第三話 クリフ・オールソンの来訪

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月26日〜27日



 ヘサン伯爵から本邸の古城でオールソン卿と面会してはどうかと提案があったが、最終的に別館に招くことになったのはイヴォンの意向でもあった。彼の訪問時にどこかに隠れて顔を確認すれば、わたしたちも知らないオールソン卿の情報を交霊で得られるかもしれないからだ。


 クリフ・オールソンのことはイヴォンに話していたわけではないが、オールソン家はロアナ王国の伯爵家でありラァラ派。彼女がその家名を知っているのは当然だったし、わたしたちの不穏な表情から一連の事件と関連があると察したらしい。


 ヘサン伯爵は話の流れでイモゥトゥの交霊能力を知ることになり、驚くとともに神殿への不信感をさらに強め、「難儀なことですな」と同情の眼差しをイヴォンに向けたのだった。「わたしも他人様の秘密をいくつかこの胸にしまっていましてね、肩の荷が下りるのは墓場に入ったときでしょうな」と。


 その夜、わたしはオールソン卿とルーカスの関係をイヴォンに教え、鞄の底に隠していたノートを彼女に見せることにした。開いたのは『ルーカスに聞いたイヴォンの話(嘘?)』で始まるページ。そこに書かれた内容をひとつひとつ確認しながら、嘘には✕を、事実に◯をつけていく。


✕・ルーカスが幼い頃サザラン伯爵邸に来ていた少女。

(「来ていた」のではなく一緒に住んでいた)


✕・ロアナ王国王都ハサで再会。ルーカスがソトラッカに引っ越す直前、十日ほどタウンハウスにいた時。

(その頃イヴォンはすでにロアナを出ていた)


◯・イヴォンの見た目は昔のまま。


✕・ハサ郊外の商店街。評判の占い師がいると聞いて霊媒相談のテントに行く。

・ルーカスが店に入ると霊媒師が逃げ出す。吊りランタンにヴェールを引っ掛け顔が見える。イヴォンだと気づく。

✕・占い師の名前がイヴォン。

✕・逃げたことでイモゥトゥだと確信する。

(イヴォンは霊媒相談などしていない)


 唯一◯をつけたのは『イヴォンの見た目は昔のまま』という項目。つまり、ルーカスがわたし――セラフィア・エイツに話したのは、イヴォンを探す理由を納得させるためにでっちあげた嘘だということだ。


 イヴォンによると神殿から逃げ出したのは約二年前で、これは以前クリフ・オールソンから聞いた話と一致している。去年の春には中央クローナに身を潜めており、ロアナ王国の首都ハサでルーカスと会うことなどできるはずもなく、そもそも、イヴォンはハサの街に降り立ったこともないらしい。


「わたしの世界は神殿の中だけでした。でも、ハサの街並みは知っています。ナスルの大聖殿も、一面真っ赤なサルビアで埋め尽くされた聖園も、景色と音だけなら知っているんです」


 交霊で見たのだろうその景色を、彼女はベッドの中で少しさみしげな微笑を浮かべてわたしに話した。明日を待たずともクリフ・オールソンの特徴を彼女に伝えればこの時間で交霊できただろうが、交霊が新生を早めるかもしれないと考えると言い出しづらく、イヴォンがそうしないのも理由があるのだろうと思った。


 彼女はオールソン卿の訪問に備えて気を張っている様子で、その夜は眠るまで正気を保ち、翌朝は目覚めてすぐわたしをユーフェミアだと認識した。その後も幻覚を手で払う仕草はしたけれど、子ども返りすることはなかった。


 オールソン卿の馬車がじきに到着するという報せを受けたのは昼過ぎ。イヴォンは訪問者の顔を確認すべく屋敷の前庭を見下ろせる場所に陣取り、アカツキとわたしは外に出て彼を待った。オールソン卿相手に仰々しい変装をするわけにもいかず、アカツキは伊達メガネをかけ、わたしは以前会った時と同じ金髪のカツラをかぶっている。


 古城の陰から姿を見せたのは一頭立ての軽装二輪馬車。オールソン卿はわたしたちに気づくと手を振り、馬車が止まるやいなや座席から飛び降り駆け寄ってくる。御者は愛想を振り撒くでもなく、すぐに馬車を反転させて来た道を戻っていった。


「ケイ卿もアッシュフィールド嬢もお元気そうで何よりです」


「ドンクルートで別れてからまだ一週間も経っていませんよ」


「そうですが、お二人のことが心配だったのです。詳しいことは後でお話しますが、しかし、もう八月も終わりだというのに暑いですね」


 オールソン卿は脱いだカンカン帽で首元を扇ぎ、扉の前に控えていた執事が「冷えた紅茶をお出ししますのでどうぞ」とにこやかに微笑んだ。その笑顔に促され、一同は残暑の日差しに追いやられるように屋内に入る。


「ヘサン伯爵様にお会いできなくて残念です。お忙しいところ、ご無理を言って申し訳ありませんとお伝え下さい」


 オールソン卿の言葉に執事は「承知しました」と答えたが、実のところ伯爵もこの屋敷内に待機している。来訪者を警戒してというよりも、レナードが刃傷沙汰を起こさないか心配だったようだ。昨日の「銃の手入れをしておこう」という公爵令息の言葉は冗談ではなく、実際に荷物の中から拳銃を取り出して手入れを始めたのだから。


 わたしとイヴォンの部屋の真下にある一階の応接室でオールソン卿と向かい合って座ると、執事と入れ替わりにサキの母親が氷入りの紅茶をトレーに載せて入ってきた。窓からは茶畑が見え、農作業している人の麦わら帽が二つ三つ動いている。


「屋敷で栽培しているディドル茶です。渋みが少ないのが特徴で、さっぱり味わっていただけると思います。こちらはレモンの蜂蜜漬けですので、お好みで紅茶に入れてお飲みください」


「さすがヘサン伯爵邸ですね。こんな飲み方は初めてです」


 愛想良く女中に話しかけるオールソン卿は、眼鏡をかけていなかった。それはつまり、オールソン卿の視点で交霊される可能性は低いということだ。彼が交霊回避のために眼鏡を外しているのかは定かではないけれど、こちらの情報は明かさず、オールソン卿を信じるふりをして情報を引き出すと決めてある。


 わたしたちが警戒しているとは露ほども知らず、オールソン卿はよほど喉が乾いていたのか出されたアイスティーを半分ほど一気飲みし、「ひと心地つきました」と寛いだ様子でソファに背を預けた。


「ところでアッシュフィールド嬢、ザッカルングにいるご友人とは会えましたか?」


 さり気ない口調だったが、その『友人』がイモゥトゥだということは彼も知っているはずだ。

 

「オールソン卿もエイルマ周辺での騒ぎはご存知ですよね。下手に動くこともできなくて。

 それより、いつエイルマにいらしたのですか? ソトラッカに行かれるとおっしゃっていたのに」


「ええ。本来ならとっくにソトラッカに着いているはずだったのですが」と肩をすくめて彼は続ける。


「ソトラッカに向かう峠越えの馬車は必ずドンクルート駅に寄りますよね。それで、ルーカスに借家の件で確認したいことがあって、駅の郵便局留めで返信を寄越すよう前日に電報を送っていたんです。でも、わたしが駅で受け取った電報にはザッカルングへ行ってイヴォンを探すよう書かれていました。

 以前お話しましたが、わたしは彼の従僕同然なのです。ソトラッカ行きを諦めてその日のうちに急行でチェサに戻り、翌日二十三日にワイアケイシア急行でエイルマ駅に到着しました。イヴォンの目撃情報が新聞に載った日です。

 ルルッカス街周辺はイヴォン探しをする人で酷い騒ぎになっていて、わたしはすっかりうんざりして、適当に探したフリをするつもりでいたんです。誰かがイヴォンを見つけたらルーカスにそう報せればいいし、もし見つからなかったら騒ぎが落ち着いた頃に『見つからなかった』と連絡するつもりでいました」


 オールソン卿が不意に話を止めるとわたしをまじまじと見て、「何か?」と問いかけてきた。自覚はなかったが、次々湧いてくる疑念が顔に出てしまったようだ。


「特に何というわけでもないですが、少し気になったことをおうかがいしてもよろしいですか?

 ロアナ王国にいるサザラン卿が、どうやってザッカルング王国でイヴォンが目撃されたことを知ったのでしょう。

 イヴォンがヘサン地区で目撃されたのは二十日。翌二十一日の朝市で噂が広まったとヘサン伯爵から聞きました。オールソン卿がサザラン卿から電報を受け取ったのはその日の午前中でしょう?」


「ルーカスにはわたし以外にも従僕がいたようです。エイルマに向かう列車内でルーカスの遣いだという男が接触してきて、十九日にエイルマ駅構内でイヴォンが目撃されたと聞かされました。おそらくタルコット侯爵の手下を買収して情報を得たのだと思います。それで、わたしにはタルコット侯爵に捜索協力すると申し出ろと」


「タルコット侯爵にですか?」


 アカツキは顔を引き攣らせ、オールソン卿は申し訳なさそうに頭をかいた。


「タルコット侯爵がイモゥトゥ探しをしていることはルルッカス街でも噂になっていたからご存知ですよね。

 侯爵家はオールソン家と同じくラァラ派なのですが、ジチ教ロアナ聖会から国外でのイモゥトゥ捜索を任されているらしいのです。ロアナ聖会と言っても幹部はラァラ派で占められていて、つまりは神殿の意向ということ。ルーカスはタルコット侯爵の任務を知っていたのでしょう。イヴォンの情報を得るにはタルコット侯爵に接触するのが一番だと。

 ですが、ルーカスの思い通りにはいきませんでした。言われるがままにタルコット侯爵に会いに行ったものの必要ないと追い返され、わたしはむしろホッとしたのですが、そのルーカスの遣いという男が代わりに侯爵に協力することになりました。彼はルーカスが描いたイヴォンの姿絵を持参していましたし、何よりフォルブス男爵家が発給した雇用証明書を持っていたんです。

 オールソン伯爵家の息子よりもフォルブス男爵家の使用人の方が信用があるなんて不思議な話ですよね。

 結局わたしは一人でホテルに戻り、今後どうすべきか考えました。何もせずヨスニルに戻るわけにもいきません。途方に暮れてラウンジで紅茶を頼んだ時にお二人がヘサン伯爵家に行くと言っていたのを思い出し、それでこうして図々しくも押しかけてしまいました」

 

 オールソン卿の態度にも口調にもわざとらしさはなく、相変わらずルーカスに振り回されるのに辟易している様子だ。オールソン卿も呼吸するように嘘をつくのかもしれないと警戒しつつも、つい気を許してしまいそうになる。


「オールソン卿はこの後どうされるおつもりなのです? わたしたちに協力を求められてもお手伝いするのは無理ですよ」


「わかっています。わたしはただお二人に話しておきたいことがあったのです。アッシュフィールド嬢、タルコット侯爵には気をつけてください」


 警戒していた相手からの忠告にわたしとアカツキは顔を見合わせた。ルルッカス一番街での騒動にわたしたちが関わっていることを知っているのだろうかと身構えたが、彼がその件に触れる様子はない。


「わたしがこれからお二人に話すのは、ルーカスの遣いから聞いた話です。彼は名前をライナスと言うのですが――」


「ライナス」


 わたしは無意識につぶやき、オールソン卿の言葉を止めてしまった。どこかで聞いたことのある名前だった。


「ライナスというと、確かエリオット・サザランの双子の息子の一人ではなかったですか?」とアカツキが言い、イヴォンがそんな話をしていたと思い当たる。


「よくご存知ですね。ケイ卿の言う通り、エリオットにはライナスとネイサンという双子の息子がいました。サザラン伯爵家を継いだのはライナスですが、エリオットが目をかけていたのはネイサンだったと言われています。なぜなら、エリオットはネイサンにラァラ神殿とウチヒスル城のあるウチヒスル村と、その隣のカラック村をあわせたフォルブス領を与えたからです。それで、ネイサンは初代フォルブス男爵になった。フォルブス男爵家は神殿のためにエリオットが作った家門と言っても過言ではありません」


 ふと、ひとつの可能性がわたしの脳裏を過った。


「オールソン卿。今ザッカルングに来ているライナスという方はサザラン家の出身なのですか? まさかライナス・サザラン本人ということはありませんよね?」


 わたしは真面目に聞いたのだが、オールソン卿は「まさか」とおかしそうに肩を揺らした。


「わたしもライナスという名前を聞いたとき、エリオットの双子のことを思い出して話題にしたんです。ライナス自身は双子のことを知らなかったらしく驚いていましたが、ルーカスにつけられた名前だと言っていました。元は孤児だったそうですが、そんな男にエリオットの息子の名前をつけるなんて、わかっていましたがルーカスは捻くれた男です。

 話が逸れましたね。タルコット侯爵に話を戻しましょう。彼に気をつけてくださいと言ったのは、さっきも言ったように侯爵が神殿から任されているのはイモゥトゥの捜索で、捜索対象はイヴォンだけではないからです。今はイヴォンを優先していますが、タルコット侯爵はアッシュフィールド嬢の情報も持っています。侯爵に会いに行ったときイモゥトゥの姿絵を何枚か見せられ、その中にあなたのものがありました。その金髪はカツラですよね?」


 予想していたこととはいえ、ヒヤリと背筋が冷たくなった。おそらく別の姿絵にはオトやパヴラが描かれていることだろう。


「オールソン卿、タルコット侯爵にわたしを売るつもりですか?」


「売るならここに一人で来るはずがありません。それより、アッシュフィールド嬢にひとつ聞きたいことがあるのですが、あなたはタルコット侯爵家で生まれたのですか?」

 

 わたしが言葉を詰まらせると、オールソン卿はそれを肯定と受け止めたようだった。そして、慰めの言葉を見つけられない人のようにウロウロと視線を彷徨わせる。オールソン卿がいったいどこまで知っているのか問い質したかったが、どう切り出すか思案しているとアカツキが唐突に立ち上がった。そして、何も言わず窓辺まで歩いていき、「オールソン卿」と静かに切り出す。こちらに背を向けているのは交霊回避のためだろう。わたしもさりげなく視線をそらし、ほとんど溶けかかった紅茶の氷に目をやった。


「オールソン卿。タルコット侯爵家がイモゥトゥ売買をしていることはご存知ですか? イモゥトゥだけでなくその血液も売っているそうです」


 わずかな沈黙のあとの「ご存知でしたか」というオールソン卿の声はひどく冷たい響きをもってわたしの耳に届いたが、チラと視線をあげるとそこにあったのは先ほどと同じく所在なさげに視線を泳がせる彼の姿だった。

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