第四話 ロブに似た男 

__クローナ大陸横断鉄道ワイアケイシア急行車内__555年9月2日



 移動初日は大事をとって貸し切り車両の外には出なかったが、最後尾のスタッフ車両と一般車両を行き来する乗務員の姿は何度か見かけた。通路やトイレの清掃、食事を運んでくるのは彼らの仕事だ。


 レナードとパヴラに接触できたのは二日目、九月二日の昼過ぎのこと。列車は中央クローナと西クローナの境目にあるヒーコバーラ民国を走行中だった。商都サナィルの中心部にあるリタ駅を出発し、乗降客が落ち着いた頃に寝台車両をいくつも突っ切って食堂車にたどり着くと、レナードとパヴラはすでに食事中だった。


 パヴラは普段より濃い化粧にヨスニルの中流貴族らしいドレス。一方、レナードは連れに合わせたのか黒いカツラに鼻髭までつけ、一見してウィルビー公爵令息だとはわからない。それでも美麗な顔立ちは隠しきれず、周りの御婦人たちがチラチラと彼に目をやっている。


 わたしとアカツキが横を通り過ぎようとしたとき、テーブルの端に置かれた万年筆が転がり落ちた。


「ああ、すいません」


「いえ。素敵なペンですね。どこの工房のものですか?」


 アカツキとレナードの茶番劇が始まり、わたしとパヴラも他人のフリをして笑みを交わす。そうして周囲を騙し、たまたま意気投合して同席した四人を装うことに成功した。近くのテーブル客が引いたのを見計らって状況を報告し合ったが、今のところ旅路は順調だ。


「そう言えば、リタ駅で買った新聞なんだけど、ここ」


 レナードは背の後ろに挟んでいた新聞をテーブルの真ん中に置き、数行の小さな記事を指差した。ザッカルング共和国で発行された経済紙らしく専門用語ばかり並ぶ中に、『ヨスニル共和国のエイツ男爵イモゥトゥにためセラフィア基金設立』の文字がある。


「セラフィア基金の件をエイツ男爵が公表したようだ。発足はまだ少し先みたいだけどね」


「セラフィア基金って?」


 事情を知らないパヴラは身を乗り出して記事に目を走らせ、読み終えるとなんとも言えない表情でわたしを見た。


「不思議なものね。エイツ家はもともとイモゥトゥとは何の関係もない中央クローナ貴族なのに」


「そうね。パヴラの言う通り、父がイモゥトゥのために基金を設立するなんて想像もしなかったわ」


「ユフィと直接話して色々思うところがあったのかもしれないね」


 アカツキの言葉にハッとした。この姿でエイツ男爵家に行かなかったら、父はユーフェミアがイモゥトゥだと確信したかどうかわからない。生きているのか死んでいるのかも知らなかったのだ。


「新聞はあげるよ。新聞くらいで侯爵に怪しまれることはないだろう?」


「ああ」


「じゃあ、パヴラ。ぼくらはラウンジカーに行ってみようか」


「そうね」


 パヴラは気安く返してレナードの腕に手を回し、去り際にわたしを振り返ると小さく肩を竦めた。茶番はうんざりと言いたげだったが、今のところ二人は上手くやっているようだ。


 わたしとアカツキはイヴォンとオトのため乗務員にデニッシュを注文し、できあがるのをテーブルで待った。その間にもラウンジカーには頻繁に人が出入りし、時折走行音に紛れて楽器演奏が聞こえてくる。


「お待たせしました」


 乗務員が布を掛けた籐籠を持ってくると、デニッシュの甘い香りが漂った。食事を終えたばかりにも関わらず食欲が湧いてくるのはイモゥトゥだからだ。


「ユフィも一緒に食べればいい」


 アカツキは見透かしたような顔で言うと、不意にラウンジカーの方へ目をやった。扉が開いて出てきたのは、西クローナ紳士風のクラシックな装いの小柄な男。童顔を誤魔化すような鼻髭があまり似合っていなかった。一瞬目が合ったように感じたが、勘違いだったのか童顔紳士は近くのテーブルに腰をおろすと寛いだ様子で読書を始める。その横顔に妙な既視感を覚えた。


「ロアナ出身者かもしれないね」


 アカツキが小声で言った。


「小柄だし、服装もロアナっぽいからきっとそうね」


 食堂車を離れるとこの短い時間の出来事はすっかり頭から抜け落ちたが、あの小柄な童顔紳士がロブに似ていると気づいたのは夜も更けてベッドで眠りに落ちた直後。料理を手に持ったロブの姿が夢に出てきて、一気に脳が覚醒した。


「……似てる?」


 いや、似てるなんてものじゃない。

 

 ルーカスの借家で何度も顔を合わせた従者ロブ。料理をはじめ家事一切を一人で請け負っていた有能な少年は、主人の犯罪に手を貸しセラフィア・エイツを事故死に見せかけて殺害した。その彼はライナスと同じように交霊できないイモゥトゥの可能性がある。


 ライナスに確認しようと衝動的に部屋を出たが、薄暗い通路の先でオラフがこちらを振り向くといっぺんに気が削がれた。軟禁中の男の部屋を訪ねるには不適切な時間であるのは間違いない。仕方なく行き先をトイレに変更し、素知らぬ顔をして出るとオラフは乗務員と言葉を交わしていた。


 ――乗務員証、確認しました。通っていただいて結構です。夜勤ご苦労さまです。


 ――いえ、そちらこそ遅くまでお疲れさまです。


 最後尾にあるスタッフ車両と一般車両を行き来する乗務員は、そのたびに貸し切り車両の見張りに乗務員証を提示しなければいけなかった。煩わしさもあるだろうが、嫌な顔をするどころか気遣いまで見せるのはプロだからか、もしくは特別手当という名の口止め料が破格だからか。


 乗務員が一般車両の方へ姿を消したあと、わたしは大人しく部屋に戻った。しかし、ロブのことが気になってほとんど眠ることができなかった。


 翌朝、日が昇ってからもしばらくは逸る気持ちを我慢し、何度か通路に乗務員の行き来する気配があったあと、タイミングを見計らって部屋を出た。タルコット侯爵の部屋の前にいるのはオラフではなくマルク。


「おはよう、マルク」


「おはようございます」


 わたしはそのまま通り過ぎようとしたが、「ライナスを信じているのですか?」耳に届いた囁き声で足を止めた。マルクは少年みたいな目のくりっとした顔立ちにそばかすが愛らしく、ふと、ウェルミー五番通りで出会ったイモゥトゥのティムとディックのことを思い出す。


「ねえ、マルクはライナスがイモゥトゥだって知ってた?」


「えっ? そんなまさか……」


 マルクの青い瞳が揺れた。


 ――セラフィアだった頃なら言わなかった。久しぶりにそんなことを考えたが、以前のように不安になることはなかった。


「今の話は内緒よ。侯爵様にも同僚にも」


「……わかりました」


 マルクは姿勢を正していつもの真面目な護衛に戻り、わたしは車両の一番後ろにあるライナスの部屋を訪ねた。軟禁された男は窓辺のテーブルでのんきに新聞を広げ、よく見るとそれは昨日レナードが置き去りにしたあの新聞だ。


「それ、アカツキが持ってきたの?」


「昨日の夕食どきにね。少し話をして帰っていった。クリフのところにも寄ったらしいけど、相変わらずのようだよ。悩み多き悲劇の青年」


 ライナスは茶化すように言うと、今度はその矛先をわたしに向けた。


「それより、男と密室に二人きりだけどよろしいのですか、レディー?」


「レディーの寝室に何度も押しかけた男がよく言うわね。侯爵の部屋の前にマルクがいるから、何かあったら叫ぶだけよ。

 そう言えば、マルクがイモゥトゥって知ってた? 彼を含めて護衛の三人ともイモゥトゥなんですってね」


 わたしが問うと、ライナスはフッと鼻で嘲笑う。


「わざわざそんなことを聞きに来たのか? タルコット侯爵が連れてる人間をフォルブスが把握していないわけないだろう?」


「じゃあ、ロブについては何か知ってる?」


 ライナスの表情が曇り、新聞をたたむと顎をしゃくってわたしに向かいの席を勧めた。


 窓外の風景はいかにも夏の終わりらしく、収穫を終えた畑のあちこちに小麦が積み上げられている。西クローナの穀倉地帯と呼ばれるこのドビ平野を過ぎればナスル王国はもう目の前だ。


「もしかして、ロブはあなたと同じ交霊できないイモゥトゥ?」


「ああ。でなければリュカが連れ回すはずがないだろう?」


「この列車にいたわ」


 頬杖をついていたライナスは驚きで身を引き、肘がテーブルから落ちて体勢を崩した。


「ユフィ、葉巻持ってない?」


「持ってないわ。イモゥトゥが一本や二本吸ったからって気分が良くなるわけでもないのに」


 ライナスは肩をすくめて立ち上がると、棚の上に無造作に置かれたスキレットの蓋を開けてぐいっとあおった。彼が再びテーブルにつくとウィスキーの香りが鼻をかすめる。


「で、ユフィが見たのは本当にロブなのか?」


「金髪で鼻髭を生やしてたけど、たぶん変装してたのよ。でも顔はロブだったわ。ロアナ風の服を着てた」


「他人のそら似って可能性は?」


「それは否定できない。でも、目が合って逸らされた感じがしたの」


 なるほどね、とライナスは背もたれに体を預けて腕を組む。


「本当にロブだとしてもこっちの車両には出入りできない。ただ、ウィルビー卿とパヴラには警戒するよう言ったほうがいいかもね」


「そうするわ。一応確認しておきたいんだけど、あなたはロブがこの列車にいることは知らなかったのよね?」


「知るわけないだろう。おれが外部と連絡をとれない状態にあったのはわかってるはずだ。

 考えられるとすれば、リュカがエイツ男爵家を訪問したとき。あのとき密かにロブを残していったのかもしれない。そうだとすれば、おれたちの今までの行動はリュカに筒抜けだってこと」


 窓から吹き込む風は生ぬるいのに、背筋を冷たい汗が伝って落ちた。


「聖地に向かうことや告発文書のことも?」


「さあな。だが、あんたやケイ卿が同行してることだけじゃなくウィルビー卿とパヴラがいることまで把握されてるとしたら、タルコット侯爵が何か企んでるってことくらいわかってるはずだ。

 とは言え、送り込んできたのがロブならできるのは監視くらいだし、あいつにバレないようトゥカ駅で下車すればいい。スタッフ車両はたしか後ろの部分がデッキになってて、タラップで線路に降りれるはずだ。ロブのいる一般車両からは死角になる」


「駅のホームじゃなく線路に降りるってこと? そんなことをしたら悪目立ちするんじゃない?」


「トゥカ駅の利用客はそれほど多くないんだ。聖地巡礼者はひとつ先のランデム駅で降りてそこから馬車で大聖殿に行くのが一般的。ランデムは巡礼者向けの宿屋街だからな。ちなみに、トゥカ駅はホームに屋根がついてるだけで線路に降りれば歩いてサルビア聖園に入れる。

 そうだ。ロブを騙すならウィルビー卿とパヴラはトゥカ駅で降りない方がいい。パヴラはもともとハサに向かうつもりだったんだろうし、彼らが動かなければロブも油断する」


「なぜパヴラの行き先がハサだと思うの?」


「新月の黒豹倶楽部がハサにあることくらいフォルブスも把握してる。場所は絞れてないけどな」


 ライナスの情報量と対応策を即座に思いつく頭の回転の速さに感心し、わたしの口からは吐息が漏れた。


「ひとまずアカツキとレナード様とパヴラに今の話を伝えてくる。朝食を一緒にとることにしてるから」


「タルコット侯爵には?」


「そのあとに言うわ。ロブがレナード様とパヴラを見張ってるかもしれないし、もう一度顔を確認してからでも遅くないから」


「それは無理じゃないか。目が合ったならあいつはあんたを警戒してるはずだ」


「それならそれで仕方ないわ。ロブがいると仮定して動くだけよ」


「それがいい。あっ、そうだ。ウィルビー卿に会うなら葉巻を一本もらってきてくれないか? こんなに暇だと口寂しくていけない」


 ライナスには緊張感のかけらも見られないが、そういう部分はオトに似ている。長く生きたイモゥトゥならみんなそんなるのかと言えばそうでもなく、パヴラはむしろ心配性だ。結局は各々の経験次第なのだろう。


 わたしはライナスの部屋を出たあと、アカツキを伴ってレナードたちと落ち合った。ライナスの予想通り食堂車にロブの姿は見当たらず、そしてライナスの言う通りレナードとパヴラはまっすぐハサに向かうことに決まった。ちなみに、ライナスが所望した葉巻はレナードが乗務員から一箱購入し、丸ごとわたしに預けたのだった。


 密談を終えて戻ると、貸し切り車両に入ってすぐのところにはベリックが立っていた。彼は目ざとく葉巻の箱を見つけると「中を確認しても?」と手を差し出してくる。メーカーの焼印が入った木箱には麻紐が十字に掛けられ赤い蝋で閉じられていたが、ベリックは躊躇いなく封を開け、欠けた蝋がパラパラと床に落ちた。それを気にする様子もなく、葉巻を一本一本手にとって箱を隈なく調べたあと、元通りに紐を掛け戻す。


「ベリックさんがいれば不審者が入り込む隙はなさそうね」


 皮肉のつもりはなかったが、ベリックは「申し訳ありません」と巨躯を折り曲げ謝罪した。その表情は相変わらず乏しく、本当に悪いと思っているようには見えなかった。


 前側の貸し切り車両には二人部屋が全部で十室あり、すべての扉に南京錠がぶら下がっていた。レナードとパヴラが利用しているのがこのクラスの寝台車で、広さはわたしたちの部屋の三分の二ほど、ベッドは上下二段。小窓から中が覗ける状態になっていたが、当然ながらどの部屋にも人の気配はなかった。


「あの男がよくこのクラスの部屋で我慢したものだ」


 アカツキのひとり言はレナードのことだ。


「しかも同室なんてね。あの二人なら何もなさそうだけど」


 わたしが言うと、アカツキはフッと笑い声を漏らす。


「彼女にあのオカルトマニアの相手をさせるのは少々気の毒だよ」


「たしかに、交霊のことを根掘り葉掘り聞いているかもしれないわ」


 後ろの車両の入口にはマルクが見張りに立っていて、わたしたちに気づくと気をきかせて扉を開けた。


「おかえりなさいませ」


 礼儀正しく会釈した彼は、ふと何か気づいたように隣の車両に視線を向ける。つられて後ろを振り返ると、通路の中央に人影があった。


「清掃員のようですね」


 その人物は手にほうきと雑巾のようなもにを持ち、手摺りを拭きながら一般車両の方へ歩いていった。ベリックがその清掃員を気にする様子はなく、むしろ前方の一般車両に気を配っている。


「ベリックに見られていたら清掃の人も緊張するだろうね」


 アカツキの軽口に「そうかも知れません」とマルクが和らいだ表情を見せた。


 そのあと、葉巻の箱を一旦自分の部屋に置いて、わたしとアカツキはタルコット侯爵の部屋に向かった。トゥカ駅で線路に降りるにはあらかじめ車掌に話を通してもらわなければいけないし、迅速にことを運ぶには乗務員の協力も必要だ。結局、侯爵にレナードとパヴラが同行していることを打ち明けざるを得なかったが、彼は苦笑を浮かべはしたものの「心強いですね」とむしろ歓迎している様子だった。


 トゥカ駅到着までほぼ丸一日。慎重に話を進めるのに十分な時間があった。予想外の出来事が起こったのはタルコット侯爵との面談を終えた数時間後。九月三日の午後二時半、貸し切り車両のトイレで小火が発生し、ワイアケイシア急行は緊急停車した。


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