第五話 セラフィア・エイツの墓

__ヨスニル皇国ダンスル郡コラール市サハラン霊園__555年8月20日午後



 エイツ家を出て、わたしはジチ教ヨスニル聖会が管理するサハラン霊園へと馬車を向けた。男爵家には夾竹桃もサルビアもなく、ついでに信仰心もないに等しいけれど、父もわたしも五歳で入信の儀を行ったジチ教徒。一ヶ月前の葬儀も間違いなくジチ教式で執り行われたはずだった。


 サハラン霊園はコラール市郊外のサハランという小さな町のはずれにあり、小高い丘全体が敷地となっている。丘の麓に小さな礼拝堂が建ち、平民のほとんどが礼拝堂にほど近い共同墓地に合祀されているが、家門や個人で墓石を建てる際の立地は聖会への寄付額で決まり、エイツ家の墓は丘のてっぺんの特別区域にあった。


 敬虔なジチ教徒だった祖父母のためにエイツ男爵が多額の寄付を――というのは世間向けの建前。父がシデ帝国教皇庁と輪転印刷機取引を行った際にナータン経典を中央クローナに広めるよう条件が出され、ジチ教聖会を多額の寄付金で黙らせた結果の一等地だ。


『ナータン教典を人々が読み、それが戒律でがんじ絡めの宗教と知れば聖人ジチの寛容さに改めて気づくでしょう。そしてジチへの信仰心をさらに厚くするはずです』


 ヨスニル聖会だけでなくクローナ大聖会にも寄付をした上で、父はそんなふうに言いくるめて大教司の首を縦に振らせたのだった。


 聖会としても、ジチ教聖典『聖人大書』の普及に新たな印刷技術の導入が欠かせないと理解した上での妥協だったのだろうが、実際、父が輪転印刷機を導入したことで印刷物の価格はぐんと下がった。エイツ出版社の提携先のひとつ、新聞社チェサタイムスの取引先は周辺国まで拡大し、だからこそオトがヒルシャ国でチェサタイムス・マンスリーティップスを買えたのだ。ラァラ神殿も中央クローナで新聞発行部数が急拡大していたからこそ、イヴォン捜索に新聞を使ったに違いない。


 わたしは霊園の丘を登る馬車に揺られながら、空に吸い込まれる工場からの煙を木々の合間に眺めていた。蛇行した道は墓地と小立を繰り返し抜けていく。ところどころに馬車のすれ違い場があり、その脇には休憩所としてガゼボが用意されていた。真夏の日差しの下、青々した緑と沿道の真っ赤なサルビアが鮮やかなコントラストを描き、否が応でも死を意識してしまう。


「馬車の乗り入れはここまでになります」


 御者が扉を開けたのは特別区域手前の停車場。少し離れた場所に、エイツ男爵家の家紋を掲げた馬車が見える。下の礼拝堂でエイツ家の馬車が霊園に乗り入れたことは確認していたけれど、この先にアカツキとクゥヤがいると思うと、すぐさま駆けつけたいような、逆に逃げ出したいような複雑な気分になった。


 馬車を降りると欅の大樹で日陰になっており、心地よい風がサッと体の熱を奪っていく。ガゼボで涼んでいたエイツ家の御者が帽子をとって頭を下げ、わたしは会釈を返すと一人その場を離れた。


 特別区域のまわりには夾竹桃が植えられ、アーチゲートをくぐるとレンガ敷きの小路はすぐ右へと曲がっている。歩を進めると正面から右手方向に視界がひらけ、コラール市の街並みが目に飛び込んできた。遥か遠く、レーヌ川の先で雲製造工場みたいに白煙をあげているのがエイツ製紙工場。チェサ方面の空は灰色に淀んでいる。


 ここに最後に来たのは二月の母の命日だった。ラナンキュラスの花束を手に、父と二人で雪の舞うコラールの街を眺めたことを思い出してしばし景色に見入っていたが、話し声が聞こえて我に返った。前コラール市長の豪奢な墓石の陰から姿を見せたのはアカツキとクゥヤ。暑さが堪えたのか二人とも上着は脱いで袖を捲り、以前より痩せた様子のアカツキの顔を、クゥヤが気遣わしげにのぞきこんでいる。わたしは居ても立っても居られなくなり、またセラフィアらしくない行動をと思いながら小走りに二人に駆け寄った。


「あのう、セラフィア様のお墓はこちらですか?」


 問いかけると、「そうですが」とクゥヤから親しみのこもった笑みが返ってくる。いつも見下ろしていたクゥヤの顔が同じ高さにあるのは不思議だったが、それよりもアカツキの不躾な視線にわたしは内心驚いていた。彼の目は赤く充血し、手にはハンカチを握りしめている。目が合うとようやく自分の無礼に気づいたらしく、「失礼しました」と申し訳なさそうに謝罪の言葉を述べた。


「兄さん、どうかした?」


「いや、知ってるご令嬢と勘違いしてジロジロと見てしまったんだ。本当に申し訳ありませんでした。ところで、あなたもエイツ男爵令嬢の墓参りに?」


 アカツキがわたしの手元を見たのは供花も何も持っていないのを訝ったようだった。自分の墓だからうっかり失念していたのだ。


「墓参りは予定になかったのですが、先ほどエイツ男爵様からアカツキ・ケイ様がこちらにいらっしゃるとうかがい、急いで駆けつけたのです」    


「アカツキ・ケイはわたしですが」


 アカツキが躊躇いがちに答える横で、クゥヤが何か思い出したらしくアッと声をあげた。


「姉上の友人と今日お会いするのだと父が言っていました。年はわたしと変わらないようだけど、あなたがそうですか?」


「はい。わたしはユーフェミア・アッシュフィールドと申します。セラフィア様のことでアカツキ様にお伝えすることがあって来たのですが、こちらをご覧ください。わたしの身分証明書代わりに男爵様が書いてくださったものです」


 エイツ家の印が押された封書をアカツキに差し出すと、彼はその場で開けてサッと目を通した。のぞき見ようとする弟の目をかわし、手に掛けていた上着のポケットにしまい込む。


「クゥヤ、馬車で待っていてくれるか。彼女と少し話すことがあるんだ。ユーフェミア嬢、せっかくですからセラフィアのそばでお話しましょう。どうぞお手を」


 クゥヤは不服げな顔をしたものの、アカツキがわたしの手をとると「では馬車でお待ちしています」と優雅な所作で挨拶して立ち去っていった。クゥヤの姿が見えなくなったあと、アカツキはわたしの手を引いて来た路を戻り始める。


「ユーフェミア嬢はクゥヤとは初対面ですよね?」


「はい。おそらく手紙にあったと思いますが、わたしはエイツ家の元使用人です。男爵家で働いていたのはセラフィアお嬢さまが十三歳のときまでで、クゥヤ様と面識はありません。ですが、ケイ公爵家のご令息がエイツ家の養子に入ったという話は聞き及んでいました。お嬢さまとケイ卿が研究所の同僚だということも存じております。実は、ソトラッカ研究所に保護を求めるつもりで男爵様にケイ卿を紹介していただけるよう頼んだのです」


 わたしがイモゥトゥだと告白するような発言をしたせいかアカツキは足を止めた。が、彼の口から出たのは思わぬ言葉だった。


「では、研究所に届いたセラフィア宛てのあなたの手紙は、研究所に保護を求めるものだったのですね?」


「えっ?」とわたしが声をあげると、アカツキは眉を寄せる。


「手紙を出した覚えはありませんか?」


 ジュジュとの会話を思い返してみたが、セラフィアに接触する予定だったと言っていたけれど手紙の話はした記憶がない。ユーフェミアの性格を考えると先走って手紙を送ったのかもしれなかった。

 

「わたし、時々記憶が曖昧になるんです。現実と過去がごちゃまぜになってしまって、手紙を送ったような気もするけれど、それがいつ書いたものか、どんな内容なのか思い出せません」


「新生前症状ですか?」


「おそらくそうだと思いますが、頻繁にあることではないのでご心配なく。それで、手紙は今どこに?」


「わたしが研究所で保管しています」


 アカツキは記憶をたどるように宙に視線を泳がせ、再び小路を歩き始めた。


「手紙が研究所に届いたのはセラフィアが亡くなる前の七月十九日です。通常であれば翌日には本人の手に渡るのですが、夾竹桃祭りがあったせいで処理が遅れ、セラフィアがその手紙を受け取ることはありませんでした。エイツ男爵に渡すことも考えたのですが、男爵家ではなく敢えて研究所に宛てたのには理由があるのだろうと。わたしはセラフィアからあなたの話を聞いたことがあって、イモゥトゥかもしれないとも言っていましたから」


「それで先ほどわたしの顔を?」


「そういうことです。十六歳くらいの赤毛の女性と記憶していました。手紙の封は開けていません。読むべきか迷いずるずると先延ばしにしていましたが、差出人にお返しすることにしましょう」


 エイツ家の墓にたどり着くと、アカツキは脇に避けて眩しそうに空を仰いだ。わたしは墓石の前に跪き、「大地の子はその愛をもってセタの下へ召されん」と形ばかりの祈祷句を唱える。


 サルビア紋様で装飾された横長の墓石には『セラフィア・エイツこの地より旅立つ』と刻まれ、真っ赤なサルビアがそのまわりを囲っていた。墓前に置かれたグラジオラスとスカーレットの花束はアカツキとクゥヤが供えたものだろうが、暑さでくったりとしおれている。それに比べ、地植えのサルビアは燃え盛る炎のようで、そこに埋まった骨さえ燃やし尽くしてしまいそうだった。


 墓石の奥に聳え立つのは、特別区域のど真ん中にある巨大な石塔。そのてっペんからコラール市街を見下ろすセタ神は、天頂から西にやや傾いだ陽が逆光となり、表情は暗く翳っていた。


「火は肉体を燃やし、愛は魂を燃やすのかもしれません。そして魂が燃え尽きたとき、イモゥトゥは新生する」


 しゃがんだまま、アカツキを振り返りもせず口にすると、「ふうん」と耳慣れた相槌が聞こえた。一ヶ月前の奇妙な経験がなければ、こんな馬鹿げたことは口にしなかっただろう。


「ユーフェミア嬢はクローナ神話を信じているんですか?」


「少し感傷的になっただけです。自分がイモゥトゥだからといって神話が本当にあったことだとは考えていませんし、わたしは不死ではありません。死んだらセタの国に行くというのは嘘だと思っています。セラフィアお嬢さまはセタの国ではなくここにいる」

 

「興味深いお話ですが、そろそろ馬車に戻りましょう。この暑さでは倒れてしまいます」


 アカツキに促されて立ち上がると、彼はまた当たり前のように手を差し出した。


「ケイ卿、先ほどはクゥヤ様の目があってお断りしませんでしたが、わたしはケイ卿にそのようにしていただける身分ではありません」


「歩きにくい場所で女性に手を差し伸べないわけにはいきませんよ」


「では、セラフィアお嬢さまにもこんなふうに手をお貸しになっていたのですか?」


 彼の手を取りながらも、つい意地悪な質問をしてしまった。


「いえ、セラフィアは貴族令嬢扱いされるのを嫌っていたので、こんなふうに手を握る機会は滅多にありませんでした。歩きにくい公園に誘えばよかったのだと、たった今気づいたところです。死んでしまったら、もう手を握ることもできない」


 声を震わせ、アカツキは繋いだのと反対の手で目尻を拭う。その姿を見ていると、申し訳なさと同時に、これほどまで自分を想ってくれる同僚への感謝で胸がいっぱいになった。悲しみに暮れるこの大切な友人を支えるのはわたしでなければ――そんな使命感がふつふつと湧いて、自分でも気づかぬうちに彼の手を強く握りしめていた。


「ケイ卿はいつソトラッカにお戻りになるのです? ご迷惑でなければ同行させていただきたいのですが」


 アカツキは鼻を啜り、そのわずかな時間で考えをまとめたようだった。


「今夜チェサに泊まり明日列車で立つ予定でしたが、ユーフェミア嬢が一緒に行くのであればあなたの都合に合わせましょう。今はどちらにご宿泊されているのですか?」


「チェサ駅近くのレッドロビンズホテルに。明日出発できるかどうかわかりませんが、今夜のうちには予定を決めてご連絡いたします」


「わかりました。ユーフェミア嬢もこのあとチェサに戻るのでしたら、夕食がてらセラフィアの話を聞かせてもらえませんか?」


 小路は夾竹桃の小立に差しかかったところだった。わたしが足を止めるとアカツキも黙って立ち止まる。数歩先を左に曲がれば特別区域のアーチゲートで、停車場の方角からかすかに笑い声が聞こえてきた。


「ケイ卿、わたしはこのあと鉄道記念館に行くつもりです」


「このあとですか?」と、アカツキはポケットから懐中時計を出して時刻を確認する。


「あそこは午後七時が閉館ですから、今から向かってもゆっくりは見られませんよ」


「確認したいことがあるんです。男爵様はわたしと会う前にセラフィアお嬢さまの恋人と面会されたそうで、その方がエリオット・サザランにそっくりらしいのです。それで、エリオットの肖像が鉄道記念館にあると――」


「ルーカス・サザランが男爵家に来たのですか? あの男は今どこに?」


 アカツキは話を遮り、灰色の瞳は動揺で揺れていた。わたしの肩を掴んで揺さぶったあとハッと気づいて手を離し、取り繕うように汗を拭う。


 ――ねえ、セラフィア。アカツキ・ケイはリーリナ神教についてどれくらい知ってる? 面倒だから彼も君と一緒にセタのもとに送ってあげようか。


 わたしの脳裏にはルーカスの言葉が蘇り、この暑さにも関わらずブルッと体が震えた。


「ケイ卿、もしかしてルーカス・サザランと何かありましたか?」


「何かあったというより、わたしはあの男に避けられているのです。セラフィアの死後、事故のあった夜のことを聞きたくて彼の家を訪ねたのですが、恋人の死にショックを受けて寝込んでいると使用人に追い返されました。当然ながら彼はセラフィアの葬儀にも参列していませんし、わたしが彼女の葬儀を終えてソトラッカに戻ったら姿を消していました。知人に聞いたところ、病状が優れず故国ロアナに帰ったらしいと」


 知人というのはおそらくクリフ・オールソンだろう。「しかし」と慎重な口調でアカツキは話を続けた。


「ユーフェミア嬢が言う通りあの男が今コラールにいるのなら、彼はほとんどロアナに滞在していないことになります。ソトラッカ港からロアナ王国にあるハサ港までは天候に恵まれたとしても十日ほど、往復で二十日以上はかかるはず。療養する間もあるません。ワイアケイシア急行なら往復で二週間ほどだと思いますが、彼は体が弱いので鉄道は選ばないでしょう」


 体調よりも、ルーカスなら人目につきにくいという理由で船を選ぶはずだ。ワイアケイシア急行は寝台列車で当然個室だが、客室と通路とは薄い壁で隔てられているに過ぎない。


 わたしはアカツキの話を黙って聞きながら、セラフィアの死がルーカスによる殺害だとほのめかす機会をうかがっていた。しかし、策を労する必要はなかったようだ。


「ユーフェミア嬢。もしかしたら、あの男は故国に戻ったふりをして近くに隠れていたのかもしれません。わたしはルーカス・サザランがセラフィアの死に関与していると思えてならないんです」


 その言葉がアカツキの口から出たとき、期待していたこととはいえ心臓がドクンと大きく音をたてた。


「ケイ卿、詳しく――」教えてください、と言おうとしたが、足音が聞こえて咄嗟に別の言葉に変える。


「チェサまでわたしの馬車で行きましょう。鉄道記念館に行ったあと、夕食をご一緒させてください」


 アカツキは矢継ぎ早の提案に面食らったようだが、クゥヤが姿を見せたからか「美しいレディーと夕食をご一緒できて光栄です」と恭しくわたしの手をとった。クゥヤは何か勘違いをしたらしく、アッと気まずそうな声をあげて停車場の方へ駆け戻っていった。



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