第3話 出発
それから一週間。
私たちは、加速度に慣れる訓練や、飛行機に乗ったまま空から急降下する事による無重力の訓練に参加した。
また、宇宙服の着方やそれに付いている装置の扱い方、宇宙空間で事故があった時の為の知識などを叩き込まれた。
そしてどうやら、レクチャーを受けるうちに、今回の仕事場は月面の裏側にある基地らしいこともわかった。
色々詰め込まれて、私の頭はパンク寸前だわ。
事故があったときの訓練もしているけど、それって事故にあう可能性が高いってこと?
私が死んだら、弟と妹は露頭に迷ってしまうわ。
そういう場合、弟や妹が学校を卒業するまで楽に生活できるぐらいのお金は国が補償してくれるわよね?
予め守秘義務の契約をしているし、電話での会話やメールは検閲を受けることを知らされていているから、弟や妹には基地での住み込みの仕事で少なくとも半年は戻れない事だけしか伝えられなかったわ。
そして、いよいよ私達が宇宙に旅立つ日がやってきた。
今回、日本から一緒に行くのは五人で、私と雄一以外は自衛隊の制服を着ている。
彼らとは一週間一緒に同じ施設で訓練を受けてきたので、多少話す機会もあったので聞いたところ、自衛隊員たちはどうやら交代要員らしい。
すでに月面基地では百人近くの日本人が働いているらしく、定期的に要員を入れ替えていると言っていた。
私たちはまず横田基地に行って、そこからアメリカ軍のジェット機でアメリカ本土に向かった。
途中でハワイの基地で給油をして、約十時間後にはシャトルの発射基地に到着した。
シャトルの発射基地はロッキー山脈のふもとにあるそうで、このプロジェクトのために新たに建設されたらしい。
基地に到着して飛行機から降りると、近くに見える四千メートル級の山の斜面には、まっすぐに伸びるリニヤモーターのレールが作られていた。
そして、その始点には昔のスペースシャトルを横に大きくしたような形の宇宙船がある。
「俺達は、あれに乗るみたいだな」
ジェット機のタラップを降りながら、雄一が私に言ってきた。
「本当に月に行くんだわ」
「なんか緊張してきたぜ」
私達はそれを横目に見ながら発射基地内の待合室に案内されて入ると、そこにはすでに二十人ほどの外国人が思い思いに椅子に座って過ごしていた。
私と雄一は軍人でない者同士、二人で後ろの方の空いている椅子に向かう。
「軍人でないのは、私たちを含めて私服を着ている四人かしらね」
「そうだろうな。おっ。あの軍服はたしかイギリス空軍の軍服だ。あとはドイツ、フランス……オーストラリアもいるな」
「国際プロジェクトだとは聞いていたけど、けっこう色々な国が参加しているのね?」
「アメリカだけでは巨額の費用が出せなくて、他の国も誘ったんだろうな」
「アメリカに来るのにパスポートもいらなかったけど、いいのかしら」
私は椅子に座りながら雄一に言った。
「基地から外に出ないなら、別にいいんじゃないか?」
「ああ、そういうことね」
しばらくすると、係の人が待合室に入ってくる。
「では皆さん、これから更衣室にご案内します。更衣室には皆さんのサイズに合わせた簡易宇宙服がありますので、それに着替えてください。着替えた服は袋に入れて出口の箱に入れておいていただければ、月に到着後に予め預けてある荷物とともにお返しします」
私たちは男女別に更衣室に向かい、用意されていた簡易宇宙服に着替える。
私たちが宇宙で外に出て船外作業などをする予定はないので、いざというときにヘルメットをかぶれば呼吸だけはできるようにする簡易的な宇宙服ということだ。
有害な宇宙線や放射線、そして太陽の熱などはシャトルの外壁によって遮断されているので、不慮の事故さえなければシャトルの中では普段着でも大丈夫なぐらいらしい。
だからか、簡易宇宙服はダイビングスーツを少し厚手にしたような感じだった。
この簡易宇宙服の着用の仕方は日本にいるときに何度も練習させられたから、私も問題なく着替えることが出来た。
そして、ここに来るまで着ていた服は、言われた通り簡易宇宙服といっしょに置いてあった名前入りの袋に入れて、出口の箱に入れておいた。
私たちは更衣室を出るとそのまま搭乗口に向かう。
一般の空港みたいに、通路を歩けばそのままシャトルに乗り込めた。
シャトルは貨物用と乗客用があるらしいが、もちろん今回私たちが乗るのは乗客用だ。客室に入ると、ジャンボ旅客機のファーストクラスにあるような一人掛けのゆったりした座席が三十ぐらいあった。
この一週間で色々と詰め込まれた知識によると、アポロの時代は地球から月までは三日かかったようだけど、燃料に余裕ができた分スピードを上げられ、今回の行程では二日で着くらしい。
しかし、さすがに個室はないので、この椅子の上で月に着くまでの約二日間を過ごさなければならない。
そのために、座席と座席の間隔は広めに取られていて、座席を倒せば体を伸ばして寝ることができる。
なんとか、リラックスして宇宙旅行ができそうだった。
座席は自由なのよね? じゃあ、やはり窓際にしよっと。
私が中程の窓際の座席に座ると、雄一もひとつ前の窓際の席に座った。
彼も初めての宇宙なので、外の景色を見てみたいのだと思う。
すると、私の隣の席に銀色っぽい髪の白人女性が座ってきた。年齢は私より少し上のようだ。
しかし、ここではみな簡易宇宙服に着替えているので、軍人か民間人かは区別できない。
でも、先程待合室で彼女は私服を着ていた気がする。それもピンク色のスーツ姿で、結構短いスカートだった。
「ハーイ。私はローザ」
彼女から声を掛けてきた。
「私はアケミよ」
もちろん、英語だ。
「よろしくね。あなたは、軍人ではなさそうね?」
「ええ。民間人よ。基地での受付の仕事で採用されたの」
「そうなのね? 私は、考古学者よ」
「考古学者なの?」
「そうよ」
あまり、学者っいう雰囲気じゃないけど。
まあ、こういう人もいるのかな。
ローザは若くて、私と違ってグラマーだし色気もある。私が思っている学者のイメージとは全然違っていた。
私が抱く考古学者のイメージは、時折テレビ番組で遺跡の解説をしているヒゲを生やした男性の学者からきているので、こういう人もいるのかなと思ったわけだ。
「あまり詳しいことは守秘義務があるから言えないけど、私の考古学の知識が必要な事があるらしいわね」
ローザがそう言ったのは、おそらく他のメンバーから、考古学者が宇宙で何をするのか、という質問を何回も投げかけられたからに違いない。
それで、こういう返答になったのだと思う。
「そうなの?」
そう言われてみれば、考古学者が月で何をするんだろう。
「お互い、宇宙は初めてよね?」
「ええ」
「民間人同士、助け合いましょ?」
「そうね。これからよろしく」
私達は席に座ったまま手を伸ばして、握手をする。
やがてシャトルの扉が閉められ、スピーカーからアナウンスが流れる。
「機長のヘインズです。予定時刻通りの発進となります。ヘルメットの着用を再度確認し、席に掛けてベルトをしっかり締めてください」
しかし、旅客機のようにキャビン・アテンダントがいるわけではない。
そこにいた皆は、予め訓練してきた手順でヘルメットの密閉を確認し、シートベルトをしっかりと締めた。
いよいよだわ。
念のためクルーが私たちのヘルメットの着用やシートベルトの締め方を確認に来る。
それで問題がないのを確認すると、その十分後に秒読みが始まった。
「発進一分前……十、九、八……」
秒読みがスピーカーから流れ、ゼロになるとシャトルが加速を始める。
私は習ったとおりに首を痛めない様に頭をヘッドレストに預けたまま、目だけで窓の外の景色を追った。
最初の加速はジェット旅客機よりも少し速いぐらいだ。
リニヤシステムの特徴なのだろう、滑走路の上を車輪で走っているような振動はまったくない。
事前に詰め込まれた知識によると、シャトルを載せた車台はロケットエンジンを搭載しているようで、途中からそのロケットを噴射したのだろう、強烈に加速して山の斜面を登っていく。
山の中腹ぐらいにくると、ここでシャトルは自らのロケットも最大出力で噴射して、さらに加速する。
そして、ここから先はスピードが出すぎていて、もう発射を中断することが出来ないらしい。
やがて山の頂上付近に達すると、シャトルはレールを離れ、成層圏に向けてさらに上昇していった。
そして、宇宙空間に飛び出る。
この時のスピードは最終的には時速四万キロ以上になるそうだ。
今の時間、月は地球の反対側にあるので、裏側に出るまでこのまま地球の周りを半周するのだと思われる。
大気圏を脱出すると加速が緩やかになり、さらに船体の傾きが変わったようで、窓からは地球がよく見えていた。
時折テレビ番組で、国際宇宙ステーションなどからの映像を目にしたことがあるが、今私が見ているのはまさにその青い地球の姿だ。
「わっ、どうしょう。すごくきれい」
私は初めて見る宇宙からの地球の景色に感動していた。
他の乗客二十四人も、ほとんどが今回が初めての宇宙なのか、大部分の人が窓の外の景色に夢中になっている。
その景色も、シャトルの姿勢が変わると横の窓からは見えなくなった。
そういえば、しばらくシャトルは地球に対して背中を向ける形になるとか言ってたわね。
このシャトルは民間人を乗せることを想定しているのか、各座席にはモニターが付いている。
各自があらかじめ用意してきたメモリのデータから、本を読んだり動画や音楽を楽しむこともできるらしい。
今はそのモニターに、カメラがとらえた地球の姿が映し出されていた。
私たちを乗せたシャトルは、これから二日間を掛けて月に向かうのだ。
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