第五話 フォルブス男爵家の後継者①

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月27日



 部屋の外にいたサキはヘサン伯爵に報せるべきと考えたらしく、慌てふためきながら廊下を駆け出していった。その判断は間違っていない。なぜなら、レナードが腰に差していた拳銃を抜き、イヴォンを庇うように前に出たからだ。


「レナードさん。わたしは大丈夫ですから物騒なものはしまってください」


「それは無理だよ。ぼくはこう見えて心配性だからね」


 わたしにはまだ何が起きているのか理解できていなかった。イヴォンはちゃんとレナードを認識しているし、幻覚を見ているようには思えないが、オールソン卿を『ヴィンセント・フォルブス』と呼んだのだ。


 ヴィンセントといえば以前オールソン卿がアカツキに紹介すると言っていたフォルブス男爵家の後継者で、今はロアナにいるはず。オールソン卿の様子ををうかがうと、両手を顔の横にあげて降伏の意志を表明していた。


「どういうことですか、オールソン卿」


 アカツキが彼の肩をグイと掴んだ。


「ケイ卿、誤解しないでください。銃を前にしたらまずはこうしないと。ですが、わたしはヴィンセント・フォルブスではなくクリフ・オールソンですよ」


「嘘はよくない」と、レナードが公爵令息らしい鷹揚さで銃を構えた。


「オールソン卿がここに来たとき、彼女は前庭にいるあなたの顔を確認しました。そのあと、交霊であなたのことを見たんです」


 レナードの言葉を裏付けるように、イヴォンが「その通りです」とまっすぐな目で肯定する。


「こんなふうに交霊でイモゥトゥ居住区域管理者の顔を知ることになるとは、わたしも思っていませんでした。普段、神殿敷地内は祭服でうろついていらっしゃるようですね。あなたが管理者というのは予想通りではあります。フォルブス男爵家の当主は代々霧の銀狼団を受け継いできたようですから。

 しかし、偽名を使ってソトラッカ研究所に出入りしているとは驚きました」


「ですから誤解です。交霊はたしかに素晴らしい能力ですが、そこに見たものから真実を抽出するのは交霊とは別の能力です。わたしは――」


 話の途中でオールソン卿がイヴォンの背後に目をやったのは、開け放たれた扉の向こうでバタバタと激しい足音が聞こえたからだ。サキを先頭に、ヘサン伯爵と執事と女中までやってきて、応接室の前で足を止めたのは使用人三人。ヘサン伯爵は躊躇いなく部屋に入ってくると、「ウィルビー卿」と鋭い眼光ををもって若い公爵令息を窘めた。


「これはいったいどういうことです?」


「彼はわたしたちを騙していたんですよ。本当はフォルブス男爵家の後継者らしいです」


「ですから誤解です。手が疲れたので下ろしてもかまいませんか? わたしは拳銃どころか武器になるようなものは何も持っていません。話を聞いていただければ誤解はすぐに解けるはずです」


「銃をしまってくれないか」とアカツキが請うと、レナードは渋々ながら「わかったよ」と、手にあった銃をズボンの腰に差し戻した。


「アカツキもその男から離れてくれ。さっき言ったが、ぼくは心配性なんだ」


 アカツキは親友の要望通り後ろに五歩さがり、オールソン卿はレナードの顔をうかがいつつゆっくりと手を下ろす。充満していた緊張感が一段階緩和されると、ヘサン伯爵は使用人に下がるように言って応接室の扉を閉めたのだった。


 イヴォンが足元の革靴に小さな足を入れてつま先でトントンと床を蹴る姿を、レナードがそばで見守っている。その光景を見て、ウィルビー公爵家にイヴォンと同じ年頃の娘がいたのを思い出した。レナードはイヴォンと妹を重ねているのかもしれない。


 肩にかかった半端な長さの金髪は自分で切ったらしく不揃いだが、逃亡生活のわりに艷があるのはイモゥトゥの持つ治癒力のおかげだろう。後で切り揃えてあげようと考えていたら、わたしが心配していると思ったのかイヴォンが『大丈夫』と言うようにニコリと微笑んだ。キャスリンだと思って抱きついてくる時とは違う大人びた笑み。彼女はすぐに真顔に戻ってオールソン卿を見据える。

 

「言い訳があるのならどうぞ、クリフ・・・さん」


「わたしはヴィンセント・フォルブスの双子の兄、クリフです」


 えっ、と何人かが驚きの声をあげる。イヴォンは「あ……」と、失念していたことを思い出したような反応をした。そして、目を眇めてオールソン卿の頭から足先までを観察する。


「わたしとヴィンセントは顔も体格もそっくりなので、隣に並んで見比べてもわからないと思います。笑った時に右の口角がやや上がり気味になるのがヴィンセント、右膝に子どもの頃にできた傷跡があるのがわたしです。

 外見は同じでも中身の出来には差があり、早いうちからフォルブス男爵家の後継者はヴィンセントだと囁かれていました。おおかたの予想通り弟が家門を継ぐことになり、わたしはオールソン伯爵家の養子に出されることになったんです。

 わたしは正真正銘、クリフ・オールソンです。

 ヴィンセントが……イモゥトゥ居住区域でしたか、そこの管理をしていることも今初めて聞きました。ヨスニル大学に通いながら、そんな場所の管理なんてできないでしょう?」


 オールソン卿は同意を求めるように部屋に残った面々を見回したが、全員が沈黙を守ったせいかさらに言葉を重ねる。


「わたしはフォルブス男爵家の後継争いに負けたのです。霧の銀狼団という名は何度か耳にしたことがありましたが、神殿内の研究組織としか知りませんでした。おそらく当主と後継者にしか知らされない秘密があるのでしょう。父はその秘密を守るため、わたしを家門から追い出したのだと思います。

 普通、二人しかいない息子の一人を養子に出したりはしませんよ」


 わたしはただの歯車に過ぎない――という、さっき聞いたばかりのオールソン卿の言葉を思い出した。自分はルーカスの歯車であり、神殿の歯車だと彼は言っていたけれど、根底にある虚無感や無力感の原因は後継争いにあったのかもしれない。


「信じてもらえましたか?」


 オールソン卿が尋ねると、少女の瞳にはかすかに動揺の色が浮かび、対峙する相手に同情的なのが見てとれた。


「クリフさん、ロアナ貴族のあなたがわざわざ中央クローナまで来て研究所に出入りしていたのはなぜ? フォルブスにそうするよう言われたのですか?」


 それについてはわたしからイヴォンに伝えたはずだが、今のイヴォンにすべてを覚えていろという方が無理な話だった。「ルーカスよ」とわたしが口を挟むと、イヴォンは思い出したのかハッと目を見開き、そのあと再び表情を強張らせる。


「わたしからも質問を?」オールソン卿が問うと、少女は警戒しつつ「どうぞ」と促した。


「では、あなたは聖女イヴォンですか」


 今さら確かめる必要もない質問だったが、しかしイヴォンは狼狽した。勇み足でオールソン卿の前に姿を見せたことを後悔したのかもしれない。


「……そうですが、聖女という肩書は捨てました。神殿に戻る気はありませんから」


「イヴォン嬢、わたしはあなたを神殿に連れ戻そうとしているわけではありません。ルーカスに言われてあなたを探していたんです」


「同じだわ。ラァラ神殿の中核が霧の銀狼団で、霧の銀狼団のトップであるフォルブス男爵がルーカスを囲っているのだから」


「そうでしょうか。むしろ、フォルブス家もサザラン家も、神殿や霧の銀狼団に彼の存在を知られたくないのだと思います。だからこそルーカスはウチヒスル城内でも立ち入り禁止の場所で隠れ暮らしていた。あなたの捜索についても、ルーカスは神殿と別で動いていました。ルーカスは個人的にあなたに会いたいのだと思います」


「会いたいですって? 声をかける機会はあったのに、どうしてわたしが逃げ出した後で追いかけて来るのです?」


 イヴォンには珍しく、火花が弾けるような感情的な言い方だった。


「祀花守として水やりのためウチヒスル城に入った時、何度か彼らしい姿を見かけました。顔を隠していた布が風に吹かれ、素顔を目にしたことが二度あります。彼はすぐ顔をそむけてどこかへ行きました。

 彼の素顔を目にした者はわたし以外にもいますし、神殿のイモゥトゥならウチヒスル城に住む病弱な美青年の噂は耳にしたことがあります。わたしにとって、彼はその程度の存在でした。昔のことを――彼がリュカだということを思い出すまでは」

 

 イヴォンは左手を顔の脇に掲げ、不自然に短い小指だけを器用にピョコピョコと動かした。


「切られたのです」


 オールソン卿は怪訝な顔をし、「誰にですか?」と慎重な口ぶりで問いかける。


「リュカと同じ顔をした男。エリオット・サザランにです。……サザラン家もフォルブス家もリルナ泥沼に飲み込まれてしまえばいいのに」


 イヴォンは口元を震わせていた。彼女がわたしたちに打ち明けた過去は、彼女が知る闇のほんの一部なのだろう。聖女の口からフォルブス家への恨み言がこぼれたことに、オールソン卿は驚き困惑した様子で首をひねった。


「イヴォン嬢、フォルブス家はあなたに何をしたのですか?」


「フォルブスがわたしにしたことと言えば、せいぜい軟禁状態を強いていたくらい。でも、フォルブスは……、フォルブス……」


 イヴォンの視線がオールソン卿から離れ、ゆらりと宙を彷徨った。交霊状態に入ったのを察してわたしは立ち上がろうとしたが、「大丈夫です」と落ち着いた声でイヴォンが制す。どうやら、なりきって・・・・・いるわけではなさそうだった。


「交霊内容をお伝えします。

 薄暗い部屋、視点人物は膝をついて床を見ている。正面に一人。暖炉の火で影が見えます」


 淡々とした口調で報告するイヴォンの姿は、研究所のイモゥトゥたちの交霊実験を思い出させる。しかし、いったい何が違うのか、目の前の聖女になんとも言えない畏怖のようなものを覚えた。


「話し声は?」


 わたしは研究所でやっていたように短い言葉で誘導する。


「会話はロアナ語。子どもの声でフォルブスに報告を求めている。視点人物フォルブス」


 子どもと聞いてわたしはアカツキと視線を交わした。パッとひらめいたのは、研究所のイモゥトゥが見たルーカスそっくりの子ども。わたしがルーカスの家で聞いた軽い足音と「じゃあ、行ってくる」という幼い声。


 アカツキも同じことを考えたようだが、確認する間もなくイヴォンの報告は続く。


「会話を直訳します。

 発話者フォルブス『四肢欠損では死亡せず。……短銃……心臓は銃弾が貫通したら一発までは死亡せず。二発で死亡……。頸動脈圧迫だけでは死亡せず。……心拍低下、仮死状態。……銃弾による脳損傷。言語および記憶障害が二ヶ月で回復……』

 場面転換しました。場所、状況は同じ。

 発話者子ども『フォルブス、孤児院の報告を』

 発話者フォルブス『欠損した右腕に別のイモゥトゥの腕を縫合……適合せず』……」


「続けて」


 イヴォンの視線が何かを探すように左右に動き、次の言葉まで少し間があった。


「場面転換しました。場所は、さっきより暗いけど状況は同じ。

 発話者子ども『フォルブス、孤児院は閉鎖する』

 発話者フォルブス『内部調査は孤児院まで及びますか』

 発話者子ども『可能性は低い。だが、彼の命令だ。念のため交霊感度の高いイモゥトゥを残して処理しろと。選別はあなたに任せる。結局、イヴォン……のような素材は生まれなかった』」


 自分の名が出たことでイヴォンは一瞬だけ言葉に詰まった。そのまま交霊状態が解けるかと思ったが、彼女はまだ幻影を見ているようだ。レナードと伯爵が息を飲んで聖女を見守る中、クリフ・オールソンだけが呆然自失の状態で視線を泳がせている。


「子どもの顔は?」


 わたしが問うと、「わからない」とイヴォンは首を振った。


「フォルブスは跪き、子どもは椅子に座ってる。貴族が履くような革靴。祭服を着てるみたい。裾が床に引きずれて……小さな足」


「子どもの声に聞き覚えは?」


「声……」


 イヴォンは集中するように眉を寄せ、ヒュッと息を吸い込んだ。驚愕の表情を貼り付けたまま膝から崩れ落ち、後ろにいたレナードが慌ててその華奢な肩を支える。


「……どうして? どうしてリュカがイモゥトゥにあんな……」


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