りかけた。刀を鞘に納めた近藤の背中は、侍ではなく、ただの百姓に戻りかけていた。斉藤は、そんな近藤の姿を見ていられなかった。


「俺たちは何も間違っちゃいない。自分たちの信じた道を進んできたまでです。間違いは迷うことです。近藤先生、迷わないでください」


 近藤は肩の力を抜いて、両腕をだらりと下げていた。視線の先には、斬られた標柱。横たわった標柱には『近藤』の名が刻印されている。倒れた自分の姿が脳裏に浮かぶ。志半ばで倒れた自分の姿。

 思い返せば、山南やまなみの粛清以前から迷い始めていた。多くの仲間だった者を自ら道と相入れないと亡き者とした。平和主義をとっていた自身に逆らう行為をしていたのだ。

 虚栄心のためではない、と完全に否定することができない。隊の規律と称して、裏切る可能性がある者と、目の上のたんこぶを切り捨ててきた。

 局内の法度を土方歳三ひじかたとしぞうが作り上げた。新選組を一本化し、強固な軍隊にするための不文律だ。「一、士道に背きまじきこと」「一、局を脱するを許さず」「一、勝手に金策いたすべからず」「一、勝手に訴訟取扱うべからず」「一、私の闘争を許さず」これらに背くものは切腹を申しつけられるという内容だった。それは次第に『局中法度きょくちゅうはっと』と呼ばれるようになる。重きを置かれていたのは前者の2つだ。それ以外は、どれも曖昧で解釈の具合て意味合いが違ってくる。どう考えても近藤をかしらにするための規律だ。土方は、これらを徹底した。その悪役を買って出たのだ。土方は近藤のために鬼になったのだ。


 それらの規律は自らを苦しめる結果となった。古参からの仲間だった山南が逃走したのだ。「一、局を脱するを許さず」に当て嵌まる。隊の幹部でさえも例外を認めないという姿勢を見せないと、隊の統率がとれない。新選組総長の山南だからこそ見逃すわけにはいかないのだ。

 たがこれに不服を唱える古参の隊士もいた。永倉新八ながくらしんぱち藤堂平助とうどうへいすけだ。

 永倉は神道無念流で同じ流派の芹沢鴨せりざわかもたちの粛清に異を唱えていた。芹沢の乱行ぶりは目に余るものがあったが粛清は別とし、暗殺には関与していない。

 藤堂は山南と同じ北辰一刀流で同じ千葉周作ちばしゅうさくの元で剣を学んできた。また試衛館時代から近藤、土方を兄のように慕い、対立する土方と山南との板挟みに悩まされた。

 2人は土方が対立する山南だからこそ、この粛清を強行したと考えていた。だが、1番苦しんでいたのは土方なのだ。近藤はその役目を土方1人に押し付けている結果となってしまった。

 新選組は局長の近藤が与り知らぬ間に大きくなりすぎた。隊の統率に重きを置くばかりに、古参の幹部たちの間で小さな亀裂が入り始めたことを近藤は肌で感じていた。

 近藤に『新撰組局長』という肩書きが重くのしかかる。百姓上がりの浪人には荷が重すぎる。もうではすまされないのだ。


 ここへ来てからというもの、この町の違和感を無視はできない。

 建物、道、子供たちの服など、近藤たちが見知ったものと全く違う。異国の様相があるが、言葉は通じるし、看板に書かれている言葉も少々言い回しは異なるが日本語だ。

 看板に書かれている文言から、江戸幕府が終わったことを示唆する言葉が見られる。


 ここは現世ではないと考えるしかない。


 あの時、自分たちは死んだのだ。ここは天国でもなければ地獄でもない。果たしてそんなものがあるのか。死の間際に、幻惑でも見せられているのか。お前たちの望んだ未来はこれでよいのか。きっと、そう問われているのだ。


 先程すれ違った子供たちは、無邪気に走り回っていた。

 ここには幕臣も維新志士もいない。綺麗な建物や道を見れば、ここにはいくさなどとは無縁に映った。

 近藤たちは幕府を守りたかったのではない。天下泰平を作り上げた徳川の意思を守りたかっただけだ。

 結果、幕府が滅びようと子供たちが走り回れる世の中であれば、それ以上何を求めるのだろう。そろそろ本当の意味で刀を鞘に納める時なのかもしれない。


「俺は元々幕府がどうなろうと知ったこっちゃない。ましてや攘夷なんて興味もない。先生の振るう迷いのない剣に魅せらたんだ。近藤先生の志に命を預けたんだよ。死んでも先生と一緒に戦うつもりだ」


 斉藤は空を仰ぎ見た。陽が落ち始めていた。だが黄昏ている場合ではない。


「この世はの望むものになってるのか」


 斉藤は近藤と同じような推察をしていた。ここは、現世ではない。


「確かめるまで、まだ剣は仕舞っちゃいけない」


 斉藤が近藤の背中に語りかける。近藤の背筋が、すっと伸びた。彼は姿勢を正して、ゆっくりと刀を抜いた。夕日が反射した。


「生意気な奴め」


 近藤は、ふっと笑った。その背中には生気が戻っていた。


「この時代遅れの佐幕派どもよ。今はもう新政府、お前らの住むところじゃないじゃき。この坂本悠馬が成敗してくれるわ!」


 突然、甲高い声が上がった。2人が振り向くと、数メートル先にその声の主がいた。小さな子供だった。


「さっきのわっぱですか」


「そうだな。それよりも聞き間違えか。あの童、坂本龍馬と名乗ったぞ」


「童だからと言って抜かってはなりません。土佐の坂本という男は奇人だと聞いております。奇策を仕掛けてきてるのかもしれません」


 倒幕派には、薩摩藩の西郷吉之助(のちの隆盛)や大久保利通おおくぼとしみち、長州藩の桂小五郎(のちの木戸孝允)や高杉晋作、土佐藩の武市半平太たけちはんぺいたや坂本龍馬など、名の通る剣客たちがいる。中でも坂本は脱藩してから薩摩や長州を行き来し、そのうえ幕府陸軍総裁の勝海舟かつかいしゅうにも取り入る筋が読めない奴だ。


「気をつけろ。後ろの男は、なにか変わった得物えものを構えてるぞ」


 日本刀ではなく、なにか棒のようなものを前に突き出している。あれは銃器の類か。薩摩経由で西洋から流れてきたものかもしれない。

 斉藤と目が合うと、ニヤけた顔をした。斉藤は柄に触れた。


「アイツ、笑っておる。よほど腕に自信があるようだ。用心せい。アイツが坂本だ」


「そうでしょうね」


「童には手を出すなよ」


「童とて、侮れないですよ」


 棒を持った男は、相変わらずヘラヘラと余裕の表情。感情が読めない。それに得体の知れない武器。その間に無防備に近づいてくる童。油断ならない相手だ。


 得体の知れない武器を持った男が叫んだ。がどうのこうのと言っている。それに対し、童は言い返した。男のことを『中村殿』と呼んだ。


 中村......。

 坂本ではないのか。


 中村と言えば、薩摩に中村という人斬りがいる。名は半次郎。最初の一太刀で仕留めるという示現流じげんりゅうの達人。

 坂本にしろ、半次郎にしろ、名のある敵手に変わりはない。まだ自分たちの戦いは終わっていないのだ、と武者震いした。

 それよりも、童が『斎藤一』と怒鳴ったのが聞こえた。


「あのガキ。なぜ俺の名を知っている」


 斎藤はゆっくり刀を抜いた。息を整え、平突きの構えをとった。相手の得物の間合いがわからない。剣の長さから相手との間合いを測る。左右からの攻撃には薙ぎ払えばよい。平突きは攻防一体の構えにもなる。


「珍しいな。総司そうじに教わったのか」


 沖田総司は三段突きを得意としている。斎藤は、永倉、沖田、藤堂と並び新選組四天王と呼ばれている。が、年長者の永倉は別格としても、年嵩が同じくらいの沖田と藤堂と並べられるのは気に入らなかった。沖田は2つ年上だが、特に彼と比較されるのを嫌っていた。


「俺がアイツに教わるわけないでしょ」


 斉藤の愛刀 摂州住池田鬼神丸国重せっしゅうじゅういけだきじんまるくにしげの光を浴び、彼の細い目に反射した。

 目の前の空気を切り裂くが如く、斉藤は走り出した。




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