第5話 闇から人影(2)

「ちょっ、ちょっと待って!」


 河上が後退りすると、踵に先程倒れた椅子の背凭れが当たった。バランスを崩して、バンッとデスクに手をつく。スチールのデスクが大きな音を立てた。

 その音に驚いたのは、人影。一瞬、背が飛び跳ねたが、人影は左手の鞘を捨て、両手で日本刀を構えた。


「ええい、おどかしおって!容赦せんぞ!!」


 上段の構え。いつでも突撃態勢に入れると威嚇している。


「け、け、警察呼びますよ!」


 不法侵入した、わけのわからない髭の男に虚勢を張った。


「けいさつ?何を訳のわからんことをホザいておる。斬るぞ!」


 髭の男が日本刀を振り上げると、鈍い音がした。それに気づかず、河上の頭目掛けて力任せに振り下ろすと、つかから手が離れてしまった。

 日本刀は天井に突き刺さり髭の男の手から離れ、手ぶらで両腕をまるでサッカーのスローイングのような態勢でスウィングしただけになった。


「なぬっ!」


 髭の男は天井を見上げる。自身の無様な姿を誤魔化すように咳払いをした。眉間に皺を寄せて睨み、眼力だけで河上の動きを封じ込めようとしてい。


「ふおいっ!」


 天井に突き刺さった刀の柄を握り、威勢の良い声を上げ、引き抜こうとした。だが、深く減込めりこんでいて、びくともしない。


 河上は、ここが好機と見て内線の受話器を掴もうとするが、髭の男が「ぬわっ!」と訳のわからない大声を上げたため、手が滑ってしまった。


「なんじゃ、それは!」


 髭の男は旧式の白い内線電話機を指差して叫んだ。

 天井の蛍光灯が安定して点くようになった。天井を見たり、壁を見たりと首がげそうになるほど辺りを見回している。何時鼻から小刻みに漏れる息。

 怯えているのは河上の方だが、髭の男も異常な落ち着きのなさだ。2人してパニックを起こしているから収拾がつかない。


 河上は震える手でスラックスのポケットを探る。スマホから警察に連絡しようとした。それに気づいた髭の男は、さっき投げ捨てた日本刀の鞘を拾い上げ、「動くな!」と叫んだ。

 河上はポケットに手を突っ込んだままじっとしていると、鞘で殴ってきた。素直に従ったのに切りつけてくるなんて、あんまりだ。左肩に軽く当たっただけだが、ヒーッという悲鳴をあげた。日本刀が天井に刺さったままだということを忘れていて、左肩が切れていないか何度も確認した。


「ピストルか!」


「そんなもん持ってないです。スマホです」


「す、ま...ほ?」


 河上は右手をゆっくりポケットから出し、スマホをあげて髭の男に見せた。


「なんじゃ、それはーっ!」


 窓ガラスが揺れるほどの大声。ガサッと天井から音。刺さったままだった日本刀が少し動いた。

 河上を見据えたまま後退りし、日本刀に近づいていく。これを好機にスマホで警察に通報したいのだが、河上は腰が抜けてしまっている。指先と膝がガクガクと震え、息がしにくい。息を吸うことはできるのだが、吐くことができない。軽く過呼吸を起こしている。肺がパンクしそうで、苦しい。


 髭の男は日本刀の真下に辿り着くと、柄を握って目を瞑り、大きく息を吸った。彼の腕に血管が浮きあがる。

 そしてカッと目を見開き、


「でぃやぁぁぁぁぁぁあーっ!」


 と気合い入れて大声を出すと、メリメリメリッと板が剥がれる音がして、50センチ四方の板が落ちてきた。天井の板ごと、日本刀を引き抜いたのだ。


 刃に食いついている板を左手で剥がし、自由になった日本刀を横一文字に構えた。そしてまた深呼吸して、


る!!!」


 と叫び、河上ににじり寄ってきた。


 河上は声にならない悲鳴をあげた。悲鳴をあげたことで、息を吐くことができ、肺がパンクしないですんだが、絶体絶命の状況は変わらない。いや、むしろ悪い方向に流れている。

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