第三話 似た子ども

 __ソトラッカ市ルーカス借家__7月20日ディナータイムつづき



 お酒のせいなのか、研究所でイモゥトゥから衝撃的な事実を聞かされたからか、それともこの後に起こる非科学的で奇妙な出来事のせいか、後になってこの夜のことを思い出そうとしたけれどうまくいかなかった。だから、思い出せるところから順番にノートに書き出している。時おり頭を過る記憶の断片をつなぎ合わせ、欠けたピースを推測することが、わたしにとってのわたしへの・・・・・弔いだった。


 ノートの最初は交霊状態にあるイモゥトゥとの会話。そして、ルーカスに・・・・・殺された・・・・その夜にも、わたしはワイングラスを手に夕方のイモゥトゥとの会話を思い出していた。


 夾竹桃祭りの夜、セラフィア・エイツがルーカス・サザランとの約束の時刻に遅れたのは、研究所で保護している一人のイモゥトゥに会っていたからだ。普段は他の研究員もいる手前、私的にイモゥトゥと面会することは控えていた。しかし、多くの研究所員が祭りのために早退したこの日、わたし〈セラフィア・エイツ〉は新生間近と思われるイモゥトゥに会いに行ったのだった。


 新生前症状で記憶が不確かな状態にあるイモゥトゥは、第六研究棟内に部屋を設けて世話係が常時待機している。しかし、研究員とイモゥトゥの面談に同行する権利はない。わたしは世話係に「少し様子を見るだけだから」と声をかけ、面談記録に自分の名前を記入することなく、一人で個室に入った。そして、幸か不幸かたまたま交霊状態に陥ってひとり言を喋っていたイモゥトゥにこう尋ねたのだ。


  ――ルーカス・サザランを知ってる?


 なぜそんなことを聞いたのかと問われたら、さあ? としか答えられない。ただ、漠然とした不安があった。イモゥトゥへの興味を隠さなくなったルーカスが、わたしを利用していったい何をしようとしているのか。数ヶ月前に見せられたあの絵の少女は誰なのか。


 イモゥトゥから返ってきた答えはこうだった。


 ――金髪で色の白い青年ともう一人、明るい茶色い髪の男。クリフって呼んでるわ。夾竹桃のある二階建ての小さな庭付きの家。誰かを紹介しているみたい。えっと、セラフィア――


 つまり、クリフがルーカスにわたしを紹介した日の、わたし自身の記憶をのぞいたのだった。わたしは「他には?」と穏やかな口調で問い、視点を変えるように促した。


 ――さっきと同じ家だわ。庭先で、なにかの種について話してる。サルビアの種を撒くかどうか――


 わたしは「他には?」と何度も繰り返さなければならなかった。名前だけで交霊を促した場合、同姓同名の別人についての記憶が混じるのが普通だ。それなのに、世の中でルーカス・サザランはあのルーカスただ一人で、彼の知人はセラフィア・エイツだけだというように、そのイモゥトゥはわたしの記憶ばかりを口にし続けた。そして、うっかりため息を漏らしたその時。


 ――ルーカスがため息をつきました。違う景色が見えます。視点は侍従? おそらくルーカスの荷物を持っています。「リュカ様」と声をかけました。ルーカスが、「リュカではなくルーカス・サザランだ」と。豪華な屋敷、庭には白い花が咲いてます。


 交霊を遮らないように「夾竹桃?」と短く聞いた。すると、「違う。たぶんアカシア」と返ってくる。重ねて「サルビアはある?」と尋ねた。


 ――ありません。四頭立ての馬車に小さな子どもが乗ってます。たぶん、五歳くらい。ルーカスにそっくりです――


 そのときの衝撃をどう言葉に表していいかわからない。ルーカスがその子をなんと呼んでいたのか、どんな雰囲気だったのか、聞きたいことは面談後に数え切れないほど浮かんできたけれど、その時は頭が真っ白になっていた。交霊状態の途切れたイモゥトゥに「大丈夫ですか?」と声をかけられたくらいだ。


 イモゥトゥは目の前の研究員と交霊で記憶をのぞいた相手が同一人物だと察したようだった。我に返ったわたしに、そのイモゥトゥは申し訳なさそうな顔をしながら、それでも警戒を促すような口調でこう言った。


 ――なにか変です。最初の記憶はルーカス・サザランという言葉と、あなたの声であの場面が喚起されたのだと思います。それは別に不思議なことではないのですが、交霊でルーカスの顔を見たのですから、その後は彼の顔を知っている別の人の記憶に飛んでもいいはずなんです。いえ、むしろそれが普通です。でも、ほとんどあなたの記憶にだけ繋がりました。ということは、断言はできませんがルーカスは慎重に顔を隠して暮らしているんじゃないかと思います。

 ただ、わたしたちイモゥトゥが見るのは、視点となる人の感情が昂った場面が多いような気がしています。だから……。


 そのイモゥトゥはうまい言葉を見つけられなかったらしく、困ったように首をかしげた。研究所で保護したイモゥトゥの中でも見た目はかなり若く、せいぜい十三歳くらいの風貌に大人びた気遣いを浮かべていた。


 要するに、彼女はわたしがいつもルーカスの前で高揚していたんじゃないかと、そういう内容を口にしたかったのだろう。けれど、ルーカスの相手がわたしだけのはずはなかった。ルーカスにそっくりだという子どもは、彼と誰かの結びつきなしにこの世に存在するはずがないのだ。一緒に馬車に乗り込んだという二人を、他人の空似で片付けることはできなかった。


 わたしはつい、研究対象であり保護対象であるイモゥトゥに「彼の子どもだと思う?」と聞いてしまった。


 ――親子でもあんなに似ているのは見たことありません。


 その後わたしは困惑したまま自分の研究室に戻り、面談をしたからには一応報告書を書こうとペンを手にしたものの、結局一文字も書けなかった。そうしてぼんやり窓の外をながめ、どれくらい時間が経ったのか唐突に今日が夾竹桃祭りだということを思い出し、時計も確認せず研究室を後にしたのだった。

 

「こんなふうにセラフィアがぼくの前で酔うのは初めてだね。それに、セラフィアが嫉妬するのも初めて」


 すぐそばに立ってわたしを見下ろすルーカスはとても満足そうだった。優越感か、それとも支配欲か、彼はわたしの頭をなで、まるで食事の代わりにわたしを食べているようなキスをした。その息はどこか懐かしい香りがし、鼓動が早くなる。わたしは初めて口づけした少女みたいに、背徳感が胸に広がって沈鬱な気持ちになるのだった。


「嫉妬したんだよね。ぼくがセラフィア以外の女性を気にしてるから」

「そうかもしれない」


 そのときマントルピースの上の蝋燭が風に揺れ、そこにイヴォンの小さな絵が額に入れて置かれているのに気づいた。以前見た絵とは違い、少女は祭服を着て祈りを捧げていた。今夜のディナーに合わせてあんなものを置いたのはきっとわざとだ。イヴォンのことをさりげなく話題にするために、事前にいろいろと準備していたのだろう。わたしはその絵を見なかったことにし、話題を変えた。


「ねえ、ルーカス。ロアナ王国にあるサザラン伯爵邸はどんな感じなの? きっと立派な夾竹桃があって、ここの何十倍も広いんでしょうね」


領地邸宅カントリーハウスはずいぶん古めかしい造りだけど、王都邸宅タウンハウスは豪華なものだよ。両方とも大きな夾竹桃があるし、前庭にはこれ見よがしにサルビアが植えられてる。でも、ぼくが住んでいたのはそのどちらでもない。これまで過ごしていたのはフォルブス男爵領なんだ」


「フォルブス?」


「そう、フォルブス。うちの分家で、サザラン伯爵領に囲まれた小さな領地。他国では勘違いしている人もかなりいるんだけど、ラァラ派の拠点となっているラァラ神殿とウチヒスル城はサザラン伯爵領ではなくフォルブス男爵領にあるんだ。百五十年くらい前、エリオット・サザランという当時の伯爵が領内のウチヒスル村に神殿とお城を建てて、その村と隣にあったカラック村に人が集まるようになった。エリオットには双子の息子がいてね、一人にサザラン伯爵家を継がせて、もう一人にウチヒスル村とカラック村を合わせた領地を与えたんだ。それがフォルブス男爵家の始まり。ラァラ派の多いロアナ王国では、サザラン伯爵家とフォルブス男爵家は特別な家門なんだ」


 飲みすぎなければ良かったと後悔した。今ならラァラに絡めてリーリナ神教を話題にすることもできたのに、酔いで頭が回らず、何を言っても取ってつけたようになりそうで「一度、行ってみたいわ」と、当たり障りのないことを口にした。


「サザランに? それともフォルブス?」


 どこか挑発するようなルーカスの口調に、わたしは首をかしげて愛想笑いをする。


「わたし、何か気に障ることを聞いた?」


「いや。ただ、フォルブス男爵家はまだしもサザラン伯爵邸に招待するのはきっと無理だ。ぼくは由緒正しい伯爵家の失敗作で、サザランを名乗ることも許されず、いない者として扱われてずっと部屋に引きこもってた。ルーカス・サザランと堂々と名乗れるのはヨスニルにいる間だけなんだよ。だから、恥ずかしくてセラフィアには言えなかった」


 胸にあった不信感がふと和らいだ。研究所のイモゥトゥがわたしの記憶ばかりをのぞいていた理由が、今の彼の言葉の中にあった。そして閃いたのだった。サザランを名乗ることを許されなかったルーカスは、もしかしたら伯爵家の中でも外でも『リュカ』という偽名で過ごしていたのかもしれない。


「オールソン卿もあなたがサザラン伯爵令息だって知らなかったの?」


「教えてはいなかったけど、なんとなくそう思ってたって。彼は子どものころ両親に連れられてラァラ神殿に来ていたんだけど、ああいう場所では大人だけ集まってしかつめらしい顔で話している時間があるだろう? それで、フォルブス男爵がクリフをぼくのところに連れて来たんだ。サザラン家でもフォルブス家でも大人はぼくのことを持て余していたから、クリフに相手をさせるのはちょうど良かったんだろうね」


「だから監獄なんて言葉を使うのね」


「ヨスニルの生活はたとえ家の外に出られなくても自由だよ。生まれて初めて恋人ができたしね。でも、ぼくはそろそろ君を自由にしてあげたほうがいいのかもしれない」


 ルーカスはわたしの後ろから肩ごしに腕をまわし、汗ばんだ首筋に唇をつけた。夏でも長袖のシャツを着ているから気づかなかったけれど、彼の腕は思っていたよりもずっと筋肉質だった。


「寂しいことを言うのね。わたしがイヴォンを探すのに協力しないから必要なくなった?」


「セラフィア、ぼくの気持ちが伝わらない? ぼくは君を愛してるけど何もしてあげられない、どこにも連れて行ってあげられない。それに、ぼくと結婚したとしてもサザラン家では厄介者扱いされるだけだ。ぼくが伯爵位を継ぐことはないからね」


「あなたが継がないのなら、爵位は誰が?」


「弟が継ぐだろうね」


 その言葉を聞いてホッと安堵のため息が漏れた。


「弟がいたのね。年はどれくらい離れてるの?」


「一つ違いだよ。十八歳だけど髭を生やして眼鏡をかけているせいか、ぼくよりずっと老けてる」


 弟の顔を思い出したのかルーカスはクッと声を詰まらせて笑ったけれど、わたしの期待――瓜二つの弟がいる可能性――は一瞬で打ち砕かれてしまったのだった。

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