第二話 行方不明のイモゥトゥ(ニ)
__ヒルシャ国の宿にて__クローナ歴555年8月15日昼過ぎ
腐ったものでも見るように、オトは顔をしかめてチェサタイムス・マンスリーティップスの紙面に目をやっていた。
「そこに書いてあるのって、神殿はイモゥトゥが完全な不死じゃないって知る前から『イモゥトゥがラァラの子だ』という説をとってきたって意味だよね。それって不死を肯定してたってことにならない? ジチ教の教えと真逆だよ」
「そんなの、いくらでも言いようがあるわ」
わたしは神殿が言いそうなことを、祭司ぶった厳かな口調で口にする。
「――ラァラはイモゥトゥではあるけれど、セタ神と並んで愛の象徴でもあります。われわれラァラ派は、聖人の娘ラァラの子であれば、たとえイモゥトゥであっても愛に生きる存在だと信じていました。そして、ラァラがそうであったように長い年月がかかったとしても、いつかセタの元へ迎えられると。つまり、ソトラッカ研究所が明らかにし、ラァラ神殿でも保護していた、不老であるが不死ではない人々は、まさにラァラ派が考えるラァラの子なのです。彼らが存在することが、この世界から邪神が消えたことの証明となるでしょう」
自分で言いながら、大量の砂糖を口に突っ込んだような気分になった。オトは呆れ顔だ。
「ユフィがラァラ派に見えてくる」
「神話や教義の解釈なんて都合のいいように変えるものよ。大聖会がイモゥトゥのことに積極的に触れないのも彼らの都合でしょ。まあ、神話に出てくるイモゥトゥと現実のイモゥトゥは別という意見はわたしもラァラ神殿と同じだから、神殿の言い分もいちおう理解できる。ただし、わたしのは本心、新聞に書かれてるのは詭弁よ」
「ぼくは納得いかないよ。今さらラァラの子だから保護するなんて」
オトが不機嫌なのも理解できないではなかった。イモゥトゥたちが隠れ暮らしてきたのは虐待を恐れたからだけど、それはクローナ神話においてイモゥトゥが呪われた存在として登場することがそもそもの原因と言える。『イモゥトゥはラァラの子』という立場をラァラ神殿が最初から打ち出していれば、少なくともラァラ派の多いロアナ王国内でイモゥトゥが監禁され、奴隷のように売買されるなんてことは起こらなかったはず――いや、それはどうやら安直な考えだったかもしれない。
「ねえ、オト。タルコット侯爵はラァラ派だってジュジュが言ってたわよね」
「うん、たしか」
わずかに沈黙が落ちて視線がかち合ったのは、おそらく同じことを考えたのだろう。タルコット侯爵家のイモゥトゥ売買に神殿も関与していたのかどうか。
「ラァラ神殿が交霊について知らないとは思えないわ。これまで神殿がイモゥトゥを隠していたのは、神殿自体にやましいことがあると考えるべきよね」
「ユフィ、続きも訳してくれる?」
先を促すようにオトはクイと顎を動かし、わたしは生意気な――と思ったけど、この少年は激動の時代を生きた元連合国軍兵士。大人しくデセン語に翻訳することにした。
「――ラァラ神殿では現在複数のイモゥトゥを保護していますが、これまで公表しなかったのは、大聖会の立場を尊重していたからです。それを覆し、紙面でラァラ派独自の立場を表明すると決めたのは、イモゥトゥの身の安全を第一に考えた結果でした。
そのイモゥトゥの名前はイヴォン。神殿が数年前に保護しましたが、当時から譫妄症状があり、失踪は記憶障害のためと考えます。
ラァラ神殿では極秘に捜索をしていましたが、ロアナ国内での目撃情報がなく、捜索範囲を中央クローナまで拡大することにしました。ラァラ神殿は広く皆様に情報を求めます。行方不明のイモゥトゥ、イヴォンの特徴は次の通りです。
外見は十三歳くらいの少女。癖のある金髪、黒目、肌は白、左手の小指が欠けている。失踪した時は神殿の白い祭服姿。
ラァラと同じ金髪に黒目の少女が無事であることを、われわれは願っています。どのような情報でも、気になることがあれば各国のジチ教聖会を通して、ラァラ神殿に知らせてください。なお、イヴォンを見つけた方には謝礼金として――」
金額を読み上げる前に、わたしは思わず「ハッ」と苦笑を漏らした。
「七千万クランって奮発したわね」
「それってどれくらい?」
「今のレートだと、ヒルシャ国で三千五百万テセってところかしら」
オトが「ワオ」と大袈裟に驚いてみせた。
地域によって物価は多少異なるけれど、ソトラッカ市ではパン一個がだいたい百クランちょっと。ニ年目の研究員の月給が二十五万クランだ。事業家の父が扱う金額からすればかわいいものだけど、大金であることは間違いない。
「ねえ、ユフィ。ルーカスが金目当てだったってことはない? 同じくらいの金額を神殿から提示されて密かに捜索していたとか。でも結果が捗々しくないから神殿が公開した」
「そんなふうには見えなかったわ。ルーカスはラァラ神殿のあるフォルブス領にいたらしいから、神殿と関わりがないとは思えない。でも、彼が執着していたのはお金じゃなくイモゥトゥよ。ラァラ神殿を出し抜いてイヴォンを見つけようとしていたってほうがあり得るわ」
ふうん、とオトは顎に手をあて首をかしげる。こういう、いかにもあざとい仕草が金持ちの客に受けるんだよ――と、ウェルミー五番通りにいた頃にオト自身が教えてくれた。わたしは客ではないけれど、そういう仕草が自然に出てしまうくらい長く男娼という商売に身を置いてきたのだろう。
「ねえ、ユフィ。もしかしたらイヴォンには生殖能力があるんじゃない? 例の子どもは本当にルーカスとイヴォンの間の子どもかも」
「まさか」
反射的に口にした。
イモゥトゥに生殖能力はない――というのが研究所の見解だ。聴取報告書によると男性のイモゥトゥが相手を妊娠させたという話はかなり稀で、その数少ない例も同時期に性行為を行った別の男性の子どもにほぼ間違いないらしい。しかも、男性イモゥトゥが種なしというのはタルコット侯爵家に監禁されていた頃から当たり前のように言われていたと、オト自身が教えてくれたのだ。
女性イモゥトゥについてはもともと月経がない場合が多く、成長停止の遅い十七歳以上のイモゥトゥには稀に月経がある場合もあるけれど、周期は一定せず出血量もまちまちだと聞く。仮に妊娠したとしても初期に流産するんじゃないかしら――というジュジュの言葉は、彼女自身の体験からくる推測だった。いずれにせよ、イモゥトゥは子孫を残すことができないという意見で研究所と新月の黒豹倶楽部は一致していた。
「イモゥトゥに生殖能力はないわ。あなたもジュジュも同意してたじゃない。それに、イヴォンが十三歳で成長停止しているのなら月経もないはずよ」
「でも、神殿もルーカスも躍起になってイヴォンを探してるんだよ。つまり、イヴォンは特別なイモゥトゥってこと。ぼくらが共有してる『イモゥトゥの当たり前』は、イヴォンには当てはまらないかもしれない」
わたしが激しく動揺して言葉を見つけられないでいると、オトは普段通りの軽い口調で容赦なく持論を展開していく。
「イヴォンに生殖能力があると仮定すれば神殿が大金を出すのも納得できるし、こんな記事を出したのはソトラッカ研究所に逃げ込まれた場合のことを考えてじゃないかな。イヴォンは自分たちのものだと主張しておけば、保護した研究所は神殿に報告せざるを得ない。もしルーカスと神殿が別に動いてるなら、この神殿の出方はルーカスにとって忌々しい限りだろうね」
ねえ、と神妙な顔でわたしの表情をうかがうオトの口からは、胸の悪くなるような言葉が吐き出された。
「ルーカスを駆り立ててるのが愛ってこともあり得るんじゃない?」
「ないわ。あの目にイヴォンへの愛も、誰への愛もなかった。あるとすれば狂った好奇心……」
邪神リーリナに呪われたような、ルーカスの冷淡な眼差しが脳裏に蘇り背筋が寒くなった。イモゥトゥへの好奇心が原動力だなんて、あの男とわたしが同じ穴のムジナだと認めるようなものだ。
「ユフィ」
オトの声に汽笛が重なり、黒煙に混じって蒸気の白煙が屋根の上にわずかに見えた。いつの間にか雨はやみ、雲に覆われた空もいくぶん明るさを増している。
「ねえ、ユフィ。交霊でイヴォンを見てみない? ユフィは姿絵を見たんだよね」
オトは躊躇いがちに提案してきたが、わたしはあまり気が乗らなかった。幻覚キノコは鞄の中に入っているし、イヴォンについて知りたくないわけではないけれど、交霊でルーカスの姿を見るのが怖かったのだ。だから、思いつくまま言い訳を並べ立てていった。
「ラァラ神殿にはイヴォン以外にもイモゥトゥがいるはずでしょ。神殿が彼らに交霊をさせていないとは思えないし、姿絵じゃなく実物を知ってるはずなのに、それでも見つけられないから記事を出してるんじゃない? ということは、イヴォンは顔を隠して逃げてるのよ。イヴォンの意思で逃亡してるってこと。だとしたら、新生前症状はそれほど進んでいないのかもしれない」
唐突に、イヴォンはルーカスから逃げているのではと閃いた。一度思いつくと、それは否定しがたい事実のように思えてくるが、研究者としてただの思いつきを盲信することはできず、その考えを払うため頭を振った。
「イヴォンに生殖能力があるというオトの意見は正直受け入れがたいけれど、もしそうだと仮定すれば、合意の上か、それとも望まぬ妊娠のどちらかよね。合意していたのなら、ルーカスとイヴォンは神殿から逃げて国外で落ち合うつもりだったのかもしれない。それなら例の子をルーカスが連れていてもおかしくないわ。
もし無理やり妊娠させられたのなら、ルーカス個人の欲望か、神殿に強いられたという可能性もある。家門から追い出されてフォルブス領に隠れ暮らしていたのが、イヴォンの妊娠と関連してるのかしら? それとも病弱というのは本当で、フォルブス領に追いやられたあとイヴォンと知り合った? ルーカスが神殿に利用されたとは考えにくいけど――」
「シワ」
オトはそう言っていつものようにわたしの眉間を親指で揉んだ。
「セラフィア。可能性や仮定の話ばかりなのに、考えすぎても沼にはまるだけだよ。きみは真面目過ぎ。晴れてきたことだし散歩でもしてきたら? ダーシャなら大人しくしてろって言ってもきっと日が暮れるまで帰ってこない。それに、ぼくの裸を見てそんなふうに目をそらしたりしない」
最後のひと言でカアッと頬が熱くなった。
「未婚の女性が男性の裸を直視するなんて、そんなのできるはずないじゃない。ダーシャは百年以上生きてたから平気なの。わたしは……」
「セラフィアはからかいがいがあるよね」
オトが珍しく転生前の名前で呼んだのは、わたしの不安を察してのことだろう。
セラフィア・エイツだという自覚はあるのに、ユフィと呼ばれ続けているとこのままセラフィアの存在が消えてしまうのではと、波のように焦燥感が襲ってくる。何気なく発した言葉の端々にダーシャを感じることはよくあるし、セラフィアと違って運動が得意なことも嬉しい反面行き場のないモヤモヤした感情を伴った。今も、新聞をじっくり読みたいセラフィア・エイツと、外に出たいダーシャとが身体の内側で葛藤している。
「ねえ、ユフィ。向こうの通りにおいしそうなパン屋さんがあったんだけど行ってみない? せっかく雨がやんだから散歩がてら外で食べようよ。新聞が読みたいなら持っていけばいい」
オトは生乾きのシャツを壁のフックに引っ掛け、カツラをかぶって別のシャツを羽織ると、外出はもう決定事項だというように「ほらほら」と扉の前で手招きする。そのときドアノッカーを打つ音がした。
「アッシュフィールド様、電報が届いております」
扉を開けると若いベルボーイが立っていて、わたしが受け取りのサインをすると、忙しなく封書を置いて小走りに戻っていく。
ホテルの共用スペースには部屋を借りられずあぶれた客が座り込み、思い思いに時間を潰していた。みな仕立ての良さそうな服を着て、精一杯紳士らしさを保とうとしているのには敬服するけれど、湿気と暑さで汗の匂いがムッと鼻をつき逃れるように扉を閉める。
「パヴラからだ」
オトが封書を開けて言った。
『イヌニシラレタカノウセイ PV ザッカルングヘムカウ』
「犬?」
「やつらのこと。パヴラも目をつけられたのかもしれない。ダーシャみたいに」
「もしかして、わたしのことを調べてもらってたせいかしら?」
「どうかな。あっちにも知る術はあるわけだから、こっちが組織で動いてるってこともバレてるかも」
オトが言っている術とは交霊のことだろう。新月の黒豹倶楽部の存在自体が知られたなら、ザッカルングに向かっても安全とは言い難い。わたしがそれを伝えると、オトからは「だからだよ」と返ってきた。
「たぶん、移転するつもりでザッカルングに向かったんだ。ザッカルングの黒豹倶楽部はもともとパヴラが仕切ってたから」
不意に部屋の外でどよめきが起こった。何事かと扉を開けると、歓喜の声と安堵の顔で溢れている。
「明日の始発から動くぞ!」
階段を伝って最上階の三階まで情報が届き、窓から通りの様子をうかがうと手を叩いて喜ぶ人々の姿があった。
「ユフィ。とりあえずパン屋に行かない?」
おなかをさすって空腹を訴えるオトも、さっきより浮かれた顔をしている。どうやら、ようやくヒルシャ国を出ることができそうだった。
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