第二幕 聖女

第一章 墓参り

第一話 行方不明のイモゥトゥ(一)

__ヒルシャ国の宿__クローナ歴555年8月15日昼過ぎ


 クローナ大陸横断鉄道の東端モアクイツ駅から西端ブルッカ駅を往復する国際寝台列車、ワイアケイシア急行を利用すれば、四日ほどでヨスニル共和国の首都チェサ駅に着けるはずだった。しかし、貴族御用達の豪華列車に少年少女が付き人もなく乗ろうとすれば、訝られるのは間違いない。それに予算の都合もあり、わたしたちが選択したのは鈍行列車の旅。


 オトと二人して焦げ茶のカツラで変装しているけれど、姉弟というにはあまりにも顔立ちが違っているため血は繋がっていないということにした。設定はこうだ。


 ヨスニル共和国に暮らすユーフェミア・アッシュフィールドの父親がイス皇国の女性を後妻に迎えた。彼女にはオトという一人息子がいたのだが、彼は故郷を離れるのを嫌がり祖父母の家に残った。その後アッシュフィールド家が二度、三度とイス皇国を訪れて共に時間を過ごすうち、オトもヨスニルで暮らしたいと考えるようになった。ユーフェミアは貴族学校の夏季休暇を利用してイス皇国まで赴き、二人一緒にヨスニル共和国に向かう旅の途中――。


 大まかに言えばこんなふうだけれど、万が一のために両親や祖父母の名前、身分、職業もあらかじめ決めてあった。何気ない所作と生まれが一致しなければ怪しまれるからと、わたしは男爵令嬢、オトは庶民の出ということになっている。外では常にその設定に合わせて会話をし、イモゥトゥや新月の黒豹倶楽部について話すのは宿で二人きりになったときだけだ。


 予定ではチェサ駅に到着するまでに早くて八日、遅くて十日。イス皇国から隣国ヒルシャ国への出入国審査は問題なく通過し、それからしばらくは朝起きて駅に向かい、列車に揺られ、乗り継ぎを待って再び乗車し、列車がなくなると駅の案内所で宿を手配して、外で食事を済ませたあと宿へ向かうという日々が続いた。


 東クローナ五カ国はオトが何十年もかけて転々としていた場所だから、降りる駅も乗り換えも彼に任せておけば何の心配もない。それに、クローナ大陸横断鉄道が通っているのは大陸の北寄りの国で、幸いなことに東クローナで該当するのはイス皇国と東西に長いヒルシャ国のみ。そして、ヒルシャ国を出ればすぐヨスニル共和国だ。次の出入国審査で引っかからなければ、オトとの偽装姉弟関係も解消することになる。


 オトはヨスニルにいる新月の黒豹倶楽部のイモゥトゥと合流し、ザッカルング共和国に向かうことになっている。パヴラという名前で、すでにチェサ駅近くのホテルで待機しているようだった。


 オトがザッカルングに向かうのは以前からの計画らしい。左腕の欠損は特徴的で覚えられやすく、ダーシャの新生が落ち着いたら東クローナを出て中央クローナに移るつもりで数年前からザッカルング語を勉強していたそうだ。それが思いもよらずダーシャの世話をする必要がなくなり、わたしに同行することにしたのだとか。


 ザッカルング語は発音も良く流暢に話せるくせに、隣国ヨスニルの言葉はまったくできず、わたしはここ二週間ほどヨスニル語教師をしている。まだ最低限の日常会話くらいしかできないけれど、首都から西の地域ではザッカルング語を話せる人もいるからそれほど心配する必要はないだろう。


『こうやって勉強しても新生したら全部忘れちゃうなんて虚しいよね』


 昨晩、オトがそんなふうに言っていた。出会ったときは『八十過ぎのおじいちゃん』なんて言っていたけれど、イス・シデ戦争の終戦直前に従軍したのならおそらく百歳を過ぎている。イモゥトゥが新生するのは百四十から百六十歳くらいだろうと研究所は推測していたし、それは新月の黒豹倶楽部も同意見のようだったから、オトの残り時間は四十から六十年。それでも二十二歳で死んだセラフィア・エイツの二倍はある。それだけ時間があればどれほど研究が進められることか。


 イモゥトゥについてはまだまだ謎に包まれている。大昔から周期的に新生を繰り返してきたのではないかという研究者もいたけれど、それならばクローナ暦五百年以前にも〝赤ちゃん返りした少年少女〟の噂があって然るべきで、その可能性は低いと考えている。それに、イモゥトゥたちが何度も新生を体験済みなら、新月の黒豹倶楽部のような組織がとっくの昔に作られていてもおかしくない。だが、新月の黒豹倶楽部はダーシャとジュジュが起ち上げたものだ。


 しかし、ここ数十年で新生したイモゥトゥが、今後新生を繰り返さないとは言えない。もしかしたら、新生の周期が早まったり、成長や老化が始まる可能性もゼロではないが、今のところ、研究所で新生したイモゥトゥに成長や老化の兆候は見られない。


 新生イモゥトゥのことで判明している興味深い事実といえば、記憶共有に関すること。新生五年目になるイモゥトゥに了承を得てモルヒネを投与したところ、他のイモゥトゥの二倍量を与えても交霊状態にはならなかった。新生間もないイモゥトゥが交霊状態にならないというのは、かなり興味深い発見である。いったい何歳から記憶共有できるのか、それとも一度新生したイモゥトゥは交霊できなくなるのか。


 もう一点気になっているのはわたし自身のことだ。新生と同時に別人が憑依する事例がこれまでにもあったのか。憑依は意図的に可能なのか。もし可能なら、それを理由にイモゥトゥを狙う者がいても不思議ではない。


 疑問はとめどなく浮かんでくるが、その答えを知るには地道にイモゥトゥ研究を進めるしかないだろう。ソトラッカ研究所の研究員ではなくなってしまったことが口惜しかった。


 ため息とともに視線を落とすと、小雨を浴びながら大通りを横切るオトの姿が目に入った。服の前あたりが膨らんでいるのは、購入した新聞が濡れないよう中に抱えているに違いない。オトの短い腕に道行く人々が好奇の眼差しを向ける中、当人はどこ吹く風で、顔をあげてホテルの二階の窓辺にいるわたしに無邪気な笑みを寄越す。手を振って応えると今度はわたしに視線が集まったが、馬車が泥を跳ねて通り過ぎればそれも散り散りになった。乗合馬車は満杯で、雑踏掻き分けながら雨に煙る街を駅と反対方向へ走っていく。


 駅舎はこのホテルのひとつ先の通りにあった。連なる建物の屋根の上に、鈍色の空に溶けるように黒煙が棚引いている。


 ヨスニル国境を目前にし、ヒルシャ国の西端にあるこのホテルですでに五日過ごしていた。当初の予定では一昨日あたりにチェサ駅に到着していたはずなのに、大雨による土砂でヨスニル東部の一部区間が塞がれてしまったのだ。馬車を手配することも考えたけれど、川が氾濫して被害が出ているとか、馬車道も倒木で塞がっているとか、そんな噂がいくつも耳に入り、大人しく運行再開を待つことにした。


 ヒルシャ国内の鉄道は通常通り運行しているから、駅前は足止めを食らった人々と駅を利用する人々でごった返している。周辺一帯の宿にはロビーや通路で雑魚寝する客もいるほどで、わたしたちが部屋を借りられたのは奇跡と言ってよかった。少々お高めの貴族向けホテルだけれど、ワイアケイシア急行に比べればほんの些細な贅沢だ。


 近づいてくる足音を聞きながら、わたしは双頭の天馬のバックルをながめた。ダーシャの体に憑依したとき身に付けていたもので、ディドル大陸では〝旅の安全〟をもたらすという言い伝えがあるらしい。ディドル綿の服は燃やしてしまったけれど、荷造りをしている時に『ダーシャがあの男からもらって大事にしてたものだから』とジュジュに渡されたのだ。このバックルを手がかりに交霊を行えば、きっとディドリーの男の名前を知ることができるだろう。


 そういえば、わたしが幻覚キノコで交霊できたということは、赤ちゃん返りしたイモゥトゥと、すでに人格形成された別人が憑依したのとでは状態が異なるということ。もしかしたらわたしは新生二十二年目になるのかもしれない。セラフィアは二十二年生きたから。


「なに気難しい顔してるの?」


 声に驚いて振り返ると、オトがカツラを外して水気を払っていた。


「だから傘買えばいいって言ったのに」


「傘持ったら手が塞がっちゃうよ。風邪ひくわけじゃないし、濡れた服が気持ち悪いだけ。着替えれば済むことだよ」


 ふたつ並んだベッドの片方に、オトが買ってきた新聞が三部投げ置かれている。デセン語のものが二部、一部は見慣れたヨスニル語。ヨスニル国境が近いせいもあって駅周辺でもホテル内でもヨスニル語を耳にするし、新聞も需要があるのだろう。


 ヨスニル語の新聞は月刊紙チェサタイムス・マンスリーティップスだった。国内発行部数第一位を誇るチェサタイムスが月一回出している娯楽紙だが、発行日は八月八日になっている。


「一週間前の日付ね」


「大雨の影響じゃない? 手紙も届いてないみたいだし、情報がヨスニルで止まってたんだよ。それより、ユフィ。ちょっとここ見てよ」


 オトはシャツの前をはだけた状態で、デセン語の『ヒルシャ日報』をベッドに広げてみせた。わたしは彼が指さした文字に目を走らせる。


「ラァラ神殿のイモゥトゥが行方不明? どういうこと?」


「ヒルシャの新聞には詳しくは載ってない。たぶん、ユフィの持ってるヨスニルの新聞記事を見て書いたと思うんだ。ぼくには読めないけど、ここ。『ラァラ』でしょ? それにこっちは『イヴォン』だよね」


 わたしはその文字に釘付けになった。ラァラ神殿が掲載依頼した広告記事らしく、「読んでよ」とオトに急かされデセン語に訳していく。


「――先に、ラァラ神殿はイモゥトゥに対する立場を明確にしておきたいと考えます。

 クローナ歴五五二年、ヨスニル国立大学ソトラッカ研究所はイモゥトゥの実在を公表しました。しかし、ジチ教大聖会はそれを認めておりません。理由は、ソトラッカ研究所で保護している不老の人間が、必ずしも不死ではないこと。そして、彼らには感情があり、邪神リーリナに愛を奪われた状態にないということです。

 大聖会の主張はわれわれも理解しています。しかし、一般的な感覚として、不老の人間は特殊な存在といえるでしょう。ジチ教徒であれば、不老の人間をイモゥトゥと重ねるのは当然のことです。

 われわれラァラ派はこう考えます。今、クローナ大陸各地で発見されている不老の人間は、呪いを解かれ、愛と死を手に入れた〝新たなイモゥトゥ〟だと。クローナ神話に基づき、ラァラ派では以前からイモゥトゥがラァラの子であるという立場をとってきました」


「きな臭い」


 記事を読み上げるわたしの声を遮り、オトが眉をしかめた。


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