第2話 新しい仕事

 私は車の後部座席から、窓の外の景色をぼーっと眺めていた。

 派遣会社から紹介された新しい仕事に就くために、送迎の車に乗せられてどこかへ向かっているところだ。

 

 今日の私の服装はグレーのパンツスーツを着ている。

 私としてはジーンズとかが好きなんだけど、初日からラフな格好はまずいと派遣会社の担当者からも言われているので、しょうがなく着ていた。

 

 あっそうだった。着くまでに名札を付けておくようにと言われてたっけ。 

  

 私は先程車に乗る前に渡された名札をポケットから取り出した。

 名刺大の大きさで、顔写真と名前、年齢が書いてある。


 太田明美、18才。

 

 高校を卒業して、かれこれ……。あっ。もうすぐ十九才になるんだわ。


 でもこの写真は、まあまあよく撮れているかな。

 ちょっと赤みがかった髪はそれほど目立ってないし。

 昔から染めたことはないのに、染めたんだろって言われて嫌だったのよね。

 

 写真を撮る時に、本当は右斜めから撮って欲しかったんだけど。まあ、無理よね。

 顔もなかなか可愛く撮れているし、まあいっか。

 これでもう少し出るべき所が出ていれば、グラビアアイドルぐらいになれたかな?

 なーんちゃって。

 想像するだけなら自由よね?

  

 それにしてもこの数ヶ月、色々あったな。

 派遣会社から紹介された仕事を首になったのは二回。

 三度目の正直という言葉があるけれど、今回は長く務められるといいな。

 

 でも、部署名のところに書いてある「Lプロジェクト」って何?

 まあいっか。


 私はその名札を左胸のポケットに、付属のクリップで留めた。


 

 実は先週、前の仕事を首になって、派遣会社から次の仕事として紹介されたのが基地関係の仕事だった。

 あまり詳しいことは聞いていないけど、受付業務らしい。

 

 前の仕事をなんで首になったかというと。

 実はレストランで給仕の仕事をしていたら、同僚の女性が泣いて裏に戻ってきた。

 聞いたら、お客さんが彼女のお尻を触ったって言うじゃない。

 店長を見ると知らん顔するから、私はカッとなってそのお客さんを殴ってしまったというわけ。

 ちょっと頭を揺する様に殴ったら、のびちゃって。

 私も口より先に手が出たのは悪いかも知れないけど、店長が先にあいつに注意してくれればよかったのよ。

 相手も痴漢した手前、そして女の子にやられたというのが恥ずかしかったらしくて、それ以上の大きな問題にはならなかったんだけど、私は首にされたというわけ。

 

 まあそれで、派遣会社の担当の女性は呆(あき)れていたけど、同じ女性としてちょっとは同情もしてくれたみたい。

 本来なら暴力沙汰を起こしたら次の仕事の紹介なんて望めないかと思ったけど、私に向いてそうな職場ということで今度は基地関係を紹介してくれた。

 一応日常英会話ができて体力に自信があるという募集条件にも当てはまっていたらしいけど、鍛えた自衛隊員や米軍の軍人相手なら、私が多少暴力沙汰を起こしても問題にならないだろう、なんて彼女が考えていたフシがある。

 

 私をなんだと思っているのよ。理由もないのに、そんなにちょくちょく人を殴るわけ無いでしょ。

  

 そうは思ったけど、弟と妹を養っている都合上反論はせずに、担当の女性と一緒に先方に面接を受けに行ったら翌日には採用の連絡が来た。

 派遣会社の担当の女性も、今は人手不足だから大丈夫だと思った、と言っていたけど、なんか引っかかるわね。

 

 問題は基地内の寮に住み込みで、ちょくちょく家には帰れないということ。

 でも、お金は送金すればいいし、弟や妹は私よりしっかりしていいて家事も得意なので、二人だけにしても大丈夫だと思う。

 もう一つの問題は、私は働きながら通信制の大学に通っているってこと。もしかしたら休学しないといけないかもしれないわね。

 


 そんなわけで、都心の防衛省の事務所から車に乗せられて、かれこれ四十分ぐらい経ったかな。

 やっと目的地に着いたみたい。

 

 門には航空自衛隊府中基地って書いてあった?

 もしかしたら離島の基地での仕事かと覚悟していたけど、仕事場は都内なのかしら。


 実は私の隣にはもう一人の若い男性がいるのだけど、彼は車が走り出すとずっと寝ていたので話す機会がなかった。

 私と同じ様にスーツ姿だから、今回同じように採用されたのかもしれない。

 歳は私より二、三才上に見えるので、だいたい二十一才ぐらいだと思う。

 容姿はまあいい方かな。体はがっしりしていそうだから、鍛えているのかも知れないわね。

 

 私は彼を起してあげる。 

「あのー。着いたみたいですよ」


「ん? ああ、わりい。すっかり寝ちまった」 


 車が止まったので私が先に降りると、その男性は私が名札をしているの見て思い出したらしく、送迎の車から降りながら名札を付けていた。

 私達が車を降りると、すぐ隣の建物から出てきた女性自衛官が出迎えてくれる。

 彼女は四角いメガネを掛けていて、ちょっと厳しそうな印象だ。

 

「梶原雄一さんと、大田明美さんですね?」

女性自衛官が手に持った書類を確認しながら聞いてきた。


「はい」「そうです」


「では、こちらにどうぞ……」

その女性自衛官が私達を建物の中へ案内してくれる。

「……この施設は、今回のプロジェクトのために新設された施設になります」

歩きながら私たちに説明してきた。 


 プロジェクト?

 そういえば名札に「Lプロジェクト」って書いてあるのは、そのことかしら。

 でも、何のプロジェクトだろう。

 

 施設内に入ると、大きなガラス窓の向こうに長いアームの先にカプセルがついたような巨大な機械があった。

 

「あのー、これはなんですか?」

私が女性自衛官に聞いた。


「これは、宇宙飛行士訓練用の遠心シュミレーターです」 

「はあ」


 よくわからないけど、この施設で受付業務でもするのかな?

 

「貴方がたにはこのあと、このマシンで訓練を受けてもらいます」

と、女性自衛官。 

 

「え?」「何の?」


 私もそうだけど、一緒に来た男性も理解できなかったみたい。


「聞いていないんですか?」

女性自衛官が聞いてきた。


「何も聞いてませんけど」


 私がそう答えると、隣の彼もうなずいてくる。


「俺も聞いてない」


 その女性自衛官は、ため息をついた。

「はぁ。人が集まらないからって、説明もろくにしていないの?」

そう独り言を言った後、私たちに聞いてくる。

「契約後、別紙にサインして頂いたと思いますが、その紙に書いてあったはずです。読みませんでしたか?」


「えっと、契約書の守秘義務の条項のところだけは、やたらに念を押されました」

「俺もだ」

と、私と彼。


「わかりました。それでは説明させていただきます。貴方がたは、一週間後に新型スペースシャトルで月に行ってもらいます」

女性自衛官が言った。


「「月!?」」


 私と彼は顔を見合わせた。


 その女性は持っていた資料に目を通す。

「太田明美さんは月基地での補給部の受付業務。梶原雄一さんは警察からの出向ですので……おそらくそういう仕事でしょう。それで、大気圏を抜ける際の加速度にある程度慣れていただく必要があるのです」


「ち、ちょっと待ってください。基地での受付業務って話だったけど、月の基地ってことですか?」

私が聞いた。


「はい」

「でも、なんで一般人の私が?」

「ここでは、あまり詳しく話せませんが、このプロジェクトには自衛隊員や各国の軍人が千人近く参加しています。しかし、それでも人手が足りないので、すでに一般の方からも数十人が採用されています」


 え? 宇宙で千人?

 そんな大規模な施設が月にあるの?

 まるで、SF映画じゃない。

  

 その女性自衛官が続ける。

「まぁそれで話は戻りますが、貴方がたが乗るシャトルはリニア射出システムを採用していますので、昔のスペースシャトルに比べれば加速度はそんなに高くありません。パイロットではないので最悪気絶しても構いませんが、舌をかんだり首を痛めないように少しは加速度に慣れておく必要があるから、ここで練習をするわけです」


 何を言っているのか、よくわからないんだけど。

 でも加速度ってあれか。ジェットコースターが発進するときに、座席に押し付けられるような感じの。


「つまり、垂直にロケットを打ち上げるのではなく、高い山の斜面にリニヤモーターのレールのようなものを作り、それで途中までシャトルを加速させて宇宙空間に送り出すわけだ」

と、彼。


「その通りです」


「あなた、詳しいのね?」

私が彼に聞いた。


「そういう事に興味はあるからな」


 女性自衛官がうなずいて、説明を続ける。

「例えば昔のロケットは五十メートルほどの大きさがありましたが、そのほとんどが打ち上げの燃料で占められていました。しかし、リニヤ射出システムで高度数千メートルまで燃料を使わずに送ってあげれば、搭載する燃料を少なくできる分、一回の打ち上げで運搬できる荷物や人数を格段に増やすことができるわけです。今回のシャトルにも、貴方がた以外にも各国から集められた数十人が同乗するはずです」


 でも、求人条件にあった体力と健康うんぬんと言っていたのは、それでなの?


「はぁ。わかりました。どこでもいいです」

「俺も一人身だしな。月でも構わないぜ」

私と彼が言った。


「それでは、スケジュールが押していますので、さっそく着替えて訓練に入りましょう」



 私と梶原雄一と呼ばれた男性は、それぞれ更衣室でトレーニングウェアに着替えて待合室にやってきた。

 遠心シュミレーターで訓練する人は他にもいるらしく、私たち以外にも二人ほどが順番を待っている。

 二人は鍛えていそうな体格で、もしかしたら先程説明にあったように自衛隊員かもしれない。

 

 順番待ちの間に、私と梶原雄一はお互いに自己紹介をすることにした。


「では改めて。俺は梶原雄一。雄一って呼んでくれ。さっきの女性が言っていた通り、警察から出向という形で来た」

「私は太田明美。派遣会社で次の仕事って紹介されて来たの。私も明美でいいわ」


 私たちは握手をした。


「でも、なんだな。月に大規模な基地があるなんて驚きだぜ」

「ニュースでは何も言ってなかったわよね?」

「ああ」


「私はただの一般人なのに、体力がありそうだからって勧められたんだけど、あなたは警察官だから?」

「俺は、独り者で剣道ができる奴ってことで声が掛かってな」

「剣道!? 私も昔やっていたわ!」

「そうなのか?」

「中学・高校でやっていたんだけどね。でも、月なのに、なんで剣道なの?」

「さあな。でも、拳銃の扱いよりも剣道でってことは、銃が使えないような狭い場所での警備の仕事かもな」

「もしかしたら、拳銃だと壁に穴が開いちゃうからとか? そこから空気が漏れて。よくSF映画でそういうシーンがあるじゃない」

「ああ、なるほど。そうかもな」


「でも、私たち本当に宇宙に行くのね」


 民間人が宇宙に行くには何億円もかかるらしいから、それがタダで行けるなら、得しちゃったとか?

 ちょっと楽しみになってきたかも。

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