NAGAKURA SIDE

第14話 ペラペラ

 濡れた路面にはゴミが散乱し、ネズミが残飯を食っている。泥酔した客の嘔吐物。ゴミを漁っているのはネズミだけじゃない。住所不定の浮浪者が、雑居ビル裏のポリバケツから飲食店から出た残飯を漁っているのだ。

 黒いシャツをきた男が浮浪者に怒鳴る。浮浪者は死んだ目を向け、静かに振り返りトボトボと歩き去っていった。彼らのような輩が、この街の品位を下げている。

 ここは歌舞伎町。

 時代の波には逆らえず『眠らない街』と言われていた頃より景気はよくないが、それでも夜の闇が不景気を掻き消してくれる。歌舞伎町一番街のアーチに、社会に疲れほんのひと時の現実逃避を求める人間たちが吸い込まれていく。アーチの向こう側のネオンは、そんな人間たちが楽園と勘違いするには充分な華やかさだ。


 田中明美たなかあけみは、この街が大嫌いだった。


 彼女はこの街のクラブでホステスをしている22歳の女子大生。某私立大学に現役で合格しているから4年の歳だが、昨年留年し、今期も殆ど欠席し再度留年は確定。親からの充分な仕送りがあるため、金に困っているわけではない。


 この喧しい光が、瞼の奥を刺激する。仕事に疲れた男たちが現実逃避のためあのアーチを潜る。明美の仕事場がここなのだから、こちらが現実。かといってアーチの外も彼女にとって楽園ではない。




 明美の実家は静岡県静岡市。父は市議会議員、母は中学校教諭、祖父は田舎の土地持ちで裕福な家庭で生まれた。所謂厳格な家庭で育った。5つ離れた兄も、2つ上の姉も役所勤めで

 自分だけ実家から出たいという理由だけで東京の大学に進学した。将来の計画もない。たとえフワッとした動機でも夢があればよかった。末っ子で甘やかせて育てられていたせいかもしれない。

 家族に不満があったわけではない。学校で虐められていたわけではない。むしろ学校では目立つ方の部類で、友達付き合いも多かった。家庭環境も関係するが学校の成績はいつも上位をキープしていた。担任教師からも有名薬学科がある偏差値の高い地元の県立大を勧められた。

『天は二物を与えず』というが、天は彼女に容姿の良さという二物を与えてしまった。背丈はそれほど高くないが、テレビに出ているアイドルやタレントに引けを取らない容姿は、学校中の男子生徒が高嶺の花だと言う。高校生の頃、街の商業施設で、ローカルタレント事務所からスカウトされた。彼女は遠慮し、丁重にお断りした。一緒に歩いていた友人は『容姿だけでなく、そういう謙虚なところも彼女の美しさだ』と吹聴すると、ますます学校での人気があがってしまった。

 明美の本音はというと『こんな田舎はワタシの居る世界ではない』と言うだけのこと。

 それが実家を出たかった理由。こんな田舎でチヤホヤされても、1ミリも嬉しくない。東京に出れば、もっと求められる自分に相応しいステージがあると思った。

 そして東京出てきて数ヶ月後、自分は井の中の蛙だったことを知らされるのだった。

 東京生まれの子たちは、元々洗練されている。顔の良し悪しではない。自分を着飾る方法を知っている。言葉遣いも違う。

 地方から来た子たちも違う。最初は彼女並み、もしくは彼女以下に見えた子たちも、数ヶ月暮らすうちに垢抜けてくる。自分よりも可愛い子なんていくらでもいる。彼女は都会のヒトゴミに埋もれていった。

 唯一、天が彼女に与えなかったものは『努力』だ。他の子はみんな努力をしている。お洒落を勉強したり、喋り方だって周りの子たちに合わせる努力だ。明美は、そういう努力を怠った。あえてという変なプライドがあった。

 田舎で暮らしていたら、順風満帆な人生を選択できたのだ。必死に勉強したことがないのに成績が良かった。学校でモテていたのは、単に顔が良かったからだけ。それをいいことに、なにも努力をせずに育ってしまった。


 東京に出てきたばかりの頃、よく表参道や竹下通りで歩いていた。有名芸能事務所から声をかけられると思っていた。べつに女優やモデルになりたかったわけではない。むしろ芸能界の方が自分を求めていると勘違いしていた。謙虚に振る舞ってはいても、彼女の本質はそういうところがある。

 たが、ここは田舎の商業施設ではない。来る日も来る日も声をかけられることがなかった。

 やっと声をかけてきたのは、歌舞伎町のクラブのスカウトマンだった。初めは丁重にお断りしたが、それ以後も芸能事務所から声をかけられることはなかった。

 クラブのスカウトマンから貰った名刺の電話番号にかけた。お金に困っているわけではない。そこなら簡単にチヤホヤされることを約束されている。彼女は上京して、チヤホヤされることに飢えていた。

 話だけでも聞こうと、歌舞伎町の店を訪れると、そこは必要以上に煌びやかな世界。目が開けていられないほど眩しい真っ白な床。重量感のある黒いテーブル。どこかの宮殿に置いてあるような真紅のフカフカなソファ。悪趣味な内装も、田舎娘を黙らすのに充分だった。




「明美」


 店のロッカールームに入ろうとしていると、チーフに呼び止められた。


唯香ゆいかです」


 明美はぶっきら棒に店での源氏名を言った。


「棘があるなぁ。いいだろ、裏じゃあお前のホントの名前で」


 一夜を共にしただけで馴れ馴れしくしてくるチーフのことが嫌いだった。

 彼女は自分の本名で呼ばれることが好きではない。自分が没個性なのも、平凡な名前のせいだと思っていた。

 仲の良い同学部生の名前が唯香。明美が上京して初めて、と思った女性。彼女は容姿だけでなく、性格もよく、ファッションセンスも抜群だった。明美に足りないものを全て持っていて、圧倒されてしまった。大学に顔を出さない明美のことを心配してくれるのは唯香だけだ。性格が良過ぎるから嫌いにもなれない。源氏名を決める際、自然と彼女の名前が口から出た。

 それ以来、店で彼女の名前を使っている。


 あれやこれやと機嫌を取ろうとするが、明美はことごとく無視した。チーフは、よく外国人がするようなのジェスチャーをして、要件だけ伝えた。


「今日も23時に岩倉のジジイが来るから、VIPルームで」


 岩倉のジジイとは、経済産業省の政務官岩倉知憲いわくらともあきのこと。まだ50代だが、白髪頭で品のない態度をとる客なので、店では嫌がられていた。VIPルームに通すのも上顧客扱いではなく、他の客に迷惑をかけないためだ。

 明美はいつも岩倉に指名される。政治家上層部の愚痴と下ネタばかりなので、話していてつまらない客だ。他の政治家が行く銀座ではなく、歌舞伎町でなら大きい顔ができるのだと思っているのだろう。

 とはいえ大きい金を落としてくれるのは事実なので、明美は指名が入れば席に着くしかない。


 明美はロッカールームで私服の上着を脱いだ。店から支給された薄いブルーのドレス。こんなペラペラな服で、外になんか歩けない。自分もペラペラな人生だな、と溜息が出た。


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