第七話 生きてここにいる理由

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月27日深夜



 ライナスの対応にはヘサン伯爵とレナードが向かうことになった。わたしはタルコット侯爵の手元に姿絵があったから安易に顔を見せるわけにいかないし、アカツキはルルッカス一番街でわたしと一緒にいたことが霧の銀狼団に知られているからだ。


 レナードは「捕まえて吐かせるのもありだ」と言ったが、多数決でライナスは追い返す方向で――と決まった。しかし、物事はそう思い通りに運ぶものではないらしい。


「この御者がクリフ様をこちらにお送りしたと聞きまして」と、ライナスはわざわざ昼間にオールソン卿を乗せてきたあの軽装二輪馬車でやって来たそうだ。そうなると無理に追い返すこともできず、結局、ライナスは今オールソン卿の部屋にいる。


 オールソン卿はライナスと顔を合わせるのを嫌がっていたから、わたしはその話を聞いて気の毒に思ったけれど、レナードは「オールソンは彼が来ることを予想していたようだ」と言う。


 レナードと伯爵が別館に戻ってきたのは日付が変わりかけた頃だった。隣室のベッドで眠るイヴォンを起こさないよう、潜めた声で本邸でのことを報告している。窓からは満月に照らされた茶畑が見えていた。


「オールソンは驚く素振りは見せていたが、従者のライナスを笑顔で歓迎していた。本当の従者ではないだろうから咄嗟にライナスに合わせたのだろう。

 ライナスには『大学の友人がヘサン伯爵のところに行くと言っていたのを思い出して居ても立ってもいられなくなり訪ねた』と説明していたが、まあ今日の昼間のやりとりは全部幻だったんじゃないかと思うくらい、いつも通りのオールソンを演じていたよ」


 オールソン卿を完全に呼び捨てにするようになったレナードの口調からは、一旦は和らいだ警戒心が本邸でのやりとりを経て再燃したことがうかがえた。「どれが本音かわかったものじゃない」と吐き捨て、苛立ちを鎮めるように紙巻き煙草を咥え、紫煙をふかす。


 オールソン卿とライナスを別室にできなかったことをレナードは口惜しんでいたが、そこは伯爵家の事情もあった。本邸の人々にとってオールソン卿は客人で、従者に別室を設けることは不思議ではないが、客人と従者の部屋の前にそれぞれ見張りをつけるとなると〝軟禁〟だと察する使用人が出てくるかもしれない。伯爵はそう考えて同室でとレナードを説得したようだった。


「二人の間に何も起こらないといいけど」


 わたしか心配を口にすると、「大丈夫さ」と、レナードは腰に差していた短剣を鞘ごと抜いてテーブルに置く。紋章や装飾はなく、どこでも手に入りそうな量産品だ。


「所持品も身体検査もしておいた。武器になりそうなのはこの護身用の短剣がひとつ。こっちで預かったから密室で刃傷沙汰が起きることはないはずだ」


「何か目新しい情報は得られたか?」


 アカツキが問うと、レナードは「残念ながら」と首を振る。


「ぼくが下手に詮索するとオールソンもやりにくいと思ったんだ。こちらはあくまでオールソンの従者を迎えただけだからね。二人が密室でどんなやりとりをしたかは、明日オールソンに聞けばいい。

 ただ、ライナス・ローナンは何を企んでるのか、ルーカスに命じられてオールソンの臨時従者をしていると自分から話してきた。成り行きでタルコット侯爵に協力していることもね」


「レナードと伯爵の反応を確認したかったのかもしれない。オールソン卿がどこまで話したか探りをいれるために」


「なるほどね」と、レナードはかけ慣れない眼鏡を鬱陶しそうに指先で押し上げる。


「ぼくと伯爵の反応が正解かどうかはわからないが、タルコットの名前が出て反射的に顔を顰めるのは仕方ないだろう?」


 ですよね、と同意を求めるレナードに伯爵は苦笑する。


「ライナス・ローナンがどう判断したかはわかりませんが、ルルッカス街ではタルコット侯爵への反発が強まっています。わたしたちでなくともその名に嫌悪感を抱く貴族は少なくないと思いますよ」


 伯爵の話によると、昨夜わたしたちを襲った男二人は、警察に連行されることなくその場で釈放されたということだ。被害者が逃げていなくなったのだからそうなることは予想していたが、『金に目がくらんだタルコット侯爵が無差別に少女を襲わせている』という噂がルルッカス街周辺で広まっているらしい。目撃者がいたにはいたが、新月の黒豹倶楽部が噂の拡散に関与しているのかもしれない。その不名誉な噂のせいでタルコット侯爵は外出を控えざるを得なくなっている――というのは、ライナスからの情報だった。


 本邸でのことをひと通り聞き終え、男たちの雑談から抜けて寝室の様子を見にいくと、少女は「タナーさん」と寝言を漏らした。口元の微笑を見る限り、タナーとイヴォンの間にはそれなりの信頼関係が築かれていたのかもしれない。


 エリオット・サザランの執事だった『タナーさん』。リュカとイヴォンの世話を任されていたその人は、エリオットの秘密をある程度共有していたと考えられる。エリオットがイヴォンに何をしたのかも知っていたことだろう。だとしても、おそらく執事は残虐な実験の場には居合わせていない。もしその場にいたのなら、イヴォンがこんなふうに笑みを浮かべるはずはないから。


 寝室から戻ってみると話題はロアナ行きのことになっていた。ヘサン伯爵が心配しているのは、昼間の会話でイモゥトゥだと明らかになったわたしのことだ。


「アッシュフィールド嬢、本当にロアナに向かわれるのですか? 神殿に捕まれば何をされるかわからないというのに」


 ふさふさの眉を垂らし、わたしを見つめる眼差しは孫に向けるように優しい。


「伯爵様、わたしはロアナ王国の外でも幾度となく霧の銀狼団に襲われました。クローナ大陸の東の端、イス皇国まで行ってもその魔の手から逃れることができず、ソトラッカ研究所に向かう途中にはドンクルートで襲撃され、その後予定を変更してここに来たのですが、ルルカッス一番街でまた彼らに見つかりました。

 元凶をどうにかしないことには永遠に霧の銀狼団を……ラァラ神殿を恐れて生きていかなければなりません。神殿とフォルブスとタルコット、そしてサザラン。彼らの罪を明らかにし、大陸のあちこちで隠れ暮らしているイモゥトゥを解放することが、わたしが生きてここにいる理由なんです」


 口にしてみると我ながらずいぶん無謀なことだと苦笑が漏れたが、アカツキとレナードが神妙な顔をしたのは最後のひと言に込めた決意を汲みとったからだろう。


 わたしが――ユーフェミアの体に憑依してまで――生きてここにいるのはなぜなのか。もしかしたらダーシャが望んだことだったのではないかと頭を過ったことがある。なぜなら、彼女はイモゥトゥ研究者セラフィア・エイツの手助けを必要としていたから。


 しかし、彼女が何らかの呪術めいたものを使ってわたしの魂をその体に引き寄せたとは思えなかった。セラフィアの肉体が死に、ダーシャの魂が死んだその時、彼女は霧の銀狼団に追われて命からがら飛び込んだ海で溺れていたのだ。


 わたしの魂がこの体に入ったのはたまたま・・・・だと、他でもないこの体がそう直感していた。そこに神秘的、宗教的な意味を見出す必要はないし、この憑依はセタ神の計らいなどでは決してない。


 わたしは自分の身に起こった不可解な出来事に翻弄されないよう、意味ではなく目的を見出す必要があった。そして、それは探す必要もなく眼の前にあったのだ。


 わたしを殺したかつての恋人ルーカス・サザランの罪を暴くこと。なぜ彼はわたしを殺したのか。その理由を突き止め、エイツ男爵令嬢は馬車事故ではなく明確な殺意をもって殺されたのだと、わたし自身の手で世間に知らしめなければいけない。そして今、ヘサン伯爵に答えた無謀な野望こそがルーカスへの最大の復讐になるのでは――というおぼろな確信が生まれつつある。


 ヘサン伯爵には当然ながらわたしがセラフィアだったことは伏せてあり、純粋かつ切実な使命感からの言葉と受け取ったようだった。


「乗りかかった船です。ラァラ神殿にヘコヘコする大聖会のことは不甲斐なく感じていましたし、わたしにできることがあれば協力しましょう。

 ひとまず、イヴォン嬢は無理に研究所に行かずとも、この別館で過ごしてもらうというのはどうですかな。今の状況とイヴォン嬢の状態を考えると、研究所に無事に着けるかどうかわかりません。新生してもうちなら子育て経験者がおりますから」


「そんな簡単に」


 アカツキは向かいに座る老紳士の厚意に戸惑いを見せたが、冷静に考えればその提案は研究所で保護するよりもよほど現実的で安全なものだった。


「オトもここに来てもらえば、わたしたちがロアナに行ってる間のことも安心して任せられるわ。オトは目立つから、彼にとってもここの方が安全だし」


 わたしの提案にアカツキも心動かされたらしく、伯爵にオトのことを話すとイヴォンを別館で保護する方向で話はまとまっていった。気がかりなのは、今後の状況によっては神殿と敵対するかもしれないヘサン伯爵の心理的負担。その負担を少しでも軽くできればと、エイツ男爵がわたしをイモゥトゥと知った上で密かに支援してくれているのだと彼に明かした。その告白は思いのほか伯爵の心を軽くしたらしく、手紙で伯爵のことを伝えておくと言い添えると、さらに勇気づけられたようだった。


 伯爵から提案がある前には、レナードがイヴォンを研究所に連れて行き、わたしがイヴォンのフリをして霧の銀狼団を撹乱、機を見てアカツキとロアナへ向かうという方向で考えていたのだが、その計画がすっかりなくなってしまい、レナードはそれなら一緒にロアナに行こうかと言い始めた。


「大学はどうするんだ?」とアカツキは呆れ顔だ。


「それはお互い様だろう。イモゥトゥに交霊という特殊な能力があると知ったぼくが、このまま大人しくヨスニルに帰ると思うのかい? 心霊現象や神秘体験の類はぼくの管轄だ」


「心霊現象じゃない。記憶共有だ」


「他人の記憶をのぞき見るのは神秘体験だろう。リーリナ神教を調べれば交霊のことがわかる可能性もあるし、ロアナ行きはぼくにとっても仕事ということだ。アカツキと共同研究ができる日が来るとは思わなかったね」


 こんなふうに舌先滑らかに喋るレナードには何を言っても無駄だとアカツキもわかっている。反論を諦めたらしく、アカツキは真面目な顔つきになって「ひとつ思い出したことがあるんだが」と話題を変えた。


「リーリナ神教の書物に、聖人ジチが滅したのはリーリナの分身だったという話が載っていたんだ。邪神が滅んだ後もラァラがイモゥトゥのままだったのは、死んだのが分身で本体は滅んでいなかったからだと。分身を失い、自らも深手を負ったリーリナ神は力を温存するために人々にかけた不老不死術を解き、唯一愛したラァラだけは不老不死のままに、大地の下に身を隠して再起のときをうかがっている。

 この話に出てくる分身は顔も背丈も睫毛の本数まで本体と同じだったとあるんだが、なぜ分身のことを話したかというと、エリオットとルーカスがまさに本体と分身のようじゃないか」


 初めて聞く話だったが、もし〝分身〟を作る邪術がリーリナ神教にあるとしたら――。


「それは不老不死術とは別ということよね」


「そうだろうね。リーリナ神教では、リーリナが人間に祝福を与えて不老不死のイモゥトゥになるとされてる。リーリナが自分の分身を作るのとは根本的に違う」


「分身なんてまるでおとぎ話だ」


 レナードが茶化すように言ったが、アカツキは「神話だ」と真面目に返した。――そう、今アカツキが話したのは神話だ。


「アカツキは、実際にそんなことが可能だと思う?

 それに、エリオットはリーリナと違って神ではなくただの人だわ。とっくの昔に死んでる」


 わたしの懐疑的な口調に、アカツキは「らしい発言だね」と口元を緩めた。


「研究所に入る前、おれはイモゥトゥが実在するなんて思っていなかった。当然だが、今はその存在を疑ってはいない。イモゥトゥの血液を投与してイモゥトゥが生まれるというのは今も信じられないけど、きっと事実なんだろう。

 科学的にあり得ないという先入観は、今に限っては捨てるべきだ。それが命取りになりかねない。

 しかし、仮にエリオットが分身を生み出す邪術を試みたとしたら、それは失敗に終わったと言わざるを得ないだろう。ルーカスは青年のまま、もう一人に至っては五歳だ」


「その年齢のときに邪術を使ったってことは?」


 レナードは思いついたまま口にしたようだが、すぐに「五歳ではさすがに無理だろうね」と自ら否定し、そのまま思考を垂れ流しに喋り続ける。


「エリオットがルーカスを作り、分身のルーカスが分身を作ろうとしたら失敗して五歳になったというのもありうる。ああ、もしかしたら生贄の年齢かもしれないね。リーリナ神教のことだし、こういう邪術には生贄が必要だ。何もないところから人間を生み出せるはずがない。そこに本体の血液や体の一部を捧げたりするんだろう」


 聞いていた三人ともが顔を顰め、これ以上レナードに喋らせないようにわたしはさりげなく話をそらした。


「ルーカスはともかく、幼い子どもの姿だと人目に触れないよう気を遣ったでしょうね。成長しないと周囲から訝しがられるし、顔を隠すだけでは誤魔化せないもの。あの子どもはルーカスと違って病弱ではないみたいだけど、同じように部屋に引きこもっていたはずだわ」


「ユフィがその子を病弱でないと考える理由は何? ぼくは、イヴォンからリュカの話を聞いた今でもルーカスが病弱かどうか疑ってるんだけど」


 レナードに問われ、わたしは無意識にヘサン伯爵の顔をうかがった。何度も会話に出てくるルーカスについて、伯爵にはまだ打ち明けていないことがある。レナードの質問に答えるには、あの夾竹桃祭りにあの男が何をしたのか説明する必要があった。


「以前、セラフィアお嬢さまの死に際を交霊で見たという話をしましたよね」


 わたしはそう話を切り出したのだった。

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