第五章 聖地へ

第一話 エイツ男爵からの手紙

__ザッカルング共和国ヘサン伯爵邸__555年8月29日



 ヘサン伯爵邸別館の応接室にはわたしとレナードとライナスがいた。


 アカツキがタルコット侯爵のところに出掛けたのは昼前。侯爵の宿泊するエイルマのホテルまでは往復しても一時間ほどだというのに、城壁の際に棚引く雲が残照に仄赤く染まる時刻になっても音沙汰がない。わたしは古城に灯りゆく明かりと空に数を増やす星々を眺め、何かあったのではと押し寄せる不安を押し隠していた。


「もう日暮れ前だと言うのにケイ卿はなかなか戻って来ないな。おれを連れて行けば上手く話をつけてやったのに」


 不遜な言葉遣いとは裏腹に、ライナスは甲斐甲斐しく燭台の蝋燭に火を灯していた。レナードはソファに身を埋めたままフンと鼻を鳴らす。


「おまえは紐で縛っても簡単に脱走しそうだ。下手に連れ出してこっちの計画をフォルブスに報告されたら困る」


「信用してもらえるとは思ってないけど、聖地までは大人しく付き合うつもりだ」


「その後はフォルブスに戻るのか? 大聖会がイヴォンを保護した後にのこのこ戻っても怪しまれるだけだぞ」


「ウィルビー卿がおれの心配をしてくれるとは意外ですね。でも、なんとかなるでしょう。

 無事にイヴォンを大聖会に引き渡せたら、タルコット侯爵にフォルブス宛の声明文を書いてもらって、おれはその声明文を持ってフォルブスに向かう。フォルブス家直系のクリフ・オールソンの身柄がタルコットの手にあり、フォルブス家に関する告発文書まで握られてるのだから、しがない使用人のおれがタルコットに逆らえない理由としては十分でしょう?」


「小賢しい。何でもおまえの思い通りになると思わないほうがいい。第一、クリフ・オールソンがその話に乗ると思うか? やつはフォルブスに戻るつもりでいるぞ」

 

「クリフの安全を確保するためでもあるんだ。フォルブス男爵家後継者のヴィンセントが自分そっくりの兄をどう思ってるか、ちょっと考えればわかることだろう? クリフはロアナの外にいたほうがいい」


「なるほどね」 


 レナードはうんざりした様子で唇から紫煙を吐き出し、その行方を追って天井に目をやった。真上の部屋ではイヴォンが昼寝をしていて、アレックス・フィンチが付き添っている。何も言ってこないということは、まだぐっすり眠っているのだろう。


 二階の別の部屋にはオールソン卿がいる。オールソン卿とライナスは昨日のうちに本館の古城からわたしたちのいる別館へと移し、今後の予定が決まるまで外部との接触は禁止した。べったり監視をつけているわけではないが、昼間はわたしとレナード、アレックスで定期的に所在を確認し、夜は別館使用人の三人が交代で部屋を見張ることになっている。


 別館をうろついて図々しく話しかけてくるライナスとは対照的に、オールソン卿はこっちに移ってから部屋に籠もりきりだった。様子を見に行ってもぼんやり窓を眺めているかベッドに横になっているだけで、声をかけてもぎこちない愛想笑いで応対する姿が気の毒だが、「何か企んでいるのでは」と、レナードはオールソン卿への警戒を解かない。


 オールソン卿がイヴォンをルーカスと引き合わせるのを諦めたわけではないのは確かだった。こうして別館に軟禁し、外部との連絡手段を奪っても、トゥカ行きの途中に彼自身が何か仕掛けてくる可能性だってある。それは当然ライナスにも言えることだが、ライナスの言動や提案からはフォルブスへの忠誠は感じられなかった。むしろ、フォルブス家に執着するオールソン卿を憐れみ、嘲っているようにも思える。


「使用人が板に付いてるな」


 すべての蝋燭に火を灯し終えたライナスにレナードが葉巻を切って差し出した。おそらく、ライナスを懐柔してこちら側に引き入れようとしているのだろう。


「遠慮なくいただきます」


 ライナスが蝋燭の炎で火をつけたとき、カツカツとノッカーの音がした。


「どうぞ」


 レナードが応じ、扉を開けたのは執事、部屋に入ってきたのはヘサン伯爵だ。ライナスは点けたばかりの煙草の火を消そうとしたが、伯爵は手ぶりでそれを制して部屋を見回す。その手にはどこかで見たことのある封筒が握られていた。


「ケイ卿はまだのようですな」


 伯爵がソファーの向かいに腰を下ろすと、レナードはさり気なく葉巻を勧める。


「ではわたしも」


 伯爵は封書をシガーケースの脇に置き、葉巻を一本手にとった。封書はすでに開封され、ペーパーナイフで切った上部からは同色の便箋がのぞいている。


「アカツキ宛の手紙ですか?」


 レナードが問うと、伯爵は「いえ」と首を左右に振った。


「エイツ男爵からわたし宛てに送られてきたものです」


 わたしが思わずアッと声を漏らしたのは封筒がエイツ製紙の商品だと気づいたからだ。ベージュがかった温かみのある色合い。父からの手紙はいつもその封筒で送られてきていた。


「ユーフェミア嬢、こちらへ」


 ヘサン伯爵は整った鼻髭を指先で撫でると、手招きしてわたしを隣に座らせる。皺だらけの手で渡された封筒には父の字でヘサン伯爵邸の住所が書かれ、広げた便箋にも見慣れた父の文字が並んでいた。懐かしさにぼんやりしているとライナスが横からのぞき込んできて、ヘサン伯爵が苦笑する。


「ライナス君に知られてもそれほど問題ないでしょう。エイツ男爵はルルッカス街でのイモゥトゥ騒ぎについてある程度のことは把握しているようです。ここにケイ卿とウィルビー卿がいらっしゃることもご存知でした。それで、イモゥトゥも一緒にいるのなら神殿には引き渡さないで欲しいと。手紙に書かれているイモゥトゥというのはイヴォン嬢のようにも読めますが、おそらくユーフェミア嬢のことでしょう。いずれにせよ、男爵は神殿を信用していないようです」


「イモゥトゥをソトラッカ研究所に連れて行くよう書かれているのでは?」


 レナードの問いに、伯爵は「一旦は」と曖昧な言葉を返した。文面を追うと確かにその通りの内容が書かれている。


「男爵様も研究所では神殿に対抗できないとわかってるようですね」


 わたしは便箋をめくり、二枚目にある当該箇所を読み上げた。


「――イモゥトゥの安全を考えるとソトラッカ研究所に預けるのが今のところ最善ではありますが、同研究所はサザラン伯爵家から寄付を受けていることもあり神殿の要求をむやみに退けることはできないでしょう。

 この問題を解決するため、イモゥトゥ研究部門をソトラッカ研究所から独立させ、エイツ財団が運営する方向で研究所と調整中です。また、イモゥトゥ保護を目的としたセラフィア基金の設立も進めており、同基金ではイモゥトゥの保護施設の運営と職業斡旋などを行う予定にしております。

 私は、イモゥトゥが呪いだという前時代的な考えを払拭し、彼らにも豊かな人生を送らせてあげたい。そのための一歩が新たなイモゥトゥ研究所とセラフィア基金の設立なのです。

 聞くところによると、ルルッカス街周辺にはイモゥトゥに同情的な市民が多く、それはひとえに黄金の滴歌劇場で上演中の『クイナの翼』の影響とのこと。貴殿もイモゥトゥが隠れ暮らさねばならない現状を憂いておられると伺い、セラフィア基金の趣旨に賛同いただけるものと考えてこの手紙をお送りする次第です――」


 わたしの目からは堪え切れない涙が溢れ、鼻筋を伝って唇を濡らした。まともにイモゥトゥの話をしたことなどなかったのに、父は娘の遺志を汲んで形にしようとしてくれている。それは元使用人ユーフェミアに対する配慮でもあった。


「これを」


 ライナスはハンカチを差し出してわたしを気遣う素振りをみせたが、目が合うと皮肉るように肩をすくめる。


「エイツ男爵様はまるで現代のエリオット・サザランですね。男爵家から大聖会への寄付額はかなりのものと聞いています。その金で大聖会を黙らせてジチ教圏でナータン経典を出版しているだけでも異例だというのに、今度は死んだ娘の名前を使ってイモゥトゥ事業をしようとしている」


「慈善事業よ。そんなふうに言われる筋合いはないわ」


「そうでしょうか。イモゥトゥの交霊能力を知って利用しようとしているのかもしれませんし、研究により不老因子が解明されれば相当儲かるはずです。神殿とエイツ男爵の間でイモゥトゥの奪い合いになるかもしれませんね」


「神殿と一緒にしないで」


 わたしが怒りを露わに声を震わせると、ライナスは「口が過ぎました」と殊勝な態度で頭を下げた。腹立たしいのは彼の言葉があながち見当違いとも言えないせいだ。セラフィア基金の理念が人道的なものだとしても、父が行動に移したのならそこに投資価値を見出しているのは間違いない。


「ウィルビー家とケイ家はセラフィア基金に寄付することになるだろうね。ヘサン伯爵はどうされるのです?」


 わたしの心情を察したのか、レナードはさり気なく老紳士に話を振った。


「乗りかかった船ですし、こうしてお声がけいただいたのですから前向きに検討するつもりです。

 それより、わたしは心配性ゆえ話を蒸し返して申し訳ないのですが、男爵が保護施設を作られるのならそれが完成するまでここに留まってはいかがでしょうか。イヴォン嬢が聖地行きを望んでいるとはいえ、タルコットの造反がフォルブスに知られれば聖地への道程は危険なものになるはずです」


「たしかに、イヴォンと告発文書がこちらにあってもタルコット侯爵が有利とは言い難い。状況を聞く限り、侯爵は領地と家族を人質に取られているも同然ですから」


 レナードはそう言って眉を顰めたが、ライナスは「大丈夫です」と口元に意味ありげな笑みを浮かべた。


「イヴォン嬢がこっちにいるだけで十分ですよ」


 その時にわかに廊下が騒がしくなり、「おかえりなさいませ」「みんなは?」というサキとアカツキの会話と足音が聞こえた。ノッカーの音がする前にライナスが内側から扉を開け、不意を突かれたアカツキはポカンと口を半開きにする。


「ずいぶん遅かったですね。タルコット侯爵との話し合いは上手くいきましたか?」


 笑顔のライナスを見て馬鹿にされたと感じたのか、アカツキは顔を顰めて「ああ」とぶっきらぼうに返した。


「出立は九月一日。ワイアケイシア急行の寝台車を二両貸し切ってトゥカに向かうことに決まった。すでに手配済みだ。

 タルコットも大聖会を巻き込むつもりだったらしく、イヴォンの同行は願ったり叶ったりということだ」


 話がトントン拍子で進んで細かいところまで計画を詰めたためにこんな時刻になったらしく、アカツキはひと息つく間もなく詳細な報告を始めた。ヘサン伯爵が蒸し返した〝心配ごと〟は置き去りにされ、聖女のトゥカ行きはこれで決定事項となったのだった。

 

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