第十四話 罠のような提案

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外へサン伯爵邸__555年8月28日午後



 困惑した様子のイヴォンに告発文書とタルコットからの提案について説明すると、ラァラ神殿ならあり得ると判断したのか大人びた憂いを吐息に乗せた。


「では、わたしは研究所に行くことになるのですね」


「先ほどはリュカに会いに行くと言っていましたよ。わたしにはリュカを見捨てるなと」


 オールソン卿の声には行き場のない苛立ちが込もっており、そのせいかイヴォンは警戒を強めたようだ。


「ユーフェミアさん、彼の話は本当ですか?」


「本当よ。エリオットのこともリュカのことも恨んでいないとも言ったわ」


「わたしがそんなことを? リュカはともかく、あんなことをされたのにエリオットを憎んでいないなんて」


 身体に傷をつけられたり、怪しげなものを飲まされたり、血を抜かれることも――と、以前イヴォンはエリオットによる実験と称した虐待の内容を語っていた。〝前世〟とも呼べる新生前の光景をイヴォンが見るようになったのはここ数年のようだから、彼女にとってはまだまだ生々しい光景なのだろう。


 イヴォンが交霊で見る〝前世〟はエリオットに激しく感情を揺さぶられた瞬間で、穏やかな日常が過去に存在していたとしてもそれを見ることは交霊の特性上ほぼなかったはず。今のイヴォンは前世のイヴォンとは別人、別の魂なのだ。


「イヴォン。あなたはエリオットを許したと言っていたわ。年月を経ることで恨みが薄れたみたいだった。彼の功績を認めていたようだし、悪い感情だけを抱いていたわけじゃなさそうよ」


 わたしの言葉にイヴォンは黙り込み、さっきと同じように左手の小指を擦った。この少女に交霊能力がある限り、何度新生を繰り返しても短い左手の薬指を見て過去を知ることになるだろう。まるで呪いだ。

 

「それで、聖女様はこのあと研究所に行くのですか?」


 問いかけたのはライナスだった。


「あなたは誰?」


 イヴォンが尋ねると恭しくお辞儀をし、「クリフ様の従者をしているライナス・ローナンと申します」と、慎ましい態度でイヴォンの視線を受け止める。


「あなたがローナンさんですか。あなたのご主人様はわたしがリュカに会うことを望まれているようですが、あなたもそれをお望みなのでしょうね」


 イヴォンにしては皮肉めいた口調だったが、ライナスは待っていたかのように「ひとつ提案があります」と一同を見回した。


「提案?」


「はい。三方良しの妙案です。まず、聖女様はタルコット侯爵に捕まったフリをしてラァラ神殿を油断させます。そして、侯爵とともにワイアケイシア急行でロアナ王国へ向かうと見せかけ、途中にあるナスル王国のトゥカ駅で下車して、大聖会本部に保護してもらうのです。移動に船を使うと港からトゥカまで距離がありますが、鉄道を利用すればトゥカ駅の目の前はサルビア聖園。よほどのことがなければ上手く逃げ込めるはずです。

 告発文書を持って聖女様が自ら保護を求めれば、腰の重い大聖会本部も無視するわけにはいきません。隣人への愛を説くジチ教大聖会が、行き場の無い少女を無碍に追い返したりはしないでしょう。

 それに、大聖会本部にはラァラ神殿が大きな顔をしているのをよく思っていない人もいます。そういう人たちは聖女様と告発文書を歓迎するはずです。そのあとは上位聖職者になるため修行をすると言って大聖会に留まればいい。聖地での数年に渡る修行を――」


「君はフォルブスを裏切るつもりなのか?」

 

 オールソン卿は強引に話を遮ったが、本当は『ルーカスを裏切るのか』と問いたいのだろう。口調は詰問というより縋るような頼りないものだった。


「それは誤解です。タルコット侯爵の手元に告発文書がある以上、今考えるべきはその内容が表沙汰になることを防いでフォルブス男爵家の損害を最小限にすることです。

 大聖会は資金源であるラァラ神殿が完全に崩壊してしまうことは望んでいないでしょうし、弱みを握って神殿の首根っこを押さえつけることができれば満足すると思います。わざわざ告発内容を公にし、大々的に調査団を送って事を大きくすることはしないはず。上手くやれば、フォルブス男爵の名に傷をつけることなくことを収められるということです。そして聖女様は神殿から自由になり、タルコット侯爵も過去の呪縛から解放される。まさに三方良しでしょう?」


「ずいぶん調子のいいことを」


 レナードは呆れ顔でライナスを見やった。


「タルコット侯爵がそれで満足すると思うのか?」


「思います。タルコット家の過去の罪は今のところラァラ派の一部の者しか知りませんが、大事になればそれも公になる可能性がありますから。元々、タルコット侯爵は正義感から神殿を告発しようとしているわけではない。そうでしょう?」


 ライナスがアカツキとヘサン伯爵に向かって問いかけると、タルコット侯爵と面会したばかりの二人は顔を見合わせ頷きあった。


「確かに、タルコット侯爵はラァラ派と手を切ってタルコット領から神殿の手の者を追い出すのが目的だと言っていた。おれはライナス君の提案も選択肢のひとつとしてありだと思うが、レナードはどうだ?」


 アカツキに話を振られたレナードは、不敵な笑みをライナスに向けた。


「貴様、何か罠を仕掛けているんじゃないか? なにしろ君はフォルブス家の使用人だ」


「わたしなりに頭を絞り、丸く収まる方法を考えた末の提案です。聖女様は罠だと思われますか?」


 イヴォンはライナスとわたしに視線を往復させ――おそらく、わたしの殺害された場面のことを考えたのだろう――、躊躇いがちに「すいません」と頭を下げた。


「どうして謝るの?」


「彼の提案が罠かどうかはわかりませんが、わたしは聖地に行ってみたいです」


 その言葉に一番に反応したのはヘサン伯爵だった。


「しかしイヴォン嬢。移動中に新生するようなことがあれば危険ではありませんかな。ここで新生を迎えられた方が安全と思いますが」


 孫を見る目つきでイヴォンを案じたが、すでにここは安全地帯ではなくなっている。肉屋のトーヤ・ヴィルク氏が『金髪の少女を乗せた伯爵家の馬車がヘサン地区方向に向かうのを見た』と証言している以上、ヘサン伯爵がイヴォンを匿っているという噂が広まるのは時間の問題だ。いずれラァラ神殿にも伝わるだろう。そうなれば神殿はタルコット侯爵と同じように祀花守を返せと要求してくるに違いない。イヴォンもわたしと同じようなことを考えたようだった。


「ヘサン伯爵様にご迷惑をおかけするわけにはいきません。実は、神殿から逃げたあと大聖会に行くことも考えたのです。神殿へ送り返される可能性を考えて実行に移せませんでしたが、先ほどローナンさんが言ったやり方なら上手くいくかもしれません。

 そこでですが、今のうちに大聖殿への保護を希望する旨を文書として残しておこうと思います。それから、ソトラッカ研究所のイモゥトゥ研究に協力するという覚書も交わしておけないでしょうか?」


 イヴォンの頭の中ではすでに他の選択肢は除外され、誰も彼女のトゥカ行きを止めることはしそうになかった。提案したライナスは当然ながら満足げな顔をし、オールソン卿もどこか安堵したように見える。ロアナの隣国ナスルの聖地なら、イヴォンとルーカスを引き合わせることも可能だと考えているのかもしれない。実際、ジチ教徒であれば誰でも聖地を訪れることはできるし、大聖会本部のある大聖殿にも入れるはずだ。


 不安要素は挙げればきりがないが、実のところわたしもライナスの案に希望を見出していた。


 タルコット侯爵がラァラ派から離脱すれば、新月の黒豹倶楽部をはじめとする大陸各地のイモゥトゥが〝犬〟の追跡を恐れて逃げ隠れする必要はなくなるのだ。わたしにとっても、今後イモゥトゥとして生きることを考えると朗報に違いなかった。


「タルコット侯爵はユーフェミア嬢や他のイモゥトゥについて何か言っていませんでしたか?」


 ライナスがわたしの頭の中を読んだようにアカツキに問いかけた。


「取引に応じるならこれ以上イモゥトゥを追うつもりはないと言っていた。最近、新月の黒豹倶楽部を執拗に追っていたのは、イヴォンが一緒にいると推測してのことだったそうだ。神殿との交渉にはイヴォンの身柄が必要だから。

 ちなみに、タルコット侯爵が二代に渡って捕まえたイモゥトゥは五人とそう多くない。イモゥトゥ捜索より口止め料を配って回るのが仕事みたいなものだとぼやいていた。捕まえたイモゥトゥのうち三人は神殿に、残り二人は捜索要員として侯爵のそばにいると」


「そうですか。でしたら、アッシュフィールド様もこれからはタルコット侯爵に追われずに済みますね。しかし、エイルマ周辺ではまだイモゥトゥ探しをする者がうろついているようですし、騒ぎが収まるまでここに留まるのが良いのではありませんか?」


 ライナスはこれ以上首を突っ込むなと言いたげにわたしを見た。イモゥトゥ同族への親切心なのか、何かしら裏があるのか、彼がわたしをルーカスから遠ざけたがっているのは間違いない。しかし、このままルーカスを野放しにしておく気はなかった。


「わたしも聖地まで同行するわ。イヴォンの状態を考えると女性の同行者が必要だもの」


 適当に思いついた理由を口にすると、ライナスを除く男性陣は案外簡単に納得したようだった。本当の目的地はイヴォンを大聖会に引き渡したその先。ロアナ王国サザラン領の伯爵邸裏庭にある地下書庫だ。

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