第二話 タルコット侯爵の三人の護衛

__ザッカルング共和国エイルマ駅発ワイアケイシア急行車内__555年9月1日



 聖地への旅が危険をはらんだものであるという緊張感からか、イヴォンは出発の日までほとんど交霊状態にならなかった。とは言え新生前症状が進行しているのは間違いなく、ふと気づけばウトウトと船を漕ぎ、一日の半分くらいは夢の中だ。ヘサン伯爵邸を発つその日もエイルマ駅に向かう馬車の中で眠ってしまい、ワイアケイシア急行にはアカツキにおぶわれて乗車したのだった。


 貸し切ったのは一般客の寝台車両と最後尾のスタッフ車両の間に位置する二車両で、通常の車両編成に加えて臨時に連結されたものだった。寝泊まりするのは二車両のうち後ろの一両。前側の車両は一般客と距離を置くためのものだが、寝台車両ではあるが護衛が使う部屋を除いてすべて鍵がかけられている。


 前後二車両を見張る護衛はたった三人。その少なさに驚いたが、ルルッカス街で侯爵の手下に襲われたことを考えると、彼なりの配慮かもしれなかった。目立たないようにかタルコット侯爵を含めた四人全員がザッカルング風の折り襟シャツに麻ベストという格好で、何も知らない人が見ればザッカルング貴族が息子を連れているように見える。それくらい護衛は若かった。


 三人の中で一番体格の良いのはベリックで、年の頃は二十歳前後。あとの二人――マルクとオラフは少年ぽさが抜けきれておらず、おそらく十六、七歳というところだろう。この二人についてはエイルマ駅のホームで顔を合わせたときイモゥトゥだと直感したが、確信があるわけではない。マルクもオラフも任務に取り組む姿から侯爵への信頼が感じられ、脅されたり虐待されたりしているようには見えなかったからだ。


 護衛三人は当然わたしがイモゥトゥだと知っているはずだが、侯爵に隠れて接触してくることもなかった。後部車両のトイレが使用中で前の車両に向かったとき、見張りのオラフとすれ違ったが目も合わせない。こちらから話しかけるのも侯爵に疑念を植え付けるだけのようなことがして、護衛とはまだひと言も交わしていなかった。


 見張りは前の車両に一人、わたしたちのいる後部車両に一人もしくは二人。後部車両は部屋数の少ない豪華寝台車で、前から三部屋は二人部屋、トイレを挟んで一人部屋がふたつとなっている。部屋割りは前からアカツキとオト、イヴォンとわたし、三つめの二人部屋はタルコット侯爵が一人で使用する。一人部屋にはオールソン卿とライナスが入ることになったが、彼らには用を足すとき以外部屋から出ることを禁じてあった。

 

 早朝にエイルマ駅を出発して約半日、ワイアケイシア急行はザッカルング共和国の西側国境に迫っている。普通に乗車していれば出入国手続に何度も頭を痛めることになったはずだが、タルコット侯爵が口止め料も含めて相当額の賄賂を渡したという。そもそもこれはラァラ神殿まで聖女を護送するというタルコットの極秘任務ということになっているし、サザラン伯爵家はワイアケイシア社の大株主だ。神殿がこちらの本当の目的に気づかない限りは快適な列車の旅が保証されていると言っていい。


 車窓からは広大なシルスィア山脈の山並みと、青い空に羊のような白い雲が見えていた。ザッカルング西部は畜産が盛んな地域で、黄緑色をした丘陵には放牧された牛が豆粒のように点々と散っている。目に映るのどかな景色と蒸気機関車の規則的な走行音に眠気がさしてきたとき、ノックの音で現実に引き戻された。


「オトだよ。アカツキがタルコット侯爵のところに行くけど一緒に行かないかって。イヴォンはぼくが見てるから」


 奥のベッドに目をやったがイヴォンは起きる気配がなく、わたしは再び聞こえたノックを遮って「今出るわ」と返事をした。扉を開けると交霊回避用の伊達メガネをかけたオトとアカツキが立っている。


 オトが同行することになったのはパヴラの提案によるものだった。イヴォンが新生すれば食事や排泄、その他身の回りの世話が必要になる。わたし一人で対処するには限界があるからオトを連れて行くべきと説得されたが、一番の理由は彼らのタルコットに対する敵愾心だろう。かつてタルコット侯爵家で虐待されて育ったパヴラとオトは今回の計画でタルコットが裏切るのではと考えているようだった。


 実は、パヴラはレナードと一緒に密かに一般車両に乗り込んでいる。「外部との連絡役も必要だろう」というのがレナードの言い分で、もちろんわたしとアカツキを心配してのことだということもわかっているが、神殿とリュカを巡る一連の事件に彼がただならぬ興味を抱いているのは間違いなかった。大聖会に着いた後はわたしに同行してサザラン伯爵邸に向かうつもりなのだろう。


 一方、パヴラはロアナ王国の王都ハサで新月の黒豹倶楽部と合流するつもりのようだ。オトは「イヴォンの状態と大聖会次第かな」と言っていたが、面倒見のいい彼のことだから落ち着くまではイヴォンに付き添うつもりかもしれない。


「イヴォンは寝てる?」


 部屋に入るなりオトはキョロキョロと辺りを見回した。


「うん。今日は交霊状態にはなってないけど昼前から寝てる。お腹すいてると思うから、起きたら何か食べさせてあげて。じゃあ、よろしくね」


「わかった。あっ、ユフィにこれ貸してあげる」


 オトが渡してきたのは伊達メガネ。カツラを外していたことを思い出して素直に受け取り、わたしはアカツキとともにタルコット侯爵の部屋に向かったのだった。


「アカツキ・ケイ様とユーフェミア・アッシュフィールド様が来られています」


 ベリックが扉越しに伝えると「通してくれ」と嗄れ声が返ってくる。窓辺に座ったタルコット侯爵は布で顔の下半分を隠していたが、それが交霊対策だということは聞くまでもない。


「どうぞおかけ下さい」


 部屋の造りはわたしの部屋と同じで、通路側に三人掛けくらいのソファがあった。正面に窓があり、その窓の下に造り付けられた小さなテーブルを挟んで椅子が二脚。侯爵が座っているのはそのひとつだ。クローゼットで部屋は半分に仕切られ、奥が寝室になっている。


 わたしの位置からはベッドに投げ置かれたシャツが見えていた。今朝会ったとき侯爵はザッカルング貴族風の格好だったが、着替えたらしく襟元と袖口にフリルのあるゆったりしたシルクシャツを身に着けている。西クローナらしいロマンティックなデザインだ。


「不便はありませんか?」


 侯爵が平坦な口調で問いかけてきた。黄金の歌劇場前で彼を見かけたとき、ヘサン伯爵が『馬の顔と鹿の体』と表現していたが、顔を半分覆っていてもどことなく馬っぽい。


「不便どころか、まさかこんな豪華な列車の旅だとは思いませんでした」


「この車両には空室を作りたくなかったのです。見張りがいるとはいえ隠れられる場所はない方がいい。部屋数の一番少ない寝台車をと言ったらこの豪華車両になったんです。ところで――」


 侯爵はチラとアカツキを一瞥し、再びわたしに視線を戻した。


「アッシュフィールド嬢がわたしと話したがっているとケイ卿からうかがいました。イス皇国でのことは、現地で雇った者が無茶をしたようで申し訳ない。金で雇った者たちは相手がイモゥトゥだと察するとやり口が過剰になりがちなのです。

 まあ、わたしと違って父はそういうやり方を黙認していましたし、タルコット家はそもそもイモゥトゥを虐待していたのですから、新月の黒豹倶楽部がこちらを警戒するのは仕方ありません」


「侯爵様は違うと? イモゥトゥを傷つける気はないとおっしゃるのですか? わたしとケイ卿とが侯爵様の手下に襲われたのはつい一週間ほど前のことです」


「神殿があのような高額の懸賞金をかけてしまってはどうしようもできなかったのです。雇ったのはわたしですが彼らはイヴォン嬢を捕まえてもわたしではなくザッカルング聖会に引き渡していたかもしれません。わたしが成功報酬として彼らに提示していた額は七千万クランの十分の一以下ですから」


「言い訳が聞きたいわけではありません。どうやら侯爵様には信頼できる部下がいないようですね」


「以前は二人ほど補佐役を置いていたのですが、二人とも事故で死んでしまいました。それで身近に人を置くのをやめたのです。理由はおわかりでしょう?」


 わたしとアカツキがうなずくと侯爵は満足したのか目元に皺をつくる。馬車の前に飛び出して自殺した先祖のように、神殿が裏で手を回して補佐役を殺したと考えているのだ。


「そんな状態なので、金で雇えるゴロツキを使うしかなかったのです。けれど、そんな輩を聖地に連れていくわけには行きません。同行している三人は神殿が黙認している数少ないわたしの部下。お気づきでしょうが三人ともイモゥトゥです」


 わたしは無意識にエッと声を漏らした。マルクとオラフはともかく、ベリックはライナスよりも長身で肩幅も広く、大人と言ってもいいくらいの青年だ。


「ベリックさんも?」


「ベリックはイモゥトゥにしては年がいってるし体格もいいですから意外だったかもしれません。彼は父が生前に見つけたイモゥトゥで十年以上の付き合いです」


「護衛が少ない理由がようやく理解できました。しかし、侯爵様は聖地に着いたあと彼らをどうされるおつもりなのですか? このまま手元に置かれるのか、大聖会に保護してもらうのか」


 わたしの問いに侯爵は目を細める。わずかに開けた窓からの風で顔布がめくれ、その口元に笑みが見えた。


「やはり、アッシュフィールド嬢はイモゥトゥのために動いているのですね。新月の黒豹倶楽部の首長として、あなたなら彼らをどうすべきと考えますか?」


「それは……、わたしにはわかりません。彼らのことを何も知りませんし、どう生きるか決めるのは彼ら自身ですから」


「おや、それは意外な答えですね。あなたならソトラッカ研究所か大聖会に保護してもらうべきと主張するのではと思っていましたが、わたしと同じ意見で安心しました。聖地までは彼らの協力が必要ですが、そのあとどうするかは彼らに選択させるつもりです。人生経験豊富なイモゥトゥに、わたしが何を口出しすることができましょうか」


 侯爵と三人のイモゥトゥがどんな関係を築いてきたのか、わたしは興味をそそられていた。ベリックもマルクもオラフもタルコットから逃げようと思えばいくらでも逃げられるのだ。侯爵は彼らを監視しているわけではないし、隙をみて列車から飛び降りてもイモゥトゥなら死なない。でも、彼らはそうしない。


「侯爵様は今後どうされるのです? 大聖会に留まるのか、タルコット領に戻って籠城でもするのか。

 領地はラァラ神殿の支配下にあるとお聞きしました。侯爵夫人やご家族が人質にとられては困るでしょう?」


「まずは大聖会を味方につけることが先決です。領地のことはそれほど心配していただかなくても大丈夫ですよ。神殿に好き勝手にされているのは事実ですが、神殿の者が屋敷に居座って監視しているわけではありません。抜き打ちで訪れ帳簿をひっくり返し、あれこれ口出しして帰っていくだけです。わたしのところには霧の銀狼団の遣いがやって来て根堀り葉掘り聞かれる程度。

 逆に、わたしからもお尋ねします。アッシュフィールド嬢も大聖会の保護を求めるつもりですか?」


「サザラン領に向かうつもりです」


 わたしの言葉に侯爵は忙しなく目をしばたかせた。


「なぜサザランに?」


「イモゥトゥの起源について確かめたいことがあるのです。その手がかりはおそらくサザラン伯爵邸にあります」


 本当に確かめたいのはリュカの起源だったが、事前にアカツキから聞いた話ではタルコット侯爵は『リュカ』のことも『ルーカス・サザラン』のことも知らない。わざわざ教えて話をややこしくする必要はないし、その方が侯爵も安全だ。


「アッシュフィールド嬢。イモゥトゥの起源を調べてリーリナの呪いではないと明らかになったとしても、今さら大陸の人々の認識は覆るわけではないのですよ。あなたの身を危険に晒すだけです。いつ新生するかわからないのでしょう?」


「わたしはまだ新生しません。イモゥトゥの交霊情報がそれほど当てにならないことはご存知でしょう? 侯爵様にはわたしが新生前症状に悩まされているように見えますか?」


「言われてみれば確かに」


 声をかき消すように汽笛が鳴った。侯爵は窓を閉め、まだ明かりのない車内は真っ暗になる。激しい走行音を押し黙ってやり過ごしていたが、トンネルを抜ける前に「オト様が来られています」とベリックが扉の向こうで声を張り上げた。そう言えば通路は常時ランプが点いている。


「イヴォンが起きたんだけど」


 返事を待つことなく、礼儀も無視したオトの声にタルコット侯爵は笑ったようだった。トンネルを抜けて陽が射すと、すぐそばに迫った木々が猛烈な速さで車窓を流れていく。


「彼はイス・シデ戦争に従軍したそうですね。そんな人に貴族だから敬えと言うのは烏滸がましい話なのでしょう。どうぞイヴォン嬢のところに行ってあげて下さい」


 密談はここまでと言うように侯爵は顔布を外し、薄い唇に微笑を浮かべてわたしたちを送り出した。扉の前ではオトが人懐こくベリックに話しかけていたが、目の前の大男がイモゥトゥだとは微塵も思っていないようだった。もちろん、ベリックが自分の正体をオトに明かすこともなかった。


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