第九話 降霊術と邪教の禁術

__ヨスニル共和国サホウ半島沖プリンセス・オリアンヌ号船内__555年8月23日



「ウィルビー卿、わたしはセラフィではなくユフィですよ」


「ああ、そうだったね。雰囲気が似てるからうっかり口にしてしまったみたいだ。ユフィ嬢がさっきぼくをレナードと呼んだのもうっかりだったのかな? ぼくを名前で呼ぶ女性は家族以外だとほんの数人しかいないけど、セラフィはその一人なんだよ」


 確信犯めいた微笑を浮かべるレナード・ウィルビーが、首都キャンパスの心理学研究室で神秘体験やら心霊現象といった非科学的な研究をしているのを思い出した。興味がないせいですっかり頭から抜け落ちていたのだ。いつだったか、『レナードが参加した降霊会でイス・シデ戦争の英雄ユーリタスの従者が霊媒師に取り憑いたそうだよ』とアカツキから聞いて笑ったが、今はまったく笑えそうにない。

 

「セラフィ、君はそのイモゥトゥに取り憑いたの?」


「人聞きの悪いこと言わないでください! わたしだって……」


 責められているように感じて反射的に言い返したが、言葉に詰まり涙が溢れてくる。視界が霞んでレナードがどんな顔をしているのか確かめることもできない。


「……セラフィアお嬢さまは、こんなふうに人前で泣いたりしません」


「たしかにセラフィアの泣き顔は見たことないけど、ぼくがアカツキの泣き顔を見たのもセラフィアの葬儀が初めてだったから、その涙で君がセラフィじゃないと証明することはできないよ」


「それなら、ウィルビー卿はわたしがセラフィア・エイツだと証明できるんですか?」


 涙を拭って睨みつけると、レナードの表情が驚くほど優しくてたじろいだ。彼は「証明ねえ」と柵に背を預けて夜空を仰ぐ。


「今夜、ぼくらのテーブルにたくさんの貴族が挨拶に来たけど誰も君のことを知らなかった。ということは、君は男爵令嬢として社交の場に出たことがないってことだ。それなのに、ダイニングでの立ち居振る舞いに不自然なところはなかったし、貴族相手でも臆しているようには見えなかった。少々面倒くさそうではあったけど、むしろそれはセラフィアらしいと言える」


「長く生きていれば貴族的な所作がどういうものかくらいわかりますし、今さら貴族相手に緊張することもありません。ウィルビー卿はなぜわたしをセラフィアお嬢さまに仕立てようとするのですか?」


「強いて言えば君とアカツキのためかな。君はそれで平気なの? ぼくとアカツキを騙したまま、ユーフェミア・アッシュフィールドを続けるの?」


 レナードが何をもってここまでわたしの正体に確信を持っているのか理解できなかった。ほとんど毎日顔を合わせていたアカツキでさえ気付かなかったというのに。


「セラフィア」


 レナードが一歩わたしに近づき、わたしはその分遠ざかる。


「わたしはセラフィアお嬢さまではありません。ユーフェミア・アッシュフィールドです」


 ふと、この体に憑依した直後の会話を思い出した。あのときは『わたしはダーシャではない』と否定したのに、今は真逆のことを言っているのだ。


「ではユフィ嬢。ぼくが君をセラフィアだと考える理由をもうひとつ教えてあげよう。きっと無意識なんだろうけど、警戒心の強いセラフィとぼくとの距離は、ちょうど今のぼくとユーフェミア嬢の距離くらい。アカツキとセラフィはこの半分で、それは君とアカツキの距離と同じなんだよ」


「そんなことは……」


「ねえ、君は気づいていなかったかもしれないけど、アカツキは君との距離をもっと縮めたがっていたんだ」


 ふと、鉄道記念館で聞いたアカツキの言葉が脳裏に蘇った。


 ――わたしはセラフィアの恋人ではなくただの同僚です。彼女がいなくなってから、自分がどれほど彼女を愛していたのか気づくような、そんな愚かな男なんです。


 止まった涙が再び溢れ出し、これ以上誤魔化すのは無理そうだった。本当は心のどこかで待っていたのだ。誰かが『おまえはセラフィアだ』と言ってくれるのを。


「レナード様、アカツキには黙っていてください。きっと信じないだろうし、もし信じたとしてもどう接していいかわかりません」


 ようやく認めると、あれだけ自信満々だったレナードは「本当にそうだったのか」と深く長いため息をつく。


「確信があったのではないんですか?」


「あったよ。こうして暗がりで隣合って話してると君は風邪で喉を枯らしたセラフィにしか思えないからね。でも、いざ本人に認められると驚かずにはいられないだろう? 霊媒師が行う降霊会の大半は嘘っぱちだし、本物だと思っても疑わしさは完全には拭えない。だって、霊媒師に取り憑くのはぼくらの知らない昔の人間ばかりだからね。でも、君はぼくのよく知っているセラフィアだ。何がどうなってそんなことになったの?」


 レナードの瞳には心霊現象への好奇心が見え隠れしているけれど、それ以上にわたしへの心配と同情が見てとれる。


 甲板を見下ろすと船尾の方から腕を組んで歩いてくる男女の姿があった。テラスにいるのは変わらず階段近くの乗務員だけで、わたしは最初にいたベンチへとレナードを誘った。隣に座るレナードとの距離は、たしかにアカツキよりも遠いかもしれない。


「セラフィ」


「ユフィと呼んでください。うっかり人前でそんなふうに言われたら困ります」


「ユフィ、その体に君が入ったのはいつ?」


「あの夜――わたしが死んだ夾竹桃祭りの夜です。ユーフェミアはわたしが死んだのと同じ頃に新生したみたいで、理由はわからないけどそこにわたしの魂が入ったようです。気がついたらイス皇国にいました。それで、一ヶ月かけてようやくヨスニルに戻ってきたんです。レナード様は信じられますか? わたしは自分で話しても未だに信じられません」


「この状況で信じないわけないだろう? それにしても、降霊会を馬鹿にしてたセラフィからこういう話を聞けるのは感慨深いね」


「セラフィではなくユフィです」


「そうだった。ユフィ嬢、君に確認しておきたいことがあるんだ。セラフィア・エイツは本当に事故死だった? まさか自殺ではないと思うけど、あの夜はルーカス・サザランのところに行っていただろう。何があったのか聞かせてくれないか」


「殺されたんです」


 レナードが言葉を失って黙り込むと、波音に混じって展望デッキの方から甲高い笑い声が聞こえてきた。ラウンジから出てきた二つの影が壁際で絡まってひとつになり、乗務員がチラと横目でうかがう。彼にはわたしたちも船旅を満喫する恋人同士に見えているのだろう。


「誰に殺されたの?」


 レナードはいっそう声を潜めた。


「ルーカス・サザランです」


「セラフィ、君はチェレスタ九番通りで馬車に轢かれたということになってる。目撃者が複数いたはずだけど、あの場にルーカス・サザランもいたということ?」


「いえ。わたしが馬車に轢かれたとき、彼はローサンヌ広場裏の家にいたと思います。

 わたしはあの夜ルーカスの家で一緒に夕食をとり、ワインも飲みましたが酩酊するほどの量ではありません。でも、ディナーの途中からひどい目眩と頭痛に襲われて、動くことも喋ることもできなくなって意識を失ったんです。気づいたらこの体に憑依していました」


「今の話だけだと、君は意識がなくなるほど悪酔いして、自分でチェレスタ九番通りに行ったことも忘れてるようにとれる。ルーカスは君に何をしたの?」


「それがわかれば苦労しません。でも、ルーカスがわたしを殺したのは間違いないはずです。セタの元に送ってあげると言われたし、動けないわたしを見て笑っていました。それに、殺した後の対応を使用人に命じているのも聞いたので、目覚めたときは海に捨てられたと思ったんです。ずぶ濡れで、小舟に乗っていましたから」

 

 レナードは腕を組み、眉を寄せて低く唸る。


「意識を失ったセラフィアを操り人形のように馬車の前に飛び出させるなんてことが可能なのは、ぼくの知ってる限りでは降霊術か催眠術くらいだけど、降霊術で憑依する霊ってのは自分勝手だから霊に殺人を依頼しても成功率は低いだろうね。状況的に催眠術をかけたようにも思えない」


 レナードが降霊の可能性を否定したのは意外だったけれど、どうやら彼の頭の中には別の考えがあるようだった。チラと階段に目をやって「遅いな」とつぶやいたのはアカツキのことだろう。


「ユフィはリーリナ神教について知ってるよね。ロアナ王国にかつて存在した邪神リーリナを崇める宗教で、不老不死術を完成させるために人体実験を行って禁教となったらしい」


「知っています。そう言えば、アカツキがリーリナ神教について調べているのをルーカスは警戒しているみたいで、わたしと一緒にセタのところに送ってやるというようなことも言ったんです」


 ハハッとレナードが笑ったのは怒りを堪えているようだった。


「ユフィ。君がどうやって殺されたか、ぼくがもうひとつ思いついたのは禁術だ。アカツキに確かめてみないと自信はないけど、リーリナ神教の信徒が研究していたのは不老不死術だけじゃなかったはず。その中に死者を操る術がないとは言えないだろう。例えばイモゥトゥの血液を使って」


 あまりに突飛な考えで、わたしは思わず笑ってしまった。


「レナード様、さすがにそれは妄想が過ぎます。研究所でラットにイモゥトゥの血液成分を投与する実験を行いましたが、何の変化もありませんでした」


「血液をそのまま飲ませたりはしていないだろう? そのあとで殺したりもしてないだろうし」


「そうですが、だとしてもルーカスがあの夜イモゥトゥの血液を準備していたとは――」


 わたしの頭をかすめたのはエリオット・サザランの肖像画だ。黙り込んだわたしを訝り、「何か思い出した?」とレナードが聞いてくる。


「ルーカスがイモゥトゥなら血液はいつでも用意できますね。実は、ルーカスとエリオット・サザランは驚くほど似ているんです。似ているなんてものじゃなく、ホクロの位置まで同じなんです」


 さすがにレナードも予想していなかったらしく、その口から乾いた笑い声が漏れた。


「君の恋人だった男は、思っていた以上に危険なやつみたいだ。もし彼がイモゥトゥでエリオットと同一人物なら、彼はラァラ派の生みの親ということになる。もしかしたら、サザラン伯爵家は密かに不老不死術を完成させていたのかもしれない。それでラァラ神殿にイモゥトゥがいることも説明がつく。

 そうそう、タルコット侯爵を調べて判ったんだけど、あの侯爵家は生粋のラァラ派で、エリオット・サザランの妻はタルコット侯爵家の出身だったんだよ」


「ということは、イモゥトゥ売買に神殿も関与していたんでしょうか」


「限りなく黒に近い気はするけど、まだ何の証拠もない。大聖会に動いてもらったほうがいいかもしれないね」


「聖会が動くでしょうか? 基本的にことなかれ主義ですし、イモゥトゥに関しては『不死でなければイモゥトゥではない』という見解を示しています。だいたい、ラァラ神殿があのような記事を出しているのに異端審問会を開くという話が一切出ないのもおかしいです」


「ラァラ派は少数派とはいえ、聖会への貢献度は他と比べるまでもないからね」


「お金ですか」


「世界初の蒸気船を所有したのはジチ教大聖会だけど、資金の七割はサザラン伯爵家が出したものらしいよ。それに、君はワイアケイシア急行の名前がラァラと関連してることは知ってる?」


「ワイアケイシアって、ニセアカシアのことですよね」


「あまり知られていないけど、トゥカ紀総覧の二十巻あたりにラァラがニセアカシアを好んだという記述がある。ラァラにちなんだ名前がつけられてる理由は、サザラン家がワイアケイシア社の大株主だからだ。もしラァラ派がジチ教から分離してラァラ神教を始めたりしたら、聖会は立ち行かなくなるだろうね。だから神殿に対して強く出られないんだ」


 レナードの話は、ニセアカシアのことを除けば先日父から聞いた内容だった。あのとき『エリオットはおそらく商売のために宗教を利用していたんだ』と父は言っていたけれど、サザラン家から聖会への献金額を考えると、聖会を牛耳るために商売をしているようにも思える。


「大聖会が動かないなら、やはり神殿に行ってみるしかなさそうですね」


「聖会を動かす方法がないわけではないよ。チェサタイムス宛てに、イモゥトゥがリーリナ神教の禁術で生み出されたのかもしれないと匿名で送ればいい。そうすれば勝手に記事にしてくれるはずだ」


「それはダメです! 確証もないのにそんな噂だけが広まればイモゥトゥが……」


 もしかして、ルーカスもイモゥトゥへの蔑視を心配していたのだろうか。それでリーリナ神教について調べられるのを警戒したのだろうか――わたしがそんなことを考えているとは思いもせず、レナードは「ぼくが安易だったよ」と素直に反省の弁を述べる。


 とはいえ確証がないのは事実だし、相変わらずすべてが推測で、雲の上で積み木をしているような気分だった。積み上げた推論は少し突くだけで簡単に崩壊してしまう。わたしはオールソン卿がルーカスの幼少期を知っているとレナードに話した。


「クリフ・オールソンならぼくも顔くらいは知ってる。ロアナ出身でルーカスの友人だろう? それなら嘘をついてる可能性もある」


 今夜何度目かわからない〝可能性〟という言葉を耳にして潮時だと思った。


「レナード様、そろそろダイニングの様子を見に行きませんか。リーリナ神教が絡むならアカツキを交えた方がいいです」


「そうだね。偽装とはいえこんなに長く他の男と二人きりにさせておくなんて恋人失格だ。君は元恋人に未練はないよね。君はルーカス・サザランを愛してた?」


 今のうちに聞いておかなければと慌てたのか、とって付けたような質問の仕方がおかしかった。


「いつか、彼を愛せるかもしれないと思っていました。全部踏みにじられましたけど」


 ベンチから立ち上がると、階段のそばにいた乗務員が数歩さがる。わたしが手すりに手をかけたとき下のほうでカツンと足音がし、アカツキがこちらを見上げていた。階段を上るのをやめ、下で待つつもりのようだった。


「アカツキ、君の恋人は待ちくたびれたみたいだよ」


「それは申し訳なかった。彼女に上着を貸してくれたみたいでありがとう」


 階段上下で交わされる会話は、三角関係がゴシップ紙に載らないよう乗務員に聞かせるための茶番のようだ。


 その後わたしたちの部屋に移動し、報告会は深夜まで続いた。テラスでの会話はわたしがセラフィアだということを除いてアカツキにも話し、アカツキからはイ・クルム子爵のことを聞いたが、子爵はタルコット侯爵に人を紹介してほしいと頼まれただけのようだった。


「善意とはいえ、子爵がいなければタルコット侯爵の交流一覧はこれほど充実していなかっただろうね」


 アカツキはそう言ってやるせなさそうにため息をついた。


 わたしはレナードが憑依のことを明かしてしまうのではないか、ハッキリ言わなくても匂わせる程度のことはするのではないかと心配していたが、それはまったくの杞憂だった。その夜も、その翌日もレナードがアカツキの前で『セラフィア』という名前を口にすることはなかったからだ。


「一時はセラフィの名前を出すだけで泣きそうな顔をしていたから、なかなかね」


 わたしと二人きりになったとき、レナードはそんなふうに言っていた。


 乗船中、アカツキは人前では常に恋人らしく振る舞い、部屋にいるときもずいぶんわたしに気を遣っているようだった。二泊ともわたしが眠るまでレナードと隣室で過ごし、アカツキがいつ隣のベッドに入ったか知らない。そして、わたしが目覚めたときには彼はすでに身支度を整えていたのだ。


 アカツキがわたしをセラフィアだと疑う様子はなく、最初はそれに安堵し、そのうち寂しく感じるようになり、腹立たしさすら覚え始めた頃、プリンセス・オリアンヌ号は目的地のエイルマ港に到着した。


 好天に恵まれた平穏な二日間の船旅だったが、それが嵐の前の静けさだとわかったのは無事入国手続を済ませてヘサン伯爵に出迎えられた直後のことだ。


「数日前から街が騒がしくて、少し驚かれるかもしれません。行方不明のイモゥトゥが市内で目撃されましてね、それがうちの歌劇場のあたりで、イモゥトゥを題材にした演目をやっている最中なので因縁めいたものを感じますよ」


 ヘサン伯爵は他愛ない雑談のつもりのようだったが、その歌劇場がルルッカス一番街にあると知ってわたしはにわかに不安になったのだった。おそらくその近くだろうルルッカス二番街には、新月の黒豹倶楽部がある。

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