第18話 東京の色

 しんと静まり返ったフロアの中で、ヨシダがフフフッと静かに笑い出した。その笑い声は次第に大きくなっていった。


「ガハハハッ。なんだ、ただの頭がおかしい奴じゃねえか」


 永倉新八ながくらしんぱちは、ヨシダをキッと睨んだ。


「新選組かぁ。それでお前ら、そんな法被はっぴ着てんだな。思いっきり役に入ってんじゃねえか」


 ヨシダは手を叩いて大笑いしていた。手下も笑い出す。店に来ていた客たちからも小さな笑い声が漏れた。

 新選組に成り切ったコスプレイヤーだと勘違いして、安堵したのだ。それはそうだ。現実、本物が現代にいるわけがない。大見得おおみえ切って名乗られても、誰も信じるはずがない。

 永倉新八と原田左之助はらださのすけの2人だけが、笑われている理由が掴めない。


「まだまだ俺たちも、名が知られてねえってことだ」


 原田が永倉を慰める。永倉は首を傾げながら、またミスズに手招きをした。


「姉さん、いいからこっちへ来い」


「しつけえなぁ。二番隊組長さんよぉ」


 ヨシダが揶揄からかうと、手下たちが笑った。レイカとミスズも笑った。永倉はムッとした。一緒に笑う女にも頭にきたが、女に怒鳴るほど野暮なことは彼の中にはない。ふっと顔を上げた時、明美と目が合った。明美に緊張が走る。

 明美を見ると、永倉の表情がパァッと明るくなった。


「こっちの女子おなごの方が綺麗じゃの、なあ、左之さの


 原田は自分の隣のレイカと明美を見比べ、そうだなぁ、と言ってレイカを突き放した。


「こっちの女子も綺麗だが、性格が悪そうだ」


 レイカとミスズは、明美と比べられて腹を立てた。自分より格下だと思っているからだ。

 フルタカは自分に着いたレイカの前でカッコつけようと、原田の胸倉むなぐらを掴んだ。原田の腰紐が緩んでいたせいで、前がはだけた。


「コスプレしてるだけで、気持ち悪ぃんだよ!」


 フルタカは原田に言ってはいけない言葉を言ってしまった。永倉は怒りが頂点に達すると取り返しのつかないことになる性格たちだが、わりと気が長い。一方原田の導火線は新選組一短い。

 足元に転がっていたマドラーを拾い、瞬発的にフルタカの喉を突いた。フルタカは踏みつけられたカエルなような悲鳴をあげ咽せた。


「誰が偽ザムライじゃ!この腹の傷見てみぃ。切腹の作法くらい知ってるわ!!」


 原田は着物の前身頃を開だけ、腹の裾の真一文字に残る傷跡を見せつけた。過去に飲みの席で武士と喧嘩になり「腹を切る作法も知らぬ下司げしめ」と揶揄やゆされたことに腹が立ち、カッとなって本当に腹を切ったという逸話が残されている。そして酔うと自慢げに腹の傷を見せる癖もある。


「左之、腹を仕舞え。ワシゃ、その傷の長さや角度まで鮮明に覚えてしまったわい」


「うるせえ!腹を切ったことねえ奴がバカにするからだ」


 永倉と原田は、よく一緒に飲みに出かけるため、その度にこの傷を見せる場面に遭遇している。永倉は、そんな見飽きた傷よりも、目の前の女が気になって仕方がない。


「姉さん、名はなんという?」


「あ、明美です」


 明美は咄嗟に源氏名の『唯香』ではなく、本名で答えてしまった。答えてから、はっとして口を押さえた。


「あけみ......、んー、なんかしゅっとしていていい名前じゃの」


 永倉は、そっと明美の肩に手を置いた。彼には現代の名前がスマートに聞こえるのだろう。明美は、自分の地味な名前を褒められたことで、悪い気にはならなかった。


 なんか明里あけさとに名が似ておるなぁ......って、そういや、山南さんなんさんはどうした」


 永倉は名前を聞いてニンマリした後、慌てて辺りを見回した。他のテーブルを覗きにいっては、山南さーん、総司そうじ、どこへ行った、と叫んでいる。誰か探している様子。

 ヨシダは自分自身を気にしていない2人を見ていると腹が立って仕方がない。


「おう、コラァ!」


 と怒鳴ったところ、今度はVIPルームから岩倉が顔を出してきた。


「なんだ、唯香。遅いじゃないか、なにをしている」


 ベースボールキャップを被っている岩倉を見て、プッと吹き出してしまった。


「なんだ、その変わった烏帽子えぼしは?」


公家くげか?」


 永倉と原田は笑い出した。

 岩倉は明美の肩に置かれている永倉の手に気づくと、さっと振り払った。


「なんだ、君たちは?」


 明美は、永倉たちを横柄な態度を取る岩倉から庇うように、体を反転させVIPルームに戻るよう促した。


「ほら、岩倉さん。席に戻りましょ」


「岩倉?どっかで聞いた名前じゃのぅ」


「やっぱ、公家じゃねえのか」


 原田は岩倉の頭を軽く小突いた。岩倉は振り返り、顔を真っ赤にして、無礼な、と怒鳴った。


「おい、無視してんじゃねえよ」


 今度はヨシダ。丸めたおしぼりを永倉に投げつけた。

 永倉は振り返りざま鯉口こいくちを切る。


「なんだ、そんなオモチャで斬るつもりか」


 ヨシダの軽口に、手下たちが腹を抱えて笑った。


 その刹那、空を切る音。

 永倉が愛刀播州住手柄山氏繁びしゅうじゅうてがらやまうじしげを振り上げた。

 ヨシダのスウェットがはだけ、だらしない腹がタプンと現れた。ヨシダの闘争心は完全に失せた。口をパクパクさせ、頬の肉が盛り上がると、ポロッと真っ二つに割れたサングラスが床に落ちた。


「やる気があるなら武器を持てい。丸腰を相手に斬るのは好きではない」


 新選組の中で天才剣士と評された沖田総司おきたそうじと並び、猛者の剣と評された永倉には剣士としてのプライドがある。卑怯な手を嫌う、真面目な隊士なのだ。


 戦意喪失した輩たちと反し、状況がまだ掴めていない岩倉は明美を取り返すのに必死だ。


「ゆ、唯香を返しなさい」


「ゆいか?誰のことです?」


 永倉は明美の手を引いた。なぜか明美は満更でもない顔をしている。それが岩倉は気に食わない。


「その手を離しなさい!」


 永倉と岩倉が揉めていると、店の入店口が開いた。


「遅くなりました。警察です」


 制服を着た2人の警察官がこちらを覗いている。騒ぎがあった中、チーフが警察に連絡したのだ。


「こっち来て」


 明美は無意識のうちに2人の手を取って、裏口へ回った。裏口は2カ所あり、1つは従業員が出入りする通用口。もう1つは、非常階段に繋がる扉だ。武田のような変な客が来た時、従業員通用口から出てエレベーターを使うと、ビルの南口にある従業員通用口に出る。そこで出待ちしている恐れがあるため、明美はいつも真逆の北口に出ることができる非常階段から外に出ることにしている。

 明美は2人を連れ、非常階段の方の扉を選び小走りに駆け降りた。2人は非常階段を見て、一瞬驚いた顔をした。


「音でバレちゃうから、足音なるべくしないようにして」


 明美は指図するが、草鞋わらじの2人より結局音を立てているのはハイヒールの明美だけ。明美はバツが悪そうにハイヒールを手に持って、裸足で階段を駆け降りた。


 明美は心臓がバクバクと波打っていた。そして心なしか顔から笑みが溢れている。

 明美は東京に出てきてから、まったくつまらない人生を歩んでいた。毎朝起きて、だらだら過ごして、店に来て、客に愛想を振り撒いて。また寝るから朝が来る。ただのペラペラな毎日。彼女の目に映る東京は色のない世界だった。

 それがこの2人に会った瞬間、なぜか色が染まっていく予感がした。理由はない。良くも悪くも刺激が欲しかっただけなのかもしれない。

 子供が追いかけっこをするように、このドキドキがなぜか心地よかった。ただ、それだけだった。


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