第17話 二番隊組長

「し、新八しんぱち。生きとるか?」


 床に突っ伏した男が手を着き、上半身を起こした。虚な目で辺りを見回している。手を着いた時に、ガラスで切ったようだ。小指の付け根、小指球しょうしきゅうから血が出ていた。体を起こした男は、その血を舐めた。


「痛ぇ。血だ。生きとるぞ、なあ」


 そう話しかけられて、輩の上で伸びていた男も体を起こした。輩の上の男は、舌を出したり引っ込めたりして、首を回した。


「なんだったんだ。さっきの痙攣は」


 そして輩の上に乗ったまま、もう1人の男と同様、辺りを見回し、きょとんとした顔をした。


左之助さのすけ、ここはどこじゃ?」


「どこって......?」


 そう言ってまた2人で辺りを見回した。周りの客も従業員も固唾を飲んで黙ったままだ。男たちの次の言動が気になる。

 天井、床、そして周りの人間たち。1人1人の顔をゆっくりと見回す。最後にレイカとミスズをじっと見つめた。彼女たちは、蛇に睨まれたように体を小さくして、ヒャッ、と声を上げた。


 2人の男は目を見合わせ、ニンマリと笑った。


「遊郭じゃー!!」


 左之助と呼ばれた男は立ち上がると、レイカの隣にいた男を退かし、そこへ座った。この男、種田宝蔵院流たねだほうぞういんりゅうの槍使い、新選組十番隊組長 原田左之助はらださのすけその人である。

 そしてもう1人.......。


「なんだテメェ。退けコラァ!」


 下敷きになっていた客の男は、上に乗っていた男の背中をぐいっと押して、ふらついたところその背中を蹴飛ばした。ガシャーンとグラスが割れる音。またラウンジ嬢たちが悲鳴をあげた。


「ヨシダさん、まだ出所てきたばっかでしょ。派手なことしない方がいいっすよ。」


 手下の方がヨシダを宥めた。吉田は豹柄のスウェット上下を着ていた。いかにも輩らしい格好だ。ガタイが良く、口髭を生やし、薄い色のサングラスをしている。ガタイが良く、太い腕から先の全部が親指のような指をポキポキと鳴らした。


「うるせえ、フルタカ。黙ってろ」


 店の連中を見回し、お前らも黙っとけよ、と怒鳴った。


「なんだ、その格好は。侍の仮装でもしてんのか。なぁ」


 ヨシダは彼らをバカにしてヘラヘラと笑うと、手下たちも釣られてへらへらといやらしく笑い始めた。


 蹴飛ばされた法被の男は、すくっと立ち上がって着物の裾を払うと、倒れているテーブルを起こしたり、散らばっているガラスを足で隅に避けたりと片付けをし始めた。


「そうだよ。オメエらが散らかしたんだから、さっさと片付けろ。ほら、そっちにもガラスの破片が落ちてんぞ!」


 ヨシダは勝ち誇ったように指図した。元のソファに座ると、ボーイを呼んで新しい酒を出せと命じた。


「なんなの、あの人たち」


 明美は近くのテーブルに着いていた新人のユキに小声で聞いた。とは、法被の2人のことだ。ユキは戸惑った表情で答えた。


「よくわからないんですけど、なんか、その、あの2人が......」


「上から?」


 明美はもう1度天井を見上げた。当然上の階から人が落ちてくるような穴などあいていない。わけがわからなかった。


 法被の男は、せっせとテーブルを片付ける。落ちていた酒のボトルを見ると、その瓶は割れていないようだ。男はボトルのラペルをマジマジと見て、そっとテーブルの上に置いた。ボーイが新しくグラスとアイスペールを持ってくると、


「なにやら変わった酒じゃのう。西洋のものか?」


 とニコニコしながらボーイに尋ねた。ボーイは、ああ、はい、と曖昧な返事をした。

 テーブルが綺麗になると、よし、と男は独り言を言って、パンパンと軽く手を払った。

 ヨシダはミスズの肩に腕を回し、手前に用意されたグラスを顎でしゃくり、


「おい、サムライ。注げ!」


 と指図した。

 法被の男は、キョトンとした顔をヨシダに向けた。


「詫びに注げって言ってんだよ。まあ、コスプレしてるようなアホに注いでもらったって酒が不味いけどなぁ」


 ヨシダはそう言って豪快に笑った。お決まりのように手下たちも笑う。1人ヨシダを宥めていたフルタカも、大事にならずにすんだと安心したのか席に着いた。


 だが法被の男はそれを無視して、ソファの空いているスペースに座り、ミスズに手招きをした。


「ほら、姉さん。こっちの酒を注いでくれ。ほら、左之さのも座れ」


 ヨシダの手下たちと一緒に腕を組んで原田左之助も笑って見ていた。手下が原田に声をかけた。


「おい、兄ちゃん。アンタ笑ってる場合じゃねえぞ。本気でヨシダさん怒らせるつもりか?」


 原田は、フンッと鼻で笑った。


「お前らも、あんまり新八しんぱちを怒らせない方がいいぞ」


 原田は、親切心で忠告してきた手下の首根っこを掴み席をずらして、手下が座っていたソファに腰を下ろした。そして原田もヘラヘラと、姉さん、名前はなんて言うんだい?とレイカに話しかける。


「おい、テメェ。ふざけんじゃねえぞ」


 手下が声を上げるが、原田も無視。


 ガチャン!ヨシダが態と大きな音を立ててテーブルの上に足を乗せた。


「おいおい、ぜんの上に足は乗っけちゃいけねえって、おっさんに教わんなかったか?酒の席は楽しもうや」


「なんだテメェ、ぶっ殺すぞ」


「さっきから煩いのぅ。ヨシダやらフルタカやら、聞いた名前じゃのぅ。主ら生きとったんか」


 法被の男はヨシダたちには訳のわからないこと言った。


「左之、こいつら仕留め損ねたのか」


「そりゃ池田屋だろ。俺は行ってねえから知らん」


 ますますわからないことを言い出す。ヨシダは少し気味が悪くなってきた。この余裕をかました態度。只者ではないかもしれない。


「なんだ、テメェら!ちょっと表に出ろ!」


 ヨシダは手下の手前、威勢良く怒鳴るのが精一杯だった。


「そんなの後でいいから、なあ、楽しく酒飲もうや。悪いけど、その姉さん、ちょっと貸しとくれ」


 法被の男はめげずにミスズに手招きをしている。

 ガシャーン。ヨシダは綺麗になったテーブルを足蹴にして、またテーブルが倒れた。


「せっかく綺麗に片付けたのにのぅ」


 やれやれ、と法被の男は立ち上がって手を広げた。そしてゆっくりとテーブルを起こす。テーブルの脚がガラスの破片を踏んで、プツプツと音を立てた。


「テメェ、どこの組のもんだ」


 法被の男がヨシダを静かに見下ろした。


「ワシか?ワシは新選組二番隊組長、永倉新八ながくらしんぱちじゃ!」


 得意げに答える永倉に、周りの人間は呆気に取られていた。












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