第六話 行き先の変更(ニ)

__ヨスニル共和国ドンクルート市ウィルズマリーホテル__555年8月22日



 わたしのザッカルング行き宣言で、アカツキの表情はみるみる険しくなった。


「ユーフェミア嬢、それは危険ではありませんか? 昨日の男たちはきっとまだあなたを狙っています。友人の安否は電報で確認し、あなたは研究所へ向かうべきです。峠越えはやめて船で行きましょう。商船は危ないですが、プリンセス・オリアンヌ号なら安全にソトラッカまで行けるはずです」


「ダメです。プリンセス・オリアンヌ号は明日モルマ港に着きますが、それはザッカルング行きです。ソトラッカ行きの便はそのあと一週間待たねばいけませんし、このまま研究所に行くつもりもありません。明日モルマ市に観光に行くフリをして、そのまま船に乗ってザッカルングのエイルマ港に向かうつもりです。敵にはソトラッカ行きに変更はないと思わせておきたいので」


「あの船はその場で乗りたいといって乗れるものではありませんよ」


 アカツキはわたしを説得したいようだが、チケットはおそらく問題ない。無名の男爵家の令嬢なら無理かもしれないが、エイツ男爵の名前で手配してもらえば船室ひとつくらいどうにでもなるはずだ。父は忙しい人だから、レッドロビンズホテルのメルヴィン・ヒースに頼むのがいいかもしれない。


「それについてはアテがないわけではありません。無理そうなら急行で戻るだけです」


 わたしの無謀さに呆れたのか、アカツキは「仕方ありませんね」と苦笑混じりにため息をもらした。


「わかりました。チケットはわたしの方で手配しておきます。その代わり、わたしもザッカルングに同行します」


「えっ?」


「正式な手続きがまだとはいえ、ユーフェミア嬢は保護対象者です。危険だとわかっているのに一人で行かせるわけにはいきません」


「でも、研究員が同行する義務はないでしょう?」


「あなたを一人で行かせて何かあれば、セラフィアに合わせる顔がありません。折れる気はありませんので、あなたも譲歩してください」


 わたしとアカツキが張り合うように無言で視線を交えていると、それまで黙っていたオールソン卿がプッと吹き出した。


「やはり、お二人の関係はこれからというわたしの言葉は間違っていなかったようです。残念ながらわたし一人がここでお別れすることになりそうですね。ソトラッカについたら色々とやることが山積みですし、不動産屋との約束もすでに取り付けてあるので」


 そう言えば、オールソン卿には釘を刺しておかなければいけなかった。


 イヴォンにこだわるルーカスと、イモゥトゥを手当たり次第狙う犬に繋がりがあるとは思えないが、エイツ家の元使用人がイモゥトゥだとは知られたくない。それとも、ルーカスはすでにユーフェミアの情報を得てエイツ男爵家を訪問した? 


 ――その可能性に思い至ってゾッと背筋が寒くなったが、ルーカスはイモゥトゥに興味を抱いていても手に入れたがっているのはイヴォンだけだ。


「オールソン卿、お約束いただきたいことがあります。わたしのことはご友人のルーカス・サザラン様には内緒にしてください。それと、わたしがザッカルングに行くことは口外しないようにお願いします」


「もちろんです。ところで、お二人が手配しなければいけないのは船のチケットだけではありませんよ。宿泊先もあらかじめ決めておかないと昨晩のわたしのようになってしまいます」


 おどけて肩をすくめるオールソン卿に、アカツキは「問題ありません」と口にする。


「エイルマ港からなら、うちの家門が懇意にしているヘサン伯爵家の邸宅が近くにあります。慣れない土地なのでホテルに泊まるよりもヘサン伯爵に頼みましょう。その方が安全です」


「ヘサン伯爵というと、紅茶で有名な?」


「ええ。王政時代からヘサン伯爵領は茶葉の名産地で、ザッカルング王家御用達だったのです。革命で王家がヨスニルに亡命して一度は繋がりが切れたのですが、父がヨスニルでの販路拡大に手を貸して以来、我が家はヘサン伯爵の作る紅茶を愛飲しています。わたしもエイルマ聖教大学で学会があるときなどは伯爵のところに宿泊させてもらっているんですよ」


「そうですか。それなら夜中にホテルを探して彷徨うことはなさそうですね。次にお二人と会えるのは研究所でしょうか。その時にまたゆっくりお話しましょう。わたしは出発の時刻が迫っていますのでそろそろ」


 懐中時計を確認して席を立ったオールソン卿は、「あっ」と何か思い出したようにアカツキを見た。


「ケイ卿。昨晩のお話ですが、ヴィンセントには今日にでも手紙を書いて送っておきます。彼もケイ卿と繋がりを持てれば喜ぶと思いますよ」


「ありがとうございます。フォルブス家の方から直接話を聞けるのは、わたしとしては願ったり叶ったりです」


 一晩同室で過ごして親交を深めたらしく、二人は固く握手を交わして別れた。


「ヴィンセント・フォルブスに会うのですか?」


 遠ざかるオールソン卿の後ろ姿をながめながら問いかけると、「その前段階です」とアカツキは言う。

 

「ひとまず紹介してもらうだけですが、あなたのことが落ち着いたらロアナに向かおうと思っています。何と言ってもラァラ神殿のあるフォルブス領ですし、研究費用として旅費も請求できます」


「ケイ卿、一人で行くつもりではありませんよね」


 わたしの反応を予想していたのか、アカツキは苦笑いを浮かべている。


「それについてはゆっくり話し合いましょう。すぐロアナに行くわけではないのですから」


「わたしの分の旅費は自分で出します。もし同行が無理だというのなら、わたしも一人で向かうだけです」


「まったく、頑固な人ですね」


 その言葉にドキリとしたのは、研究者だったとき何度も同じことを言われていたからだ。


「……ケイ卿、ロアナに行くときは黙って行かないと約束してください」


「わかりました。お約束します」


 アカツキといると、時々セラフィア・エイツに戻ったような錯覚を起こす。うっかり「アカツキ」と呼んでしまいそうになり、そのたびに小麦色をした肌や、セラフィアだった頃には滅多に着ることのなかった女性らしいドレスが目に入ってハッと思い出すのだ。セラフィアは死んだということを。


「峠越えの馬車のようですね」


 アカツキは本館前の車寄せに目をやっていた。箱馬車が四台と荷馬車が一台、馬上で待機している護衛が三人。その背には銃を背負っている。オールソン卿の姿はまだ見えなかった。


「本当はあれに乗るはずだったのに、丸一日空いてしまいましたね」


「無理について来られなくても良かったのに、研究者はお暇なんですか?」


「ユーフェミア嬢、その話はもう終わったはずですよ。わたしたちも明日の出発に備えて準備しましょう。のんびりするのはその後です。まずは船をどうにかしないと」


 わたしたちはラウンジを出たあと支配人室を訪ね、「内密に」と念押しした上でプリンセス・オリアンヌ号の船室の確保と、ヘサン伯爵とレナード・ウィルビーへの電報を頼んだ。わたしもルルッカス街の新月の黒豹倶楽部に宛てて電報を送ろうかと思ったが、万が一送り先の住所が漏れたときのことを考えてやめた。


 今日出発する予定だったため荷物はすでにまとめてあり、そのあとは庭園を散策し、別館ステージでの演劇を観てのんびりと過ごした。夕食前にアカツキを部屋に誘ったのは、新月の黒豹倶楽部について話しておこうと思ったからだ。カツラをかぶるように言うと最初は怪訝な顔をしたが、交霊対策だと説明するとすぐ意図を理解し、「劇団からつけ髭を借りてくれば良かった」と、むしろ変装を楽しんでいたようだった。


 わたしは束の間の穏やかな時間を過ごしながら、アカツキから向けられる笑顔がユフィへのものだと思うと少々複雑でもあった。彼が悲しみを乗り越えることを望んではいるけれど、それは同時にセラフィア・エイツが完全に思い出になることを意味する。仕方のないことだとわかっていても、二度目の死をわざわざ見せつけられている気分になった。


 その日の夜、わたしとアカツキはチェックインの混雑に紛れて荷物を先にモルマ港へ送り、翌日の朝は予定通り外出を装ってホテルを出立した。馬車に揺られることニ時間弱、到着したモルマの港町で偽装観光のために何軒か店を巡り歩き、ついでに船内で悪目立ちしないようヨスニル貴族らしいデイドレスとイブニングドレスを一着ずつ購入しておいた。船便の待ち時間に衝動的に購入する客はわたしだけではないらしく、既製服の品揃えが豊富だったのは幸運としか言いようがない。


 乗船締切時刻の寸前に手続きを済ませ、タラップを登りながら周囲をうかがったが追手の姿は見当たらなかった。予想外だったのは、ソトラッカにいるはずのレナード・ウィルビーがわたしたちを出迎えたことだ。満面の笑みのレナードとは対照的に、アカツキは口を半開きにして言葉を失っていた。

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