第二話 偶然の同乗者(二)

__ヨスニル共和国チェサ駅発急行列車内__555年8月21日



 オールソン卿に誘われるまま、わたしとアカツキは彼の向かいに隣り合って座った。給仕がクロックムッシュを運んできて、アカツキはワインとスープとラム肉のステーキを注文し、最後に「二人分」と言い添えるとオールソン卿は唖然とする。


「お昼から豪勢ですね」


「昨夜ほとんど食べていなくて、今朝もコーヒーだけだったんです。彼女も似たようなものらしく、せっかくなので食事をしようという話になりました」


 アカツキが自己紹介を促すようにこっちに視線を寄越した。わたしの名をそのまま教えてもよいか判断がつかなかったのだろう。オールソン卿が眼鏡をかけているのが気にかかったが、中途半端に偽名を使っても後で面倒なことになりそうだ。


「わたしはアッシュフィールド男爵家のユーフェミア・アッシュフィールドと申します」


「アッシュフィールド嬢、お会いできて光栄です。わたしはロアナ王国の出身で、オールソン伯爵家のクリフ・オールソン。ところで、お二人はどのような関係で?」


「まだ知り合ったばかりなんです。ケイ卿との共通点といえばセラフィア様の友人ということでしょうか。わたしはセラフィア様とは年が離れていますが、貴族学校時代に交友がありました。それで彼女の訃報を聞いてエイツ男爵家を訪問したんですが、男爵様にソトラッカに行く予定だと伝えたらケイ卿を紹介してくださったんです。それで図々しくもこのように同行させていただいて」


 わたしが話している傍で、給仕が赤ワインとパンとスープを置いて戻っていく。


「では、三人の出逢いに乾杯」


 アカツキの言葉でようやく食事にありつき、スープを口にするとひと心地ついた。オールソン卿もそれまで手をつけずにいたクロックムッシュにナイフを入れたが、ふと顔をあげてわたしを見る。


「ところでアッシュフィールド嬢、ソトラッカには何か用事で?」


「強いて言えばセラフィア様の追悼の旅というところでしょうか。彼女が研究所で働いていると聞いていつか訪ねようと思っていたのですが、結局叶わずじまいになったので。オールソン卿は研究所に?」


「研究所にも行く予定ですが、友人に頼まれごとをされてるんです」


 その辟易した口調にアカツキがさりげなく探りを入れる。


「友人というのはサザラン卿ですか? 彼は昨日エイツ男爵家を訪問されたようですが」


「ああ、ご存知でしたか。その件でここ数日てんやわんやだったんです。ルーカスから突然連絡があって、エイツ男爵に会いに行くから宿と馬車を手配してほしいと言われ、慌てて用意しました。そのせいでソトラッカ研究所に行く予定がずれこんでしまったので、ちょっと文句を言ったら、今度はソトラッカに行ったついでに彼の借家を解約しておいてくれと」


「えっ、サザラン卿はソトラッカに戻らないのですか?」


「そのようです。セラフィアさんの件があってソトラッカにいるのが辛くなったから、家を引き払ってロアナに戻ることに決めたと。昨日、エイツ男爵家を出たあとコラール港に向かったはずなので、今頃はロアナ行きの船に乗っているでしょうね」


「それは残念です。サザラン卿には直接会って聞きたいことがあったのですが」


 アカツキは落胆を隠さずため息を吐いた。


「ケイ卿が聞きたいことというのはセラフィアさんのことですよね。昨日は彼女の月命日でしたし、卿も男爵家に行かれたんでしょう?」


「男爵家には一昨日行きました。昨日はセラフィアの墓参りに。サザラン卿と行き違ったのは残念ですが、実はユーフェミア嬢のおかげでひとつ興味深い話を耳にしたんです。あの事故の夜、サザラン卿からセラフィアに別れ話をしたようだと。オールソン卿は彼から何か聞いていましたか?」


 オールソン卿は答えず、問いかけるような視線をわたしに寄越した。


「なぜアッシュフィールド嬢が?」


「エイツ男爵様からうかがったのです。セラフィア様の恋人がそんな話をしてきたと」


「そうですか」


 料理が運ばれてきて、給仕がラム肉のステーキを並べて立ち去るまでのあいだ、オールソン卿はコーヒーカップを見つめていた。そして、わたしとアカツキがステーキを口に運ぶのを見計らったように口を開く。


「ルーカスは病気のこともありますし、彼の家門の事情もあって一生結婚することはないだろうと以前から言っていました。ルーカスにセラフィアさんを紹介したのはわたしですが、それはソトラッカに友人がいない彼を心配して話し相手をお願いしただけのことです。ルーカスからセラフィアさんへの気持ちを聞かされたときは驚きましたが、まさか彼女がルーカスの告白を受け入れるとは思いませんでした。ルーカス自身も思い出づくりに告白したようなもので、本当に恋人になれるとは思っていなかったようです。

 せっかく恋人になったというのに、彼はセラフィアさんに会うたびに葛藤していました。早く彼女を解放してあげなければならないけれど、もう少しこの幸せにに浸っていたいと。そしてルーカスはあの夜にようやく踏ん切りをつけたのでしょう。けれど、それがまさか永遠の別れになるとは思ってもいなかったはずです」


 ずいぶんもっともらしい話をしているが、オールソン卿の言葉が真実でないのはわたしがよく知っている。アカツキは真剣な眼差しでうなずきながら耳を傾けていたが、話がひと区切りつくとおもむろに口を開いた。


「オールソン卿。あなたの友人はセラフィアが別れ話を苦にして自殺したのではないかとエイツ男爵に話したそうですよ。オールソン卿はあの不可解な事故についてどうお考えですか?」


 オールソン卿はフッと鼻で笑い、慌てて「失敬」と取り繕った。


「ケイ卿のことを笑ったのではありません。ルーカスにはそういう自意識過剰なところがあって、彼らしい発言だと思ったんです。セラフィアさんが本当に自殺したのだとしたらやりきれませんが、あれは事故だったとソトラッカ市警が発表しています。それに、わたしにはセラフィアさんが自殺するほどルーカスに惚れていたとは思えません。彼女がルーカスに抱いていたのはきっと同情心です。ルーカスもそれに気づいていながら、自分はセラフィアさんから愛されていたと思いたくて自殺だなんて口にしたのかもしれません。

 彼は一人で過ごす時間が多いせいか、物事を自分の都合のいいように解釈して妄想の中に生きている側面があります。ひどく警戒心が強くて滅多に人を近づけないくせに、自分の味方だと判断した相手には尊大な態度をとりがちで、わたしのことなどは従僕だと勘違いしているようです。正直なところ、彼がロアナに戻ってくれてわたしはホッとしてるんですよ。あっ、今のはルーカスには内緒でお願いします」

 

 オールソン卿の口からこぼれた愚痴は演技のようには見えなかった。


 オールソン伯爵家がタルコット侯爵家からオトを買って、身代わりで戦地にやったのはもう百年近く前のこと。当時はイス・シデ大陸間戦争という特殊な状況下にあったわけで、イモゥトゥ取引がその一度だけだった可能性もある。もしかしたら、この男は何も知らずにルーカスに利用されているだけなのかもしれない。


 アカツキはオールソン卿への警戒を解いたのか、わたしの死からさり気なく話をそらした。チェサの大気汚染や来月にチェサで開かれる学会のこと、ヨスニル聖会が頭を悩ませる行方不明のイモゥトゥのこと、大聖会の対応予測へと話題は移り変わり、皿もグラスも空になったころ、再びルーカスの名前がアカツキの口から出た。


「そうそう、昨日ユーフェミア嬢とチェサ駅のところにある鉄道記念館に行ったのですが、そこでエリオット・サザランの肖像を見ました。ずいぶん美男子でしたが、サザラン卿はエリオットにそっくりらしいですね。エイツ男爵がそう言っていたとユーフェミア嬢から聞いたのですが、セラフィアの恋人があれほどの美男子だったとは」


 オールソン卿は「へえ」と興味をそそられたようだった。


「チェサに住んでいながら、そんなところにエリオットの肖像があるとは知りませんでした。ラァラ神殿にあるエリオットの肖像画もルーカスによく似ています。シワシワの老人ですが、それでも若い頃の美貌がうかがえる整った顔つきで、ルーカスが年をとったらこんなふうになるのだろうと肖像画を見るたびに思っていました。鉄道記念館の絵は若い頃のものですか?」


「記載された日付から四十歳くらいのもののようですが、どう見ても二十代後半くらいにしか見えません。あの風貌で街を歩けばご婦人や令嬢たちがこぞって振り返るのは間違いないでしょうね」


「これは確認しないわけにはいきませんね。ルーカスとどれほど似ているか、チェサに戻ったらわたしが確かめてみましょう。実は、ルーカス自身は自分の顔が好きではないのです。エリオットと似ているがために無意味に比較され、何もできない自分が余計に惨めになるようで」


「オールソン卿は彼といつからの付き合いなんです?」


「最初に会ったのは五、六歳くらいの頃でしょうか。わたしが父に連れられてラァラ神殿に――」


 そのとき前方の客席車両から酔っ払った男性二人組が入ってきて、大声で給仕をからかうものだから会話どころではなくなってしまった。オールソン卿は肩をすくめ、「ラウンジカーに移りませんか」と食堂車後部の扉を指さす。


「そうですね。あっちで飲み直しましょう」


 アカツキが同意するとオールソン卿は立ち上がり、先に行って扉を開けた。アカツキが後に続き、窓際に座っていたわたしが最後にテーブルを離れようとしたとき、


「ご令嬢、良かったらわたしたちと一緒にどうですか? こっちは男二人でどうもむさ苦しくて」


 振り向くとすぐ目の前に酔っぱらいの真っ赤な顔があった。無視しようとしたが男はわたしの腕を掴み、異変に気づいたアカツキがわたしの肩を抱き寄せる。


「何ですか、あなたたちは」


「あんた、このお嬢さんの恋人か? ずいぶん年が離れてるようだが、若いのが好みか」


 給仕が止めようとしたがもう一人の男が邪魔をし、厨房の中からシェフが慌てて飛び出してきた。


「お客様、こんなところで揉め事は困ります」


 赤ら顔の男はチッと舌打ちし、掴んでいたわたしの手を無造作に払った。ピリッと痛みが走り、見ると左腕に十センチほどの切り傷ができている。


「ユーフェミア嬢、血が。おい、おまえ!」


「わざとじゃない。そんなもの舐めとけば治るさ。あんたが舐めてやりな」


 どうやら傷は男の悪趣味な指輪に引っかかれたようだった。男が言う通り大したことはないが、大したことないからこそ人目に晒すわけにいかない。イモゥトゥの傷の回復にかかる時間はだいたい把握しているが、個人差がかなりあり、この体がどの程度の治癒力を持っているのかはまだよくわかっていなかった。


 アカツキもまずいと思ったのか、自分のハンカチを傷に巻くと消毒と包帯をラウンジカーに届けるよう給仕に伝えた。迷惑男二人は酒の提供を断られ、悪態をつきながら客席車両へと戻っていく。


 食堂車は閑散としていたが、列車最後部のラウンジカーは数組の乗客が談笑しており、みな思い思いに寛いでわたしたちを気にする様子はなかった。オールソン卿は最初心配そうにしていたが、甲斐甲斐しく手当をするアカツキを見ておかしな勘違いをしたようだ。


「わたしは席を外しましょう」


 気を利かせたつもりなのか、ブランデーの入ったグラスを持ってラウンジカーから出ていった。彼の姿が見えなくなると、わたしはアカツキの耳に顔を寄せる。


「ケイ卿。さっきの酔っ払いですが、あんなに真っ赤な顔なのにお酒の匂いはしませんでした。酔ったフリかもしれません。わたしの正体を確かめるためにわざと傷をつけたのかも」


 アカツキは目を見開き、警戒心をあらわに車両前方の扉を睨んだ。


 そのあと今後のことを話し合い、途中下車しようという話になったのだが、実行に移す前に車掌が謝罪に訪れ、あの迷惑男たちは次の停車駅で下車させると説明を受けた。結局、あの二人がやつらだったのか、たちの悪い酔っぱらいだったのかは微妙なところだが、その日の夜更け、わたしたちは無事にドンクルート駅に到着したのだった。

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