第十二話 幻覚との対話

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月28日



「イヴォンは伯爵様を恨んでいないのですか?」


 レナードが問いかけると、イヴォンは「どうかしら」と曖昧な反応をした。

 

「伯爵様がわたしを利用したと気づいて恨んだこともあったわ。わたしは彼のしたことを許すべきではないのかもしれないけど、伯爵様はいつか死んでしまうでしょう?

 欲深くて残忍なエリオット・サザランは、だからこそクローナの最西端にサザランありと言われるほどになった。ロアナの人々に豊かさをもたらし、クローナ大陸の未来を多くの人に見せた。そんな人でも老いて死ぬの。

 いずれセタのところに行く魂に恨みを抱くなんて、聖女のすることではないわ。……いえ、そんな綺麗ごとではなく、いつ頃からか怒りも恨みも褪せてしまったの。あのとき彼はまだ未熟な青年で、わたしは逃げようと思えば逃げられたのにそうしなかったのよ」 


「許したのですね」


 タナーの言葉に、イヴォンは「そうね」と左手の短い小指をさすった。


「それに、伯爵様はわたしに恨まれようが憎まれようが気にしないわ。彼のすべては欲しいものを掴むためにある。その欲望は国境を越え、ディドル大陸やガルムント大陸に向けられているけれど、彼には寿命という限界が存在する。もし、伯爵様がイモゥトゥだったら……」


 少女が俯くとショールが植物図鑑をなでる。彼がイモゥトゥだったら、と続けたのはレナードだ。


「クローナ大陸を股にかけて活動することなどできなかったでしょう。イモゥトゥだったら、リュカのように隠れて暮らさなければいけません」


「そうね。タナーさんの言う通りだけど、神殿は矛盾しているわ。ラァラの子と持ち上げておきながら、ラァラの子だからと義務と制約でがんじがらめにする」

 

 イヴォンは話の途中で何か思い出したらしく、「これを見て」と植物図鑑の紙の挟んであったページを開いた。


「フォルブス男爵がこれをどこかで育ててるみたいなの。交霊の導入に使おうと考えてるようだわ」


「芥子……。オピウムを作ろうと?」レナードが眉をひそめる。


「たぶん。オピウムの栽培を禁止する国が増えてきているし、ロアナでも議論されている最中だから人目につく場所は避けたみたい。森に囲まれていて、農作業している人の中に知ってるイモゥトゥが二人いた。神殿から脱走しようとして捕まったんだと思う。全部で十五、六人。みんな十代の少年少女だったし、他の子もイモゥトゥかもしれないわ。あとは監視が二人。顔を隠していたけど、一人はネイサン様――フォルブス男爵の声だった」


 イヴォンは図鑑を閉じ、縋るように胸に抱いた。


「あのイモゥトゥたちがどこから来たか調べたいのに、交霊が上手くいかないの。あの場所が、森に囲まれた緑一色の景色がウチヒスルの森に似ていて、交霊と過去の記憶がごちゃまぜになってしまうのよ。

 どこまでが現実で、どこからが幻覚なのか。今見ているのが交霊なのか過去の記憶か、それとも妄想なのかわからなくなるの。

 タナーさん、この幻覚はいつまで続くと思う? もしかして死ぬまでずっと続くのかしら。実はわたし、目の前にいるタナーさんが幻だってこと、ちゃんとわかってるのよ。だって、あなたはずっと前に死んでしまったもの」


 淋しげにこぼしたのは新生を間近に控えた百数十年前のイヴォン。彼女は幻覚が新生前症状だということも、新生によって記憶を失うことも知らないのだ。その声音には不安と諦念とが同居して、同じように新生を控えた状態でも、今の・・イヴォンとはずいぶん違う。


「実はね」


 彼女はつぶやき、不意にわたしの方に顔を向けた。


「今日はタナーさんの他に知らない人が二人見えているの。こっちに小麦色の肌の可愛らしい女性がいて、タナーさんの後ろにはライナス様と同じ髪色をした青年が立っているわ」


 ここに来てわたしはようやく理解した。なぜわたしとライナスを無視するのかと思っていたが、イヴォンは自分がここに一人きりだと認識し、それ以外はすべて幻覚だと思っていたのだ。


 だとすれば、これはイヴォンから真実を聞き出すいい機会かもしれない。幻覚に嘘をつく必要はないし、むしろ秘密を打ち明けるにはちょうどいい相手だから。


「イヴォン、わたしは神殿所属のイモゥトゥです。以前あなたからキャスリンについてお聞きしました」


 わたしがそう言ってお辞儀をすると、不思議そうに大きな目を瞬かせたのが薄いショールの向こうに見えた。


「ごめんなさい。最近記憶が曖昧で、誰にいつお会いしたのか、どんな話をしたのかほとんど覚えていないの。わたしがキャスリンの秘密・・を話したのなら、あなたは特別な人に違いないわ」


 秘密――という言葉に引っかかりを覚え、ふと脳裏に蘇ったのはかつてイヴォンが口走った言葉。わたしがセラフィア・エイツだと打ち明けると彼女は急に交霊状態に入り、パニックになりながらこう叫んだのだ。


『リュカ……、やめて、リュカ。……そうだわ! リュカはキャスリンと同じ』


 イヴォンは最初わたしの視点であの夜・・・のリュカを見た。それが唐突にキャスリンと口走ったのは、わたしが見たものの中にキャスリンとルーカスを繋ぐ何かがあったということだ。それはルーカスだけでなくキャスリンの『秘密』であり、わたしはそれ・・を見たことで殺されたのでは?


 二人の共通点と言えば――小さくなる・・・・・


「ねえ、イヴォン。リュカはキャスリンと同じなのですか?」


 イヴォンは肩を強張らせたが、すぐ緊張を解いたのはこれが幻覚との自問自答だと考えたからだろう。


「あなたの言う通り二人は同じよ。交霊能力をイモゥトゥ全員が持っているのだとしたら、あなたもいつかわたしが見たものを見れるかもしれない。

 あの時わたしが見たのは鏡に映る伯爵様の姿だった。薄暗い地下書庫でリュカは生まれたの。わたしが伯爵様に出会う二、三年前のことだから、もうずいぶん昔のことね。伯爵様は今年で何歳になるのだったかしら」


「死んだよ」


 口にしたのはこれまでひと言も発しなかったライナス。イヴォンが顔を向けると、もう一度「エリオットは死んだ」と、催眠術を解こうとするように強い口調で言った。しかしイヴォンは「タナーさん、伯爵様は死んでしまったんですって」と動揺するでもなくレナードを見上げる。幻覚ライナスの言葉を信じている様子はなく、戯れに会話を続けるつもりのようだった。


「わたしったら、伯爵様が亡くなったことまで忘れてしまったみたい。年をとると物忘れがひどくなるというけど、イモゥトゥも同じね。それより、伯爵様が亡くなったのならライナス様が伯爵位を継いだんでしょう? ライナス様はあの書庫のことはご存知かしら?」


「あの書庫とはどの書庫です?」


 レナードはあからさまに情報を聞き出そうとしたが、イヴォンに警戒する様子はない。


「本邸裏の、ニセアカシアの木の傍にあるあの地下書庫のことよ。見た目は物置小屋だし、地下への階段は見つけにくいから、伯爵様から教えてもらわない限りライナス様が地下書庫の存在を知ることはないわ。

 わたしが地下書庫に入ったのはたった一度だけ。伯爵様に連れて行かれて、ウチヒスル奇病事件の報告書を見せられたの」


「ウチヒスル奇病事件?」


 怪訝な顔で首をひねったライナスは、神殿の内部事情には詳しくても、神殿ができる前のウチヒスルの過去には精通していないようだった。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る