第七話 プリンセス・オリアンヌ号

__ヨスニル共和国モルマ市モルマ港プリンセス・オリアンヌ号船内__555年8月23日



「あなたがアッシュフィールド男爵令嬢ですか?」


 長い金髪をハーフアップにした痩身のレナード・ウィルビーは、アカツキの背後に立つわたしに貴族らしい優雅な笑みを寄越した。多くの女性がこの美貌に惑わされるのも納得の美青年だが、値踏みするような視線を感じるのは気のせいではないだろう。何しろ、今夜からニ泊、わたしはアカツキと同室で過ごすことになっているのだ。


 弁明も兼ねてレナードに挨拶しようと頭を下げたが、「話は中でしよう」とアカツキに強引に遮られた。プリンセス・オリアンヌ号の船室でもグレードの高い部屋で入ってすぐは応接室、奥に寝室があり、のぞいてみるとベッドがふたつ並べて置かれていた。わたしとオトが寝ていたベッドの倍くらいの大きさだ。クローゼットは開けられていて、先ほど購入したドレスが二着掛かっている。地味な紺色のイブニングドレスと、ありきたりなデザインのデイドレス。


 わたしは帽子を脱いでラックに掛け、応接間に戻るとレナードはすっかりソファーで寛いでいた。目が合うとニコリと微笑んだが、愛想の良過ぎる笑みは警戒心の裏返しに違いなかった。


「ウィルビー卿、改めてご挨拶申し上げます。わたしはユーフェミア・アッシュフィールドと申します」


「まさかアッシュフィールド男爵家の方に会えるとは思いませんでした。断絶した家門ですからね」


 冷水を浴びせられた気分になり、顔もあげられないまま言葉を探した。


 レナードから聞かされるまで、わたしはアッシュフィールド男爵家が過去に実在したということすら知らなかったのだ。以前のユーフェミア・アッシュフィールドと同じように平民として旅券をとっておけば元貴族の血筋というだけで何の問題もなかったのだが、立ち居振る舞いで身分がばれないようにと策を弄したのが裏目に出てしまったらしい。


「レナード、わざわざ調べたようだが余計な詮索は必要ない。彼女の素性はエイツ男爵が保証してる」


 アカツキはサハラン霊園でわたしが渡した父からの手紙を鞄から出し、「ほら」とレナードに見せた。レナードは「へえ」と興味をそそられた様子で、警戒心の代わりに好奇心をその顔に滲ませる。


「ユーフェミアという名前なら愛称はユフィですか?」


「エイツ男爵家にいたときはそのように呼ばれていました」


「ではユフィ嬢、これはあなたがセラフィアに宛てて書いたもの?」


 レナードはベストの内ポケットから封書を取り出し、わたしの目の前にかざしてみせた。差出人はユーフェミア・アッシュフィールドと書かれ、デセン語の受付印が押されている。研究所宛の郵便物であれば少なくとも第◯研究棟までは記載されているものだが『ヨスニル共和国ソトラッカ郡ソトラッカ市ソトラッカ研究所 セラフィア・エイツ様』と雑に書かれており、そのせいでわたしの元に届くのに時間がかかったようだ。


「わたしが送りました。セラフィアお嬢さまに読んでいただけなかったのが残念です」


 ユーフェミアの筆跡に懐かしさがこみ上げ、と同時にわたしの知るユーフェミア・アッシュフィールドはもうこの世にいないのだと実感した。途方もない無力感が押し寄せてわたしの目からは涙が溢れ、それがまた『お嬢さま、わたしはここにいますよ』とユフィに言われているような気がして、なかなか涙は止まらない。


 急に泣き始めたわたしにレナードは驚き、さっきまではわたしを問い詰めたそうな顔をしていたのが一転、「ぼくのせい?」とアカツキに助けを求めた。


「ああ、レナードのせいだから少し休む時間をくれないか? 彼女は昨夜襲撃にあって、船に乗るまでずっと緊張しっぱなしだったんだ。おれと同室にしたのはそういう事情があってのことだよ」


「襲撃? 犯人は捕まったのか?」


「いや。警察も動いているけど当てにはならないし、それで峠越えをやめて行き先変更したんだ」


「君がぼくに調べさせたタルコット侯爵とは関係があるのか?」


「それはまだわからない」


「あの、ウィルビー卿」


 わたしが涙声で割って入ると、男性二人はピタリと口をつぐんで顔を向けた。


「事情はわたしの口から説明しますので頭を整理する時間をください。少し休ませてもらっても構いませんか?」


「もちろんです。お疲れのところを急に押しかけて申し訳ありませんでした。アカツキ、また夕食の時にでも話そう。とりあえず君が死んでないか確認しに来ただけだから」


「死ぬわけないだろう」


「おいおい。この一ヶ月、ぼくだけじゃなく周りがどれだけ心配してたか知ってるだろう? まあ、少しはマシになったようで安心した」


 レナードはソファーから立ち上がると、友人の肩をパンと勢いよく叩いた。アカツキは彼を部屋から送り出し、二人の話し声がしばらく扉の向こう側からボソボソと聞こえていたが、わたしはその間にソファーに座ってユーフェミアからの手紙に目を通した。


 内容は予想通りだ。新聞記事を見てわたしが研究所にいるのを知ったこと、自分はイモゥトゥで新生が近づいていること、仲間のイモゥトゥを助けるために協力してほしいということ、最後に連絡先として新月の黒豹倶楽部の住所が書かれていた。エイツ男爵家近くのツリズ通りと、イス皇国のウェルミー五番通りのものだ。


「ユーフェミア嬢、何か思い出したのですか?」


 扉を開けて入ってくるなりアカツキが聞いたのは、わたしが泣いたせいだろう。


「いえ、セラフィアお嬢さまは本当にもういないのだと思ったら、涙が止まらなくなって。すいませんでした」


「ああ、そういうことですか」


 アカツキは共感するように悲しげな笑みを浮かべ、わたしの隣に座った。


「手紙の内容をうかがっても?」


「ええ」


 どうせ彼も知っていることなのだからと便箋を広げたまま差し出したが、文字を追っていたアカツキの表情が不意に曇る。


「ケイ卿、どうかされましたか?」


「いえ、ここ数日一緒に過ごして何もなかったので、あなたに新生前症状があるということを失念していました。やはり無理にでも研究所に連れて行くべきだったと後悔しているところです」


「それについては心配いりません。一時的に記憶が曖昧な時期があっただけで、ここ一ヶ月は治ったように何の問題もないのです」


「きっと新生前症状の発症初期段階なのでしょう。治ったわけではないですよ。一ヶ月前に新生したというのなら別ですが」


 いきなり真実を言い当てられ心臓が跳ねたが、冗談だったらしくアカツキは笑っている。わたしは動揺を誤魔化すために話題を変えた。


「ケイ卿、夕食はウィルビー卿も同席することになりそうですか?」


「気が進まないのであれば別にしましょう。レナードは信頼できるやつですが、それはわたしが彼と長い付き合いがあって言えることですし、どこまで彼に話すかはユーフェミア嬢の判断に任せます」


「全部話すつもりです」


 わたしが即答するとアカツキは驚いたようだった。


「ユーフェミア嬢は思い切りがいいと言われませんか?」


「わたしだって何も考えずに言っているわけではありません。イモゥトゥ売買について調査するにはウィルビー卿に協力してもらった方がいいと判断したんです。そのためには正体を隠したままでいるわけにはいきませんし、それに、ウィルビー卿はケイ卿の親友なのでしょう? 信じるにはそれで十分です」


「たしかに彼は役に立つと思います。先ほどは不躾に見えたかもしれませんが、傷心のわたしが変な女性に騙されたのではないかと心配していたようで、あなたに謝っておいてほしいと言われました」

 

「よいご友人ですね。わざわざケイ卿のために急いでオリアンヌ号に乗って来られたんでしょう?」


「どうやらそうらしいです。昨日電信局に問い合わせてわたしからの電報を受け取り、ザッカルングに向かうと予想して今朝発のオリアンヌ号に乗ったと言っていました」


「行き先を伝えたわけではないのにですか?」


「まあ、伝えたも同然です。タルコット侯爵に関する調査が終わったら、セラフィア宛ての手紙がわたしの研究室にあるからそれと同封してヘサン伯爵邸に送ってほしいという内容の電報を送ったのです。わたしがこの船に乗っていなければ、きっと先にヘサン伯爵のところに行って待ち伏せるつもりだったのでしょう。彼はああ見えて結構せっかちで、まあ、仕事は早くてよいのですが」


 アカツキは手に持っていた四つ折りの紙を広げ、わたしの前に差し出した。そこにはニ行に渡って数十人の名前が書かれている。


「さっきレナードから渡されました。現タルコット侯爵と個人的に接触したことのある人物です。タルコット家は中央クローナではそう知られた家門ではないですが、思っていたより交友関係は広いみたいですね。知った名前もかなりあります。ただ、彼らの口からタルコットの名を聞いたことはありません」


「やましい事があるからでしょうか?」


「それは調べてみないとわかりません。しかし、タルコット侯爵家が代々イモゥトゥ売買を行ってきたのなら、現侯爵だけを調べても不十分でしょう」


 ボーッと汽笛の音が鳴り響き、ゆらりと船体が揺れた。客船上部にあるこの船室からモルマ港の埠頭は見えないけれど、窓辺に行くと甲板から埠頭に向かって手を振る乗客の姿が見える。


「オールソン卿は無事に峠を越えられたでしょうか」


 アカツキは遥か遠くに尖る白神の峰に目をやっていた。それはじきに視界から消え、窓に映るのが街から森へと移り変わり、陸地はどんどん遠ざかって景色のほとんどが海になった。わたしもアカツキもしばらく無言でその景色をながめていたが、傾いた陽が窓から差し込み、眩しさに耐えかねたアカツキがレースカーテンを引く。


「ユーフェミア嬢、船が初めてというわけではないでしょう?」


 わたしは「ええ」とだけ返しておいた。ユフィは貴族向けの客船に乗ったことはないだろうし、逆にわたしはこういう船にしか乗ったことがない。商用帆船は柄が悪いというのも使用人や研究所の同僚から聞いた話に過ぎず、下手に話題を掘り下げてはボロが出るだけだ。


「ケイ卿、わたしは寝室で着替えてきます。この格好で船内を歩くわけにはいきませんから」


「一人で着られますか? 女性乗務員を呼びましょうか?」


「ダメです。他人に見られては変装する意味がなくなってしまいます。コルセットの要らないものを選んだので、背中のボタンをとめるのだけ手伝ってください。あとで呼びますから」


 わたしがそう言い置いて寝室に向かおうとすると、アカツキは「それはちょっと」と戸惑った顔で引き止めた。


「ユーフェミア嬢は、わたしを信頼し過ぎではありませんか?」


「信頼していますけど、何か問題が? やましいことを考えて相部屋にしたわけではないでしょう?」


「まさか。それは絶対にありません」


「でしたらお願いします。背中を見られるくらい、なんてことありませんから」


 ルーカスに肌を晒したことはなくても、ディドリーの男のそばで濡れた服を脱いで着替え、その後は毎日オトと同じベッドで寝ていた。「そそられない」とか「からかいがいがある」と笑われながらも、多少は男性からの視線に免疫がついたはず――そう思っていたのに、はだけた背中をアカツキに晒すのは顔から火が出るほど恥ずかしかった。一方、アカツキは動揺するでもなく淡々とボタンをとめていく。


「ケイ卿は慣れてらっしゃるんですね」


「慣れてなんていませんよ。元々手先が器用なだけです。でも、そろそろ明かりを点けないと暗くなってきましたね」


 寝室の窓から見える空は昼と夜とがせめぎ合うような紺と茜のグラデーション。室内の明かりは先ほど灯したランプがひとつ炎を揺らしているだけだった。


「白熱電球が実用化すれば船旅ももっと快適になるんでしょうけど」


「へえ、ユーフェミア嬢はそういうこともご存知なんですね」


「あっ……、お嬢さまに手紙を出す前にソトラッカ研究所について少し調べたんです。それで、白熱電球というのを研究してると知って」


「ええ、白熱電球の実用化はもうすぐだと思います。そうなれば夜の街は様変わりするでしょうね。揺れる船内で火事の心配をすることもなくなります。でも、わたしたちのようなお忍びの旅にはキャンドルの明かりがいい。ああ、それもわたしがおつけしましょう」


 アカツキは返事も待たずにわたしの手からネックレスを抜き取り、慣れた手つきで首にチェーンを回して留めた。小さなアクアマリンが一粒付いたシンプルなネックレスは、ケイ公爵令息の手で付けさせるのは申し訳ないくらいの安物だ。


「ありがとうございます。もう大丈夫ですから、ケイ卿もどうぞ着替えてください」


 旅行鞄から茶髪のカツラを出して赤毛の上からかぶり、あとは化粧で目尻を上げて印象を変えれば完成だった。アカツキはシャツとベストを着替え、手早くネクタイを締めてジャケットを羽織ると、わたしの後ろから鏡をのぞき込んでくる。


「おれもカツラをかぶろうかな」


「注目を浴びたいのならウィルビー卿とお二人でどうぞ。でも、ウィルビー卿と同席するだけで注目されそうですね。華のある方ですから」


「やはり夕食は別にしますか?」


「いえ、下手にコソコソと密会するほうが誰かに見られたとき変な噂を立てられかねません。同室のケイ卿と噂になるのは仕方ありませんが、別の男とも密会しているとなるとおかしなことになるでしょう? 下手をすればゴシップ誌に三人の名前が乗ることになりますよ」


 公爵令息二人と男爵令嬢のゴシップ記事だけで済むならいいが、ユーフェミア・アッシュフィールドの素性を新聞社に探らせるわけにはいかない。


「ケイ卿、この際ですからハッキリさせておきましょう。わたしとあなたは恋人同士ということにしてください。もちろん、ウィルビー卿には本当のことを話すつもりですが」


「それがいいでしょうね」


 アカツキはあっさりとうなずいた。


「そんなに簡単に承諾してよろしいのですか? ずいぶん年の離れた恋人だと冷やかされるかもしれませんよ。ソトラッカ港発の便なのですから、きっとケイ卿のお知り合いの方もお乗りになっているでしょう」


「問題ありません。妙齢の男女が同室で過ごすのにはそうするのが一番自然です。細かな設定も考えておきますか?」


「いえ。嘘を重ねるとボロが出ますから、セラフィアお嬢さまのお墓で出会って旅路を共にするうちに恋に落ちたということにしましょう」


 わたしは真面目に話しているのに、アカツキは急にフッと笑い声を漏らした。


「ケイ卿、これは演技なんです。子どもに恋するはずがないと思っても、ちゃんと恋人のふりをしてくださいね」


「わかっています。ユーフェミア嬢はわたしよりも長く生きているわけですし、あなたを子どもだと思ったことはありませんよ。今鏡に映っているのは紛れもなく大人の女性です」


「では、なぜ笑ったのです?」


「あなたに振り回されてばかりいるのが我ながらおかしくなったんです。いつまでたっても鬱々としているわたしを見かねたセラフィアが、あなたをわたしのところに寄越したのかもしれませんね」


「……そう、かもしれませんね」


「そろそろ行きましょうか。ユーフェミア嬢のお腹が鳴る前に」


 軽口でわたしを笑わせようとするアカツキは、もう『セラフィア』と聞いただけで目を赤くすることはなさそうだった。その事実はなぜこうもわたしの心を乱すのだろう。

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