第七話 死者との再会
__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市ルルッカス一番街四一番地__555年8月26日
「彼、あなたのことを愛していたのね」
パヴラは隣室から戻ってくるなり嫌らしい笑みをわたしに向けたが、すぐ真顔に戻って「気の毒ね」と吐息混じりにこぼした。わたしはどう反応するべきかわからず、残っていた赤ワインに口をつける。
アカツキがわたしの正体を知ったらどんな反応をするのか、これまで幾度となく考えてきたことだった。まず信じるかどうか、信じたとして黙っていたことを怒るかもしれないし、再会を喜ぶかもしれない。でも、彼が見せたのは喜怒哀楽のような単純な感情ではなく戸惑いと混乱だった。
――煙草を吸ってきてもいいかな。一人で頭を整理したい。
そう言って、わたしとはまともに視線も交わさないままパヴラの案内で部屋を出ていってしまったのだ。その時チラリと見えたのはカウンターの上に並んだ酒のボトルと、天井から吊るされた小さなシャンデリア。元々パブだった建物らしく、落ち着くまで裏口に面したこの部屋だけ使うと言う。
「オト、イヴォンはどう?」
「眠ってる。さっきより顔色が良くなった気がするよ」
オトはベッドに腰かけイヴォンの顔を覗きこんでいた。パヴラは「それならいいわ」とわたしの隣に座る。
「セラフィア・エイツの恋愛事情には首を突っ込まないことにしておく。あなたも複雑に考え過ぎないほうがいいわよ」
「ありがとう。そうするわ」
わたしの答えに満足したらしく、パヴラはテーブルにおいてあったオトのゴブレットを手にとり「ユフィの新しい人生に」と乾杯するように掲げた。丈夫なゴブレットでさっきイヴォンが落としたものも割れなかったけれど、ランプの明かりに透かすと無数の傷が見える。
「話題を変えましょう、ユフィ。イヴォンのことなんだけど、彼女はこの世界で最初に生まれたイモゥトゥじゃないかしら。研究者としてどう思う?」
「最初のイモゥトゥかどうかはわからないけど、二度目の新生というのは初めて聞いたわ」
「わたしもよ。オトも知らないでしょう?」
「知らない。タルコット侯爵家で育ったイモゥトゥは一度目の人生だと思うよ。成長停止前からあそこにいたんだから」
イヴォンが目覚めたら、狼少女として捕まる前のことを聞いてみるのがいいかもしれない。クローナ歴二七一年に奇病が発生して廃村になったというウチヒスル村のことが気になっていた。
イヴォンはウチヒスル村の森で見つかったのだから、廃村になる前に村で生まれた可能性がある。奇病で村人たちは死にイヴォンだけが生き残ったのなら母親は不死ではないということになるが、どこかで生きていないとも限らない。
例えば、ウチヒスル村がイモゥトゥの村だったとは考えられないだろうか。イモゥトゥは不老だが不死ではない。森の奥の小さな村に隠れ暮らす人々が呪われたイモゥトゥだと判り、奇病と称して皆殺しにしようとした。火あぶりで死んだクイナのように、まわりの森ごと燃やして事実を隠蔽した?
イヴォンはエリオットの執事タナーから聞かされるまで、人間が年老いて死ぬことを知らなかったのだ。彼女のまわりにイモゥトゥしかいなかったのなら、それもおかしなことではない。
――いや、他の土地ならまだしもウチヒスル村があったのはラァラ派の本拠地であるフォルブス領。奇病発生からイモゥトゥであるラァラを祀った神殿が建つまでには百四十年ほど経っているが、たったそれだけの年月で人々の価値観が変わるとは思えない。
「ねえ、パヴラ。イヴォンの言う通り彼女が四三〇年に新生したなら、前のイヴォンはクローナ歴ニ百年代の終わりから三百年くらいに生まれたことになるわ。研究所では確かめたことがないけど、交霊ではどのくらい昔まで見られるのかしら。交霊でイヴォンの出生を探ることはできる?」
「無理ね。そのやり方ができてたらとっくにタルコットの秘密を暴いてる。出生を知るには赤ん坊か出産に立ち会った人間を交霊で見ないといけないわ。成長した姿を元に交霊しようとすれば、成長してからのことしかわからない。年老いてシワが増えればそれは別人よ。さっきイヴォンが言ってた『イモゥトゥの記憶と繋がりやすい』っていうのは、イモゥトゥの見た目が変わらないからでしょうね。女性が年齢関係なくエリオットを交霊で見られるのは直接見たことがあるからよ。たとえ彼女の魂が別モノだとしても。
それに、研究者なら知ってるでしょうけど、交霊では最近の記憶や印象的な記憶に繋がりやすいの。イヴォンを交霊で見ようとしても、エリオットの時代やそれ以前の記憶を見るのは難しいと思うわ。
ねえ、ユフィ。研究者だったあなたはイモゥトゥの起源が気になるのかもしれないけど、わたしはそれよりもイモゥトゥがどうやって生まれるかを知りたいの。イヴォンの話だと、神殿はイモゥトゥを生み出す方法を知っている。単純に考えれば、神殿で生まれたイモゥトゥの一部がラァラ神殿に残り、その他はタルコット侯爵家に連れて行かれたってことだと思うけど――」
パヴラが話すのを止めたのは、パブへと続く扉がギィと音をさせて開いたからだった。アカツキは所在なさそうに部屋を見回し、扉を閉めてそこにもたれかかる。
「この建物の造りはどうかと思うよ。二人の声が向こうまで筒抜けだった」
彼は力ない愛想笑いを浮かべてそう言い、気まずい空気を取り繕うようにさらに続ける。
「イモゥトゥには生殖能力がないし、突然変異でイモゥトゥが生まれるわけでもなさそうだ。もしかしたら生殖能力のある特別なイモゥトゥがいるのではないか、イヴォンがそうなのではないかと考えたこともあったけど、イヴォンの話を聞く限りそれも違いそうだ。イモゥトゥを出産したことを隠しているようには思えないからね。
イモゥトゥの出生の秘密を知るには、……リュカのことを交霊で見る必要があるかもしれない。リュカを交霊しようとすればエリオットを見ることになる。エリオットなら――」
「お兄さん」と、パヴラがアカツキを遮った。
「お兄さん、無理しないほうがいいわ。リュカって口にするだけで死にそうな顔してるじゃない」
「問題ない。平気だよ」
そのかすれた声は到底平気とは思えなかった。アカツキはわたしを気にしながら、叱られた子どものようにずっと目をそらしている。
「ケイ卿、きっとレナード様とヘサン伯爵様が心配してるわ。さっきの男たちはあなたに危害を加えるつもりはなさそうだったし、先に戻っても――」
「ダメだ! セラフィア、おれが君をここに置いていけるわけないだろう。それに、どうしてケイ卿なんて堅苦しい呼び方をするんだ。前みたいに、普通に話してくれないか」
アカツキは覚悟を決めたようにまっすぐわたしを見据え、今度はこちらが堪えきれず目をそらした。
「わたしはもう貴族じゃない。ケイ公爵家の息子を軽々しく名前で呼んでいいはずないわ」
「レナードは名前で呼ぶのに?」
「それは……」
「ほんとユフィって変なとこで頑固だよね」
オトの
「ぼくはイス・シデ戦争を生き抜いたおじいちゃんだから、二十歳そこそこの若者にひとこと言ってもいいかな。ユフィとアカツキは二人でちゃんと話した方がいいよ。ぼくらに聞かれたくない話もあるでしょ?」
そう言ってアカツキの背後の扉を指差す。パヴラも「それがいいわ」と椅子から立ち上がり、ポニーテールの紐を解いた。
「オト、しばらくイヴォンを見ててくれる? 二人ともイヴォンが目覚めるまでここに居座りそうだし、わたしが歌劇場までお遣いに行ってくるわ。へサン伯爵に渡してあげるから伝言を書いて」
パヴラは便箋とインクとペンを出してきてわたしの前に置いた。
「ヘサン伯爵宛てならケイ……アカツキが書いた方がいいわ」
「わかった。ヘサン伯爵にはおれが書くから、セラフィアはレナード宛てに書いて」
「セラフィアじゃないわ。希望通りアカツキと呼ぶからわたしの名前は間違えないで。わたしはユーフェミア・アッシュフィールド。ルーカスがイモゥトゥなら交霊でこの状況を見られてしまうかもしれないのよ」
「……わかった」
わたしたちがペンをとると、パヴラはクローゼットを開けて出かける準備を始めた。イモゥトゥにとってカツラは必需品らしく、いくつかある中から適当に選んでかぶり低い位置でひとつに結う。フリルのついた白いエプロンをつけて地味なショールを羽織り、どうやら貴族の使用人のフリをして歌劇場に向かうようだ。
「二人とも、詳しいことは手紙に書かないようにしてね。ここの住所も黒豹倶楽部の名前もイヴォンの名前も禁止」
パヴラがそう言った時には、わたしもアカツキもペンを置いていた。アカツキが書いたヘサン伯爵宛ての手紙には、無事の報せと明日の午前中に再度連絡を入れるというニ点。レナード宛ての手紙には、目的地に着いたこととアカツキが秘密を知ったことを書いた。その文面を目にしたアカツキは何か言いたげにわたしを見たが、今ここで問い質すことはしなかった。
パヴラは内容を確認し、折った便箋を紐で括って封蝋で綴じる。伯爵宛てのものにはケイ公爵家の紋章がついたアカツキの指輪を使い、レナード宛てのものは尖頭アーチをデザインしたザッカルング硬貨で封をした。暑さのせいで蝋はなかなか固まらず、乾くのを待つあいだパヴラは通りに面した窓から様子をうかがって戻って来る。
「騒ぎは収まったみたいだし、消防の鐘の音も聞こえなくなってるわ。歌劇場とは反対方向だから関係ないけどね」
「パヴラ」と、アカツキは珍しく会ったばかりの女性を呼び捨てにした。
「何?」
「ヘサン伯爵はともかく、レナードはもうヘサン伯爵邸に行っているかもしれない。もしそうなら、急ぎで手紙を届けるよう頼んでもらえるか」
「わかったわ。せっかくだから美男子と噂のレナード・ウィルビーを直接見てみたかったんだけど」
「機会があれば紹介するよ」
「結構よ。有名人と関わるなんてお断りだわ。目立って得することなんてイモゥトゥにはないの」
最後の一言はわたしに向けた言葉のようだった。レナードみたいな顔の知られた美男子と一緒に黄金の滴歌劇場に行ったのは迂闊だったかもしれない。ヨスニル共和国の公爵令息二人に挟まれた令嬢を好奇心のままにオペラグラスで覗いた客もいたはずだ。
「お兄さんの顔は地味だから大丈夫よ」
パヴラはからかうように言って、手紙をエプロンのポケットに突っ込むと「行ってくるわ」と裏口から出ていった。アカツキは何とも言えない表情で彼女の後ろ姿を見送り、足音が聞こえなくなるまで扉をじっと見つめていた。
「いつまで突っ立ってるの。ユフィとアカツキはあっち」
オトに促され、わたしたちはぎこちない雰囲気のまま部屋を出る。ランタンを手に先に行くと、埃と煙草の匂いがした。床には空き瓶や木箱、燭台などが壁際に無造作に置かれていて、廃業してからまったく手をつけていないようだ。
アカツキはカウンターの椅子をふたつ引いて片方に腰掛け、わたしが隣に座ると間を置かず「言ってくれれば良かったのに」と口にした。彼が見ているのはわたしではなく酒がびっしりと並んだ奥の棚。ランタンの明かりがガラス瓶に映ってユラユラと揺れている。
「言ってもきっと信じなかったわ。パヴラとオトの反応を見たから信じたんでしょう?」
「レナードは知ってたんだろう?」
「わたしから話したわけじゃない。うっかりレナード様と呼んでしまったせいよ」
「それだけで?」
「こういう非科学的な現象は彼の専門だし、仕草や口調がそっくりだって言われた。アカツキにもそう言われなかったかって。でも、あなたはまったく気づく素振りがなかった」
「……似てると思ってたよ。でも、それはおれが寂しさを紛らわすために無意識にセラフィアの代わりを探そうとしているだけなんじゃないかと思った。だから、この数日間はずっとセラフィアと君との違いを探してた。君は……」
その言葉の続きをアカツキが躊躇ったのは、彼も今のわたしと以前のわたしの違いに気づいているからだ。
「わたしは変わったわ。知識は昔のままだし、考え方も以前と変わらないけど、ユフィの本能がこの体に染み付いてる。衝動的に火事場に向かったり、急に声を荒げたり、泣き出したり。それに、ユーフェミア・アッシュフィールドは運動神経抜群よ。舞踏会で何度もあなたの足を踏んだどこかの男爵令嬢とは違って」
「それでも、君は君だ」
「そうね。わたしはわたしよ。でも、今のわたしはイモゥトゥ。アカツキが年をとっておじいちゃんになっても、わたしはずっと少女のままよ」
「……セラフィア」
アカツキは声を震わせ、カウンターの上で握りしめたこぶしに涙がポツリと落ちた。そして、唐突に椅子から立ち上がってわたしを抱き締めたのだった。
「今だけ、今夜だけでいいからセラフィアと呼ばせてほしい。また話せる時が来るなんて思わなかったんだ。どうしてあんなやつに君が……」
皮肉なことに、アカツキが耳元で囁いたその言葉でわたしはセラフィア・エイツだということを自覚した。魂に刻まれた恐怖と憎悪が、わたしをセラフィアたらしめている。
今夜くらい、ユーフェミアという名を忘れても許されるだろう。こんな暗がりでは赤毛も金髪も肌の色も関係ないし、椅子に座っていれば身長が高かろうが低かろうが同じだ。朝になって陽の光に晒されれば、否が応でも現実を突きつけられる。それまでの、束の間の生還。
彼は華奢な肩に顔を埋めたまま、「セラフィア」と何度も何度もわたしの名を呼び続けていた。
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