第四話 ラァラの歯車

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月27日



 まさにその話をするつもりでここに来たのですが――と口にしたクリフ・オールソンと、一瞬だけ視線が交差した。


「アッシュフィールド嬢がタルコット侯爵家で生まれたのなら知っていて当然ですね。侯爵家では妊婦にイモゥトゥの血液を投与してイモゥトゥを産ませるということをしていました」


「妊婦に……」


 わたしは吐き気を催してそれ以上言葉を続けられなかった。アカツキも首を左右に振るだけで、窓の外を見つめて話の続きを待っている。オールソン卿は彼に倣うように外の景色に目をやった。


「妊婦は貧民街で見つけていたようです。お腹の父親が誰かもわからず、経済的に困窮した女性に目をつけ、産まれた子どもを売って欲しいと話を持ちかける。血液は薬だと偽って投与したそうです。母親は自分がイモゥトゥを産んだということも知らず、貧民街にいたなら一生かかっても手にできない額のお金を渡されて新たな人生を始められる」


 施しに見せかけた搾取だった。子を売った母親はどんな気持ちだったのか。助かったと思ったのか、それとも後悔したのか。そんなことに刹那想いを巡らせたが、オールソン卿の次の言葉に戦慄した。


「イモゥトゥを産んだ母親は出産後数年で死亡するそうです。口止めで殺したわけでもなく、病死で」


「それがわかっていながら血液投与を?」


 振り返ったアカツキは寄せた眉に怒りを滲ませ、オールソン卿は気圧されたのか「おそらく」と歯切れ悪く言う。


「出産後、母親にはタルコット侯爵領を出て、可能なら国外に行くように言っていたそうです。なので、タルコット家がイモゥトゥの売買だけを行っていたなら今もその事実は判明していなかったかもしれません。けれど、タルコット家はイモゥトゥの血液も販売していました。

 イモゥトゥの血液を購入した者のほとんどはタルコット家と同様、使い捨てるように妊婦を買収して出産させたようですが、中には自分の妻に血液を投与した者もいたそうです。

 イモゥトゥを産んだ母親は出産後すぐ死亡するわけではなく、早くて一年、遅ければ三年ほど。徐々に衰弱し、流行り病に罹ったり、肺病を患ったりして、その結果死に至ります。そのためイモゥトゥの血液と死因を結びつけて考えることはなく、侯爵家に抗議した者はいないそうです。

 しかし、タルコット家は把握していながら黙って販売していた可能性があります。血液購入者はロアナ国内外の貴族や豪商で、彼らが秘密を漏らさないよう侯爵家はその動向を調査していました。ですから、購入者の妻が数年以内に死亡しているという事実を知らないはずはないのです」


 狂ってるわ、と思わず吐き捨てた。「そうですね」と向かいに座るオールソン卿が共感を示すように沈鬱な声で言い、その瞬間わたしの胸中で花火のように感情が弾ける。


「どうして自分の妻にそんなことができるのかしら。血液投与なんて今でも危険を伴うことなのに、それを百年以上昔に、しかもお腹に赤ちゃんがいる婦人の体に針を刺して。まったく、狂ってるとしか言いようがないわ。タルコット侯爵も、神殿も。なにが『ラァラの子』よ」


「アッシュフィールド嬢、少し誤解があるようです」


 オールソン卿は躊躇いがちに言葉をはさみ、わたしが「勘違い?」と収まらぬ怒りをぶつけると「すいません」と叱られた子どものように項垂れる。が、そこで口をつぐむことはなかった。


「タルコット侯爵家がイモゥトゥや血液の販売をしていたのは四二〇年代から約八十年間で、今はやっていません。

 クローナ歴五〇〇年頃にクローナ大陸各地でイモゥトゥの目撃情報が報じられ始めたのはお二人もご存知でしょう? ラァラ神殿はそれを機に広域調査を行い、神殿内部にいた犯罪者――タルコット侯爵の罪を知ったのです。いま神殿にいるイモゥトゥはその調査の際に保護したとか」


「イヴォンも?」


 試すようにアカツキが質問を投げかけた。イヴォンから聞いた話と齟齬があるが、今問いただす気はないようだった。


「イヴォンはすべての始まりです。だからこそ神殿は七千万クランも出して彼女を探している。本当はもっと報奨金をあげてもいいと考えているかもしれません。

 お二人はわたしの話を聞いて疑問に思いませんでしたか?

 タルコット侯爵家がイモゥトゥの血液でイモゥトゥを出産させていたのなら、最初に使われた血液はどうやって手に入れたのか」


「イヴォンは最初からイモゥトゥだったということですか?」


 すでにイヴォンから聞いていることを、アカツキはさも今知ったことのようにわずかな驚きを含んだ声で口にする。わたしはその演技力に関心しながら、ふとこの会話に虚しさを覚えた。真実は嘘に埋もれ、誰も見つけることはできないのではないかと。


「イヴォンがどこで生まれたのかは不明ですが、彼女は神殿のそばにあるウチヒスルの森で保護されたそうです。彼女が不老だと判明したことで神殿はイモゥトゥ研究を始め、その研究に携わっていた当時のタルコット侯爵が妊婦への血液投与によるイモゥトゥの出産方法を発見した。

 儲かる――と、思ってしまったんでしょうね。

 タルコット家で産まれたイモゥトゥは交霊のために必要な知識を学ばされたという話ですから――きっとアッシュフィールド嬢もそうなのでしょう? ――、イモゥトゥ売買が行われるようになった四二〇年代頃にはタルコット侯爵はイモゥトゥの交霊能力について把握していたはずです」


「オールソン卿の言い方では、すべてタルコット侯爵家が独断でやっていたことのように聞こえますが」


 不信感を露わにしたアカツキの口調に、オールソン卿はフッと笑い混じりの吐息を漏らした。嘲笑のような口辺の引き攣りは、アカツキやわたしに向けたものとは思えない。


「神殿はイモゥトゥ売買には関与してない――と聞いていますが、わたしが真実が知れるような立場ににないことくらいおわかりでしょう?」


 どうやら自嘲の笑みだったようだ。


「では、神殿がすべての罪をタルコットにかぶせた可能性もあるわけですね」


 オールソン卿は肩をすくめて質問を受け流すと、氷の溶け切った紅茶を飲み干してソファから立ち上がり、アカツキの隣に並んで茶畑を眺めた。残暑の濃い青空には城壁から顔を覗かせた入道雲。傾きかけた日が茶畑に影の縞模様を作り、妙にくっきりした世界は絵画のようだ。


「背を向けて、交霊を回避しようとしてるのですか?」とオールソン卿が問いかけた。


「覗き見されるのは誰しも嫌なものでしょう?」


 アカツキの答えにうなずき、彼は話を続ける。


「タルコット侯爵家はこの件が発覚したあとロアナ聖会の監視下におかれることになりました。当主と後継者はイモゥトゥ捜索と取引相手の口止めのため国内外を飛び回り、領地経営については聖会が人を派遣しているそうです。ロアナに残された妻子は肩身の狭い思いをしていることでしょうね。

 ロアナ王家はジチ正派で、この件については何も知りません。当然、ロアナ聖会が意図的に報告しなかったのでしょうが、報告すればタルコット家が取り潰しになるのは目に見えている。だからタルコット侯爵は聖会の言いなりなのです。

 わたしも知ったふうに話していますが、数日前まではタルコット侯爵家を敬虔なラァラ派信徒だと思っていました」


「話はライナスから?」


「そうです。彼は神殿の内情やイモゥトゥ研究についてもかなり詳しく知っているようでしたし、もしかしたらルーカスに命じられて潜入調査などもしていたのかもしれません。わたしがルーカスの従僕なら、ライナスは側近ですね。

 ルーカスからライナスを紹介されたことはありません。今回のことで彼を知りましたが、何と言ったらいいのか、正直なところルーカスのことが少し怖くなりました」


 わたしはソファに腰掛けたまま二人の後ろ姿を眺めていた。自信なさげな声音となで肩で柔らかい印象のある体つきは、オールソン卿の温和な人柄を表しているように思える。


「オールソン卿、ロアナ聖会が隠してきた秘密をわたしたちに打ち明けたのはなぜですか? もしわたしが大聖会に密告したらどうするつもりです?」


 わたしの声で二人が振り返ることはなく、オールソン卿は背を向けたまま返事を返してきた。


「大聖会が動いてくれるのならわたしが密告しても良いのですが、そうは思えません。

 現在、タルコット侯爵家にイモゥトゥはいませんし、おそらく証拠になるものはすべて処分してある。神殿が主導して後始末を進めている段階で大聖会が首を突っ込んでくれば神殿は反発するでしょうし、それは大聖会も望んでいないはずです。

 お二人に打ち明けたのは、一言で言うならうんざりしたからです。ロアナ王国内で暮らしていたときは神殿の教えに洗脳されていたのかもしれません。ジチ正派の家に生まれていれば多少は違ったのでしょうが、ヨスニルに来て以来ロアナの空気に違和感を覚え、それが限界に達したということです」


「王家がジチ正派でありながら、ロアナがラァラ派に牛耳られているのはどういうわけです?」と、アカツキの後ろ頭がわずかに傾ぐ。


「ロアナ王家がジチ正派であることも神殿の意向だという噂があります。他国聖会との間に緊張関係を生まないための神殿の策略だと。 

 結局、ロアナではどこにいっても神殿が第一なのです。だからロアナの外にいる方に話を聞いてほしかった。それに、ケイ卿なら興味を持って聞いていただけると思ったのです」


「当然興味はあります。ラァラ神殿はきっと今あなたが話してくれた以上の秘密を抱えているでしょう。それは神殿だけではなくルーカス・サザランもです。彼を信用しているわけではないのでしょう?」


「信用ですか……」という言葉に皮肉めいた笑いが混じった。


「わたしがルーカスを信用しようがしまいが、それはどうでもいいことです。彼はわたしを信用しているわけではないでしょうし、彼にとってわたしはただの歯車に過ぎない。神殿にとっても信徒はただの歯車です。

 その歯車が時計の中にあるのか蓄音機なのか、はたまた輪転印刷機なのか、その全貌を知りたくなりました。神殿は何を目指し、ルーカスは頭の中で何を思い描いているのか」


 不意にオールソン卿は手を伸ばし、二人の影が繋がった。


「ケイ卿、わたしと一緒にロアナに行ってはもらえませんか?」


 彼はさらに言葉を続けようとしたが、不意に部屋の外が騒がしくなり三人同時に扉を振り返る。


『サキさん、彼女を止めてください』というレナードの声と複数の足音が聞こえ、ノックもなく応接室に姿を見せたのは少年のような出で立ちのイヴォン。彼女を捕まえそこねたサキが戸口の前で足を止め、そのあと姿を見せたレナードは靴を手に息を切らしている。


「まったく、どんな運動神経してるんだ」


 彼はそう言ってイヴォンの足元に靴を置いたが、彼女は裸足のままクリフ・オールソンを睨みつけ、こう口にしたのだった。


「わたしを捕まえに来たのね、ヴィンセント・フォルブス」

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