第四話 発火トリック

__クローナ大陸横断鉄道ワイアケイシア急行車内__555年9月3日



 出火場所は前側の貸し切り車両だった。見張りをしていたのはオラフだが、最初に異変に気づいたのはベリック。午後二時に交代して仮眠部屋にいたベリックは、何かが燃えるような臭いがして窓を開けた。顔を突き出し左右を確認すると隣のトイレの小窓から煙が出ていたそうだ。すぐに部屋を出て車掌に伝えるようオラフに指示し、自らは通路に設置された消火器を掴んでトイレの扉を開けた。


「窓から出ていた煙は大した勢いではなかったので、早めに対処すれば鎮火できると思いました。ですが、炎が天井まで届いていて、急いで消火剤を噴きかけましたが消えませんでした。激しく燃えていたのは鏡の脇にあるランプ周辺と、使用済みのタオルを入れる籠のあたりです。乗務員の方が集まってきて、消火器を四本使ってようやく鎮火しました。列車が停まっていることに気づいたのは消火を終えたあとのことです。

 ……火元ですか?

 わたしは専門家ではないのでわかりませんが、普通に考えればランプではないでしょうか。

 トイレを最後に使ったのはたぶんわたしです。休憩に入ってすぐの午後二時頃。特に変わった様子はなかったと思います。それ以外だと清掃員が昼前に入りましたが、ほんの三分ほどで出てきました。備品の補充だと言っていました」


 扉の前で姿勢を正し、問われるまま答えるベリックは終始伏し目がちだった。聴取はタルコット侯爵の部屋で行われ、同席しているのはベリックを除いて四人。わたしとアカツキは窓際のテーブルに、タルコット侯爵は通路側のソファーに、車掌のトマス・ロッキンガムが扉のそばの壁際に立っている。


 現在、ワイアケイシア急行は火災現場の次の駅に停車し、火災のあった車両の切り離し作業と、他車両の保安点検が行われていた。ドビ平野の真っただ中にある小さな町の駅は豪華列車が停車するような駅ではなく、貨物列車に荷を積む農夫たちが物珍しそうにこちらを眺めている。


 ロッキンガムがベリックの話を書き留める間わたしは窓外に目をやっていたが、「ベリック」とタルコット侯爵の声がして再び室内に視線を戻した。侯爵はいつも通り顔の下半分を布で隠している。


「先に聞き取りをしたオラフも君と同じようにかすかに煙の臭いがしたと言っていたよ。蒸気機関車の煤煙とは違って生臭く、畑のどこかで何か燃やしているのだと思ったと。君も煙が生臭いと感じたか?」


「……すいません。あまりよく覚えていません」


「そうか。まあ、そんな細かいことまで思い出せというのは無理な話だろう」


 侯爵はそう言ったが、ベリックは申し訳なさそうにうつむいた。


 侯爵が匂いについて確認したのは、オラフの証言を聞いたアカツキからアマニ油による自然発火ではないかという話が出たからだ。専門家でもないアカツキがなぜそんなことを知っているかと言うと――、


『わたしの友人に降霊会に頻繁に通っているオカルト好きな男がいるのですが、その男の話によると、降霊の儀式の途中に、何もしていないのに布が燃え上がったことがあるそうです。しかし、それは霊の仕業でも何でもなく、アマニ油を使ったトリックだろうと言っていました。

 アマニ油は油絵にも使われる油ですが、布に染み込ませて放置しておくと自然発火することがあるのです。と言っても発火にかなり時間がかかるらしく、霊媒師はアイロンなどで布を温めたり、暖炉で室温を上げたりして発火までの時間を短縮していたのではないかというのが彼の考えでした。

 ここのトイレにはランプがありますから布を温めようと思えばできますし、あらかじめ温めたものを持って来てもいい。それに暖炉がなくても今の季節はまだまだ暑いです。アマニ油を染み込ませた布を使用済みのタオルを入れる籠に投げ込んでおいても、特に怪しまれることはないでしょう。

 わたしが今回の火災がアマニ油によるものと考えたのはオラフの言っていた匂い。アマニ油が燃えるとき生臭い匂いがするそうです』


 煙の匂いについて言及したのはオラフだけだが、それも仕方のないことだった。乗務員が現場にたどりついた時にはランプの灯油にも火がつき、消火剤を噴射した後なのだから。


「では、ベリック。清掃員の名前は覚えているか?」


「はい。ケイシー・セイビンです。小柄で茶色の髪をした、十六、七歳くらいの少年でした」


 タルコット侯爵の質問に、ベリックは名誉挽回とばかりに歯切れよく答えた。が、そんな彼とは裏腹にロッキンガムの顔がサッと青ざめる。


「十六、七? ケイシー・セイビンはたしかに小柄ですが、もう三十になるずんぐりした体型の男です。それに、彼は清掃員ではなく機関助士。炭水車とその後ろにある乗務員車両しか行き来しません。今も煤だらけで働いているはずですが――、どうやら乗務員に紛れ込んだ不審者がいたようです。申し訳ありません。他にもいないかすぐに確認いたします」


 ロッキンガムは深々と頭を下げたが、タルコット侯爵に車掌を責めるつもりはないようだ。


「騒ぎはすでに起きてしまったので、犯人は乗客に紛れていると考えたほうがいいでしょう。ですが、事を大きくするつもりはないので乗客の確認は不要です。小柄で華奢な男を見かけたら教えてもらえれば、それで」


「承知しました」と答えたロッキンガムは、躊躇いがちにこう続けた。


「……侯爵様は不審な追跡者から逃れるためトゥカ駅で下車したいとおっしゃいました。ケイシー・セイビンを名乗り火事を起こした男がその不審者なのでしょうか?」


「おそらく」


 タルコット侯爵はチラとこちらをうかがい、わたしたちはそれに応じてうなずいた。小柄で華奢で、清掃員を装って貸し切り車両に侵入したとなればロブ以外に考えられない。


「この列車で不審者を目撃したのは彼女です。清掃員とは違い、金髪に鼻髭を生やしロアナ風の格好をしていたそうですが、小柄なのは一緒。カツラと付け髭は変えているでしょうね」


「侯爵様、やはり警察には――」


 タルコット侯爵は「通報しないでください」とロッキンガムの言葉を遮った。


「最初に打ち合わせた通り、本社には乗客の不注意による火災だと報告してください。ヒーコバーラ民国の警察に極秘任務について説明するわけにはいきませんし、なるべく早く出発しなければなりません。トゥカ駅での下車もお願いした通りに進めてください」


 ロッキンガムは覚悟を決めたのか「わかりました」と力強くうなずいたが、納得がいっていない様子なのはわたしの向かいに座るアカツキだ。コツコツと指先でテーブルを叩き、ずっと何か考えている。


「何か気になるの?」


 問いかけると、アカツキは泳がせていた視線をピタリとわたしの顔の上で止めた。

 

「向こうの狙いが何なのか、だ。聖女をさらうのが目的なら騒ぎに乗じてこっちの車両を狙うはず。でも、何もなかった」


「たしかにそうね」


 あの時、わたしはイヴォンと二人で部屋にいた。激しいノックの音がし、驚く暇もなく「火事です」とマルクの叫び声が聞こえたのだ。通路に出るとアカツキとオトの姿があり、マルクは侯爵の部屋の扉を叩いている。その音が聞こえたのか、通路の奥でオールソン卿とライナスが顔を出し、ひとまず全員が侯爵の部屋に集まった。


 マルクへの聴取によると、あのとき彼は車両の巡回で侯爵の部屋の前を離れてアカツキの部屋の前あたりを歩いていたそうだ。すると車両扉の窓ガラス越しにベリックが部屋から飛び出してくるのが見えた。その直後オラフが一般車両に駆けていき、ベリックが消化器を掴んだのを見て火事だと判断したらしい。マルクは消火より避難を優先して各部屋に声をかけ、その後スタッフ車両にいた乗務員に事の次第を伝え、乗務員が現場に向かったあとはスタッフ車両に残った人がいないか確認してこの車両に戻ったのだ。


「あのときはマルクの判断が早く、全員がすぐここに集まりました。鎮火も早かったですし、それで襲撃を諦めたのでは?」


 タルコット侯爵はそう言ったが、アカツキは「そうでしょうか」と首を振る。


「もしアマニ油を使ったのなら、犯人は正確な出火時刻を予想できなかったはずです。もしかしたら発火しなかった可能性もあります。そんな不確実なやり方で襲撃を計画するでしょうか?

 もちろん、アマニ油ではなく時限発火装置で火をつけた可能性もあります。しかし、あんな見晴らしの良い小麦畑のど真ん中で騒ぎを起こしては隠れる場所がありません。馬車も用意してあるようには見えなかった。つまり、逃げるつもりがなかったということですが、それならこの車両を乗っ取るつもりだったのでしょうか?

 その可能性は低いと考えます。

 イヴォンをさらうにしろ車両を乗っ取るにしろ、事前にこの車両か後ろのスタッフ車両に身を潜めておく必要があります。しかし、この車両にはわたしたち以外誰もいなかった。スタッフ車両にいたのは現場に向かった三人だけで、最後尾にあるデッキへの扉は鍵がかかっていた。そうですよね、ロッキンガムさん」


 ロッキンガムは「あ、ええ」とぎこちなくうなずく。


「鍵はわたしが持っていて、あの時は閉まっている状態でした。現場に向かった三人についてですが、ベテランの乗務員で身元もはっきりしています」


「彼らを疑っているわけではありません。わたしが言いたいのは、あの火事の狙いはイヴォンの連れ去りでも車両の乗っ取りでもなかったということです」


 腕組みをし、身動ぎせずアカツキの声に耳を傾けていたタルコット侯爵が、「警告か?」とつぶやいた。


「ああ、いや、何でもありません」


 うっかり口をついて出たらしく侯爵はすぐ誤魔化したが、『警告』が『神殿からの警告』という意味だということは確認するまでもない。ただ、それをワイアケイシア社所属のトマス・ロッキンガムに知られるわけにはいかなかったのだ。イヴォンの護送はラァラ神殿に命じられた極秘任務――ということになっているからこそロッキンガムはこちらの無理な要求に応えてくれている。幸い、ロッキンガムは立場を弁えた優秀な車掌で、余計な詮索をしてくることはなかった。


 護衛への聴取が終わるとわたしとアカツキだけが部屋に残り、侯爵と三人で改めて議論を交わした。そうして出した結論は、今回の火災の狙いが警告と足止めではないかということ。


 現在、フォルブスはオールソン卿とライナスからの連絡が途絶えた状態にある。従ってフォルブスの情報源はロブ。レナードとパヴラが密かに同行していることだけでなく、オールソン卿とクリフが軟禁状態にあることもきっと伝わっているだろう。だが、こちらの目的地と本当の狙いまで把握されている可能性は低い。


「タルコット侯爵様がイヴォンを盾に領地に立てこもる可能性を考えて、領地邸宅を押さえるまでの時間稼ぎとして火災を起こしたのかもしれませんね。警告の意味も込めて」


 わたしが言うと、タルコット侯爵は低く唸る。


「……であれば、あの場所で騒ぎを起こしたのも理解できます。ナスル王国に入ってからだと、火災規模によってはトゥカ衛兵隊に聖女が渡ってしまう可能性がある。かといってナスルを抜けてロアナ王国に入ればそこは我がタルコット侯爵領。となると、ナスルに入る前のヒーコバーラ民国で仕掛けるしかなかったのでしょう」


「侯爵殿、タルコット領はどうされるおつもりです? 聖地を素通りしてタルコット領で待ち受けている者にイヴォンを引き渡すという選択肢もありますが、わたしはそれには協力できない」


 アカツキは断固とした口調で言い、タルコット侯爵も迷いなく「わかっています」と答えた。布で覆われているせいで表情はわかりにくいが、その眼差しは揺らがない。


「では予定通りということでよろしいですか?」


「もちろんです。わたしはほとんど国外で過ごしているせいもあり、妻との間になかなか子どもができなかったのですが、ようやく生まれた息子はまだ四歳です。あの子にわたしや父と同じ人生を歩ませるわけにはいきません。わたしがすべきことは一秒でも早く大聖会を味方につけ、神殿と対等に交渉を進めること。もう、後には退けません」


 言い切ったあと、タルコット侯爵はふと目元に笑みを浮かべた。


「ラァラ神殿が完成したのはクローナ暦四〇五年九月一日、一昨日がちょうど百五十周年でした。百五十年で神殿はロアナを支配したように見えるかもしれませんが、ロアナ王族がラァラ神殿を公式訪問したことは一度もありませんし、王家は変わらずジチ正派です。資金力だけで王権を脅かす神殿を長年苦々しく思っていたのは間違いありません。わたしがしようとしていることは、王家にとっても悪い話ではないはずです」


「しかし、侯爵殿。ロアナ王家がジチ正派なのは、他国聖会との軋轢を避けるために神殿が意図的にそうしているのだと聞いたことがありますが」


「そういう噂があることは承知していますが、実際のところは王家と神殿中枢にいるフォルブスしかわからないことです。ただ、わたしがそうであるように、王族の方々も神殿に対して思うところがおありになるだろうと推察するのです。いえ、推察ではなく、これはわたしの願いなのかもしれません」

 


 その後、ワイアケイシア急行は約六時間遅れでナスル王国へ向けて出発した。ロッキンガムの報告によると、偽清掃員と背格好の似た乗客が四人ほどいたそうだ。四人のうち三人は親に連れられた少年、一人は身元のはっきりしたナスル貴族で、怪しいところは見られないと言う。全員を確認できたわけではないようだから、ロブは今もこの寝台特急のどこかで乗客の一人として過ごしているのだろう。


 火災のあった車両が切り離されると隣が一般車両という状態になり、仮眠場所がなくなった護衛三人はトゥカ駅まで通路で過ごすことになった。念の為、わたしたちは一般車両に行くのを控え、レナードとパブラには手紙を書いてマルクに届けてもらったが、その内容はトゥカ駅での下車を予定通り進めることと、ロブを探すなという念押し。敵の警戒心を煽って何か仕掛けてこられては計画が狂ってしまうからだ。火事がなければ明日の午前中にトゥカ駅に到着する予定だったが、このまま行けばおそらく夕方。それまでは大人しくしていたほうがいい。


 国境を越えてナスル王国に入ったのは深夜だった。列車はまだドビ平野を通過中で、カーテンを開けて煌めくのは地上の明かりではなく畏怖を覚えるほどの満点の星。


 ふと、この体に憑依した夜に小舟から見上げたイス皇国の星空が頭に思い浮かび、わたしは鞄から双頭の天馬のバックルを取り出した。そして、無事にこの旅を終えられるようディドル大陸の神に祈ったのだった。

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