第30話 遭遇
「おっちゃん、遅いよ!」
悠馬は中村の方を振り返り、口を尖らせた。悠馬は、すばしっこい。身長は中村の半分くらいしかないが、その分身軽だ。歩幅は中村の半分以下だが、左右の足を素早く動かし、目的地まで走る。大股で追いつこうとするが、どんどん離されていく。
中村の見た目は細い。手足は長く、むかしバスケをやっていたこともあり、ただの細身ではなく体格はしっかりとしている。長い足を一所懸命に降り出しているが、このところの運動不足のせいで、かなり息があがっている。最近は見えないところに肉がつきはじめている。頬の肉が走る反動で上下し、口がだらしなく開いていた。
ほんの数百メートルなのに、フルマラソンでも走っている気分になった。
「あそこだよ!まだ、いる!!」
身軽な悠馬は近藤道場の方を指した。悠馬が言う通り、近藤道場の前にある標柱が、ぽっきりと折られて地面に転がっていた。
その道場の前に2人の佇む人影が見えた。
1人は若い男で目付きの鋭い男だった。声に気づいたのか、落ち窪んだ目をこちらに向けてきた。
そしてもう1人、ガッチリとした体型の男がこちらに背を向けていた。男は総髪で長い髪を後ろに撫で付け髷のように束ねている。
その男の広い背中が動いた。男がこちらを向く。
「マジかよ」
ガッチリした体型の男の方は、中村が写真を本で見たことがある
あれは維新志士たちにとっての宿敵、新選組局長の近藤勇ではないか。ご丁寧に
「あの水色の着物着てる人が壊したんだよ」
「嘘だろ」
中村はあまりの衝撃に、悠馬の声など耳に届いていない。もう1度、同じような言葉が口から漏れた。
中村は頭を左右に振った。現実にはあり得ない。今は2025年。江戸時代の人間が、目の前にいるはずがないのだ。ただのそっくりさんだ。そっくりさんが、近藤勇になりきってるだけだ。
ただ、その近藤勇のそっくりさんが、近藤道場の標柱を壊す理由がわからない。新選組の隊服まで着て近藤勇になりきっているくらいだから、きっと好きなのだろう。
標柱は折られているというよりも、きら
おそらく近藤勇似の男が手にしている日本刀らしきもので、あの標柱を叩き斬ったとみられる。あれは模造刀なのか?標柱は斜めに切り落とされている。切れるということは、本物なの日本刀!?
「嘘だろ......」
さっきから中村の口からは同じような言葉しか出てこない。
「嘘じゃねえって。あのおっちゃんが、あの刀で切るとこ、オレ見たもん!」
悠馬はまた口を尖らせた。
「嘘って、悠馬のことじゃなくて、あの人だよ。あの人」
「あの人が何?」
「ありゃあ新選組の近藤勇だぜ」
中村の心の内で、そんなわけはない、という思いがあるから、少し戯けたように悠馬に伝えた。
「そうだよ。あのおっちゃん新選組の服着てるもん」
「なんだ。気づいてたのか」
「通りの向こうの井戸があるところが、あのおっちゃんの生まれた家なんだろ」
「よく知ってるな」
「だってあそこの井戸のところの看板に、あのおっちゃんの写真があるもん」
通りの向こう側には、近藤勇の生家跡地がある。そこのパネルには近藤勇の有名な写真も印刷されていた。
「悠馬。あれは、ただの似てる人だぞ」
「違うよ。ホンモノだって。あの刀であれ切ったんだもん。あんなことシロウトじゃできないぜ」
悠馬もムキになった。
「あの人が本物だったら、200歳くらいだぞ。んっなわきゃねーだろ」
悠馬は中村の話を聞いてないのか、ズカズカと2人の男に近づいていった。
「おっちゃん。早くカメラ回して」
「おっちゃんじゃなくて、中村さんな」
8歳の子供に指図される29歳。中村は大人としての自尊心を保つために言い返し、自撮り棒の手元のスイッチを押した。連動してスマホのカメラがオンになる。
「この時代遅れのさばくはどもよ。今はもうしんせーふ、お前らの住むところじゃないじゃき。この坂本悠馬がせーばいしてくれるわ!」
悠馬は幼い子ならではの甲高い声をあげた。中村の教えた新選組や幕末の知識『佐幕派』や『新政府』などを、8歳の子供ながら駆使してセリフを組み立てたようだ。意味もわからないのに難しい言葉を入れようとして、『成敗』のところで声が上擦った。
あの2人を怒らせてしまわないかと、中村は心配になった。近藤勇似の男が持っているのは本物の刀。目付きの鋭い男の方の腰に差している物も、おそらく本物だ。新選組のコスプレに本物の日本刀。完全に危険人物だ。
子供のすることだと、大目に見てもらえないだろうか。
中村はカメラを構えたまま、2人に向かって笑顔を向け愛想を振りまいた。
近藤勇似の男は、それに笑顔で答えた。目付きの鋭い男は、近藤勇似の男になにか話しかけ、こちらも笑顔を返してきた。
中村は胸を撫で下ろした。
本来なら彼のYouTubeチャンネルでは、こういう輩を糾弾する。多少殴られるくらいは覚悟して撮っているが、今回はこれ以上近づくのは危険だと察する。それに悠馬がいる。いつかバレるだろうが、自分の動画に載せることを悠馬の両親に許可をとっていない。怪我でもされたら困るのは中村の方だ。
日本刀はヤバい。そういう場に出会したことはないが、ナイフや拳銃よりもヤバい気がする。
「おい、悠馬。今日は、これくらいにして、あとは警察に任せよう」
「情けないことを言うな、中村どの!けーさつなんかに任せておけぬ!けーさつには、新撰組のさいとーはじめがいたんだろ!」
それを聞いた途端、鋭い目付きの男がギラリと睨んできた。
ゆっくりと刀を抜く。
夕日に照らされた刃が光る。
鋭い目付きの男の目も光った。
口角を片側あげ、地面と平行に日本刀を構えた。
「え?」
男は槍兵のように日本刀の切先を前に突き出し、中村たちの方へ突進してきた。
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