第七話 エリオット・サザランの肖像(二)

__ヨスニル共和国チェサ特別区ミローナ街17番ヨスニル鉄道記念館__555年8月20日

 


 わたしは動揺を隠しつつ、「どれがホクロですか」と二人の横から絵をのぞき込んだ。アカツキがさり気なく場所を譲り、館長は「ここですここ」と絵に触れそうなほど指先を近づけ、意気揚々と話を続ける。


「四百年代前半の西クローナでは襞襟が流行していて、エリオットはレースの襞襟を好んで着ていたらしく、ほとんどの絵には首が描かれていないようです。もともとこのホクロが気に入らなかったのか、女性用の白粉で消していたという話もあると聞きました。まあ、これだけ美しい顔をしていれば細部まで美にこだわりたくなるものかもしれません。わたしなどはホクロがあろうがシミがあろうが関係ありませんがね」


 館長の冗談にわたしは愛想笑いを返しながら、頭の中では様々な考えが激しく駆け巡っていた。


 たまたま同じ顔に生まれ、たまたま同じ場所にホクロができるなんてことがあり得るだろうか。しかもホクロはふたつで、それを隠したがっているということまで同じ。状況から考えて、エリオット・サザランがルーカス・サザランと同一人物という可能性もひとまず頭の隅に置いておくべきだろう。この肖像画のエリオットは四十歳、神殿には晩年の絵もあるようだが、年老いた姿を想像して描くことは難しくない。


 しかし、仮にルーカスとエリオットが同一人物だとするなら、――つまりイモゥトゥだったなら、ルーカスに生殖能力はないことになる。ならば、ルーカスそっくりの子どもはいったい誰の子なのか。もしかしたら、イヴォンだけでなくルーカスも生殖能力を持つ特別なイモゥトゥなのか。


「あなたも美男子がお好きですか?」


 アカツキの声で思考の渦から引き戻された。


「美男子が嫌いな女性なんていないでしょう?」


 咄嗟に軽口で返したが、何か察したのかアカツキは「そろそろ出ましょう」とわたしの手を引いた。館長に礼を述べてその場で別れ、二人で見学ルートに沿って出口へと向かっていると、薄汚れた縦長の窓からジチ教ヨスニル聖会本部の尖塔が見えた。建物のほとんどがプラタナス並木に隠れて見えないが、今もイモゥトゥの情報提供者が門前で追い払われているかもしれない。


 結局、最後の展示室を出るまでひとりの来館者も目にすることはなかった。見学ルートの終わりには広々とした休憩室があり、その奥の開け放たれた出口扉の傍に館員が立っている。


「ユーフェミア嬢、あの絵に何か気になることが?」


 アカツキが小声で尋ねてきたのは休憩室に足を踏み入れた直後だった。わたしは話すかどうか迷ったが、ここは内緒話をするのには最適の場所だ。


「少し休みませんか」


 アカツキをベンチに誘い、横長の額縁に入った蒸気機関車の絵の前に並んで腰をおろした。どう辻褄を合わせて必要な情報だけを伝えるか考えてみたが、不意にユーフェミアの性格が顔を出し、小細工はやめて正直に話そうという気になったのだった。


「ケイ卿。嘘はつきたくないので、これから話すことをわたしがどこで知ったのか、誰に聞いたのか詮索しないでもらえますか?」


「わかりました」


 アカツキは神妙な顔でうなずき、わたしはひとつ息を吐く。


「さっき見た肖像画のことですが、エイツ男爵様の言葉通りルーカス・サザランはエリオット・サザランにそっくりでした。喉仏のふたつのホクロまで」


「えっ……」


 アカツキは身を乗り出したが、約束を思い出したらしくグッと唇を引き結んだ。


「ルーカスがセラフィアお嬢さまに近づいたのはイモゥトゥの情報を手に入れるため。そして、イヴォンを探すためです」


「イヴォンというと、今話題になっているラァラ神殿のイモゥトゥですね。ですが、セラフィアが研究内容を漏洩したとは思えません。それに、神殿が出した記事を読みましたが、イヴォンに該当するイモゥトゥは研究所にはいません。あの男は思うように情報を得られないからセラフィアに別れを切り出したのでしょうか?」


「別れ話で済めばよいのですが、わたしはルーカスがセラフィアお嬢さまを殺したと考えています」


 単刀直入に伝えてみたが、さすがにアカツキは慎重だった。


「なぜそう思うのです?」


「ケイ卿はおかしいと思いませんか? 酩酊して馬車の前に飛び出したとされていますが、それほど酔った女性を一人歩いて帰らせるでしょうか。たとえ別れた恋人でも、せめて馬車を呼んで送らせるくらいのことはするのが普通ではありませんか?」


「つまり、酩酊状態のセラフィアを無責任に一人で帰らせたから、故意ではないにせよあの男が殺したも同然――という意味ですか?」


「違います。そんな曖昧な意味で言ってるのではありません。わたしはルーカスが明確な殺意を持ってセラフィアお嬢さまを殺したと思っているのです。ルーカスは何かを企んでいた。そのためにセラフィアお嬢さまに近づいたが、何らかの理由で邪魔になって殺した。そんな気がするんです。これはわたしの直感に過ぎませんが、彼の企みにはおそらくイヴォンが関わっています。ラァラ神殿と手を組んでいるのか、それとも別で動いているのか、それについては今のところ何とも言えませんが」


 気がする、おそらく、思う――そんなあやふやな言葉ばかりが自分の口から発せられていることが滑稽でならなかった。オトがこの場にいたら「また仮定の話ばっかり」と、眉間をグリグリと揉まれそうだ。


「推測ばかり話していても仕方ありませんから事実もお伝えしておきます。現在クローナ各地に散らばっているイモゥトゥには、ロアナ王国のタルコット侯爵家で育った者がかなりの数いるようです。外部から隔離された監禁塔のような場所にイモゥトゥだけが生活し、成長停止した後で売られるんです。わたしがタルコット家にいたのはずいぶん昔のことなので、現在もイモゥトゥ売買を行っているかどうかはわかりません」


 アカツキはよほど衝撃を受けたのか、呆然とわたしを見返した。


「ユーフェミア嬢。それは、タルコット家がイモゥトゥの出生に関与してる可能性があるということ?」


「状況から考えておっしゃる通りだと思います。それと、タルコット家はイモゥトゥの血液も売っているようです」


「血液? イモゥトゥの出生には血が必要ということ?」


「それはどうでしょう。もし血液投与でイモゥトゥを出産できるなら、タルコット家はイモゥトゥを一人か二人監禁しておいて、血液だけ売ったほうが良いと思いませんか? その方が人目につきにくいし、時間も手間もお金もかかりません。それなのにわざわざ隔離施設を作ってイモゥトゥを育てているんです」


 左手を台座に右手で頬杖をつき、足元に視線を落として思案するアカツキの姿に懐かしさを覚えた。


「たしかに、血液には別の用途があるのかもしれませんね。それにしても、イモゥトゥは本当に謎だらけです。研究所では最新の血液分析装置も導入してイモゥトゥの血液を調べているけど、普通の人間の血液との差異は今のところみとめられていないはず。そういう分野はわたしではなくセラフィアが専門だったのですが」


 アカツキが足を組み換え、上体を起こしたことで休憩所と展示室を隔てる柱のところに人影が見えた。こちらを見ているわけではないが、展示を見ているふうでもない。気配も足音もなくこの距離まで近づけるものだろうか。


「ケイ卿、あそこに人がいるのに気づいていましたか?」


 わたしが小声で囁くと、アカツキがそっと展示室を振り返った。その人影はさりげなく柱のそばを離れ、最後の展示物であるクローナ大陸横断鉄道全図をいかにも興味津々にながめる。背恰好からすると二十歳前後の青年のようだった。


「ケイ卿、そろそろ出ましょう」


 アカツキは無言でうなずき、穏やかな表情を保ったままわたしの手をとって出口に向かった。館員に見送られて建物の外に出ると、わたしは「こっちに」と傍にあるプラタナスの下にアカツキを連れて行く。出口からは五メートルほどの距離があり、館内からは死角になっていた。


「ユーフェミア嬢、どうするつもりです?」


「普通にしていてください」


「普通と言われても、わたしにとってこの状態はあまり普通ではないのですが」


 帽子のつばを避けて耳元で囁いたアカツキの顔は、息がかかるほど間近にあった。わたしの腕は彼の腕にしっかりと絡まり、それは意図したものではなかったが、今さら突き放すこともできない。


「普通というのは、怪しまれないようにという意味です。わたしたちの他にもこんなふうにしてる人がたくさんいるでしょう?」


「そういうことですか」


 アカツキは笑いを噛み殺すように口角をあげた。その笑みが次の瞬間には仮面のような作り笑いに変わる。


「おれらを探してるみたいだ」


 彼は不意に砕けた言葉で言い、視線だけを鉄道記念館の出口にやった。キョロキョロとあたりを見回す青年の姿はこちらから丸見えで、わたしと目が合うと咄嗟に明後日の方角に顔を向け、何事もなかったかのように駅舎の方へと広場を突っ切っていく。


「待ち伏せられているとは思わなかったようですね。ユーフェミア嬢、あの男に心当たりはありますか?」


「知らない顔ですが、イモゥトゥを狙う者の間でわたしの情報が共有されている可能性があります。一ヶ月ほど前にも正体不明の者に追われました。チェサで会う予定だったイモゥトゥも、何かあったらしく数日前にここを離れると電報がありましたし」


「それは心配ですね。ラァラ神殿の記事が出てからイモゥトゥ探しに躍起になっている者もいると聞きます。ユーフェミア嬢、チェサにいる間はわたしと同じホテルに泊まりませんか? 部屋はすぐに手配できると思います」


 アカツキが泊まるような高級ホテルならおそらく安全は保証されるだろう。しかし、そんなホテルにオトを連れていけば周囲の目を引きかねないし、新月の黒豹倶楽部にはレッドロビンズホテルに連絡するよう伝えてあった。


「ケイ卿のお気持ちはありがたいのですが、エイツ男爵様の配慮もあって、レッドロビンズホテルではオーナーに良くしていただいているんです。ご心配には及びません」


「ですが」


「他にも事情があるんです」


 強く言うと、アカツキは目を瞬かせたあと「わかりました」と首を縦に振った。


 青年が駅舎に入るのを見届けた時には、広場の外灯にポツポツと明かりが点り始めていた。しかし、夜の帳が下りてもチェサの星空は見られそうにない。


「あの男がまだ駅舎の中から見張っているかもしれません。仲間がいないとは限りませんし、馬車で移動しましょう」


 わたしはアカツキの提案に同意し、辻馬車をつかまえて乗り込むとすぐに鉄道記念公園を後にした。結局、その夜アカツキと夕食をともにすることはなく、追手を警戒して適当にチェサ市内を走ったあと、わたしはレッドロビンズホテルの前で降り、彼はそのまま自分のホテルへと向かったのだった。


 

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