第十三話 タルコット侯爵との取引

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外へサン伯爵邸__555年8月28日午後



 ウチヒスル村について以前イヴォンが語ったのは、クローナ歴二七一年に奇病が発生して周りの森ごと燃やし廃村になったことがひとつ。もうひとつは、四〇二年に捕まるまで彼女はウチヒスル村の森で狼と一緒に暮らしていたということだ。


 新生してからずっとラァラ神殿で暮らしていたイヴォンは、地下書庫の存在も、そこにあったウチヒスル奇病事件の記録についても知らなかったのだろう。しかし、新生前のイヴォン(になりきった・・・・・イヴォン)の口からは、もう少し詳しいことが語られた。

 

「ウチヒスル村の住人はその奇病で全員死亡しました。発見したのはウチヒスル村に徴税に行った役人で、その人物は一ヶ月前にも村を訪れているのですが、その時は何ら変わった様子はなかったみたいです。それなのに、たった一ヶ月で住人全員が白骨で発見されたの。

 夏場のことで、一ヶ月で白骨化したというのはあり得ないことではありません。襲撃の痕跡はなく、伝染病だろうという話になって念の為に村を燃やしたようです。徴税人や、焼却処理のために村に行った役人が病に罹ることはなく、奇病がどのようなものかはわかってません。

 わたしはこの話をエリオット様から聞きました。ウチヒスル村にあったものは実際にはすべて燃やされたわけではなく、理由はわからないけれど、二七一年当時のサザラン伯爵が密かに地下書庫に保管し、百数十年経ってからエリオット様がそれを見つけた」


「保管してあった資料というのは、もしかしてリーリナ神教に関するものでは?」


 レナードが問うと、イヴォンは逆に「タナーさんは見たことがある?」と聞き返した。本物のタナーは地下書庫の資料を見たかもしれないが、偽物のタナーは「いえ」と首を振った。


「エリオット様がわたしを地下書庫に連れて行ったのは、そんなに昔のことではないんです。四、五年くらい前にサザラン領を訪れたことがあったでしょう。あの時よ。

 エリオット様はウチヒスル村の徴税記録を元に、村人の名前で交霊させようとしました。ウチヒスル村がどんな村だったか知りたかったみたいだけど、わたしは上手く交霊できなかったの。

 記録にはキャスリンの名前もあって、八月に出産予定と付記されていたらしいわ。わたしもキャスリンの村のことが知りたくて、その後も交霊を何度か試したけれど、キャスリンにしても他の村人にしてもありふれた名前ばかりで、色んな景色が見えてどれがウチヒスル村かわからなかった。

 エリオット様がウチヒスル村の他の資料を見せてくれたら何かしら見えたかもしれません。けど、何も見せてくれなかった。村人の名前もエリオット様が名簿を読んで、それで交霊したんです。何かを隠したがっていたのは間違いありません。

 あっ、エリオット様が亡くなったのなら地下書庫に忍び込んでみるのもいいかもしれないわね」


 最後のひと言を冗談ぽく口にして、イヴォンはからかうようにライナスに顔を向けた。幻覚の反応を愉しんでいるようだった。


「聖女様、実はわたしの名前はライナスというのですよ」


「あら、あなたはライナス様なの? 髪色は同じだけど、ずいぶん雰囲気が違うから別人だと思っていたのに」


「ライナス・サザランとは別人です。わたしはイモゥトゥですから」


「やっぱりイモゥトゥなのね。なんとなくそんな気がしていたの」


 イヴォンはライナスの顔を見つめ、二人がショール越しに睨めっこをしていると、コツコツとノッカーを打つ音がした。イヴォンはバルコニーから応接室へと戻り、本物の来訪者なのか、幻聴なのか確かめるように扉を見つめる。


「おれだ」


 アカツキの声にレナードが「どうぞ」と応じると扉が開き、イヴォンは驚いたようにレナードの腕を掴んだ。


「イヴォン、わたしは幻覚ではありませんよ」


 レナードは少女の頭をなで、タルコット侯爵との面会を終えた男たちを出迎える。アカツキとヘサン伯爵、そして最後にのそりと青白い顔を見せたのはオールソン卿だ。


 レナードはイヴォンをソファーへとエスコートしながら「タルコット侯爵は?」とアカツキに問いかけた。


「帰ったよ」


 短く答えたのは、サキが茶器を携えて部屋に入ってきたからだろう。全員でテーブルを囲み、使用人が部屋を出て行くと、アカツキは急くように口火を切った。


「タルコット侯爵が取引を持ちかけてきた。イヴォンを研究所に引き渡す代わりに協力しろと」


 ライナスが予言した通りの展開だ。レナードは苦笑を浮かべたが、隣に座るアカツキはその表情に気づいていないようだった。その時アカツキが見ていたのはテーブルの向かいに座るオールソン卿、その背後に立つライナス。ライナスは従者の嗜みとでも言いたげに表情ひとつ変えず控えている。


「アカツキ、取引って?」とレナードが聞いた。


「タルコット侯爵はラァラ神殿を告発するつもりらしい。妊婦にイモゥトゥを産ませていたのはタルコットだけではなく、神殿も同じことをしていたようだ。神殿はすべての罪をタルコットにかぶせ、当時のタルコット侯爵は自殺した」


「大勢の前で馬車の前に飛び出したのよね。先ほどライナスから聞いたわ」


 あの夜の馬車事故を想起させる話をわたしがすると、アカツキも自殺ではないと考えていたのか「ああ」と含みのある表情でうなずいた。が、その件をこの場で掘り下げることはなかった。

 

「神殿のイモゥトゥは人体実験に使われた可能性がある。イヴォンが交霊で見た、あの報告の場面がおそらくそれだが、場所はフォルブス男爵領カラック村孤児院。人目につかない森の奥にあり、神殿による広域調査が始まった直後に解体している。孤児は五人と記録されているが、実際のところはもっといたそうだ」


「タルコット侯爵が調べたのか?」


「匿名の告発文書がタルコット侯爵宛に届いたそうだ」


「告発文書か。同席した次祭の反応は?」


「タルコット侯爵が取引を持ちかけたのは次祭が帰ってからだ。よほど厄介事に巻き込まれるのが嫌だったのか、こちらがイヴォンはいないと言い切ると『そうでしょうね』とさっさと帰っていったよ。タルコット侯爵も次祭のことは伯爵邸への入場券くらいに考えていたようだ」


 レナードは腕を組み、探るような目でライナスを見た。


「ライナス君はフォルブス家の使用人で神殿の内情にも詳しいようだ。告発文書は君の仕業か?」


「まさか」


 ライナスは即座に否定したが、怪訝な顔で振り返ったオールソン卿が「まさか」と同じ言葉で従者に問い質した。


「クリフ様、わたしがそんなことをする理由はありません。タルコット侯爵が研究所にイヴォンを渡そうとするなんて、フォルブス男爵様になんと報告したらいいか。

 ケイ卿はタルコット侯爵と手を組むつもりなのですか?」


 丁寧な言葉と恐縮した態度のライナスにアカツキとレナードは呆れを隠しきれていない。しかし、ライナスがわたしたちに接触したことはオールソン卿に隠していたから、ここでは彼に合わせるしかなかった。アカツキは苦笑を誤魔化すようにひとつ咳払いをして口を開く。


「タルコット侯爵の提案は悪くない。イヴォンを神殿に引き渡すわけにはいかないし、神殿をこのまま放置しておくわけにもいかないからね。神殿のイモゥトゥがどんな扱いを受けているのか、ちゃんと調査する必要がある。

 ただ、その役割を研究所が負えるかというと、少々……いや、かなり心許ない。せめて大聖会の要請を受けて研究所が動くという形をとらないと、研究所もタルコット侯爵と同じように自分のところの祀花守を返せと言ってくるだろう。

 いずれにせよ、オールソン卿とライナス君はイヴォンを連れ帰ることは諦めてもらわないといけないよ」


 オールソン卿は「わかっています」と項垂れたが、イヴォンが「タナーさん」と声を発するとすぐさま顔をあげて少女を凝視した。


「タナーさん、彼は神殿の関係者ですか? 聖職者ではなさそうだけど」


「彼はオールソン伯爵家の令息ですよ」


「オールソン伯爵家はジチ正派だったと記憶しています。もしかしてラァラ派に改宗されるご予定ですか?」


 イヴォンはオールソン卿に返答を求めたが、昨日ヴィンセントと間違えられ罵られたオールソン卿は眼の前の少女の変わりように困惑している。ショールで隠された彼女の眼差しにも耐えられず、「ええ、まあ」と口の中でもごもご喋った。


「誰かから交霊のことを聞いて改宗しようと思ったのかしら。あなたは何が知りたいの? 誰のことを調べてほしいの?

 みんな、自分の記憶はのぞかれたくないのに他人の記憶はのぞきたがる。でも、そんなに簡単に望むものが見られるわけじゃないのよ。穏やかな風景は交霊ではほとんど見られないんです。感情が大きく揺さぶられたときに、その記憶が強く魂に焼き付けられるから」


「でも、その魂もいつか死ぬのでしょう?」


 オールソン卿は自分の膝を睨んで問い返した。何かしらの意図があって聞いたというより、ただの揚げ足とりのように思えた。


「死なないわ。すべての魂はセタの元でひとつになる。いえ、魂は最初からセタの元にあるのよ。死によって失われるのは肉体や魂ではなく、肉体と魂の繋がり。

 わたしは交霊状態に入ったときセタの国に足を踏み入れているのだと思ってるわ。そして、そこに漂う魂の一部を目にするの。

 あなた、リュカの友人ね。彼に友人がいて良かった。できればリュカを見捨てないであげて。目を離さないで。あの子が大地に還るまで」


 イヴォンの声はまさに聖女らしい慈悲と穏やかさに満ちていた。オールソン卿は苦々しい笑みを浮かべ、彼には珍しく挑発的な上目遣いでイヴォンを捉える。


「イヴォン嬢。あなたは昨日、わたしにこう言ったんです。リュカはリルナ泥沼に落ちてしまえばいい、自分はリュカとエリオットを憎んでいると。リュカが大地に還るまでわたしに見守れというのは、わたしの手で彼をリーリナの沼に突き落とせという意味ですか?」


「わたしがそんなことを? ……あっ、だからタナーさんもわたしが伯爵様を恨んでいないのかと聞いたんですね」


 イヴォンは愕然とした様子で、オールソン卿の言葉の真偽を確かめるように隣のタナーレナードを振り返った。


「覚えていないようですね」


 レナードの言葉にイヴォンは申し訳なさそうにうなずく。


「オールソン卿。わたしは時々記憶を失い、夢遊病者のような状態になるのです。伯爵様への恨みはもう消えたと思っていたのですが、胸の奥に燻っていたのかもしれません。

 でも、リュカを恨むなんて変ですね。彼とはもうずっと会っていないし、わたしは彼の今後を心配しているだけなのに。幻覚症状がひどくならないうちに一度会ってみるべきかもしれないわ」


「リュカは今ウチヒスル城にいます。イヴォン嬢が会いに行けば喜ぶはずです」


 オールソン卿は自棄でも起こしたのか憚ることなく口にした。「冗談でしょう」と牽制したのはレナードだ。


「悪いが、イヴォンをオールソン卿に渡すつもりはないよ」


「しかし、ウィルビー卿。イヴォン嬢の意思を尊重すべきではありませんか? 

 ロアナ王国に戻ったからといって神殿に引き渡す必要はないのです。神殿に知られず彼女とルーカスを引き合わせればいい」


「……ルーカス?」


 イヴォンは突然ショールを取り払い、たった今目覚めたかのように目を瞬かせて周りを見回した。隣に座るレナード、その奥のアカツキ、ヘサン伯爵と、テーブルの斜向かいにオールソン卿、その背後に立つライナスにしばし目を留め、最後にわたしに顔を向けると申し訳なさそうにこう言うのだった。


「あの、ユーフェミアさん。わたしはまたご迷惑をおかけしたでしょうか。みなさん、ここで何を?」


 ライナスは口の端をわずかに持ち上げ、オールソン卿は唖然としている。アカツキはイヴォンをじっと観察していた。


「迷惑なことは何もないわ。みんなで今後のことを話し合っていたの。タルコット侯爵が、あなたを研究所に引き渡す代わりにラァラ神殿を告発するから協力して欲しいと言ってきたから」


「タルコット侯爵が?」


 イヴォンは警戒心を露わに眉をひそめた。

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