第十話 有罪のタルコットと無罪のタルコット

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市郊外ヘサン伯爵邸__555年8月28日



 その日の午後、タルコット侯爵は祭服姿の男を連れて古城にやって来た。来訪者に対応するのはヘサン伯爵とオールソン卿とアカツキの三人。わたしとレナードは別館一階の応接室で待機していたが、ザッカルング聖会が寄越したのが次祭だという話を執事から聞いて少々拍子抜けしたのだった。


 次祭は下位聖職位で、祭司の手伝いをするのが主な仕事。ちなみにイヴォンがやっている祀花守も下位聖職位で、他には聖典を人々に読み聞かせる説話師、聖殿や礼拝堂の維持管理をする仕護があるが、これらの下位聖職者は聖会本部では雑用係に等しく何の決定権もない。


 つまり、次祭を送ってきたザッカルング聖会はこの件を重要視していないということだ。それでも古城でどんな会話が交わされているのか気が気ではなく、応接室の窓の左隅に見える古城へと何度も視線を向けてしまう。


 イヴォンはわたしたちの心配をよそに、伯爵から借りた植物図鑑を広げて紙に何か書きつけていた。相変わらずショールで顔を隠し、レナードは朝と変わらず『タナーさん』のまま。なぜかわたしは存在しないかのようにイヴォンから完全に無視されていたが、それは別館に〝招待〟したライナスも同じだった。実際に部屋にいるのは四人、イヴォンにとってはタナーと二人きりというおかしな状況で、わたしたちはイヴォンの邪魔をしないよう窓辺でヒソヒソ話をしている。


 ライナスを別館に招待したのは傷を確認する目的もあったけれど、面会の最中、古城の部屋に彼を一人残すことに不安もあったのだ。執事に連れられてやって来たライナスは袖を肘まで折り上げており、十センチほどのミミズ腫れがそこにあったが、昨日今日できた傷には到底見えなかった。


「ずいぶん治りが早いようだね」


 愛想良く招待客に話しかけたレナードの手には短銃が握られている。


「おれの正体はユーフェミア嬢から聞きましたか」


「オールソンに知られなければいいんだろう?」


 ライナスが「問題ありません」と満足げに答えるのをレナードは苦々しい顔つきで一瞥し、くるりと体の向きを変えて茶畑に目をやった。交霊回避のためには特徴のない風景に視線を向けるのがいい――というアカツキの言葉を思い出したのだろう。わたしも彼に倣って窓の方を向くと、ライナスも意図を察したらしく「いい天気だ」と雲ひとつない青空を見上げた。


「ねえ、ライナス。タルコット侯爵はイヴォンがここにいると確信してるの? 昨日まで侯爵と一緒にいたんだから、何か知ってるんじゃない?」


「確信できるほどの証拠はないが、精肉屋のトーヤ・ヴィルク氏から、金髪の少女を乗せた伯爵家の馬車がヘサン地区方向に向かうのを見たという証言を得ている。ヴィルク氏が言うには『馬車には少女以外にも何人か乗っていたが、あれはヘサン伯爵がお忍びの接待客に使う馬車で、歌劇場の裏に時々停まっているやつだった』そうだ。ヴィルク氏には歌劇団にお気に入りの踊り子がいて、あの建物の裏道をよくうろついているんだと」


「それだけで伯爵邸にイヴォンがいると思ったの? 金髪の少女なんて歌劇団にいくらでもいるのに」


「ヘサン伯爵がケイ卿とウィルビー卿を歌劇場に招いたことはタルコット侯爵が直接目にしてるし、二人が伯爵邸に泊まることは簡単に予想できる。それを踏まえた上で、あの火事の夜、ルルッカス一番街でユーフェミア嬢とケイ卿、それと少女が一人、タルコット侯爵の手下とやりあったという事実があるわけだ。では、その翌日に伯爵邸に向かったお忍びの馬車に乗っていたのは誰なのか。イヴォンでなかったとしても、少なくともユーフェミア嬢はここにいると考えられる」


「あなたの言い方だと、タルコット侯爵と示し合わせた上であなたが先に伯爵邸に来たように聞こえるけど、侯爵がザッカルング聖会を連れて来ることも知っていたの?」


「おれの入れ知恵だからな。聖職者を拉致されたと訴えられたらザッカルング聖会も動かないわけにはいかないし、聖会から要請があればヘサン伯爵も断ることができない。だろう?」


 悪びれる様子のないライナスにレナードがチッと舌打ちした。


「イモゥトゥのくせにどうしてタルコットに手を貸すんだ?」


「まあまあ、そうタルコットを嫌ってやるなよ。タルコット侯爵家がイモゥトゥ売買に手を染めていたのは先々代までのことだ。しかも、神殿の調査でそれが発覚した直後にタルコット侯爵は馬車に轢かれて死亡してる。大勢が見てるところで、突然馬車の前に飛び出して自殺したんだ」


 頭に浮かんだのはわたしの事故。同じように馬車事故に偽装して殺されたのかもしれないし、調査してみる価値はあるけれど、今ここでライナスの話を遮ることはしなかった。


「侯爵が死んだあと、当時十歳だった彼の息子が爵位を継いだんだ。幼い侯爵は聖会の言うがままになり、タルコット家の者はロアナ聖会の監視下におかれ、領地経営については聖会の好き放題。成人してからは家門の犯した罪の尻拭いをさせられ、クローナ大陸各地に隠れ暮らしているイモゥトゥを連れ戻すことがタルコット家の任務になった。

 先代侯爵は黙々とその役目をこなしたようだが、現タルコット侯爵はロアナ聖会に不満を抱いている。いや、恨んでいると言っていい。自分も父親も罪を犯していないのに、ずっと不当な扱いを受けてるんだから不満がない方がおかしいだろう」


 話は少しずつ予想外の方向に進んでいた。


 神殿の中枢にある霧の銀狼団。その一員であるタルコット侯爵は神殿に弱みを握られ、当然神殿の言いなりになっていると思っていたが、どうやらそれだけではないらしい。


「タルコット侯爵は何か企んでるの?」


「フォルブスの使用人のおれに明かすと思うか?」


 ライナスは意味深な笑みを浮かべてイヴォンを振り返り、レナードが「素直に話した方がいい」と銃をチラつかせる。


「ウィルビー卿は優雅で人当たりの良い紳士と聞いていたが、どうやらただの噂だったみたいだ」


「目上の者にぞんざいな口を聞いておきながら、優しく接して欲しいというのは図々しいと思わないか」


 そう言いながらも、何かしら心境の変化があったのかレナードは腰に下げた革製のホルスターに短銃を収めた。


「それで、貴様は何を知ってる?」


「知ってるわけではないが、タルコット侯爵はイヴォンを人質に神殿と交渉するつもりだと推測してる。ラァラ派を抜けることも考えてるかもしれない」


「そう簡単に抜けれるものでもないだろう。先々代みたいに自殺させられる・・・・・羽目になるんじゃないか?」


 ライナスも馬車への飛び込み自殺を不審に思っているのか、ニヤリと口の端を歪めた。


「最悪その可能性もないではないが、タルコット侯爵領は立地的には悪くないんだ。北側はナスル王国との国境に接していて、南側にあるハサはロアナ王領。そのどちらともラァラ派ではなくジチ正派だ。そして東側は海。唯一西側でラァラ派家門のオールソン伯爵領と接している」


「ほう、ここでオールソンの名前が出てくるのか」


 レナードが窓越しに古城へと鋭い視線を向けたが、ライナスによるとオールソン家はラァラ派だが霧の銀狼団には入っていないということだった。元々はジチ正派で、ラァラ派に鞍替えしたのはイス・シデ戦争前後あたりだという。そもそも、ラァラ派はロアナの最南端にあるサザラン領から始まり徐々に北部に広がったため、霧の銀狼団を構成する古参のラァラ派貴族はロアナ南部に集中しているらしい。


「だが、北部でもタルコットだけは事情が違ったんだ。クローナ歴三百年代の終わり頃にタルコット領内で炭鉱が立て続けに発見されて、それに目をつけたエリオットはタルコット家の娘と結婚し、タルコット侯爵は霧の銀狼団内で力を持った。

 でも今は状況が違う。タルコットにあるクラグフ炭田はあと十年で尽きると言われてる。その一方で、オールソン伯爵領ではイス・シデ大陸間戦争の真っ最中にロアナ最大の埋蔵量と目されるリンタンル炭鉱が発見された。オールソン伯爵家はそれまでパッとしない家門だったんだが、炭鉱のおかげで資産だけならサザランと肩を並べるほどになったんだ」


「じゃあ、オールソン家はそのお金でイモゥトゥを買ったのね。きっとタルコット側から接近したんでしょうけど」


 ライナスも当然知っているものと思い何気なく口にしたが、彼は予想に反して「オールソンが?」と声を裏返らせた。オトの名を伏せて息子の身代わりに従軍させたのだと話すと、「腑に落ちたよ」と不敵に笑う。


「オールソン伯爵には十代の息子が一人いるのに、よくクリフを養子に受け入れたと不思議に思っていたんだ。イモゥトゥ売買をネタに脅されたのなら渋々でも引き受けるしかない」


「クリフ・オールソンが後を継ぐのか?」レナードが聞いた。

 

「どうかな。オールソン伯爵は息子に継がせたいだろうし、フォルブス男爵も家門を乗っ取ることまではしない気がする。クリフに人の上に立つ器はないとハッキリ言っていたしな。

 でも、クリフにとっては今の状況はフォルブス男爵を見返すチャンスとも言える。イヴォンを神殿に引き渡して手柄を上げれば、霧の銀狼団の大多数がクリフを支持するはずだ。ヴィンセントを押しのけてフォルブス男爵家の後継者に、ひいては霧の銀狼団の頭首になれるかもしれない。フォルブス男爵を除いて、他の霧の銀狼団の面々は出来の悪いフォルブスが上にいたほうが都合がいいんだ。自分たちの好きにできるから」


 どうあがいても家門や神殿に翻弄されるオールソン卿を、わたしはまた少し哀れに思った。


「わたしには、オールソン卿がイヴォンを神殿に突き出すとは思えないわ。それに、弟を蹴落としてまでフォルブス男爵家の後継者になろうとするかと言えば、それもない気がする」


 オールソン卿を信用しているのかと問われればうなずくことはできないけれど、神殿にイヴォンを引き渡すことはルーカスを裏切ることに等しい。それは、ルーカスを支えろと命じたフォルブス男爵への裏切りだ。だからこそ、クリフはイヴォンの居場所を次祭やタルコット侯爵に明かすことはしないはず。


「おれもそう思う」


 ライナスは意外にもわたしに賛同し、「あいつは臆病で馬鹿な捻くれ者だからな」と古城をながめて笑った。


「クリフはおれのことをルーカスの右腕と言ったらしいが、おれからすればやつの方がよっぽど忠実な犬だ。もちろんフォルブス男爵の存在があってのことだが、だからこそクリフはルーカスを裏切れない。なあ、クリフはユーフェミア嬢をロアナに誘わなかったか?」


 昨日のオールソン卿とのやりとりを思い出し、わたしはレナードと顔を見合わせた。オールソン卿はアカツキに対してロアナに同行したいと頼んだが、わたしも行くと分かっているのかは微妙なところだ。返答に詰まったわたしの反応を、ライナスは肯定と受け止めたらしかった。


「クリフがあんたをロアナに誘ったのはルーカスのところに連れて行くためだ。今朝も話した通り、ルーカスはイヴォンだけじゃなくあんたのことも狙ってる。じきにイヴォンもロアナに連れて行ったほうがいいと言い始めるだろう。クリフは真面目で純朴そうな顔をしながら、口から出る言葉の半分は相手を誘導するための嘘っぱちだ。同情なんてするだけ無駄だぞ」


 思い当たることがあってわたしはドキリとしたが、レナードは鼻で笑った。


「オールソンのことは元々信用していないし同情もしていない。どうやら彼をイヴォンから引き離す必要がありそうだ」


「へえ。ウィルビー卿はクリフよりおれの言葉を信じるのか?」


「あまり調子に乗るな。貴様の態度こそ嘘だらけじゃないか。昨日古城で会った時は『クリフ様』と恭しく呼んでいたくせに、陰では呼び捨ての上にずいぶんな言いようだ」


「フォルブスの使用人としてヴィンセント様の兄上を前に無礼な態度はとれませんから」


 レナードは「図々しい」と吐き捨てたが、その口元には砕けた笑みが浮かんでいた。ライナスを信用したとは思えないけど、『使えそうな男』くらいには格上げしたのかもしれない。


「ところでライナス。交霊できないというのは本当なのか?」


「ああ、本当だ。その代わり、おれの視点で記憶を覗かれることもない。リュカの周りにはそういうやつが何人かいる」


「へえ」と、レナードは興味をそそられた様子で、眼鏡をずらしてライナスを見た。一方、わたしが真っ先に思い出したのはロブのことだ。ルーカスを交霊で見ようとしてもロブ視点の記憶が一切現れなかったのだから、ロブも記憶を覗けないイモゥトゥ・・・・・という可能性がある。ライナスに直接聞こうと口を開きかけた時、


「タナーさん」


 声がして振り返った。ショールで隠した双眸はタナーだけを捉えているようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る