第5話 ガイダンス
着替えが終わると、指示に従って入ってきた入り口とは別の扉に向かう。
出たところは広いロビーだった。
そのロビーには大きなガラス張りの窓があり、私が驚いたのはその窓から見える外の景色だ。
窓の外は砂や石ばかりの月面ではなく、草原のような景色が広がっていた。
「これって!」
私は思わず窓に走り寄る。
ここに来るのが初めてだった他の皆も同様に驚き、窓へ向かった。
はるか上に天井があるわ。ということは、やはり地下の空洞なのね?
でも、この広さはどういうこと? 反対側の壁が見えないわ。
それにこの明るさ。まるで太陽があるみたい。
他の皆も同じ様に感じているようだ。
「本当にここは月なのか?」
「青空が見えないだけで、地球と同じじゃないか」
「草が生えているということは、この外は真空じゃないのか」
雄一がぼそっと。
「なるほど。そう言われればそうね」
と、私。
そんな私たちに、基地の職員が後ろから声をかけてきた。
「皆さん、ルナ・アークへようこそ」
アークって、大きな箱という意味だっけ?
ちょっとしっくりこないけど、たしかにこの空洞って箱といえば箱だわね。
基地の職員が続ける。
「では、今回始めての方はこの基地での生活に必要なガイダンスを受けていただきます。二回目以降の方は基地内で使える専用端末だけ受け取って解散してください」
そのあと、今回ここに初めて来た二十人ほどが別の部屋に案内されてガイダンスを受けることになった。
「みなさん、先ほどは窓からの景色に驚いたことでしょう。それでは今回のプロジェクトの発端から説明します……」
二○二十年代から始まったアルテミス計画による月面探査の際に、月の裏側でカメラに写った建造物らしき物を調査をしたそうだ。
すると、明らかに人工の構造物である数本の柱が見つかった。
これを「月の神殿遺跡」と呼んでいるそうだ。
実際には神殿ではないのだが、イエメンの月の神殿に似ているので、そう名付けられたらしい。
さらにその遺跡の近くからは地下に続く階段が発見されて、この大空洞が見つかった。
そして七年程前からこの基地の建設が始まったそうだ。
今いる基地の建物や地上までのエレベーターなどは、この数年で人類が建設したものだが、それ以外は見つかった当時のまま利用しているということだ。
つまり、上空にあった人工太陽のようなものや重力は始めから存在していたわけで、それがなぜあるのかについてはガイダンスの係員も詳しい理由は聞いていないらしい。
経緯の概要説明の次には、この基地で使う専用の携帯端末の説明や、その中に入っている地図の見方や施設の説明が続く。
携帯端末は、腕時計型の手首に着けるタイプだ。
「皆さんは基地内にいるときは、常にこの端末を着用しておいてください。食堂で食事をする場合にもこの携帯端末を使いますし、これは各自の部屋のキーにもなっています。いざという時に流す一斉連絡メッセージを受信する機能もありますので」
「自室内では外していいんですよね?」
誰かが聞いた。
「各自の部屋の中では外しても構いません。では、次に基地の建物の説明です。いくつかの棟に分かれていて、それらは通路でつながっていますが、建物の外に出て移動することも可能です」
「それは、この外に空気があるということですか」
他の誰かが聞いた。
「はい」
そこにいた全員がどよめく。
どうやって、あの広い空間を空気で満たしたのかという疑問だろう。
でもやっぱり、この外には空気があるのね?
「天井が崩れて、急に空気が無くなる可能性は?」
誰かが聞いた。
「科学者の見解によると、この重力がある状態では大丈夫だそうです。酸素は重力によって空洞内にとどまりますから。逆に言えば、もしこの重力がなくなったらすぐに建物内に避難してください」
「では、この重力が無くなる可能性は?」
「まったくわかりませんが、この基地の建設をはじめて以来、重力がなくなったことは一度もないそうです。この空洞の地下に何か重力を発生させる装置があるのだろうとは推測されていますが、まだ発見出来ていません。おそらく作ったのは異星人だと思われますが、そういう機構を探すのも今回のプロジェクトの目的の一つです」
「異星人だって!?」
「ええ。どう考えても、この空洞や重力を作ったのは人類では無いでしょうから」
私たちは携帯端末の使い方や基地での細々とした事項を説明されてから解散し、それぞれに割り振られた個室に向かった。
自分の部屋へは、配られた携帯端末に入っている地図アプリのナビケーションによって、迷うことなくたどり着いた。
居住区は一応男女別に別れているが、男性用の区域に女性が入ってはいけないとは言われなかった。
もちろん逆も同じだ。つまり、業務に支障がなければ恋愛も自由ということだろう。
部屋に着くと、ドアの横にあるパネルには私の名前が表示されていて、そこに先程配られた携帯端末を近づけると、ドアが横にスライドして開いた。
思ったより広いわね。八畳ぐらいあるかしら。それにシャワーとトイレもあるし。
先程の説明によると、水は九十パーセント以上が濾過(ろか)されて再利用されるそうなので、特に節水などは求められていない。
部屋の奥の壁には、開かないが小さな窓もあり、外の草原の景色を見ることができる。
部屋にはテレビもあり、説明では地球で放送されているいくつかのテレビ番組も、録画されたものが一週間遅れぐらいで見ることができるらしい。
ちなみに、テレビ番組のリクエストもできるそうだ。
へー。思ったよりいい部屋じゃない。
部屋には個人の荷物がすでに搬入さていたが、私は部屋をざっと見ただけで、すぐにそのままベッドに寝転がった。
二日間シャトルの椅子の上だったから、やっと手足が伸ばせるわ。
ふぁーあ。
でも、いったい、ここは何なのかしら。
本当に月なの?
私たち一般職がいたからか、全てのプロジェクトの内容は教えてくれなかったけど、ここで皆は何をやっているのかしら。
だって、この空洞を調べるだけなら軍人よりも科学者よね?
たくさんの軍人がいるようだけど、彼らは何をやってるの? 探検?
まあ、私は下っ端だし、すべてを教えてくれなくてもしょうがないか。
私は腕の携帯端末を見る。
今は夕方の四時ね。
仕事は明日からだし、夕食にはまだ時間があるから、ちょっと体を動かしてこようかな。
ガイダンスで説明されたところによると、自由時間は数か所の指定されている立ち入り禁止以外の施設なら自由に出入りできるそうだ。
自由に使える施設の中にはトレーニングジムや映画館、ゲームセンターやテニスコート、バスケットコートなどもあった。
私はまずはトレーニングウェアに着替えて、トレーニングジムに行った。
そこで三日ぶりに体を動かし、そのあとは食堂で夕食を取ることにする。
基地内には無料のセルフサービスの食堂と、有料だが高級なレストランもある。私はもちろん無料の食堂の方に行く。
タッチパネル式の画面から好きな物を選ぶと、すでに調理済みのものが冷凍保存されているらしく、それを機械が温めて出してくれる。
基地内で調理しているのか、調理済みのものを地球から運んでいるのかまではわからない。
メニューには和食もあったので、私はその中からとんかつ定食を選んだ。
冷凍技術が上がっているのか、日本の店で食べるのとそれほど遜色がない。美味しく頂いた。
翌朝。
私は起きると支給されたクリーム色の制服に腕を通し、食堂に行って朝食を取る。
その後、配属された部署に出勤した。
配属された部署は、補給部だ。
「今回配属された、アケミ・オオタです」
「ああ、よく来てくれました。クライブ・レイトンです。では、これからあなたの仕事の説明をしますので、こちらへ」
と、上司になる外国人男性。
三十代ぐらいの真面目で優しそうな白人男性だ。彼は軍人用の青色の制服を着ている。
階級章を見ると、中尉のようだ。
具体的な仕事は、聞いていた通り備品倉庫の受付だった。
仕事の概要やローテーションなどを上司が説明し、その後実際の受付のカウンターに案内される。
「仕事は、ここにいるスージーと一緒にやってもらうことになります。細かい内容は彼女から聞いてください。ではスージー、頼みましたよ」
そう言って上司は去っていった。
「ハーイ。スージーよ」
「ハーイ。私はアケミ」
スージーは、年齢は私と同じぐらいかな。
黒人女性でなかなかの美人だし、私と違ってグラマーだ。制服はもちろん私と同じでクリーム色。
「あなたが来てくれて助かったわ。これで、やっと週休二日になるわ」
「そんなに人が足りないの?」
「こういう部署の人員補充は後回しなのよ。じゃあ、具体的な仕事内容なんだけど……」
仕事の内容は、主に備品の出庫だ。
つまり、基地の誰かが備品の申請書が入ったメモリーカードを持ってくる。
私たちはその内容を確認し、自動倉庫に入っている物はコンピュータによって自動出庫され、出てきたものを確認して渡すだけだ。
ところが特殊な形状で自動倉庫に置けないものは、私たちが倉庫に行って取りだしてきて、それを渡すことになる。
備品倉庫には様々な物があった。
例えば、小さいものではネジ一本から、筆記用具やパソコンも。大きい物は机やキャビネットまで。
ちなみに、自動出庫できない大きい物や重い物は、電動のAIアシストの小型フォークリフトで運ぶので、女性一人でも問題ない。
午前中は一番出庫が多い時間らしく、私はスージーと二人で受付に入った。
早速、青い制服の欧米系男性がやってくる。
「おや? 新人さんだね?」
私に声を掛けてきた。
「今日からです」
「よろしく。今度夕飯でも一緒にどう?」
さすが外国人男性は早いわね。
「ええ。そのうち」
私は適当に返事をしておいた。
向こうだって、数撃ちゃ当たる程度に考えているはずだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます