第二話 戦争と革命とイモゥトゥ
__イス皇国モアクイツ市ウェルミー5番通り新月の黒豹倶楽部__7月21日午前
ジュジュの話では、彼女もユフィもオトも気づいたときには塀に囲まれた隔離施設で暮らしていたらしい。当時はタルコット侯爵家だと知らなかったが、クローナ大陸各地に拡散したイモゥトゥの多くはそこで育ったのではないかというのがジュジュの考えだった。
「あの隔離棟から脱走できたのはダーシャだけじゃないかしら。逃げ出したあと自分で調べて、そこがタルコット侯爵家の敷地だとわかったって言ってたわ。ダーシャに聞かなければ、自分がどこで誰に監禁されてたのかずっと知らないままだったと思う。あそこはたぶん、イモゥトゥの養育施設だったのよ」
「養育施設?」
「そうよ。あそこには成長が止まる前のイモゥトゥも暮らしていたの。同じ建物でも成長停止前と停止後では住む場所が違っていたけどね」
ジュジュは淡々と話しているけれど、わたしにとっては衝撃的な内容だった。イモゥトゥがどこでどのようにして生まれたのか、研究所はまだ手がかりのひとつも得られていなかったのだ。
「ねえ、ジュジュ。タルコット家はイモゥトゥを捕まえてるわけじゃなくて、敷地内でイモゥトゥが生まれているってこと?」
「敷地内で生まれたのか、別の場所で生まれたイモゥトゥを集めてるのか、そこらへんはわからないわ。でも、イモゥトゥの出生にタルコット侯爵が関わってるのは間違いないと思う」
「あそこにいたときは十代で成長が止まるのが当たり前だと思ってたよね」
オトは窓の外に目をやり、十五、六歳の顔には似合わない、ひねくれた自嘲の笑みを浮かべていた。
「ぼくとジュジュは成長停止が遅いほう。ユフィもね。早ければ十一歳か十二歳。十四歳くらいが一番多いかな」
「十四? 意外だわ。研究所で保護してるイモゥトゥはあなたたちくらいの年齢が多いの」
逃げ切れないのよ、とジュジュがため息混じりに口にする。
「売られたイモゥトゥはどこに行っても虐待を受けるから、みんな逃げることを考えるわ。でも、体が小さいと不利なの。いくら足の速い子でも屈強な大人が監視についてたらすぐ捕まる。抵抗する力もないし、たとえ逃げられたとしても子どもの姿で仕事を見つけるのは難しいわ。わたしたち以上に年をとらないことを怪しまれるから結局は見つかって、待ってるのは虐待。幼い見た目が嗜虐趣味を煽るのかしらね」
「――クソッタレ」
わたしが無意識にこぼしたひとり言に、二人がプッと吹き出した。
「男爵令嬢にしては品のない言葉ね」
「ユフィがわたしに教えたのよ。それに、虐待なんてクソッタレ以外の何だって言うの? 狂ってるとしか思えないわ」
「ぼくも同感だよ。間違いなく狂ってる」
オトが顔に似合わず辛辣な言い方をした。
「あいつら、イモゥトゥを殺してるからね」
「えっ?」
驚いたわたしが無意識にジュジュの反応をうかがうと、彼女は「事実よ」と険しい顔でうなずく。
「あいつらの目的は交霊で情報を得ることだから、最初は虐待しようなんて思ってないの。でも、交霊にはお金がかかるのよ。新生が近くなければ、キツイお酒を飲んだ時にチラ見する程度。じゃあ、あいつらはどうやってイモゥトゥに交霊させるのか、知ってる?」
「麻薬を使うのよね? 研究所のイモゥトゥに聞いたわ」
「その通りよ。イモゥトゥがトランス状態になるのに普通の人の何倍もの量が必要で、効果もすぐ切れてしまうの。だから欲しい情報を得るためには相当なお金を麻薬につぎ込まないといけないわけ。いくらつぎ込んでも望んだ情報が手に入るとは限らないしね。その場合、苛立ちがどこに向かうかわかるでしょう? 最初は鞭。それからナイフ、斧、縄、銃、何でもあり。日に日にエスカレートして、首を斬られたり、燃やされたりすればイモゥトゥでも死ぬの。どうせ顔は隠してるから、使用人のふりをして自ら虐待していた貴族もいるはずよ。
新月の黒豹倶楽部はね、タルコット侯爵家にいた頃の記憶を頼りに交霊で仲間の手がかりを探してるの。その交霊の途中で、うんざりするような光景を何度も見させられたわ」
ゾッと背筋が寒くなり、と同時に目元が熱くなったかと思ったら、両目から大量の涙がボロボロと溢れていた。
「この体、涙もろすぎてダメだわ」
「ダメじゃないよ。泣いたらスッキリする」
少年みたいな無邪気な笑顔を浮かべ、オトは優しい手つきでわたしの頭をなでた。目の前にいる二人は長く壮絶な人生を生きてきたのだという事実が、不意にわたしの胸を打った。
「二人が逃げれて良かった」
そうね、とジュジュは空になったグラスにミルクを注ぎ、ぐいっと一気に飲み干す。
「わたしは何度か転売されたわ。誰が売ったか買ったかなんてわからない。ハッキリしてるのはタルコット侯爵家が最初だったってことくらいね。それもダーシャに会わなければ知らないままだったと思うわ。
どこに行っても住む場所は隔離されてた。脱走も考えたけど、捕まった後のことを考えると踏み切れなかった。わたしの場合、ダーシャのように危険を冒して脱走したわけではないの。逃げ出せたのはザッカルング王国にいたときで、ちょうどクローナ革命期の真っ只中だった。その当時はだいたい二、三日に一度くらいの頻度で遣いの者が来て、革命派の動向を探るために交霊をさせられてた。自分がいる国がザッカルングで、その国がどういう情勢なのかも交霊で見てわかってたわ。あるとき、三日経っても四日経っても遣いが来なくて、食料が尽きてしまったの。恐る恐る外の様子をうかがったら見張りの姿がなくなっていて、鍵を壊して逃げたわ。街のあちこちで暴動が起きてた。わたしを買った貴族もあれに巻き込まれたんだと思ったわ。
その当時ザッカルングは混乱してたから、とにかく必死に逃げた。ユフィに会ったのはその頃よ。国境近くの村で、向こうは農夫に雇われて納屋で暮らしてたわ。森の中で出くわしたみすぼらしい姿のわたしを見て、直感的に仲間だと思ったんですって。それであの子、なんて言ったと思う?
わたしもイモゥトゥなのよ、って。もしわたしがイモゥトゥじゃなかったらどうするつもりだったのかしら。ホント、呆れるわよね」
ジュジュはわたしの中にダーシャを探してるのか、じっと目を見つめてきた。親友がいなくなってジュジュは泣いただろうか。それとも、新生の準備と一緒に気持ちの整理もついていたのだろうか。
「次はオトの番よ。オトは自分を買った貴族が誰だか知ってるの」
顔は知らないけどね、とオトはジュジュの言葉を受けて自分の過去を話し始めた。
「ぼくを買ったのはロアナ王国のオールソン伯爵」
「オールソン?」
反射的に聞き返していた。ロアナ王国のオールソン伯爵家といえば、わたしをルーカスに引き合わせたクリフ・オールソンの家門だ。「知ってるの?」とオトは不思議そうに小首をかしげる。
「オールソン家の令息を知ってるわ。ヨスニル国立大学の学生で、何度か研究所の見学に来たの」
「学生ってことは、ぼくが身代わりになったオールソン家の息子の息子……いや、孫くらいかな?」
「身代わりって、どういうこと?」
「ぼくがオールソン伯爵家の養子になったのはイス・シデ大陸間戦争が終わる半年くらい前、クローナ歴四七〇年の夏のことだよ。ブルーノ・オールソンって名前をもらった。でも、養子っていっても書類だけのことで、伯爵家に足を踏み入れることもなく長男の代わりに連合国軍の兵士として従軍させられたんだ。身代わりなら別にイモゥトゥじゃなくていいと思うんだけど、不死の戦士が軍功をあげて凱旋すれば儲けものとでも思ったのか、それとも生きて戻ったぼくに交霊でもさせるつもりだったのか。何にせよタルコット侯爵の口車に乗せられたんだろうね」
わたしは研究所の資料庫で目にしたイモゥトゥ関連の新聞記事を思い出していた。それは、イス・シデ大陸間戦争で戦死したはずの家族をイス皇国で見かけた者が複数いるという内容の記事だった。
『35年前に終戦を迎えた先の戦争ではクローナ大陸連合国軍がイス皇国最前線へと送られた。その後無事に故郷へ帰還した兵士は50代から60代になっている。しかし目撃情報はいずれも戦時中と変わらぬ若い姿のままだったというのである』
こんなふうな文章だったが、つまりオトもその一人というわけだ。
「ぼくは戦地に向かうあいだ、どうやったら自然に死んだフリができるか真剣に考えてたんだ。でも、そんなの考える必要なかった。ぼくみたいな急ごしらえの養子は使い捨ての部隊に配属されるのが決まってるのか、到着して三日目でぼくの部隊は全滅したよ。
意識を取り戻したのは林に囲まれた湿地だった。ボロボロの軍服を着た人たちがあちこちに倒れてて、ウジがわいてた。鼻が曲がりそうな匂いだったけど、近くに海があるみたいで風に乗って潮の香りがした。自分がどれくらい気を失ってたのかはよくわからない。気づいたときには左腕はもうこんなふうになってたんだ。イモゥトゥでも腕は生えてこないんだよ」
同情されるのが嫌なのか、オトはヒョイヒョイとおどけた仕草で腕を振る。
「終戦まではひたすら見つからないように逃げ回ってた。その後は東クローナを転々として、モアクイツに戻ってきたのは四、五年くらい前。街を歩いてたら、ディドリーの民族衣装を着た女の子にいきなりロアナ語で話しかけられたんだ。わたしもイモゥトゥなのよって」
ジュジュがフッと吹き出した。何度も聞いた話なのに、何度聞いても愉快だというような、空気みたいな笑い方だった。
「ダーシャがオトを見つけた頃はもう新生前症状が始まってたのよ。それほど頻繁にではないけど、時々突発的に交霊状態になることがあったの。それで、オトの姿に触発されて見たのが昔監禁されてたあの場所。ここにいるイモゥトゥ二人ともそんな感じで知り合ったわ。モアクイツ周辺には情報だけ聞きにくるイモゥトゥも何人かいる。まだ他にもいるはずだから目撃情報を頼りに交霊で探しているんだけど、交霊ってそう都合よく知りたい情報が見られるものじゃないし。イモゥトゥは身を隠してる人が多いから、交霊で得られる情報が少ないのよね」
わたしはフォークをとり落とし、カシャンと派手な音がした。脳裏を過ったのは『ルーカスは慎重に顔を隠して暮らしているんじゃないか』という研究所のイモゥトゥの言葉。
「ねえ、大丈夫?」
オトは心配してるのかしてないのか、落ちたフォークを拾ってわたしの目の前でプラプラと振った。まるで子どもをあやすような表情と仕草に緊張が解けていく。
「ルーカス・サザラン」
わたしが口にすると、「サザラン?」とジュジュが眉間のシワを深くした。その家名を知っている顔だった。
「わたしは恋人に殺されたって言ったでしょ? その恋人の名前がルーカス・サザラン。ロアナ王国の伯爵家よ」
「知ってるわ。わたしたちもロアナの情報を集めてるから。たしかにサザラン家には年頃の息子がいたはずだけど、一体どこで知り合ったの?」
「ジュジュが言ってるのはたぶんルーカスの弟だと思うわ。ルーカス自身はロアナ国内でサザランを名乗ることは許されていないみたい。フォルブス男爵家に預けられていたらしいわ。今はソトラッカで暮らしてる。イヴォンというイモゥトゥを探すためにね」
「イヴォン……?」
顔を見合わせて首をひねっているオトとジュジュは、その名前に覚えがないようだった。
わたしはルーカスについて知っていること――彼がわたしに近づいた目的、わたしが彼に近づいた目的、研究所のイモゥトゥが交霊で何を見たのか――をすべて二人に話した。
「そのイモゥトゥが言ってたの。ルーカスは慎重に顔を隠して暮らしてたんじゃないかって。もしかしたらロアナでは偽名を使ってたかもしれない」
「なるほどね」
ジュジュはわたしへの憐れみと、わたしの恋人だった男への警戒心を顔に滲ませていた。
「ユフィはルーカスがイモゥトゥかもしれないと考えてるのね?」
「そういうわけじゃないの。むしろ違うと思ってる。だって、彼がイモゥトゥなら自分で交霊してイヴォンを探せばいいはずでしょう?」
「たしかにそうだけど、交霊が苦手なイモゥトゥもいるのよ。交霊のときって、こう、いくつも映像がバーって広がって、印象の強いものに無意識に寄っていく感じなの。交霊が苦手な子は最初の映像がすごく多いらしくて、指定された対象にうまく繋がれないみたい。そういうイモゥトゥは交霊感度が悪いって言われてる」
「シャム猫を呼び寄せたいのに、手当たり次第いろんな猫が集まってくる感じって言ってたよ」
オトがジュジュの説明を補足するのを興味深く聞きながら、それでもルーカスがイモゥトゥというのは腑に落ちなかった。
引っかかっているのはルーカスそっくりな子ども。そして、朦朧とした意識の中で垣間見た彼の本性だ。研究所のイモゥトゥたちも、ここで出会ったイモゥトゥも、みんな警戒心の奥に恐れが見え隠れしていた。しかし、ルーカスにあるのは警戒心だけで、誰に対しても恐れを抱いているようには感じられなかった。むしろ、彼の顔に浮かんでいたのは嗜虐性だ。
「まあ、正体を隠したがるのはイモゥトゥだけじゃないけどね」
わたしの思考を読んだようにオトが言った。
「イモゥトゥに関わってる貴族は交霊で正体がバレるのを警戒して布や仮面で顔を隠してる。その男がイモゥトゥを探してたのなら、むしろそっち側じゃないかな。タルコット侯爵と繋がってる可能性もあるよね。もしかしてルーカス・サザランとオールソン家の息子は知り合い?」
「うん」
ジュジュとオトは三者の関連を確信したのかうなずき合っている。ジュジュが両手で頬杖をついて顎を乗せ、「ねえ」と真面目な眼差しでわたしを見据えた。
「セラフィアが殺された理由はわかる? イモゥトゥを追ってる組織について何か知ってしまったとか」
わたしは忸怩たる思いで首を振った。研究所によるイモゥトゥ捜索はそれほど捗っておらず、そもそも捜索専門の人員が確保できていない。各所に情報提供を求める旨の書類を送っている程度だ。
「組織については何も知らないわ。ただ、わたしが何か、見てはいけないものを見た気がするの。それはきっとルーカス個人の秘密だと思うんだけど、死ぬ前の記憶がハッキリ思い出せない。ルーカスに詰め寄られて、酷い頭痛で、めまいがして、脳の中を何かが這い回ってるみたいだった。頭が風船みたいに弾け飛んでしまいそうな――」
「ユフィ」
喋りながら頭を抱えたわたしをジュジュの柔らかな体が包み込み、ささくれだった感情が少しずつ落ち着いていった。けれど、その後の彼女の提案に心臓が破裂しそうになった。
「ねえ、わたしが交霊でルーカス・サザランを見てあげようか」
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