第16話 5番テーブル

 ススムと他2名のボーイがVIPルームのセットにかかっている。

 岩倉がいつも飲むのはレミーマルタンXO。店では相場の3倍くらいの値段で設定している。岩倉はこれを1:1の水割りにして、バカみたいにジャブジャブと飲んでいる。明美にはブランデーの正しい飲み方はわからないが、ロックやストレートでちゃんと味わって飲んだ方がいいんじゃないかと思っていた。どうせ岩倉はブランデーの味なんかわからないだろう。見栄っ張りな岩倉にお似合いの、ゴージャスな見た目の瓶。


「新しいのも用意しておいた方がいいですよね」


 キープしてあるボトルの残りが少ないことにススムが気づいた。


「あ、ワタシ取ってくるよ」


 テーブルやソファの掃除はボーイの仕事なので、明美が準備することはほとんどない。他の客に着かないで待機してることくらいだ。今のところ、他のテーブルには各々ラウンジ嬢は事足りている。テーブルセッティングの手伝いくらいしか仕事がない。

 すみません、とススムは悪くないのに申し訳ない顔をした。


 5番テーブルを横切る時、さりげなく天井のシャンデリアを見た。言われてみれば少し傾いている。5番テーブルには少し柄の悪い4人組の客。5番テーブルは少しテーブルが横に長く、大人数のフリー客を案内する席だ。

 そのテーブルには客数と同じく4人のラウンジ嬢が着いていた。そのうちの2人がレイカとミスズ。2人は店のNo.2とNo.3だ。この2人は仲が良い。No.1のアリサを引き摺り落とそうとしているので利害関係が一致しているからだ。

 5番テーブルの連中は、シャンデリアの傾きには気づいていないようだ。


 明美は店で4〜5番目くらいの指名数。岩倉みたいな太客がいるのになぜそのくらいの順位かというと、明美には武田のような客も多いからだ。

 1度ミスズを超えてNo.3になった時、ロッカーの中のドレスを破かれる嫌がらせを受けたことがある。レミーマルタンXOを片手に横切る明美に、面白くなさそうな視線を浴びせてきた。


「唯香さん、すみません」


 明美がVIPルームに戻ると、ススムが慌ててレミーマルタンを受け取った。


「5番のシャンデリア、大丈夫そうだったよ」


「聞こえてたんですか」


 バツの悪そうな顔でススムが答えた。閉店後修理が入るまでに何も起こらなければと、ずっと気にしているのだ。顔色が悪い。


「滅多にないよ。あんなものが落ちるなんて」


「だといいんですけど......」


 明美は目一杯フォローしたつもりだが、ススムは浮かない顔のまま。

 そうこうしているうちに表が騒がしくなってきた。岩倉が来店したのだ。明美は慌ててガラスに映った姿で髪を直した。べつにあんなジジイに良く見られたいという気持ちは微塵もないのに。

 岩倉は変装しているつもりなのか黒いジャンバーを着ていた。白髪頭は黒いベースボールキャップで隠している。大臣ならいざ知らず、政務官の顔を知ってる都民なんてほとんどいない。週刊誌対策にお付きの連中に言われただけだろう。本人は自重してる様子はない。誰もが振り返るほどの大きな声で笑いながら唯香に近づいてきた。


「おー、唯香!待たせたなぁ!」


 そう言いながら思い切りハグをしてきて、岩倉はそのどさくさに紛れて明美の尻を掴んだ。


「ちょっと、そういう店じゃないって言ってるじゃないですかぁ」


 明美は甘えた声で、やんわりと体を離した。そして尻を掴んできた手の甲を「もう!」と言いながら軽くつねった。軽く頬を膨らめ可愛く怒ってる風を装う。本当は抓った手の甲をそのまま引き千切りたいくらいムカついている。いつの間にか夜に相応しい社交辞令マナーが自然と出てくるようになってしまっていた。ハグされた時の岩倉の加齢臭が鼻にこびりついている。


 今日のお付きは3人。ヘルプでマナとユウカと新人のカエデが一緒に席に着いた。明美は当然の如く岩倉の横。席に着いた途端、岩倉の左手は明美のももの上に置かれた。マジで引き千切りたい。


 岩倉はお付きに偉そうな態度をとり、自分の権力を誇示している。仕事で自分の手柄を自慢げに話しているが、唯香には政治の話は全く興味がないので愛想笑いをするだけ。自慢話より太腿をさすってくる手のほうが気になって仕方がない。流石です、それは政務官出なければできません、政務官のおかげです、太鼓持ちたちがゴマスリを連打する。


「唯香ぁ、うちの事務所で囲ってやるよ」


 お付きたちは苦笑いで顔を見合わせた。岩倉が唯香にいつも言うセリフ。女性を囲うなんて今のご時世すぐにコンプライアンスに引っかかるセリフだ。


「うちに1人がいたなぁ。あれを辞めさせりゃ事務員として働いてることにすりゃあいい。なぁ」


 1人のお付きがそう振られて返事に困っている。コンプライアンス違反のオンパレード。


「ワタシになんか、そんか立派な仕事、無理ですよ」


「唯香はいるだけでいいんだよ。仕事なんかせんでいい!」


 岩倉は汚い歯を見せてガバガバと笑った。

 こういう政治家を目の前にすると、税金を払っていることがバカらしくなってくる。

 ススムがアイスピールを新しいものと交換しにきた。


 ガチャーン!!


 突然、激しい音が鳴った。同時にラウンジ嬢たちの悲鳴。レギュラーフロアの方だ。

 ススムの顔が真っ青になった。まさか5番テーブルのシャンデリアが落ちたのか。


 すみません、とススムは聞こえるか聞こえないかの小さな声で言うと慌ててレギュラーフロアに向かった。

 明美は心配になった。自分が行ったところでなんの役にも立たないが、明美も立ち上がった。


「おいおい、唯香は行くことはないんじゃないか」


 岩倉は明美の腕を掴んだ。


「そんなことはボーイに任せとけ」


「ちょっと見てくるだけだから。すぐに戻るね」


 明美は岩倉の腕を振り払って、ススムの後を追いかけた。


 騒ぎになっているのは、やはり5番テーブルだった。テーブルが倒れ、グラスが散らばっている。だが、散らばってるのはグラスや皿、アイスペールだけだ。

 明美は天井を見た。シャンデリアは傾いたまま、まだちゃんとぶら下がっている。シャンデリアが落ちたのではないのだ。


 5番テーブルの客はたしか4人のはず。だが2人増えている。1人は床に、もう1人は輩の客の膝の上に乗っている。増えた2人の男は、長髪で水色の法被はっぴのようなものを着ている。この法被の男たちが酔っ払って、輩の客たちに絡んでになっているのか。まだ明美にはどうしてこの状態になったのか理解できない。


「い、痛ぇ」


「おい、左之さの、大丈夫か?」


「新八か?ここ、どこだ?」


 法被の男たちは顰め面で呻いてる。

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