第六話 フォルブス男爵家の後継者②

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月27日



 イヴォンは交霊状態が切れたらしく、レナードに支えられてソファに横たわった。「すいません。少し……」と何か口にしかけたものの、すべて言い終わらないうちに瞼を閉じる。


「気を失ったのですか?」


 ヘサン伯爵が心配そうに顔をのぞき込んだが、呼吸は安定しているし、おそらく眠っただけだろう。新生が近づくと睡眠時間が長くなるのだと説明すると、伯爵は安堵の表情を浮かべた。


 一方、オールソン卿はイヴォンを囲う輪の外に一人佇み、震える手で縋るように自分の麻ベストの裾を掴んでいる。


「オールソン卿、顔色がよくありませんが大丈夫ですか?」


 わたしが声をかけると、彼は全員の視線が集まっていることに気づいて狼狽えた。


「だ、……大丈夫ではなさそうです。先ほどのイヴォン嬢の交霊が実際にあったことなら、リュカがフォルブスわたしの父に……」


「オールソン卿、それは少し違うと思う」


 冷静に諭したのは、意外なことにオールソン卿を一番警戒していたレナードだった。


「イヴォンが交霊で見た子どもはルーカス本人ではない可能性が高いです。会話の中に『短銃』という言葉がでてきたでしょう? 短銃はイス・シデ戦争後から中央クローナ革命期にかけて広まったものですが、それよりずっと前にルーカス・サザランは成長停止していたはずなんです」


「成長停止とはどういうことです? 彼がイモゥトゥだと?」


「そうです」


 レナードが表情も変えず即答し、わたしの視界の隅でヘサン伯爵が頭痛に耐えるようにこめかみを押さえた。


 オールソン卿は困惑した様子で、「子どもの頃にリュカとウチヒスル城で遊んだことがある」と、以前と同じ説明を繰り返したが、それはもうリュカがイモゥトゥでないことの証拠とはなり得ない。アカツキはソファーに座るよう彼に促し、自分も隣に腰を落ち着けた。


「オールソン卿、その件についてはわたしから説明しましょう。イヴォンから聞いた話では、ルーカスはエリオット・サザランが育てたということです。二人は同一人物ではなかったけれど、あなたの友人のルーカスはイモゥトゥだった」


「しかし、何度も言うようにわたしは子どものルーカスを知っているんです。以前は神殿を訪問したときに会ったとお話しましたが、本当はオールソン家に養子に出されるずっと前、五歳くらいの時の話です。

 父がウチヒスル城内の出入り禁止になっている翼棟にわたしと弟を連れて行き、そこにリュカがいました。しばらく城で預かることになったから一緒に遊びなさいと言われ、三、四回翼棟に出向いたと記憶しています。しばらくしてリュカの病状が悪化したとかで、うつるといけないからと、面会できなくなりましたが」


 オールソン卿の語気は尻すぼみになり、


「その子は別人です」


 わたしが言うと、感情を手放したようにスッと無表情になった。ここ一週間ほどで神殿や家門の裏の顔を突きつけられ、限界を越えてしまったのかもしれない。彼は抑揚のない声で「別人」とオウム返しに口にした。


「はい、別人です。ルーカス・サザランと、彼そっくりの五歳くらいの子どもが一緒にいるところを交霊で見ました」


「イヴォン嬢が?」


「見たのはわたしです。それに、先ほどのイヴォンの交霊に出てきた子どもは早期に成長停止したイモゥトゥの可能性があります。会話の内容が五歳のものではありません。

 ウチヒスル城の翼棟には元々ルーカスと子どもの二人が暮らしていて、ルーカスがイモゥトゥだということを隠すため、その子をあなたたちに引き合わせたのではないでしょうか」


 力なくうなだれる青年が気の毒で、「あなたの父親が」とまでは口にできなかった。オールソン卿は「実は」と吐息混じりに話し始める。


「先日、黄金の滴歌劇場で『クイナの翼』を観劇しました。しかし、事実はオペラよりも奇妙で醜いものですね。まさか、わたしのすぐそばにイモゥトゥがいて、わたしの生まれた家門がその存在を隠していただなんて。

 きっと、後継者のヴィンセントはすべてを知っているのでしょう。そのうえで、わたしには伏せている。

 数年前にリュカと再会したとき、わたしはオールソン伯爵家の養子になっていました。フォルブス男爵から彼がサザラン伯爵家の令息ルーカスだったと明かされたのですが、彼がイモゥトゥならそれも嘘だったわけですね。なるほど、ロアナで彼がサザランを名乗れないわけです。

 あの時、フォルブス男爵はわたしにこう言いました。

『サザラン伯爵家は病弱なルーカス様を疎んで、サザラン家の一員として認めようとしなかった。しかし、同じくエリオットの血を受け継ぐ家門として、フォルブス男爵家はルーカス様を蔑ろにすることはできない。サザラン伯爵の目があるからフォルブスとしてルーカス様を支援するのは難しいが、オールソン伯爵家の人間なら陰で彼を支えることもできる。それがフォルブスに生まれたおまえの使命なのだ』と。

 当時はその言葉を嬉しく感じたものです。ウチヒスルから遠く離れ、オールソンとなった自分にもできることがある。フォルブスとしての価値があるのだと。そしてルーカスに言われるがままヨスニル大学に入学し、ソトラッカ研究所に足を運びました。

 ルーカスに対しては、サザラン家との確執を聞いて同情もしていましたし、不老不死のイモゥトゥに憧れる病弱な青年を哀れに思っていました。彼のわがままに付き合うことはわたしにとっては〝隣人への愛〟の実行であり、わたしが父に認められるために残された唯一の方法だったのです。

 ですが、どうやらわたしは都合のよい駒でしかなかった。ルーカスにとっても、父にとっても」


 オールソン卿が口をつぐむと部屋に沈黙が落ち、ひとつ聞こえた吐息はヘサン伯爵のものだった。伯爵は老体というほど年はとっていないが、立ちっぱなしでいるのを気遣ったレナードが彼に壁際のスツールを勧める。レナードはその横で壁に背を預け、ぐるりと部屋を見回した後に沈黙を破った。


「リーリナ神教をご存知ですか?」


 空のグラスを見つめていたオールソン卿は、一拍おいて自分に話しかけられたと気づいたらしく、ゆっくりとレナードのいる方を振り返った。


「……かつてロアナに存在した、邪神リーリナを崇める宗教です。二百年代半ばに禁教となりましたが」


「では、今現在エリオット・サザランにそっくりなイモゥトゥが二人もいて、その二人はロアナ王国内で生まれたと考えられるこの状況――、禁教が関わっているとは思いませんか?」


 オールソン卿は視線をそらし、眉間に嫌悪感を滲ませて首を左右に振った。


「ラァラ神殿では禁教について口にするのはタブーでした。残虐な人体実験をして禁教になったというくらいしか知りません。

 ですが、もしウィルビー卿の推測通りなら、エリオット・サザランはその秘密を隠すためにフォルブス男爵家を作ったのかもしれませんね。

 ルーカスと子どものイモゥトゥはエリオットが人体実験で生み出した失敗作・・・。イヴォンが完成品・・・なのでしょう。タルコット男爵は完成品の血を妊婦に投与することで、効率的にイモゥトゥを増やす方法を編み出した」


 やけになっているのか半笑いで話すオールソン卿の露悪的な態度は、逆にアカツキの憐れみを誘ったようだった。レナードとヘサン伯爵は妊婦への血液投与のことを知り、不快感を露わに顔を歪めている。


 わたしはソファの脇に膝をつき、イヴォンの額をなでた。白く滑らかな肌に愛らしい顔つきをしているが、ルーカスと似ているのは金髪くらいで骨格も目鼻だちも別人だ。


「オールソン卿。イヴォンはエリオットや神殿によって生み出されたイモゥトゥではありません。彼女の話から、イヴォンが生まれたのはクローナ歴二百年代の終わりから三百年頃だと推測しています。彼女は一度新生し、今迎えようとしているのは二度目の新生です」


 イヴォンがエリオットに保護された経緯と、その当時のルーカスとの関わりをわたしが説明しているあいだ、オールソン卿に目立った反応はなかった。顔色の悪さと無表情があいまって、まるで蝋人形のようだ。


「オールソン卿、大丈夫ですか?」


「平気です。ただ、頭を整理しきれなくて」と、強張った笑みを浮かべる。


「オールソン卿。何が真実かは自分で見つけるしかないのだと思います。みんながそれぞれ都合のいいように嘘をついているんですから。

 わたしは、禁教との関わりは脇に置いといても、ルーカスと子どものイモゥトゥの二人は妊婦への血液投与以外・・の方法で生み出されたのだと考えています。その方法でエリオットに瓜二つのイモゥトゥを生み出すことは不可能ですから」


 不意にヘサン伯爵が立ち上がり、窓から差し込み始めた西日をカーテンで遮ると、「飲み物を持って来させましょう」と扉脇のベルを鳴らした。


「まだ残暑も厳しい。沸騰しそうな頭もそろそろ冷さないといけません」


 軽い口調で言い、顔をのぞかせた執事に冷えた紅茶を持ってくるよう命じる。紅茶を運んできた女中はソファに横たわるイヴォンに少し驚いた素振りを見せたが、緊迫した空気を察してすぐに部屋を出ていった。グラスの氷がカラカラと軽い音を響かせる中、先に口を開いたのはレナードだ。


「アカツキもユフィもオールソン卿に同情しているようだけど、ぼくはまだ彼を信用してはいないからね。このまま帰してタルコット侯爵にイヴォンのことを漏らされたら困る。ついては、ヘサン伯爵。この別館に彼の部屋を用意してはもらえませんか」


 窓辺のヘサン伯爵は、茶畑を背に腕組みして「むう」と唸った。半分開けた窓から吹き込む風が、彼の豊かな白髪をそよがせている。


「オールソン卿の同意なく軟禁するようなことはしたくないのですが」


 伯爵の心配とは裏腹に、オールソン卿は「できれば留まらせてもらえませんか」と頭を下げた。


「ホテルに戻ればライナス……ルーカスの遣いが同室にいるので――」


 中途半端に言葉を止めると、何かひらめいたらしく隣のアカツキに顔を向ける。


「そう言えば、ケイ卿はロアナに行かれるんですよね。わたしもそれに同行させてもらうわけにはいきませんか?

 ヴィンセントそっくりのこの顔を利用すれば、神殿やウチヒスル城内のほとんどの場所には出入りできるはずです。何も知らないフリをすれば、あなた方の知りたい情報を引き出せるかもしれません」


「そう上手くいくでしょうか」と、レナードが冷ややかな反応を示した。


「フォルブスの後継者はそれを証明するものを持ち歩いていると考えるべきです。瓜ふたつの双子がいることはわかっているのですから。そもそも、オールソン卿はフォルブスを裏切れるのですか?」


「……何も知らないフリをして、オールソン家の人間として生きていくことも可能だと思います。それが、父がわたしに求めていることでしょう。でも、何も知らないまま振り回され、利用され続けるなんて、あまりにも惨めではありませんか」


「フォルブス家の秘密を知ったあとは? 大聖会に告発しても、おそらく捗々しい反応は得られないでしょう。イヴォンの交霊を聞く限りでは、イモゥトゥに対する拷問まがいのことはもうやっていないようだし、証拠になるようなものを残しているとは思えません」


「証拠がなくてもゴシップ紙なら動くのではありませんか?」


「本気ですか?」


 アカツキが口元を引き攣らせると、オールソン卿は先走った発言を悔いたのか「どうでしょう」と半端な返事をする。


「ひとまず、フォルブスが本当に拷問のような実験をしていたのか確かめたいのです。イモゥトゥの幻覚だけを鵜呑みにするわけにいかないでしょう?

 フォルブス男爵家と神殿が何を隠しているのか、ケイ卿とアッシュフィールド嬢も知りたくありませんか。イモゥトゥがどんなふうに生まれ、どんなふうに扱われてきたのか。わたしたちの目的は同じだと思うのですが」


 アカツキがチラとわたしの顔をうかがった。

 正直なところ、オールソン卿がロアナに同行することには気が進まないが、長々とヘサン伯爵邸に留まらせるわけにもいかない。なにより、今のオールソン卿は目を離せば何をするかわからない危うさがある。


「わたしたちが断っても、オールソン卿は一人でロアナに戻るつもりなのでは?」


「……そうですね。わたしはルーカスの口から本当のことを聞きたいのです。フォルブス男爵は何も答えてくれないでしょうが」

 

 レナードが舌打ちしたのは、アカツキの次の言葉を予想したのだろう。


「仕方ありませんね。では、一緒にロアナに向かうことにしましょう。イヴォンのことがありますから今後の予定は改めて話し合うことにして、今日はここまでにしませんか。オールソン卿も頭を整理する時間が必要でしょう?」


「ええ。伯爵様にはご迷惑をおかけすることになりそうですが」


 ヘサン伯爵は「穏便に片付くとよいのですが」と鼻髭の下に笑みを浮かべたが、イヴォンに続いて転がり込んできた厄介事に内心頭を悩ませているのは間違いない。アカツキは伯爵に謝罪と礼を述べ、なるべく早く伯爵邸を発つことを約束した。


 その後、イヴォンの身の安全と警備面からオールソン卿の部屋は別館ではなく本邸の古城に用意されることとなり、彼はヘサン伯爵に連れられて管理人宿所の横の通用口から出ていった。


 夕食どきになって伯爵だけが別館に戻り、目を覚ましたイヴォンも含めて五人でテーブルを囲むことになったが、話題は当然タルコット侯爵や神殿、フォルブス男爵のこと。食事も終わりかけた頃、「オールソン卿の様子はどうでしたか」とアカツキが尋ねた。


「食事をお出ししましたが、あまり食欲はなさそうでした。一人にしてほしいと言われたのでそのように。逃亡の心配はないと思いますが、最上階の三階にし、部屋の前に見張りをつけてあります。

 あっ、それから。駅の電信局からオールソン卿の名でホテルに電報を送っておきました。『今夜は戻らない』と。突然音信不通になれば怪しまれるだろうからそうしてほしいとオールソン卿に頼まれたんです」


「居場所は伝えたのですか?」とレナード。


「まさか。しかし、オールソン卿の筆跡で手紙を送るか何かした方が良いかもしれませんね」


 まさにそんな会話をしている時だった。「門番から報せが」と部屋に入ってきた執事が主の耳元で何か囁き、伯爵は苦々しい顔をする。


「ライナス・ローナンと名乗る者が来たそうです。オールソン卿の従者だと言って、彼の荷物と一緒に」


 イヴォンは心配そうに眉をひそめたが、彼女以外の四人は辟易した表情で顔を見合わせ嘆息したのだった。

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